第二十一話 主人公なら、ここで逃げるな
翌朝。
俺たちは、村へ戻る荷車の横を歩いていた。
行きと同じ。
リィナは荷台。
俺とアイドは徒歩。
違うところがあるとすれば。
町へ行く前より、分からないことが増えていた。
昨日の老人は、何かを知っていた。
たぶん。
石碑に描かれていた門。
空から来た人間。
元の世界へ帰る方法。
そのどれか。
あるいは、全部とは関係ない何か。
老人は熱心に話してくれた。
俺たちは、一言も理解できなかった。
「リィナに言葉を教えてもらうんだろ?」
「ああ」
「どうやって頼むの?」
「言葉を使う」
「それができないから困ってんだよ!」
「まずは、教えるという意味の言葉を教えてもらう」
「説明書を読むための説明書が必要なやつだ!」
荷台から、リィナがこちらを見た。
自分の名前が聞こえたからだろう。
アイドが口を指す。
次に耳を指す。
最後に、リィナを指した。
何か話してくれ。
たぶん、そんなつもりだ。
リィナは少し考えた。
それから、荷車を指した。
短い言葉を口にする。
続けて、道。
空。
自分。
俺。
アイド。
一つずつ指しながら、言葉を発した。
「授業始まった?」
「通じたな」
「何を頼んだか分かってないだろ」
「結果が良ければいい」
「営業、毎回それで押し切るな」
リィナが、もう一度俺を指した。
短い言葉。
俺も真似した。
リィナは首を横に振る。
「違う?」
もう一度。
首を横に振られる。
アイドも発音する。
リィナは顔をしかめた。
「おっさんの方が悪そう」
「年齢を重ねると、発音に深みが出る」
「通じない深みいらねえよ」
それでも。
言葉を一つずつ覚える。
今は、それしかない。
帰る方法を探す前に。
帰る方法を聞くための言葉を覚える。
だいぶ遠回りに見える。
でも、近道がない。
腹が立つことに、アイドの言う通りだった。
町を出てから、しばらくは人通りが多かった。
荷車。
旅人。
籠を背負った人。
けれど、畑が減り、森が近づくにつれて、すれ違う人も少なくなった。
道は行きにも通ったはずなのに。
帰りの方が、少し狭く見える。
「おっさん」
「なんだ」
「静かじゃない?」
「森だからな」
「行きはもっと鳥とか鳴いてなかった?」
アイドが周囲を見る。
俺も耳を澄ませた。
車輪が土を踏む音。
馬の蹄。
村の男たちの短い会話。
それ以外が、少ない。
鳥の声がしない。
風はあるのに、葉の音まで遠く感じる。
何かがおかしい。
俺は叫んだ。
「トァ!」
行きに覚えた言葉。
止まれ。
今度は、ちゃんと通じた。
御者が手綱を引く。
荷車が止まった。
一拍遅れて、リィナも道の先を見た。
目が細くなる。
杖を脇へ置き、腰の刃物へ手を伸ばした。
「何かいる?」
返事はない。
でも、リィナの顔を見れば分かった。
いる。
道の先には、太い木が倒れていた。
行きにはなかった。
枝は切り落とされ、幹だけが道を横切っている。
村の男たちも、ようやく異変に気づいた。
顔を見合わせる。
一人が荷車の下から木の棒を取り出した。
御者は仮に馬を下がらせようとする。
そのとき。
後ろから声がした。
振り返る。
男が二人、道へ出ていた。
一人は棍棒。
もう一人は短い刃物。
左右の茂みも動く。
右から二人。
左から一人。
倒木の向こうから、さらに一人。
「一、二……六人」
「数えられて偉いな」
「言ってる場合か!」
完全に囲まれている。
服は汚れていた。
町の門番や、野営地の男たちとは違う。
武器もばらばら。
棍棒。
棒。
短剣。
一人だけ、刃こぼれした長い剣を持っている。
「盗賊?」
「そこまで立派なもんじゃないだろ」
「立派な盗賊って何だよ」
「追い剝ぎだな」
「そっちの方がぴったり」
男の一人が大声を出した。
言葉は分からない。
でも、要求は分かった。
荷車を指す。
地面を指す。
俺たちへ離れろという仕草。
「荷物を置いていけ?」
「たぶんな」
「置いたら帰してくれると思う?」
「約束を守る顔には見えん」
「また顔かよ」
「営業だよ」
村の男たちは動けずにいた。
戦うために町へ来た人たちではない。
御者。
荷運び。
倉庫の仕事をする人。
人数は、こちらも少なくない。
でも。
武器を持った人間へ向かっていけるかは、別の話だった。
俺だって同じだ。
喧嘩なんて、ほとんどしたことがない。
殴られたら痛い。
刃物で刺されたら、たぶん死ぬ。
異世界へ来ても、そこは変わらない。
リィナが荷台から下りた。
怪我をした足をかばいながら。
刃物を抜く。
「リィナ、待て」
通じない。
リィナは荷車の前へ出ようとする。
アイドが腕を伸ばし、止めた。
リィナが睨む。
アイドは怪我をした足を指した。
それから、荷車の後ろを指す。
前へ出るな。
たぶん、そう伝えた。
リィナは納得していない顔をした。
それでも、足を止めた。
「ニセ令和。どうする?」
「何が」
「逃げるか?」
アイドの声には、いつものふざけた調子がなかった。
「……本気で言ってんのか?」
「荷車を捨てて森へ入れば、俺たち二人なら逃げられるかもしれん」
「リィナと村の人たちは?」
「すまんが、俺は生き残らなきゃならん」
娘がいる。
町へ来る前、アイドはそう言った。
帰る理由がある。
この世界で、無駄に死ぬわけにはいかない。
「向こうは六人。武器もある。ここで命を懸ける理由があるか?」
「村の人たちは?」
「俺たちは働いた。向こうは飯と寝床を出した。約束した分は返した」
「冷たいね」
「生き残るってのは、そういうことも考えるってことだ」
正論だった。
たぶん。
でも。
「……おっさんよ」
「なんだ」
「娘さんに、どんな顔して会うつもりだよ」
アイドの目が、少しだけ細くなった。
「他人を見捨てて生き延びましたって、胸張って言えんの?」
「卑怯な煽り方を覚えたな」
「元営業に教わった」
「俺の教育じゃねえよ」
追い剝ぎの男が、また何かを叫んだ。
剣を持った男が一歩前へ出る。
怖い。
普通に怖い。
それでも俺は、アイドから目を逸らさなかった。
「……俺らは異世界転移したんだよな?」
「おお」
「じゃあ俺らは、『主人公』だよな?」
アイドが、ゆっくり俺を見る。
「自分で言うやつは、だいたい途中で死ぬぞ」
「で、どうなんだよ。ラノベじゃそうなんだろ?」
「まあな。少なくとも、お前はそうなんだろうよ」
「クソ昭和」
「なんだ」
「あんたも主人公だろ?」
「四十六歳、バツイチ、元営業だぞ」
「属性が多いだけじゃねえか」
「主人公としては盛りすぎだろ」
「じゃあ決まりだ」
「何が」
俺はリィナを指した。
「あそこにいるのは、ヒロインだ」
アイドがリィナを見る。
「怪我人だろ」
「空気読めよ!」
「本人の同意は?」
「今から取ってる暇あるか?」
「配役が雑だな」
「おっさんにだけは言われたくねえ」
リィナは、自分が指されたことに気づいた。
俺を見る。
意味は分かっていない。
たぶん、ヒロインという言葉も知らない。
最初に沢で会ったとき。
ヒロイン。
その単語が頭へ浮かんだ。
刃物を向けられて。
腹を鳴らされて。
すぐに取り消した。
俺の知っているヒロインとは違ったから。
守られるより先に、俺たちを助ける。
森を知っている。
薬草を知っている。
危険にも、俺たちより早く気づく。
可愛げがない。
いや。
あるときも、少しはある。
とにかく。
想像していたヒロインとは、だいぶ違う。
でも。
「主人公が、ヒロインを助けなくてどうするよ?」
「荷車と村人もいるぞ」
「ついでに守る!」
「俺もだけど、お前もひどいぞ?」
「今、格好いいところだろ!」
「格好よさで刃物は止まらん」
「主人公二人で、ヒロインと村人を守る。嫌なら途中で降りろ」
アイドは一度、目を閉じた。
短く息を吐く。
もう一度目を開いたとき。
男たちを見ていた。
「途中で降りる主人公は、格好つかんだろ」
「だろ?」
剣を持った男が、さらに距離を詰めた。
俺の喉が鳴った。
口の中が乾く。
足も、少し震えている。
「六人全員を倒す必要はない」
「どういうこと?」
「一番声が大きいのは、威嚇してるだけだ」
棍棒を振り回している男を指す。
「剣を持ってるやつは危ない。だが、頭じゃない」
「じゃあ誰?」
「一番後ろで黙ってるやつ」
「何で分かる?」
「ほかの連中が、あいつの顔を見てる」
「顔でそこまで分かるの?」
「視線だ」
「営業こわ」
アイドはさらに男たちを見る。
「全員、命を懸けてる顔じゃない」
「また顔じゃん」
「金と荷物が欲しいだけだ。死にたいわけじゃない」
「こっちも死にたくないけど」
「だから、全員倒す必要はない」
アイドが荷車の脇を指した。
荷物を固定していた長い棒がある。
「お前、あれを使え」
「棒?」
「ラクロスをやってたんだろ」
「人を殴る競技じゃねえよ!」
「棒の距離は分かるか?」
分かる。
スティックとは違う。
重さも。
形も。
でも。
先端が、どこまで届くのか。
そこだけなら。
「……分かる」
「なら、近づかせるな。倒そうとするな。止めろ」
「おっさんは?」
「話をする」
「言葉、通じないだろ」
「通じない方が、都合がいいこともある」
おっさんはリィナを指した。
今度は荷車と村の男たちを指す。
ここを守れ。
リィナはおっさんを睨んだまま、刃物を握り直した。
納得はしていない。
それでも、今度はうなずいた。
アイドが歩き出した。
「ちょっと待て」
「荷物を渡すふりをする。近づける」
「それから?」
「俺が合図する」
「合図って?」
「分かりやすいやつだ」
「殴られたら、とか言うなよ」
「営業は、相手の懐へ入るのが仕事だ」
「物理的に入るな!」
アイドは振り返らなかった。
両手を見える位置へ上げる。
いつもの営業スマイル。
町で情報を聞いて回ったときと同じ。
けれど。
今度の相手は、果物も鍋も売っていない。
刃物を持っている。
俺は長い棒を掴む。
重い。
ざらついた木が、手のひらへ食い込む。
ラクロスのスティックとは全然違う。
ボールもない。
防具もない。
相手は人間。
共通しているのは。
間合いだけ。
リィナが俺を見る。
俺の棒を見る。
「リィナ」
通じないと分かっていて、呼ぶ。
「そこにいろ」
リィナは当然、動こうとする。
「だから、ヒロインは待ってろって!」
リィナが眉を寄せた。
分かっていない。
それでも。
ヒロイン。
その音だけは聞こえたらしい。
自分を指す。
「……ヒロイン?」
「今覚えなくていいっ!」
アイドが男たちへ近づく。
俺は棒を構えた。
手が震えている。
怖い。
普通に怖い。
主人公だと言えば、怖くなくなるわけではなかった。
チートもない。
主人公補正もない。
あるのは。
棒を持った俺と。
笑顔で追い剝ぎへ近づいていく、四十六歳の元営業。
そして。
後ろには、俺たちのヒロインがいる。
「主人公さん!」
アイドが叫んだ。
「なんだよ!」
「格好つけた責任、取れよ!」
「そっちが作戦考えろって言っただろ!」
「もう考えた!」
剣を持った男が、アイドの胸ぐらを掴もうと腕を伸ばした。
重心が前へ出る。
アイドの笑顔が消えた。
「ニセ令和!」
「名前で呼べ、クソ昭和!」
俺は地面を蹴った。




