軍師の弱点
……暑い。
とにかく、暑い。
クーラーは最強レベルで効かせている。
しかし広大な王城というものは、冷却効率が悪い。
実にエコロジーに反する建物だ。
女王は執務机に突っ伏しながら、自分の長い髪を片手で持ち上げた。
「暑いわぁ……」
首筋にまとわりつく髪が鬱陶しい。
いつもならお気に入りの長く美しい髪も、真夏となれば話は別だった。
「いっそ、切ってしまおうかしら」
「そうやって衝動的に行動するから、後悔するのですよ」
向かいの机から、淡々とした声が返ってきた。
顔を上げれば、軍師が涼しい顔で書類に目を通している。
いや、待ってほしい。
「……軍師?」
「なんでございましょう」
「あなたこそ暑くないの?」
女王はじっと軍師を見た。
彼の青銀色の髪は、彼女のものよりもずっと長い。
「特に暑くは感じませんな」
「ふーん……」
肩どころか背中まで流れるその髪は、見ているだけでも暑そうだった。
「髪、切らないの?」
「私は結構でございます」
ピシャリと即答された。
「どうして?」
「……どうして、と申されましても」
「長い髪が、気に入ってるから?」
そう尋ねると、軍師はふと考え込むような表情をした。
「それもございますが……」
言葉がそこで止まる。
自分の髪に触れると、軍師は少しだけ遠くを見るような瞳になった。
「昔、あるお方から髪を褒めていただいたことがありまして」
「ふーん?」
たしかに、彼の長い髪は美しい。
陽の光を受けるたび、雪原に散るダイヤモンドダストのように淡く輝く。
でも——、
誰なのだろう。
髪を褒めるだなんて、女性の影しか浮かんでこないではないか。
心なしか、思い出に耽る軍師の眼差しは、すこし柔らかくなっているような……。
「褒めてくれたのね?」
「ええ」
それ以上、軍師は何も言わなかった。
気にはなるけど、軍師が自分から語らないことを無理に聞き出しても仕方がない。
それよりも……。
女王は改めて、軍師の長い髪を眺めた。
「でも、短い髪も似合うんじゃない?」
「……どうして私の髪を切る話になっているのですか?」
「だって気になるんですもの。意外と似合うかもしれないでしょう?」
軍師はやれやれという顔をした。
「それでしたら、AIで加工してみてはいかがですか」
女王は目を見開いた。
「あ、その手があったわね!」
彼女はさっそくスマホを取り出すと、保存していた軍師の写真をAIに読み込ませた。
「えーと『この人の髪型をショートに変えてください』っと……」
ポチッ。
そして待つことしばし。
「仕事でも、それぐらい早く行動に移していただけると嬉しいのですが……」
軍師は苦笑する。
そして画面に現れた画像を見た瞬間——。
「…………えっ」
女王は固まった。
「どうかなさいましたか?」
「ねえ、軍師」
「はい」
「これを見て……」
女王は生成結果を軍師に見せた。
「すっごくカッコいいじゃない!?」
「はあ」
「あ、いや、今もカッコいいんだけど!」
「……別にそれは付け加えなくとも結構でございます」
画面の中には、見慣れた軍師の顔がある。
けれど、長かった髪はすっきりと短くなり、普段よりずっと軽やかな印象になっていた。
「なんというか……若く見えない?」
「今の素体も、外見は二十代程度でございますが」
「もう、そういう意味じゃないのよ」
女王は立ち上がると、その画像を軍師の顔の横に並べて見比べた。
「ほら! 絶対こっちも似合うって!」
「そうでございますか」
「軍師、髪切ったら?」
「遠慮いたします」
「えー、似合うと思うんだけどな〜」
「そもそもこの体は人間とは違います。
一度切ったら、伸びてくる保証はどこにもないのですよ」
「そうなんだけど……」
実際に短くしたらどんな感じになるのだろう。
気になった女王は軍師の後ろへ回り、その長い髪をすくおうと手を伸ばした。
「ねえ、この辺りまで切ったら……」
女王の指先が軍師の首筋をかすめた、その時——。
「ひゃうっ……!」
執務室に、なんとも可愛らしい声が響いた。
室内はしん、と静まり返る。
「……え? 何?」
軍師は目を見開いたまま硬直していた。
白い頬は見る間に紅潮し、モノクルの奥の瞳が激しく動揺している。
女王は、ぱちぱちと瞬きをした。
「……今の声、あなた?」
「違います」
「でも、この部屋には私とあなたしか——」
「何も聞こえませんでした」
「聞こえたわよ。ものすごく可愛い声が」
「幻聴でございます。陛下はお疲れのご様子ですので、本日の公務はすべて中止してお休みください」
早口で言い切ると、軍師は乱れた髪をかき集め、首筋を隠した。
けれど、時すでに遅し。
女王の顔は、やがて愉快そうな笑みへと変わっていった。
「ははーん……」
「……何でございましょう」
「あなた、首筋が弱点なのね?」
びくり、と軍師の肩が跳ねる。
女王の笑みは、ますます深くなった。
いつも冷静沈着で、どんな危機にも眉ひとつ動かさない王国一の策士。
そんな彼にも、触れられただけで可愛らしい声を上げてしまう弱点がある。
しかも本人は、それを必死で隠そうとしている。
これは——実に面白い。
「そう。首筋なのねぇ……」
「違います」
「違わないわよね?」
「違います!」
「じゃあ、もう一度確かめてみましょうか?」
女王が指をわきわきと動かしながら近づく。
軍師は椅子を鳴らして立ち上がると、全力で後ずさった。
「お、おやめください!」
「確認するだけだから」
「その必要はございません!」
「大丈夫。ちょっとだけだから♪」
「それ絶対ちょっとじゃ済まないですよね!?」
さらに迫る女王と、部屋の端まで追い詰められる軍師。
やがて退路を失った彼は、赤くなった顔で片手を突き出した。
「お願いいたします! 今すぐ忘れてください!!」
王国一の軍師が放った、かつてないほど切実な懇願だった。
しかし、それに素直に従うような女王ではない。
「うふふ。いいことを知ったわ」
「陛下……」
「安心なさい。誰にも言わないから」
女王がにっこりと微笑む。
軍師は胸を撫で下ろしかけたが、続く言葉に凍りついた。
「私だけの秘密にしておくわね♪」
「それが一番危険なのでございます!!」
その日からしばらく——、
軍師は女王が背後に立つたび、そっと首筋を手で隠すようになったという。




