この感情に名前はつけない
はじめはただの憧れだった。
同じ剣を扱う者としてあの人に近づきたかった。
もう十分すぎるほどに強いのに更なる高みを目指して走り続けるあの人を追いかけていたら私も強くなれると思った。
本当にただそれだけの感情だったはずなのに―――――――…。
「ニナはジオのことが大好きなのね。」
ニナは寸前のところでココアを吹き出すことだけは堪えた。
無理に飲み込んだせいでゴホゴホとむせる背中を原因となった少女が心配そうにさすってくれる。
その手に助けられてなんとか呼吸を落ち着けたニナはじとりと少女を恨めし気に見つめる。
けれど箱入り娘―――しかも桐箱入りのお姫様はきょとんと目を瞬くだけで自分の発言がきっかけでニナがむせたことにさえ気が付いていない。
彼女はただ本当に思ったことを口にしただけなのだ。
どーゆー教育してんですか。と彼女の現在の保護者であり後見人であるボスを睨みつけてもそしらぬ顔がチラリとニナを見ただけだった。
あぁ、そうだった。この人もまたこの少女を深窓の姫君よろしく大事に大事にしまいこんでるひとりだった。
あのセンパイが俺は知らん。俺は何も見てない。聞いていない。と匙を投げるくらいに別人っぷりを発揮してるんだった。
「えぇっと、姫様?」
「うん?」
「それはどういう?」
「ニナはジオと仲良しでしょう?だから、きっと大好きなんだと思って」
両親を亡くしてボスが連れて帰ってきたこの少女は見た目も幼いが中身はもっと幼い。
ニナのひとつ下とは思えないくらいに精神年齢の差は大きいとニナは思っている。
純粋無垢な瞳にそれ以上のものがないのを読み取ったニナはひきつった笑みを浮かべて精一杯のタテマエを紡ぎだした。
「――――尊敬はしてますよ。
センパイはすごく強いし、剣を振る者で憧れない人はいないと思います」
「そうなの?ジオってすごいのね!」
あっさりと納得した黒曜石の瞳がキラキラと輝いたのをみてニナはホッと息を吐いた。
もう一方からの視線は完全無視を決め込む。
どうせ自分でも判断のつかないこの感情だって筒抜けなんだ。
今更取り繕うだけ無駄。
それにボスはそれを面白がったりしない。
ニナが戸惑いまくっている初めての感情にどれだけ翻弄されていようと手を差し伸べてくれることもないけれど、否定することもしない。
それでもどうしようもなくなって落ち込んだときはこっそり慰めてくれるし、気晴らしに付き合ってくれたりもする。ニナが望めばきっと話だって聞いてくれる。たぶん。
ここに来たばかりのころはとっつきにくくて怖い人だと思っていたけれど、今ではよき理解者であり頼りになる兄さんだとさえ思っている。
だからいけないことと知りながらこうしてボスの執務室に入り浸っている。
思わずこぼれた微苦笑に会話が一区切りついたと受け取ったボスから呆れた声がかかった。
「ニナ、いい加減仕事に戻れ。ルナも今日の分の課題が終わってねぇとまたうるせぇぞ」
「「はーい」」
どうやら今日の自主休憩の黙認時間は終わったらしい。
あと数分後に怒鳴りこんでくるだろう顔を思い浮かべてクスリと笑い素直にその声に従った。
++++
夜色のコートを羽織って暗く冷たい夜を走る。
それでも恐れることなく、迷うことなく、走れるのは目の前に輝く鈍色があるからだ。
「雑魚が手間かけさせてんじゃねぇ!」
綺麗だ。
無駄が一切省かれた流水のような動き、重く力強い斬撃、傲慢なほどに相手を見下しながらも 一瞬の隙も見せない姿。
この人は剣を振り回しているときが一番カッコよくて綺麗だと思う。
そんなバカなことを考えながらもニナの体は勝手に染みついた動作を繰り返して同じように敵を薙ぎ払っていく。
横目で敵が切り伏せられていく姿を眺める余裕があるくらいにニナの負担は軽い。
そもそも相手をする質も量も違う。
ニナと組むときジオは敵を無駄に挑発する。
自分より弱く体力のないニナに目がいかないように「名前を上げたいやつはこっちに来い」彼が唇を釣り上げてそう言うだけで多くの者が目をギラつかせてジオのほうへと群がる。
それに気が付いたとき、悔しくて悔しくて何度もバカにするな!と噛みついた。
今だって悔しい気持ちがないわけじゃない。
だけど、少しずつ、本当に少しずつ背中を預けてもらえることが増えてニナを認めていないわけじゃないということも一緒に過ごす時間のうちで分かった。
それにこうして彼が戦う姿を眺めるのが嫌いじゃない自分にも気が付いてしまったから、ニナは喉の奥に引っかかっているモヤモヤと文句を飲み込んで剣を振る。
それとは比べ物にならないご褒美を手にするために。
「ニナ、終わったか?」
「とっくに」
「だったら手伝いに来い!!
てめぇは普段お世話になってるセンパイを労わろうって気がねぇのか!!」
「暴れたそうなセンパイにストレス発散の場を提供した後輩の心遣いです」
「アホか!こんな雑魚じゃ逆にストレス溜まるつの!!
……後で一勝負付き合えよ」
「は?職権乱用ですよ」
「センパイ命令だ!サボリ魔に代わって誰が書類処理してやってると思ってる!」
低く唸る不機嫌な声にわざと大きなため息を吐いてクルリと背を向ける。
背中越しにぎゃあぎゃあ喚くジオの声を聴きながらゆるみきった表情でニナはそうっと愛刀の柄を撫でた。
「おい!聞いてんのか!?」
「うるさいですね。ちゃんと聞いてますよ。
私が一本とれたらなにかご褒美くださいね」
「はぁ?それじゃ簡単すぎんだろ。三本だ」
「え?」
「お前、前よりずっと強くなってるぜ。よく頑張ってんじゃねぇか」
頭に乗せられた手が、柔らかく和んだ瞳が、ニヤリと釣り上げられた唇が、まっすぐに自分に向けられていることが嬉しい。
他の誰よりも、この人が自分を認めてくれることが嬉しくて、死にそうなくらいに幸せだ。
剣士として。女の子として。ニナというひとりの人間として。
この人のそばにいられることを、この人の瞳に映っていられることを、誇りに思う。
だからまだ、
この感情に名前はつけない――
――もう十分幸せだから
「っ、セクハラです!気安く触んないでくださいっ!」
「セクハラ!?俺にだって選ぶ権利っつーもんがあんだぞ?つかお前、セクハラって……」
「死ね!本気で死ね!最低!ボスに言いつけてやる!!」
「うわっ!こら!暴れんな!!剣を抜いてんじゃねぇ!つーかボスに訴えたとこで鼻で笑われてしまいだぞ!?恥の上塗りだぞ!?」
「………コロス!!」
「わわわわ悪かった!だからその据わった目やめろ!な?お前もイチオウ女の子だろ!?」
「わかりました。センパイ、永眠してください♪)
「それ言い方変わっただけだろーーー!!?」




