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東の主婦が最強  作者: くりはら檸檬・蜂須賀こぐま
第13章 最後の戦い,そして
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13-5 魔眼の王

 ベルトランは,玉座からゆっくりと立ち上がり,オルガンの下に押し込まれた布団――モルガンと,血を吐いてよれよれの服装になったヤルダバオートを見た.

 全身を覆う赤黒い鎧は,固まった血の色だ.ランスロットの漆黒の鎧とは質の違う黒だった.身長は二メートルを超える.シノノメとは大人と子供ほどの体格差がある.


 「ふん,くだらんな. 女子供の技か」

 「陛下,力及ばず,誠に申し訳ありません」

 「道化よ,誰か兵士を呼び出せ.操舵主がいなくては話にならん」

 「はっ!」

 ヤルダバオートは芝居じみた仕草で飛んだり跳ねたりしながら部屋を出て行った.


 「よくぞここまで来たな,東の主婦」

 「もう,こんな戦争,お終いにしなさい! 兎人の人たちも,可愛そうでしょ! お家に帰してあげなさい!」

 「可愛そう……か.お前とはどうしても相容れぬな.俺には,この世界のモノや人間をそのように思う気持ちこそが理解できない」

 「だって,みんな自分で考えて,お話しして,泣いたり笑ったりしているんだよ! 命がなくっても,生きてるでしょ!」

 「命が無ければ,生きていないという理屈は,お前には通じないのだろうな.まあ良い.退屈していたところだ.お前と戯れるのも一興だろう」

 

 ベルトランが右手を掲げると,空間に黒い裂け目ができた.その中に手を突っ込み,巨大な黒鉄くろがねの塊を取り出す.

 ベルトランの身の丈ほどもあるそれは,湾曲した刃を持つ禍々しい剣であった.彼の佩刀,魔剣ベーオウルフ――竜を殺す剣である.

 ベルトランは片手で柄を掴み,軽々と右肩に担ぎ上げた.そして,左手を柄に添える.


 「そこな魔女も,一緒に切り殺されたくなければ去れ」

 ベルトランの隻眼が,爛々と光を放つ.

 グリシャムは,視線が放つ殺気だけで殺されてしまいそうな息苦しさを感じていた.シノノメがそっと手を握る.


 「グリシャムちゃん,大丈夫だから,力を貸してね」

 「うん……」

 グリシャムは不安を押し殺して返事した.だが,こんな究極の闘いの中で自分に何ができるだろう.湧き上がる気持ち恐怖に必死に耐えた.


 シノノメは右手にフライパンを握っていた.先ほどヤルダバオートを倒すのに使ったものだ.ただ殴る,受けるといった防御だけではなく,高熱を帯びて相手を焼くことができる.

 いつもの右半身みぎはんみだ.敵から見てできるだけ体の面積を少なくする構えである.

 シノノメとベルトランはじっと互いを見つめながら,じりじりと距離――間合いを計っていた.

 ともに,攻撃を開始する‘機’を探している.


 窓の外の太陽は大きく西に傾き,東から夕闇の空が迫っていた.

 

 「やあやあ,ベルトラン様,困りました!」

 ヤルダバオートが扉を開けて戻って来た.

 「兎人の兵士までも姿を消して,逃げてしまったようです!」


 「何?」

 ベルトランがわずかに眉をひそめた,そのタイミングをシノノメは見逃さなかった.

 縮地法で間合いを詰める.

 一瞬で,フライパンが届く範囲に接近した.


 「えーい! 百万度ポワール!」


 高熱を帯びたフライパンがベルトランの頭に飛ぶ.

 ベルトランは体を開いて簡単にかわすと,手首を中心に剣をひねり打ちした.


 「むんっ!」


 鋭い一撃がシノノメの頭をかすめる.髪の毛が一房切られて飛んでいった.


 「グリルオン!」


 シノノメが叫ぶ.足元から巨大な青い炎が立ち上り,ベルトランを包んだ.


 「ぬん!」


 ベルトランが体を一振りすると,炎が消え去る.

 シノノメはその間にもう一度距離をあけ,先ほどの位置に戻っていた.

 両者とも無傷である. 


 「あの鎧,対魔法防御の鎧ですね.魔法の雷や炎は防いでしまいます」

 「そうだね」

 グリシャムの分析に,シノノメが頷いた.

 「物理攻撃で,いかに攻撃するかですね」

 「うん」


 だが,圧倒的に間合いが遠い.

 柔よく剛を制す,小よく大を制すとは武道の世界でよく言われるが,簡単ではない.それは,理想だ.

 実力差が少なくなればなるほど,リーチの差は大きなハンデとなる.

 懐に入れば良いというのは簡単だが,入れてもらえない.

 シノノメから見れば,ベルトランの全ての攻撃は天井から降ってくる感覚なのだ.

 リーチ差を埋める攻撃方法は,やはり魔法だろう.しかし,その魔法が無効ならば,何で攻撃すれば良いのか.


 「私の鳳仙花の種じゃ,あの鎧は貫通できないでしょうね」

 「そうだね.すごく分厚いからね……」

 「でも,やるだけやってみましょうか……」

 「うーん,それより,トウモロコシ出して」

 「は?」


 シノノメが不敵な笑顔を浮かべているのを見て,グリシャムは若木の杖を振った.杖の先端に‘つと’に包まれ,髭の生えたトウモロコシの実がなる.


 「十分熟させておいてね」

 「は,はい」

 「あと,竹藪も」

 「竹ですか?? ……なるほど.じゃあ,サボテンとヒイラギもですね」

 「うん,さすがだね」


 シノノメの考えが少し分かってきた.

 グリシャムは万能樹の種を取り出し,杖を持たない左の手に握り込んだ.


 「今度はこちらの番だな.行くぞ!」

 「むっ!」

 

 ベルトランは悠然とした構えから,猛然と踏み込んだ.

が,届く間合いとならないうちに剣を袈裟がけに振った.


 「覇王空剣斬!」

 

 三日月状の衝撃波が,シノノメ達を襲う.フライパンではよけきれない.かわすとグリシャムが一刀両断だ.

 

 「鍋蓋シールド!」

 

 シノノメが叫ぶと,丸い魔方陣が空中に現れて楯となった.しかし,衝撃波は魔方陣で砕け散ることなく,その方向だけ変えて窓の方に飛んでいった.


 ドカン!と大きな音がする.

 突然強い風が広間に吹き込んできた.

 グリシャムがわずかに振り向いて確認すると,部屋の角が切り飛ばされ,人が三人ほど通れる巨大な割れ目が開いていた.

 「あわわ……なんて威力……! これがレベル九十台の戦い……」


 巨大な威力のぶつかり合いである.

 巻き込まれたら一撃で死んでしまいそうだ.

 これだけの攻撃を放つベルトランもベルトランだが,それを受けてのけるシノノメもシノノメである.

 だが,この戦いでは守勢に立った方が――特にシノノメが防御に立った方が圧倒的に不利と見えた.ベルトランは剣の間合いの外からも攻撃できるということだ.しかも,ベルトランの防御はアイテムによる.シノノメのように,いちいちMPを消費してシールドを張る必要がない.持久戦になればますますシノノメが不利だろう.


 「ふふふ,久しく忘れていたな.この戦いの高揚,一騎打ちのスリル.続けていくぞ! 主婦め!」


 「私の名前は主婦じゃないよ! シノノメだよ! グリシャムちゃん,逃げて!」


 ベルトランは巨体からは想像もつかないスピードで移動すると,シノノメに斬りつけた.長机ほどの大きさの刃が捻りを伴いながら高速で打ち込まれる.

 さながら,動くギロチンだ.グリシャムは慌てて床に伏せた.

 

 刃を受けたら,力負けする.

 そう判断したシノノメは徹底的にかわしていた.絶対の見切りを誇るシノノメであるが,剣風がつくる真空の鎌鼬は,割烹着を容赦なく切り裂いた.

 

 床を横に転がりながら,グリシャムは杖から生えたトウモロコシの実が黄色くなるのを待っていた.


 「シノノメさん,行けます! そっちに飛ばしますね!」

 「うん!」

 

 鳳仙花の実と違って,トウモロコシが飛ばせるなんて考えてもみなかったが,何故かできる気がしたグリシャムは杖を振った.

 できた!

 ぱらぱらと黄色い粒が空を舞う.


 「ありがと!」

 魔剣ベーオウルフをかわしながら,シノノメはフライパンでトウモロコシを受け取った.

 鍋を振りながら,ベルトランの死角――右側へと回り込むが,それを追ってベルトランは剣の捻り打ちを叩きこんできた.

 若干大ぶりだ.

 小さく身を屈めて剣の下をくぐったシノノメは,一気に懐に飛び込んだ.

 「えい! ポップコーン!」

 フライパンに入ったトウモロコシははじけ飛び,ベルトランの左目を急襲した.

 たかがポップコーンである.頭は分かっているが,目はそうではない.目の前ではじける白い物に,反射的に目を閉じた.


 「百万度ポワール!」

 シノノメはポップコーンを浴びせた鍋をツバメ返しで切り返し,剣を持つ右手めがけて叩きつけた.

 巨漢を制する場合には,末端から攻めるのが鉄則である.小手を狙った攻撃だ.

 ベルトランの甲冑の掌部分には装甲がない.

 高熱のフライパンが右手を焦がすかに見えた瞬間,ベルトランは左手に剣を持ち替えてそれを凌いだ.

 

 「小癪な!」

 頭上で剣を両手持ちに切り替え,シノノメの頭部めがけて叩きこんだ.


 ガン! と鈍い音がする.

 剣撃の威力を防いだものの,フライパンの鍋は見事に両断されていた.

 「あっ!」

 シノノメは壊れた武器をすぐに手放し,後ろに飛んだ.

 紙一重で見切るシノノメがこんな大きな回避運動をすることは滅多にない.

 グリシャムは万能樹の種をベルトランの足元に放り投げた.

 「バンブー・ウォール!」

 たちまち丈夫な孟宗竹がベルトランの足元から天井に向かって生い茂る.

 一部の竹は斜めに先端を削がれており,鋭い竹槍となって下からベルトランを襲った.

 が,素早く後ろに下がってベルトランはかわした.

 「竹か……なかなかやるな」

 ベルトランが再び剣を構えなおした.

 竹は脂分を含んで弾性に富み,時として銃弾すら跳弾させてしまう.植物の防壁としては最上の部類だ.

 さらにグリシャムは種をベルトランの周りに投げた.

 サボテンが,ヒイラギが群生し始める.

 どれも鋭い棘を持つ植物だ.

 シノノメ・グリシャムとベルトラン・ヤルダバオートは木の衝立で遮られる形となった.

 魔法の生け垣の向こうに,剣を構えるベルトランが見える.

 ヤルダバオートはパイプオルガンの下からモルガンを引っ張り出し,魔法を解除しようとしていた.

 何とか人間の姿に戻ったモルガンだが,体の呪文は消えたままだ.ふらつきながら操舵席に着き,鍵盤に指を走らせ始めた.

 気持ちをざわつかせ,不安を掻きたてる不気味な旋律が部屋中に響き渡った.


 ベルトランは剣を下段に降ろし,口を開いた.

 

 「フフン.植え込みの向こうで遊んでいるがいい.このままこの要塞が南都に進んでいけば,やがて我々に勝利が訪れる.全軍の勢力は,我々の圧勝なのだからな.そして,俺はお前の攻撃をゆっくり待っていればいいのだ.逆に,お前には俺に向かって来るしか選択肢はあるまい.ハハハハハ」

 

 「ずいぶん余裕だね」


 だが,ベルトランの言う事は全て正しかった.

 シノノメ達,素明羅の軍勢には,ベルトランを攻めて倒すという選択肢しかないのだ.

 まともに戦争をすれば勝ち目がないからこそのシノノメの奇襲であり,奇策である.


 「勝利が目前となれば,やむを得まい? 俺は先程ログインしてきたばかり.たっぷりと時間がある.お前達はいつからこの戦闘に参加している? 朝からか? とすると,もうすぐ休眠しなければならないだろう? それとも,ログアウトして逃げるか? どちらにせよ,この究極の戦いのさなかにそれができるか?」

 

 どちらもできる筈がない.

 ログアウトすれば二人とも再ログインしたときに南都に戻ってしまう.

 この戦況を維持するには,休眠(一時停止)しかない.

かといって,休眠直後のシノノメを守る力はグリシャムにはない.

 シノノメの力をもってしても,ベルトラン相手では休眠直後のグリシャムを守る余裕はほとんどない.

 生垣は目くらましにはなるが,ベルトランならば一撃で粉砕することができるだろう.それをしないのは,操船機械の損傷を慮ってのことだ.

 シノノメの最大魔法が発現すれば,ダンジョンをクレーターに変えてしまう.ベルトランの剣にもそれと同等かそれ以上の力が秘められているのだ.

 

 「……」

 

 シノノメは,生垣の隙間からベルトランとヤルダバオートを睨んだ.

 ズタズタになった割烹着を脱ぎ棄て,カフェエプロンを着けて襷をかけた.


 「お前のことはとっくに分析済みだ.最大威力の魔法,馬鹿馬鹿しいが電子レンジだそうだな.威力をためるのにかなり時間がかかると見た.その魔女では,魔力をためる間の無防備な状態を守ることはできまい? それに,さっき壁に穴を開けておいた.お前の魔法は,密閉環境で発揮されることが多い.これではおそらく発現できないだろう?」

 「随分詳しいんだね」


 ベルトランは,マグナ・スフィアの熱狂的なマニアである.対戦相手のことは徹底的に資料を集めて調べていた.

 数千万の人間が参加するゲームのスタープレーヤーともなれば,ゲーム雑誌の取材やキャラクター使用料による収入がそれなりにある.

 ベルトランはそれら全てを自分の趣味,ゲームのシステムバージョンアップとデータ解析,蓄積用のハードマシン,PCなどに注ぎこんでいた.

無職で両親に依存して生活している彼は,生活費を家に入れることなどしない.


 「戦う相手ともなれば,全力を尽くすために調べ上げるのが俺のやり方だ.すでにカカルドゥアとウェスティニアの攻略作戦もシミュレーションは終了している」


 ともにユーラネシア大陸の超大国だ.ベルトランは大陸全土に覇道を唱え,戦火に巻き込むつもりだった.


 「どうしてそこまでして戦争がしたいの?」

 「平凡で閉塞感に満ちた現実を変えるためだ」

 「そんなの,よそですればいいじゃない.戦争をしたい人たちばかりじゃないんだよ」

 「理想には大きな犠牲が伴うものだ」

 「平和な毎日が続く事なんて,特別なんだよ?」

 シノノメは眉を顰めた.

 「うるさい,お前のような小娘に,何が分かる!」

 

 シノノメの言葉が癇に障ったベルトランは,剣を軽く水平に薙いだ.

 剣先が起こす真空は,並んでいた木を薙ぎ切り,さらに後ろへと突き抜けた.

 大きな音が響く.

 広間の窓が衝撃ですべて粉々に砕け散った.

 シノノメとグリシャムは床に伏せて直撃を逃れていた.

 

 「わかるよ! 平凡な毎日は,とっても特別で大事なんだよ!」

 

 「シノノメさん……?」


 グリシャムはベルトランの剣が太い樹木を軽々と切り倒してしまったことに驚いた.しかも,実際に剣が当たっているのではなく衝撃波だけでこの威力である.これでは,オリジナルの防御魔法,フルーラ・バブルなど通用するはずがない.

 だが,それよりも気になったのはシノノメの表情がいつになく真剣な事だった.

 子供の時フランスにいたといっていた.日本に来るのに,何か複雑な事情があったのだろうか.ヨーロッパでは宗教問題でテロが頻発していると聞く.


 「あなたこそ,何が分かるの? 日常が平和でないと,ゲームの中の非日常なんて,楽しめないよ!」

 「うるさい.俺は俺の道を行くのみ.お前の言葉が正しいと思うなら,俺を倒してみろ!」


 シノノメは猫を思わせる敏捷でしなやかな動きを見せると,ベルトランの懐に飛び込んだ.


 「グリルオン! 両面焼き!」


 天井と床から青い炎が噴き上がる.兜をかぶっていないベルトランには,天井からの炎は回避すべき攻撃だった.

 髪の毛を焦がす爆炎を,体をねじって逃れる.

 手首を回して剣を風車のように回し,炎を切り裂くととものシノノメの体を薙ぐ.


 超至近距離で,シノノメは剣の刃をかわしていた.右手には魔法の三徳包丁,左手には中華包丁が握られている.流石のシノノメも,音無しの剣というわけにはいかない.

 包丁の刃で斬り結びながら剣の攻撃をかわさざるを得ないのだ.

 三つの刃がぶつかり合う度に青い火花が生じ,きらきら光りながら小さな鉄の欠片が飛び散っていた.

 明らかに刃物の性能として魔包丁の方が劣っていた.剛性では全く敵わない. 刃こぼれしてギザギザになっていく.

 襷がけの紐が切れ,和服の袖が,帯が切り刻まれ,亜麻色の髪の房が飛ぶ.


 「はっはぁ! 面白いぞ! 主婦! もっと,もっとだ!」


 圧倒的優位に,ベルトランは狂喜の笑みを浮かべていた.

 剣圧で,じりじりとシノノメは下がる.

 

 バキン!


 高い音がして,ついに限界が来た三徳包丁が折れた.

 シノノメは柄を放り捨て,左半身になりながら後ろに飛び下がった.

 だが,そこにはベルトランが斬り払った竹の生け垣の残りがある.

 足が取られ,僅かにバランスを崩した.


 「死ね!」


 ベルトランが一気に間合いを詰めて斬りかかる.


 「グリシャムちゃん!」

 「はい!」


 ころん,とシノノメが後ろにでんぐり返りするのと,グリシャムが杖を振るのはほぼ同時だった.

 ベルトランの足元から,大理石を突き破って孟宗竹が生えた.

 竹の子だ.グリシャムが生やした竹は地下茎を作って,ベルトランの足元近くまで伸びていたのだ.

 先端は鋭くとがり,脇の下,大腿の付け根,そして顎を襲う.いずれも鎧の隙間,下から槍で狙われて鎧武者や騎馬武者が命を落とす急所である.

 

 「ぐわっ!」

 

 ベルトランは剣を一閃させ,大理石の床をえぐり取った.

 だが,天然の竹槍の一本は彼の顎をかすめ,頬に擦り傷を作った.


 「おのれ! 小細工を!」

 「今!」

 

 ベルトランがひるんだ瞬間,シノノメは再び懐に飛び込んでいた.

 右手には包丁でない――アイロンが握られている.

 シノノメは振りかぶった.

 ベルトランの剣先は大理石の床に刺さって容易には抜けない.


 「フェーラ・ル・パセ!」

 

 高温のアイロンがベルトランの顔,隻眼に向かって突き出された.


 「愚策だな!」


 ベルトランは泰然として動じない.

 アイロンが顔に届くはずない.二人のリーチ差を考えれば当たり前なのだ.

 だが,シノノメの狙いはそれではなかった.


 「スチーム!」


 アイロンの先から,高温高圧の水蒸気が噴き出した.

 

 「ぐああああ!」


 水蒸気は猛烈な勢いでベルトランの左顔面を焼いた.

 ベルトランは左の裏拳を振り回し,シノノメの顔面を薙ぎ払った.

 一撃離脱だ.シノノメは慌てて飛び退すさったが,すでに両手には別の物が握られていた.

 細いロープだ.

 あちこちに,洗濯バサミがぶら下がっている.

 要は,洗濯ヒモであった.

 その先端は,ベルトランの鎧にしっかりと洗濯バサミで固定されている.


 「洗濯ひも(コルド・ランジェ)!」

 

 ベルトランが蒸気に焼かれた顔を左手でぬぐい,視界を取り戻そうともがく間,シノノメは紐を持ってグルグルとベルトランの周りを走った.


 「えい!」


 超剛性・柔軟性を誇る魔法の洗濯ロープは,ベルトランの腕や脚,全てに絡みついてその動きを奪った.


 「グリシャムちゃん,手伝って!」

 「はい!」

 

 すっかり息が合った二人は,一緒に洗濯用ロープを引っ張った.

 ぐらり,とベルトランの巨体が揺れる.


 無敵のベルトラン,人間の王,ノルトランドの最高権力者はついに床に膝をついた.


 「ベルトラン様!」

 モルガンの悲鳴が響いた.

 移動要塞の操舵――演奏の手が止まり,重厚な音楽の調べが止まる.


 「陛下!」

 ヤルダバオートの甲高い声もする.彼は道化らしく手を打ち鳴らし,とび跳ねていた.どこか喜んでいる感すらある.この戦いの見物を心から楽しんでいるようだ.


 「魔法の洗濯ロープだから,引きちぎれないし,もがけばもがくほど締まっていくよ! 洗濯バサミは触れる物に自動的に噛みつきます!」


 洗濯バサミの鋭い歯が,ベルトランの顔や指に食い込んでいる.流石に鎧には刃が立たないようだが,鎧の突起にはしっかりとその歯を食いつかせていた.


 「でもシノノメさん,この後どうするんですか?」

 「どうしよう? フード・ディスポーザーに落としてみじん切りにするとかかな? それとも,グリシャムちゃんのイチジクに絞殺してもらおうかな」

 「吸血樹,っていうのもありますよ」

 「おお! 恐ろしい子!」


 「無様な……俺としたことが,油断したわ……」


 ベルトランは紐にからめとられながら,体をゆっくりと起こした.

 まだ左目は開いていない.現実世界でいえば,結膜熱傷,目の火傷を負っている筈である.しばらくは回復しないだろう.

 不自由な右手を探り,眼帯に手をかけた.

 眼帯を引きちぎる.

 目が露わになった.


 「うわっ!」

 「ひゃあっ!」


 ベルトランの右目を見たシノノメとグリシャムは,思わず悲鳴に近い声を上げた.それほどその光景は異様だった.

 黒鉄色の結膜に,赤い瞳.

 眼球結膜――白目は色だけではなかった.本物の,黒い鉄だった.

 瞳の中には,光彩の代わりにらせん状に開閉するシャッターと,レンズが見える.


 「機械の目!?」

 「ユーラネシアで,そんな物が動くなんて!?」


 ユーラネシア大陸は,魔素の影響で精密機械が働かない.だからこそ,乗り物は竜や魔獣が主体で,大型の機械は気球と蒸気機関がやっとなのである.


 ベルトランの黒い眼球は,それだけが独立した生き物であるかのようにグリグリとせわしなく動いた.やがてシノノメ達二人の姿を捉えると,口元に凶暴な笑みが浮かんだ.


 「ククク.まさか,これを使う事になるとは……ソロモンの魔眼と名付けている」

 

 「こんな機械的な物が作動する……サマエル,あなたの仕業ね!」

 「いかにも,グリシャム殿.私がほんの少し陛下にお力をお貸ししたまでです.偉大なる覇業を成し遂げようとしているお方に,ふさわしい目ではありませぬか?」


 ヤルダバオートは爆笑した.

 ゲームであるマグナ・スフィアのシステムを管理する彼である.ゲームルールを捻じ曲げることなど造作ないのだ.


 「キモイから,今のうちにやっつけちゃおう!」

 「シノノメさん,気をつけて!」

 

 シノノメはじりじりと中華包丁を構えて近づいたが,ベルトランの目から赤い光がほとばしったので,思わず飛んで逃げた.


 「うわっ!」


 赤い光が一閃した場所が焦げ付き,シノノメの包丁の先端がきれいに溶けて無くなっている.


 「ビームだ!」

 「こ,高出力赤外線レーザー!?」


 「あまり使ったことがないので,狙いを外したか?」


 ベルトランの右目はぐるりと回転すると,自分の体に向けて赤い光を放った.熱線は洗濯ひもを溶かし,あっという間に切断してしまった.

 いつの間にか目の周りに機械的な黒い線が走り,それは彼の右顔面に広がっていく.歌舞伎の隈どりが右顔面だけに出来たようだ.

 まるで,眼球にベルトラン自身が浸食されているように見えた.


 「あなた,ヤルダバオート! ベルトランに何をしたの!?」

 「いいえ,私めはお力をお貸ししたまでですよ.ヒャヒャヒャ!」


 そんなはずはない.グリシャムは直感した.

 あの目の封印――眼帯を外してからのベルトランは,明らかに表情がおかしい.そういえば,兎人たちがベルトランはヤルダバオートに操られているかもしれないと言っていた.

 開戦前夜――セキシュウさんがVRMMOマシンは脳に影響を与えるって言っていた.まさか……そんなことがあり得るのだろうか.

 機械による,洗脳ブレイン・ウォッシュ!?

 

 自分を束縛するロープを切ったベルトランは再び剣を取って立ちあがった.


 「ベーオウルフ! 第一形態変化!」


 剣の刃が,黒く輝いた.油紋のような――ダマスカスブレードに似た模様が刃面に広がり,互いに渦を巻いて動き始めた.剣自体がゆらゆらと揺れているようにも見える.

 超高速で刀の面が振動しているのである.

 ベルトランが軽く剣を振ると,ブウンと鈍い音を立てて空気が震え,それだけで天井が削り取られた.

 轟風が起こる.

 要塞の天蓋が吹き飛ばされ,空がぽっかりと顔を見せた.

 闇の刃が剣の通過する軌跡上の物をすべてを喰らい尽くしてしまったのである.


 「な,なんて威力なの……」

 「すごい食いしん坊の剣だ……」

 グリシャムとシノノメは唖然とした.


 「へ,陛下……恐れながら,それはおやめ下さい……これ以上壊すと要塞の操船に支障を来たします……」

 モルガンがひざまずいて具申した.


 「黙れ,モルガン!」


 ベルトランの目から放たれた熱線は,モルガンの胸を打ち抜いた.そのままオルガンのような操船機械にまで穴を開け,焼け焦げが煙を上げる.

 

 「ぎゃあっ!」

 モルガンは胸を押さえて床に倒れた.

 

 「あなた,味方を何だと思ってるの!?」

 ベルトランのあまりの理不尽さに,シノノメは怒った.


 「全ては俺の駒だ.俺の思う通りにして何が悪い.現実世界は俺の思う通りにならない.だから,この世界は俺の思う通りにするのだ」

 「何て我儘なの! 理想だの何だの言って,それが本音なんでしょ!」

 「うるさい.この目は,お前たちのステイタスもこの距離から見ることができる.速度,そして移動の方向予想,次に出すアイテムや技の予告など,通常の情報以上の情報も見ることができるのだ.」

 「うわ,なんてチートなアイテム!」

 「フン,何とでも言え.この目を使えば,ノルトランド国民の動向,メッセンジャーでの会話もすべて監視できる」


 ベルトランの機械の目が不気味に光った.

 彼の目はシステムに直結し,人々を監視する端末になっているのだ.

 ノルトランド勢力圏内,あるいはノルトランドに国民として登録しているプレーヤーおよびNPCの全会話・メールを閲覧できる仕組みになっていた.

 ノルトランドの言論統制と極度の監視社会を支えている物の正体こそ,このソロモンの魔眼だった.

 旧約聖書に記された,伝説の王ソロモン――イスラエル帝国の繁栄を築き,七十二柱の悪魔を使役したという.


 「そうか! 兎人の人たちや,フレ何とかさんが言ってた! メッセンジャーや会話が全て監視されていて,好きなことは何も言えないって!」

 「それが恐怖政治の秘密ですか.そんな物で見張らないと不安なんですね!」


 ギロリ,と回転した眼球はシノノメ達の方を向いて怪しく光る.


 「覗き見している王様なんて悪趣味だよ! 人が信用できないなんて!」

 「王が臣下の情報を全て掌握して何が悪い! 俺に歯向かうことは絶対に許さん.行動も,言葉も,全てを支配下に置くのだ!」


 狂気の絶叫だった.

 果てしない貪欲,支配欲である.

 現実世界で何をも――彼の人生そのものですらも支配できなかった男の願望を助長し結実化させたものが,まさにこの眼球なのかもしれなかった.

 そしてそれこそは人間の欲望を知りたいと希求する人工知能サマエルの目的に合致していたのだ.

 現実世界に絶望し,電脳世界の一つの頂点に立った彼は,言ってみれば悪魔に魂を売ったのだ.


 「フフフ……貴様たち,ステイタスによると,もうすでにログインから五時間以上経過しているな.そろそろ流石に休眠警告が出る.一時停止直後の無防備なところを,まとめてベーオウルフに喰らわしてやる!」

 

 黒い眼球が不気味にシノノメとグリシャムを注視する.

 ベルトランの声に呼応するように,黒い竜の化身――剣は振動して不気味な音を立て,その顎をシノノメ達に向かって開いた.


 「残念ながら,それは私には通用しません!」

 グリシャムが叫んだ.

 これは切り札の一つ.このまま黙っていても良かったが,精神的優位に立ちたい.そう思ってあえて口にすることにした.全てを思い通りにしたい男なら,思い通りにならないものは嫌悪する筈だ.


 「な,何だと?」

 この言葉には,ヤルダバオートが反応した.大きな眼球をさらに見開き,グリシャムの顔を見つめる.


 「ユグレヒトに教わったんです.VRMMOマシンは,脳の空腹中枢の反応を感知する.だから,騙せばいい.空腹中枢が感知するのは,主に血糖値の低下.私は今,病院で高カロリー点滴をしてもらいながらログインしているの.脳によほどの過負荷がかからない限りは,休眠警告はでません! 一時停止は不要です!」

 「き……休眠が不要だと?」

 「そう! だから,どんなにボロボロになったって,シノノメさんを守る.彼女が休眠しても,絶対に私は休眠しない」

 「そんなの,チートだろ.アリなのか……?」


 ベルトランの口調が,思わず素の物になっていた.

 

 「アリです! 大アリです!」

 

 グリシャムはシノノメと肩を並べて,杖を構えた.

 これが,自分の覚悟だ.

 シノノメを危険な目にあわせてしまった償い,そして大事な友人を必ず守るという誓い.

 職場の内科医に頼み込んで,点滴を処方してもらったのである.だが,これがうまく行くかは一つの賭けだった.


 「おお! さすが,薬剤師さん! グリシャムちゃん,ありがとう!」

 「しかし……圧倒的な力の差は動かすことはできないのだぞ.主婦が眠れば,お前たち二人とも一緒に叩き潰してやる」

 「……ていうか,私も休眠しないよ」

 「な,何!?」

 

 シノノメが少し首をかしげながら言った.

 「私,小食なのか,体質なのか,一旦ログインしたら休眠いらないの.いつもそうだよ」

 「え……?」

 「そんな,馬鹿な……」


 これには,広間にいる全プレーヤーが驚いていた.倒れているモルガンまでもが耳を疑う.

 それはあり得ない.何かVRMMOマシンを違法改造するかでもしなければ……

 ただ一人,ヤルダバオートだけが意味ありげな笑みを浮かべていた.


 「ぬうっ……ならば,戦いの楽しみがそれだけ続くと言うだけのこと.精神的外傷トラウマが残るまで,その体にダメージを刻みつけてやる!」


 迷いを払拭するように,ベルトランが吼えた.

 眼球が露出してから,彼の振る舞いはより粗暴で荒々しくなっていた.


 シノノメはアルミホイルと銀のボウルを取り出しながら構えた.ケーキ作りを始めるような装備だが,眼の熱線をこれではじき返すつもりなのだった.

 グリシャムはバブルを加工して杖に取り付けた.凹レンズ状にして,光線を拡散させる作戦である.


 一触即発,再び戦いが始まろうとするその時,大きな翼の音が空から聞こえた.

 何か巨大な羽根を持つ動物が降りてくる.

 広間の床が軽く揺れ,天井に空いた穴から黒い動物が鷲の頭を覗かせた.

 上半身が鷲,下半身が獅子.グリフォンである.

 グリフォンの上から,一人の男が優雅に滑り降りて来た.


 「おお! 来て下さいましたか!」

 ヤルダバオートが芝居がかった感嘆の声を上げる.


 漆黒の鎧とマントをまとった男は,軽やかに大理石の床に舞い降りた.

 緩いウェーブのかかった金髪を掻き上げ,シノノメとベルトランの間に分け入るように立った.

 

 「ああ……ラ……ランスロット様……」

 モルガンがうめき声を上げながら上体を起こし,想い人の名を呼ぶ.


 「お主,最前線で戦っていたのではないのか?」

 「本陣の危機と聞き,急遽駆けつけました.南都はすでに陥落寸前.フレイドに主な指揮を任せてあります」

 「フ,余計なことを.俺の命令を無視したか?」

 「無視したのではありません.臣下として当然の義務でありましょう」

 「俺が負けると思ったのか?」

 「滅相もありません.しかし,王のお手を汚すほども無い敵でありますれば,私が代わりに相手を致しますが,如何でしょうか? グリフォンの上で休眠は取ってきました.十分に陛下のお力になれるかと存じます」


 ベルトランは憎々しげで,それでいて愉快そうな笑みを浮かべた.

 自分の臣下,この強く美しい男を完全に支配していることの満足感なのかもしれなかった.

 ランスロットの表情は淡々としていて,それでいて涼やかだ.何を考えているか全く分からない.


 「ランスロット! そんな悪い人の味方しないでよ!」

 

 シノノメの言葉を無視するように,ランスロットはエクスカリバーを抜いた.

 美しい白銀の刀身が光る.禍々しい黒竜の剣ベーオウルフとは好対照だったが,逆に冴え冴えとしたその光も見る者を震え上がらせるのだった.

 ゆっくりと青眼に構え,切っ先をシノノメとグリシャムに向ける.

 

 「ハハハ,あっという間に形勢逆転ですな! それどころか,これでは絶対に勝ち目がありませんぞ! 最強の魔眼の力を発動させた陛下と,ノルトランド最強の竜騎士ドラグーンを相手にどう戦う気ですかな,主婦殿!? 殺されてノルトランドに下るか,それともこのまま降参するか,どちらになさいますか?」

 ヤオダバールトが愉快そうに笑い転げる.


 「降参なんて,しないよ!」

 「するもんですか!」


 シノノメとグリシャムは,声をそろえて叫んだ.


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