5−3: 遺伝子編集技術
遺伝子編集技術は、皆さんもご存知のとおり、人間に対してのものは、あの戦争の後に禁止された。
その結果、100年前には存在しなかった動物たちが存在している。もちろん、あまりに奇妙な動物はいない。たとえば、哺乳類と爬虫類を結合できるだろうか。おそらくは「少なくとも」と着けておく方が安全なのだろうが、それはまだできない。また、四肢を持ち、それに加えて翼も持つような動物は作られただろうか。これも「少なくとも」と着けておく方が安全なのだろうが、まだいない。
しかし、一旦文明が潰えて、後世において進化論が再発見されるような状況になったとしたら、混乱をもたらすには充分であろう。それほどの遺伝子編集がなされた。
人間に対しても、当時、骨格、筋力の編集は行なわれていた。内臓の機能についても同様である。
そして、人間に対しての遺伝子編集は禁止されたものの、ヒトの遺伝子とゲノムの解析は進められ、現在では遺伝コードはほぼ解明されている。
さて、「5−2: 解析機関」の最後に触れたのと同じような奇妙な点がここにもある。
「第二章: あの戦争: 2−3: 従軍記者の手記より」に抜粋した部分を読むと、脳機能の向上を目的とした遺伝子編集がなされていたかのごとくである。それはただの表現としてのことであり、実際には体力の面における遺伝子編集であったのかもしれない。だが、もし脳機能の向上であったのだとしたら、遺伝子座は判明していたとしても、当時はまだそこまでの遺伝コードのデコードは成されていなかった。
脳機能そのものは、空白の石版という誤った前提に立ってはいたものの、かなりの分析が成されてきた。空白の石版であったとしても、この世界において書き込まれるために、同じ機能が結果として構築されると考えられてきた。戦争当時であっても、現在には及ばないものの、ある程度の分析ができていたのかもしれない。
だが、遺伝子が判明していることと、脳機能の理解と編集の間には空隙がある。脳機能に関連する遺伝子は判明していたとしても、そこをどのように編集すればいいのかは、別の問題である。筋力などについては、他の動物を参考にできたかもしれない。だが、脳機能に関する部分は、そうはいかない。それは、経験によって埋められたのだろうか。だとしたら、どれほどの試験体を生み出したのだろう。




