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境界線を越えて

翌朝、ビスカの街門前。

ミリッサはすでに待っていた。

動きやすい革鎧に身を包んだ彼女の背中を見て

マークは初めて、彼女が「戦う者」であることを肌で感じた。

ミリッサはエルフ特有の気品を漂わせながら

優雅な足取りでマークに歩み寄る。

「おはよう。朝早いけど、ちゃんと起きられた?」

お姫様のように美しい容姿だが

その言葉は飾りがなく親しみ深い。

「うん……緊張して寝つきが悪くてさ。

起きるのが辛かったよ。母さんに叩き起こされたんだ」

ミリッサは「ふふ」と笑って、マークの頭を優しく撫でた。

「それでも、ちゃんと起きられたなら立派なものよ」

マークには兄がいるが

怖い印象しかない。姉がいればこんな感じなのだろうか。

ミリッサはマークの後ろに回ると

リュックを軽く握り、重さを量った。

「かなり重そうね。少し持とうか?」

「えっ、それじゃ僕の仕事がなくなっちゃうよ」

「あ、それもそうね。でも、無理は禁物よ。

最初の冒険は良い思い出にしないと

次へ向かう気持ちになれないから」

昨日は生存について真面目に語っていたミリッサが

今は過保護な姉のように振る舞う。これが彼女の「素」なのだろう。

「わかった。でも、楽すぎるのも問題だろ」

「それもわかる。達成感って、苦労の先にあるものだものね」

マークは、この会話で張り詰めていた緊張が解けていくのを

本能的に警戒した。緊張の欠如は油断を招く。

自分の油断が、仲間に危険を及ぼすかもしれないのだ。


二人が向かったのは

街の外で出発準備を進めるビエンツ商会のキャラバンだった。

今日から始まるのは護衛任務。

ミリッサが商会の窓口担当者に話を通しに行くと

ほどなくして戻ってきた彼女の背後には

驚愕の表情を浮かべた男性がいた。


「……父さん?」


そこに立っていたのは、間違いなく父のジョンだった。

「マーク! お前、昨日言っていたのは

……冒険者の『手伝い』なんて

まさかこの危険な護衛任務のことだったのか!」

父の怒声にも、マークは怯まなかった。

昨日ミリッサと揃えた道具袋を掲げる。

「僕だって死にたくないよ。

だから、生き残る確率を上げるために

こうして準備をしてきたんだ」

ジョンは、息子が掲げた道具袋を

じっと見つめ、長く、深い溜息をついた。

「……お前が参加するのは、商会としても保護者としても反対だ。

だが、将来に迷っていたお前が

自ら決断したことだ。父としてそれを否定することは

お前の可能性を奪うことになるんだろうな。

それは男としても、父としてもするべきじゃない」

父は姿勢を正し、ミリッサに向き直った。

「……ミリッサ殿。この未熟者を、頼めるか」

「ええ、任せておいて。

マークは私たちのパーティメンバーよ。

私が命がけで守ってみせる。

あなたは安心して、マークの帰りを待ってあげて」

「あなたが言うなら安心だ。

……はは、うちの嫁になんて説明したものか」

父は、仕事から帰った後の

母の反応を心配しつつ、寂しげに微笑んだ。


マークは商会が用意した護衛用馬車に乗り込む。

街の外へ出るのはこれが初めてだ。

心臓が激しく鼓動する。父の庇護を離れ

自分の境界線を越えたのだ。

馬車の中では、ミリッサたちが地図を広げ

護衛計画を話し合っていた。

マークは話に入る余地もなく

ミリッサとパーティの女性に挟まれて小さくなっている。

(まるで、僕が護衛されているみたいだ……)

会話から旅の全貌が見えてきた。

目的地はここから約100km北西の都市。

周辺は治安が悪く、盗賊や魔物の脅威がある。

順調にいけば5~6日で到着し

半月以内でビスカへ帰還する算段だ。


その日の夕方、森の近くでキャラバンは停車した。

初めての野営準備が始まる。

ミリッサが焚き火の傍らで

静かにパーティの仲間を紹介してくれた。


周囲の森を警戒するように視線を巡らせ

無駄のない筋肉を纏った斥候の男。

荷車の影で瞑想し

腰の太刀に手をかけて

微動だにしない東方の装束のサムライの男。

焚き火のそばで、穏やかな笑みを浮かべながら

杖を丁寧に手入れしている支援術師の女性。


彼らの放つ殺気と余裕の前に

マークは息を呑むことしかできなかった。

「マークにとって、彼らが今日からの仲間よ」

「う、うん。でも、今日はあの人たちと何も話せていないな」

「今日は初日だし、みんな気を張っているのよ」

「そうだよね。遠足気分だと思われて空気は悪くしたくないし」

「ふふ。気を使いすぎると疲れちゃうわよ。

でも、そうね……新米冒険者の特権だもの

もう少し旅を楽しむ余裕を持っていいのよ」

そう言ったミリッサだが

焚き火の炎に照らされる横顔は、戦士のそれだった。

少しの沈黙のあと、ミリッサが口を開いた。

「マーク。あなたが選んだ冒険者という道は

正直に言って辛くて険しくて怖い道よ。

それでも、戻りたいなんて思わない?」

「……うん。僕、逃げない。自分の責任でここに来たんだから」


ビスカの庶民として過ごした14年間が終わり

見習い冒険者としての一夜が更けていく。

マークの冒険は、今ようやく本格的な幕を開けようとしていた。

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