第一話 クソ昭和とニセ令和
最初に見たのは、空だった。
知らない空だった。
雲の色が、青から紫へ、紫から薄い緑へ変わっていく。
光の当たり方ではない。雲そのものが、ゆっくり発光している。
ゲーミングPCかよ。
ていうか、なぜ俺は空を見てる?
さっきまで、自分の部屋だったはずだ。
空の色は、青すぎる。
液晶の輝度を最大にしたみたいに、空の色が目に刺さる。
太陽みたいなものも、見慣れたものより妙に近い。
それで、俺は思った。
あ、夢だな。
よし。
寝よう。
「寝るな」
「うわっ!?」
知らない声がした。
反射的に飛び起きようとして、体が途中で止まった。
正確には、飛び起きようとした俺の意思を、腰から下が全力で拒否した。
「いってえ!」
夢にしては痛い。
痛みまで再現する夢とか、誰が得するんだ。
俺は得をしていない。
だったら、これはもう夢じゃない。
最悪だ。
「生きてるな」
声のした方を見る。
木の根元に、おっさんがいた。
知らないおっさんだった。
四十代くらい。
中肉中背。
髪はまだある。
腹は少し出ている。
それなのに本人は、たぶんまだ自分を「動ける側の人間」だと思っている。
そういう顔をしていた。
「……誰?」
「第一声がそれか」
「知らないおっさん見て、ほかに何て言えばいいんだよ」
「助けてくれてありがとうございます、とか」
「何かしてくれたんですか」
「寝るなと教えた」
「起こしただけじゃねえか」
「見知らぬ土地で意識を失っている若者に声をかける。十分な人助けだろ」
「恩着せるの早すぎません?」
おっさんは腕を組んだ。
知らない森。
知らない空。
知らないおっさん。
そのおっさんが、なぜか得意げに腕を組んでいる。
現実が雑すぎる。
俺は立ち上がろうとして、今度は慎重に手を地面へついた。
手のひらに土がつく。
湿っている。
冷たい。
周囲には、見たことのない植物が生えていた。
葉はやたら大きく、茎には青い筋が通っていた。
よく見ると、その筋は消えたり光ったりしている。
ランダムではない。根元から葉先へ、一定の間隔で光が走っていた。
植物のくせに、通電しているみたいだった。
疑問に思うが、なぜここの自然は目に優しくないんだろう?
遠くから、鳥とも虫ともつかない鳴き声が聞こえた。
やっぱり夢ではなさそうだった。
夢であってほしいけど。
「怪我は?」
おっさんが聞いた。
「尻が痛い」
「それはお前が勝手に転んだ分だ」
「腰も痛い」
「若いくせに」
「若者の腰を無敵扱いすんな」
「頭は?」
「知らないおっさんと会話できてるから、たぶん大丈夫」
「その判断基準だと、俺がまともな人間みたいじゃないか」
「違うんですか」
「そこは今から判断してくれ」
「保留にします」
俺は服についた土を払った。
昨日まで何度も着ていた、安いパーカーとジーンズだった。
ポケットを探る。
財布。
家の鍵。
スマホ。
全部ある。
スマホの画面をつける。
圏外。
もう一度見る。
圏外。
角度を変える。
圏外。
頭の上まで持ち上げる。
圏外。
圏外。
「板だ」
「ん?」
「文明が、急に板になった」
「……これだから令和は」
その瞬間、俺の中で何かが引っかかった。
「平成ですけど」
「何が」
「俺、平成生まれですけど」
「じゃあニセ令和だ」
「なんだそれ」
「平成生まれのくせに、令和代表みたいなツラしてスマホ振り回してんじゃねえよ、ニセ令和」
「代表してねえよ。勝手に敵作んな、昭和の残党」
「残党じゃねえ。二回の改元を見届けた歴戦の民だ」
「元号でマウント取るな、クソ昭和」
「クソじゃねえよ」
「ニセでもねえよ」
「圏外になっただけで文明を失った顔をしている時点でニセ令和だろ」
「偏見の解像度だけ高いの腹立つな!」
初対面の相手に言う言葉ではない。
それは分かっている。
分かっているけど、向こうが先に元号で殴ってきた。
正当防衛だ。
たぶん。
おっさんは一瞬だけ目を丸くした。
それから、にやっと笑った。
「いいねえ。元気あるじゃないですか、ニセ令和」
「その呼び方やめろ、クソ昭和」
「やめろと言われてやめる昭和ではない」
「最悪の世代代表みたいなこと言ってんじゃねえよ。めんどくせー」
「代表じゃない。俺は個人で面倒くさい」
「自覚あるなら直せ」
「直らなかったから四十六歳なんだよ」
「開き直り方が終わってる!」
四十六歳。
やっぱり、だいたい見た目どおりだった。
「お前は?」
「何が」
「歳だよ。見たところ高校生か?」
「卒業した」
「この春?」
「そう」
「大学は?」
「行ってない」
「専門学校?」
「行ってない」
「就職は?」
「してない」
「なるほど」
「何がなるほどだよ」
「進路未定の十八歳」
「初対面で勝手に人の経歴まとめんな」
「元営業だからな。相手の情報を整理する癖がある」
「面接じゃねえんだぞ」
「安心しろ。採用する会社がない」
「一回殴っていいか?」
「言葉で頼む。傷害は職歴に響く」
「職歴がないって確認した直後にそれ言う?」
腹が立った。
この春、高校は卒業した。
卒業はした。
それだけだった。
大学には行かなかった。
正確には、行きたい大学がなかった。
就職もしなかった。
正確には、自分が何の仕事をしたいのか分からなかった。
周りの連中は、それぞれ進学や就職を決めていた。
高校を卒業したら、次の場所へ行く。
当たり前みたいに、みんな歩き出していく。
俺だけが、どっちへ行けばいいのか決められなかった。
だからといって、何か大きな悩みを抱えていたわけでもない。
家が嫌いなわけではない。
学校でひどい目に遭っていたわけでもない。
勉強が嫌いでもない。
将来に絶望していたわけでもない。
ただ、何も決まっていなかった。
十八歳なら、まだ何にでもなれる。
大人はよくそう言った。
何にでもなれるというのは、何になるか決めなければならないということだ。
それが、俺には思っていたより面倒だった。
「まあ、若いんだからどうにでもなる」
おっさんが言った。
「……それ、嫌いなんだけど」
「何が」
「若いんだからどうにでもなるってやつ」
「実際、俺よりはどうにでもなるだろ」
「何になるか分かってる人間だけが言っていい言葉だろ、それ」
おっさんは俺を見る。
さっきまでの軽い顔が、ほんの少しだけ変わった。
「触られたくないところを確認した」
「営業って、そうやって人の嫌なところ探す仕事なの?」
「嫌なところじゃない。相手が何を気にしているかだ」
「同じだろ」
「違う。気にしていることが分かれば、そこを避けて話せる」
「さっき踏んだよな?」
「確認のために一回踏んだ」
「営業の印象を地の底まで落とすな」
「難しく考えんなよな」
おっさんは笑った。
笑い方が、少しだけわざとらしかった。
たぶん、この人も怖いのだ。
意味の分からない場所にいて。
帰り方も分からなくて。
スマホは圏外で。
目の前にいるのは、信用できるのか判断に困る若者で。
だから、喋っている。
黙ったら、この森の静けさに飲まれそうだった。
それは、俺も同じだった。
「で」
おっさんが言った。
「名前は?」
「先に名乗れよ」
「年上だぞ」
「初対面だぞ」
「年功序列」
「異世界らしき場所まで昭和を持ち込むな」
「仕方ないな」
おっさんは、地面に座ったまま姿勢を正した。
「アイドマコト。四十六歳。元営業。バツイチ。娘一人」
「いい声で履歴書を音読すんな。あと急に重い」
「重要な情報をまとめた」
「後半二つ、初対面の俺に必要?」
「俺という人間を理解するには必要だ」
「まだ理解したくないんですけど」
「あとラノベ好き」
「急に軽い」
「この状況では重要だぞ」
「何で」
「ラノベ好きは、異世界に来たとき状況把握が早い」
「妄想を実用スキルみたいに言うな」
「森。圏外。知らん空。知らん植物。知らん若者」
「俺を証拠に混ぜんな」
「そして俺」
「おっさんは何の証拠なんだよ」
「異世界にはな、だいたい導き手がいる」
「導き手が腹出たおっさんなの、だいぶ終わってるだろ」
「腹はまだ出始めだ」
「世界観より腹を守んな」
「俺の名前は言ったぞ」
「セラノ」
おっさん――アイドマコトは、一度だけ俺の名前を繰り返した。
ふざけずに。
それから、うなずいた。
「よし、覚えた」
「本当に?」
「じゃあセラノ。改めて確認するぞ」
「何を」
「俺たちは、たぶん異世界にいる」
「言うな。急に怖い単語を言うな」
「転生ではない」
「そこはどうでもいい」
「死んだ記憶がないからな。死んでないのに転生を名乗ったら、設定警察に怒られる」
「この世界に警察いるなら、まずおっさんを捕まえてほしい」
「失礼だな。俺は正常だ」
「知らない森で知らない若者に異世界転移とか言い出すおっさんの正常、信用できねえんですよ」
「状況証拠は揃っている」
「揃ってません」
「森」
「山かもしれない」
「圏外」
「田舎かもしれない」
「見たことのない植物」
「俺たちが植物に詳しくないだけかもしれない」
「空」
「……外国かもしれない」
おっさんは「ふうむ」と言いながら、空を見上げた。
ゆっくり色を変えている雲を見る。
「じゃあ、あの雲は決定的だろ」
「彩雲ってのを、友達がスマホで見せてきたことあるけど」
「ずいぶん粘るな」
「異世界でした、で納得する方がおかしいだろ」
「俺も納得はしてない。可能性が高いと言っている」
「どれくらい」
「七割」
「高っけえな、くそ」
「残り三割は、夢、誘拐、大規模なドッキリ」
「最後だったら訴える」
「スポンサーから金は取れそうだ」
「どっかカメラないですかね?」
おっさんもスマホを取り出した。
俺のものより少し古い機種だった。
画面をつける。
圏外のはずだ。
おっさんは舌打ちもせず、画面を何度か操作した。
何かを確認するように。
その一瞬、待ち受け画面が見えた。
女の子が写っていた。
中学生か、高校生くらい。
こちらを向いて、少し嫌そうな顔をしている。
隣には、もっと若い頃のおっさんがいた。
今より髪が多い。
「娘さん?」
聞くと、おっさんは画面を伏せた。
「そうだ」
「待ってるんですか」
「待っていない」
答えが早かった。
「元妻と暮らしてる。もう、俺が毎日いなくても困らん」
「じゃあ――」
「それでも帰る」
おっさんは言った。
ふざけた言い方ではなかった。
「俺が必要かどうかは、向こうが決めることだ。俺が勝手にいなくなっていい理由にはならん」
俺は何も言えなかった。
さっきまで腹だの元号だの言っていた人間が、急にそんなことを言う。
ずるいなー。
「お前は?」
「何が」
「帰りたいか」
「帰れるなら帰るだろ」
「そういう聞き方はしてない」
「ほかにどういう聞き方があるんだよ」
「帰った先に、戻りたいものがあるのかって聞いている」
俺は口を閉じた。
家族はいる。
友達も、いないわけではない。
家に帰れば、自分の部屋もある。
帰りたくない理由なんて、特にない。
なのに。
帰りたいかと聞かれて、すぐに「帰りたい」とは言えなかった。
昨日までの俺に戻ることを、本当に帰ると言っていいのか。
少しだけ、分からなかった。
「……帰れるときに考える」
「誤魔化したな」
「うるせえ」
「まあいい。答えたくないことを無理に聞くのは営業失格だ」
「もう聞いたあとだろ」
「今後は避ける」
「確認のために一回踏む方式やめろ」
おっさんはスマホをポケットへ戻した。
それから、ゆっくり立ち上がる。
立ち上がるとき、膝から小さな音がした。
「いま鳴った?」
「鳴ってない」
「膝が喋ったよな?」
「森の音だ」
「森から『コキッ』って聞こえたんだけど」
「異世界の鳥だ」
「異世界の鳥にあやまれ」
おっさんは何事もなかったように周囲を見回した。
「さて」
「何ですか」
「善後策だ」
「急にまともな単語出すな。情緒が追いつかない」
「水、食い物、人里、帰り方。優先順位はそのへんだな」
「帰り方が最後?」
「今すぐ帰れないなら、今すぐ死なない方が先だ」
腹が立つことに、正論だった。
このおっさん、言っていることはムカつく。
顔もムカつく。
呼び方もムカつく。
でも、たまに正しい。
それが一番ムカつく。
「まずは、周りを調べるか」
「勝手に歩き回らない方がよくない?」
おっさんが俺を見る。
「ほう」
「何だよ」
「進路は決められないのに、異世界での行動は決められるんだな」
「一言多い!」
「で、理由は?」
「ここがどこか分からない。森の広さも分からない。適当に動いたら、戻れなくなるかもしれないだろ」
「なるほど」
「だから、その顔やめろ。採点すんな」
「してない。話を聞いているだけだ」
「営業の『聞いてますよ』って顔、信用できねえ」
「俺もそう思う」
実際、森の中を歩き回るのは怖かった。
俺は方向感覚に自信があるわけでもない。
木だけを見て、北が分かるような人間でもない。
昔、ほんの少しだけボーイスカウトに入っていたことはある。
七歳まで。
その頃に覚えたことなんて、ほとんど残っていない。
ロープの結び方も忘れた。
火の起こし方も覚えていない。
ただ、勝手に一人で動くなとか、迷ったらむやみに歩き回るなとか。
その程度のことは、何となく頭に残っていた。
「お前、何かサバイバル経験あるのか?」
「……ない」
「いまの言い方、何かあるだろ」
「ボーイスカウト」
「やるじゃないか!」
「七歳まで」
「解散」
「期待して勝手に解散すんな!」
「七歳で何を学んだ」
「歌」
「歌?」
「キャンプファイヤーで歌うやつ」
「役に立つ」
「どこが」
「景気づけ」
「いらねえよ」
「あとで歌ってやる」
「絶対やめろ」
おっさんが何か言おうとした、そのときだった。
茂みの向こうで、枝が折れる音がした。
二人とも黙る。
もう一度。
今度は、一か所ではなかった。
右。
左。
正面。
何かがいる。
「おっさん」
「静かに」
「さっきまでうるさかった人間が言う?」
「切り替えが早いのが営業の長所だ」
「営業万能説やめろ」
小声で言いながら、俺たちは同じ方向を見た。
葉が揺れる。
最初に出てきたのは、緑色の頭だった。
丸い。
毛がない。
耳だけが妙に尖っている。
次に、顔が見えた。
目が黄色い。
鼻が潰れている。
口から牙みたいなものが出ている。
グリーンのハゲ。
一匹ではない。
二匹。
三匹。
茂みの奥にもいる。
たぶん、十匹くらい。
手には、こん棒とか石とか槍とか。
明らかに話し合いに向いていないものを持っている。
俺はおっさんを見る。
おっさんも俺を見る。
「……これ、外国人?」
「ずいぶん国際的な発想だな」
「じゃあ動物?」
「武装した動物は嫌だな」
「おっさん、ラノベだと何なんですか」
「ゴブリン」
「グリーンのハゲじゃん」
「だいたい合ってる」
グリーンのハゲの一匹が、喉の奥から声を出した。
汚い低い声。
どう考えても、歓迎の声ではない。
「おっさん」
「おう」
「こういうとき、ラノベだとどうするんですか」
「主人公なら、隠された力に目覚める」
「俺たちは?」
「まず逃げる!!」
俺とおっさんは、同時に走り出した。
後ろで、グリーンのハゲどもが叫んだ。
枝が折れる。
地面が鳴る。
何かが木の幹へ当たり、乾いた音を立てた。
「石投げてきた!」
「当たらなきゃ問題ない!」
「当たったらどうすんだよ!」
「痛い!」
「対策ゼロかよ!」
走る。
木と木の間を抜ける。
根を跳び越える。
枝を腕で払う。
俺は高校ではラクロスをやっていた。
あの走り込みと筋トレが役に立ったと初めて思える。
足には自信があるほうだ。
走るしかない。
「おっさん走れって! 追いつかれる!」
「お! 心配してくれんのか、ニセ令和!」
「おっさんが死んだら俺が困るんだよ、クソ昭和!」
「なんだと!? よし、生き延びて、寝ているお前の枕元に立ってやる!」
「攻撃力ゼロの嫌がらせやめろ!」
おっさんは、言葉のわりには走っていた。
四十六歳。
少し腹が出ている。
膝もさっき鳴っていた。
それでも、息を切らしながら俺についてくる。
「おっさん!」
「おう!?」
「俺らをここに連れてきたヤツなあ!?」
「おお!」
「絶対にボコすぞ!」
「いいねえ、怒りは力だ!」
「急に前向きになるな!」
「よし、景気づけに歌ってやる!」
「いらん!」
「はっしるぅ~はしるぅ~おっれたーちぃ」
「だまれ! 肺活量むっかつくわ! せめて黙れ!!」
ブチ切れながら走る俺。
歌いながら走るおっさん。
「なんで、歌いながら走れんだよ!」
「昔、営業で鍛えた!」
「営業ってそんな肺活量いる職業でしたっけ!?」
「いる! 社訓と謝罪と愛想笑いは腹から出すんだ!」
「役に立たない昭和スキルやめろ!」
後ろから、グリーンのハゲどもがギャアギャア叫びながら追ってくる。
こっちはこっちで、ギャアギャア叫びながら逃げている。
たぶん、客観的にはどちらも大差ない。
そのとき、おっさんの声が途切れた。
振り返る。
おっさんが、木の根に足を取られていた。
転んではいない。
だが、片膝をつき、立ち上がるのに手間取っている。
「先に行け!」
おっさんが言った。
俺の足は、一瞬だけ前へ進んだ。
一人なら、もっと速く走れる。
このおっさんを置いていけば、逃げ切れる可能性は上がる。
会ったばかりだ。
名前を知っただけ。
口が悪い。
腹が立つ。
娘がいる。
元営業。
ラノベ好き。
俺には関係ない。
そう思った。
思っただけだった。
「ふっざけんな!」
俺は引き返した。
「何してる! 行け!」
「初対面のおっさんを見捨てた十八歳として元の世界に帰りたくねえんだよ!」
「帰りたくないんじゃないのか!」
「そこはまだ考え中だ!」
「いま考えることか!?」
「おっさんが言い出したんだろ!」
俺はおっさんの腕をつかんだ。
引っ張る。
重い。
「おっさん重い!」
「人間一人分だ!」
「半分、昭和が詰まってんだろ!」
「失礼な! 営業経験も詰まっている!」
「そんなもん吐き出して痩せろ!」
おっさんが立ち上がる。
すぐ近くの木に、石が当たった。
今度こそ、話している場合ではなかった。
「走れる!?」
「誰に言ってる!」
「膝が喋る四十六歳!」
「あとで覚えてろ、ニセ令和!」
「覚えてたらな、クソ昭和!」
二人で走り出す。
知らない空。
知らない森。
帰り方は分からない。
俺は自分が何をする人間なのかも、まだ決められていない。
大学生でもない。
会社員でもない。
冒険者でもない。
主人公でもない。
ただ。
隣で走っているおっさんを、置いてはいけなかった。
理由は、それだけだった。
旅は、まだ始まってもいない。
ダルい。




