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束の間の幸せを 4

 薄靄のかかる早朝。

 あばら屋の庭先で、セディオスは重い荷を背負った師の見送りに出ていた。


「じゃあ、帰りは明日になるから。戸締りはしっかりね。あと、知らない人がきても出ちゃダメだからね」

「わかってます」

「お腹が空いたら家にあるものなんでも食べていいから。困ったことがあったらフェイおばさんのところに行ってね。お金も置いておくからね」

「わかりましたってば」


 心配性にも程がある。

 セディオスは苦笑して、立ち去り難そうにしているシェリーを見上げた。彼女は昨夜からずっとこの調子だった。

「セディオスくんも連れて行けたらいいんだけど、山を越えるのは危ないし」と、悩みを延々と口に出して唸っていた。


 彼女の不安を払拭することは出来ないだろうけれど──思いながら、セディオスは手にしていたマフラーを差し出した。


「先生、これ使ってください。僕の魔力を込めてみました」

「え?」

「あったかいと思いますよ」


 不思議そうに受け取ったシェリーは、それを手にしたとたん、目を見開いた。


「本当、あったかい……どうして?」

「炎の魔法を応用してみたんです。明日ぐらいまでは持つと思うんですけど」

「……ありがとう」


 シェリーはふんわりと笑って、セディオスのマフラーをいそいそと首に巻きつけた。そうして、名残惜しそうに口を開く。


「じゃあ、そろそろ行くね」

「はい。お気をつけて」


 手を振ったシェリーが背を向ける。

 一晩くらい。

 なんてことはない。

 いつものように庭の手入れをして、家の掃除をして、壊れているところを修繕して……空いた時間は読書にあてよう。

 そうすれば一晩なんてすぐに過ぎる。

 遠く小さくなっていく師の姿を見つめながら、セディオスは自由を満喫しようと冷たい空気を吸い込んだ。




 昼食は、硬くなりかけのパンと、朝の残りのスープを飲んだ。

 テーブルについてパンを齧りながら、横に広げた魔術書を、見るともなく読み込む。なるほど。炎の魔法が一番攻撃性があるらしい。

 もしも本当に独り立ちをするのなら、シェリーのような薬草専門ではなく、やはり魔獣の討伐などを主とした方が儲かるのだろう。

 だとしたら、防御魔法も覚えないとな。

 考えつつ、次のページを捲る。


(そういえば先生は、防御の魔法って使えるのかな)


 帰ってきたら聞いてみよう。

 そう思った瞬間だった。


「あれ? シェリーは?」


 男はノックもなし家に上がり込んできた。家の中を見回し、シェリーの姿を探す──セディオスは思わず立ち上がっていた。


「何の御用ですか」


 セディオスがぎりと睨みつけても、不法侵入の男──マティアスは全く意に介した様子はなかった。寝室に続く扉に目をやりながら、歩み寄ってくる。


「坊、ひとりか? シェリーは?」

「……先生に何の御用ですか」


 昨日、丹精込めて世話をしているハーブに唾を吐きかけられた屈辱は忘れていない。シェリーを馬鹿にしていた態度も。

 セディオスは敵意も露わに、近づこうとするマティアスから距離をとった。

 マティアスは「面倒くせ」と舌打ちをする。


「そう睨むなよ。あいつは? いつ帰ってくるんだ? 俺だって暇じゃないんだが」

「だったら来なきゃいいだろ。先生はあんたに薬草の一株も売る気はないってさ」

「ふん。言い値の倍は払うって言えば、あいつも喜ぶんじゃないか?」

「知りませんよ。とにかく先生はいません、お帰りください」


 マティアスは「くそ」と舌打ちをして、首の後ろを乱暴に掻いた。


「せっかく助けてやろうとしてんのに。本当に可愛くない女だな……弟子も含めて」

「……助ける?」


 あまりにもチグハグな表現に、セディオスは眉をひそめた。


「庭荒らしたり、先生をいじめてるくせに?」


 言ったセディオスに、マティアスの両眼が不愉快そうに細められる。声が一段、低くなった。大人の男の声だった。


「だから、諦めさせてやろうとしてんだろうが。 あいつは魔術師には向いてない──このままだと、不幸になる」


 廃れた小屋。ボロボロの衣服。食べる物さえまともにない生活。

 確かにそれは、不幸なのかもしれない。はたから見れば。でも。


 それでもシェリーは、魔術師を続けたいと言っていた。丁寧に大切に薬草を育てて、魔法が下手でも、できることをやっていた。そんな彼女を否定する権利は誰にもないはずだ。

 セディオスは拳を握りしめて、悪魔のように自分を見下ろすマティアスを睨んだ。


「勝手なこと言うな。先生は不幸なんかじゃない。毎日笑ってるし、楽しそうだ。 少なくともあんたみたいに人を馬鹿にしたりしない」

「先生先生って」


 ふん、とマティアスが歪な笑顔を浮かべた。


「お前、ずいぶんあいつのこと尊敬してるみたいだけど、本気で魔術師になりたいんなら弟子は降りた方がいいぜ。シェリーはまともな魔術師じゃない──攻撃魔法なんて、もってのほかだ」


 笑いながらマティアスが見つめたのは、セディオスが呼んでいた魔術書だ。


「そこに書いてある魔法、シェリーに発動させてみろよ。できねえから。もしかしたら泣いちゃうかもなあ? あいつ、昔から泣き虫だか──」


 マティアスが言い終えないうちに、目に見えぬ刃が彼の頬をかすめた。

 氷層の魔法。

 こんな寒い日には特に向いているのだと、セディオスは知った。だって、初めてだというのに、こんなにも簡単に出来てしまったのだから。


「え」


 マティアスの頬に赤い線が走り、同時にいく筋かの髪が散った。

 凍てついた空気を刃に変える術。人の目で視認することの難しい、上級魔法だった。


「先生は確かに、魔法は得意ではないかもしれません」


 セディオスはゆっくりと魔術書を閉じた。

 もしも本当に、自分がシェリーの言う通りの天才なら、独学でもなんとかなるのかもしれない。


「でも、教えるのはとても上手なんですよ」


 ね、と脅せば、マティアスは顔面を蒼白にし、後ずさった。


「お、お前」

「もう二度とここには来ないでください」


 シェリーには、助けてもらった恩がある。

 これで半分くらいは返せただろうか。

 セディオスはほんの少し、誇らしく思った。

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