夜の邂逅
最悪の状況だ。俺は内心毒づいた。
正面玄関には俺の通う学園、アカデメイアの生徒達が続々と集結する。デイティクラウドと言えば全員がBまたはAクラスの生徒で編成されたエリートチームだ。少年少女といえど、その実力は折り紙付きだ。
(交戦なんて問題外。シャドウアイの幹部を押さえるチャンスを逃すのは正直惜しいが、今はここを逃げ切ることに専念するしかない)
「次から次へと…何なんだよてめえらは!?」
「ガキどもが…、《シャドウアイ》舐めんじゃえぞ!」
まだ立っていた《シャドウアイ》のメンバーがいきり立ち、一斉にセシリア達へ襲い掛かる。《シャドウアイ》の下位メンバーなど、学園ではEランクかせいぜいDランク程度。上位クラスのデイティクラウド相手に勝てる道理など皆無だが、多少ぐらいは時間を稼いでくれるはずだ。逃げるなら今しかない。
俺は飛び交う怒号に負けないように声を張り上げる。
「逃げるぞ!ついてこい!」
「「!」」
それを聞いた楓とアレンは一目散に走ってくる。こういう一寸の時間も惜しいときに、俺の指示を迷うことなく従ってくれるのは本当に助かる。
俺は後ろを見る。時間の問題ではあろうが、幸い裏口にはまだデイティクラウドの包囲は回っていない。正門の馬鹿が時間を稼いでいるうちにとっととずらかろう。
二人が俺に追いついたのを確認して裏口のドアを蹴破る。パッと周りを見渡したところ無人。未だ喧騒が続く倉庫を飛び出し、俺たちは夜道を走り出す。
「ッ!裏口から何名かが逃走しました!バックアップ班は私が向かうまで足止めしてください!」
遠くからでもよく通る透き通った声が鼓膜を揺らす。セシリアか。
その指示に反応したのか、すぐさま道の先に二人の少年が降り立つ。
「往生際の悪い…。大人しく投降しろ!」
それぞれ片手剣にスモールシールドを掲げる二人は、正面玄関にいた奴らほどの強さは感じない。今日闘ったブラートというBランクの生徒と同等か、少し上程度だろう。
「楓、お前は左!俺が右をやる!」
「承知しました!」
俺は素早く楓に指示を出すと、自分も魔法で拳を硬化、縮地で一気に間合いを詰める。
「!?くっ!」
反応が遅れた相手は、咄嗟にシールドを前に出して顔を守る。だがそれは悪手だ。スモールシールド程度の面積では守れるところはせいぜい一部。俺が攻撃を放つ前に局所を守ってしまえば他の所はがら空きだ。この反応からも、相手がまだこういう荒事に疎いということが分かる。
「もっと鍛えなおしてから出直すんだなっ!」
「ぐはっ!」
少年の鳩尾に拳が刺さる。そのまま相手は崩れ落ちる。楓を見れば、相手の剣を刀で両断していた。驚愕に目を見開く少年に峰打ちを入れ、意識を刈り取る。流石は楓。外道でない相手には必要以上に痛めつけないという《黒龍》の掟もしっかり護ったうえでの完勝だ。
「そこまでです!止まりなさい!」
「ッ!アレン、走れ!楓はアレンを守ってやれ!」
「兄貴!」
しかしその間にも、後ろからは猛烈な勢いでセシリアが疾走して来る。俺と楓だけならともかく、アレンを連れてとなると足止めがいなくては厳しい。
「集っ!」
楓の瞳と一瞬、視線が錯綜する。楓は俺の考えを全て理解したうえで、そこまでしてアレンを庇う必要があるのか、と目で問うている。俺はそれに肯定の意味で力強く見つめ返した。
「…信じています。必ず帰ってきてください」
視線を外した楓は、先行するアレンを追うようにして走り出す。それを確認した俺は、対峙する彼女に向き直った。
「…」
セシリアは既に両手に得物を握っている。日本刀のようにしなやかな曲線を描くその剣は、妖しい輝きを放っていた。俺も無言で構える。
「最終勧告です。大人しく投降し、仲間の逃げた先を教えるなら、無駄に手荒にはしません」
「親切にありがとよ。けど、小さい頃に友達を裏切るなって教えられたもんでな。皇女殿下はそうやって習わなかったのか?」
「…確かに勧告はしましたよ」
その瞬間ズンと体が重くなる。魔法も喰らっていないのに手足が上手く動かせない。たちまち額に汗が滲む。このプレッシャー、間違いなく目の前の女が今まで会った中で一番強い存在だということが確信できる。
この女に出し惜しみは致命的だ。俺は最近になって唯一覚えた上級魔法を発動する。
「…『嵐衣無縫』」
魔法を発動した瞬間、俺の体を中心にするように周囲に風が吹き荒れる。俺の周囲数メートルは台風並みの暴風が吹き荒れるが、お世辞にも体格が良いとは言えないセシリアは表情一つ変えずにそこに立っている。そして気流は俺の体を纏うかのように収束していき、やがて体の周囲が揺らぐ程度の形にまで留まった。
「『嵐衣無縫』。その名の通り嵐を体に纏わせる上級魔法。一度それを身に纏えば、突きは竜巻を呼び、蹴りは『かまいたち』という現象まで起こすと聞きます。寡聞するのみのその術者とまさか手合わせできるとはっ…!」
セシリアの双剣に魔力が通り、紅色の輝きを放つ。そのまま一直線に疾走してきた。俺はセシリアとはまだ距離がある状態で、引き溜めた拳から正拳を放った。
「ッ!」
セシリアは危険を敏感に感じ取ったのか、大きく右へ跳躍する。
その直後、俺の拳に纏っていた気流が魔力を宿した暴風と化し、まるで小規模なサイクロンのようになってセシリアがいた道の舗装を薙ぎ払った。
床を舗装していた石は削れ、周りに建つ家屋の壁も削り取る。暴風の後には、まさに嵐でも過ぎ去ったかのような跡が残った。
山嵐――。『嵐衣無縫』中でのみ放てるこの技は、威力が高い分周りへの被害も大きい。上手くコントロール出来ない今の俺では使いどころがなかなか限られてくる。
近くの家屋の屋根に飛び乗ったセシリアが月を背負って言う。
「噂に違わぬ破壊力ですね。近くの家に人が住んでいなくて本当に良かった!」
「ちっ!」
セシリアは、今度は狙いを付けさせないように家屋の壁から壁へと蹴りながらジグザグに距離を詰めてくる。かなり接近したところで山嵐を撃つが、大きく上に跳躍され躱される。
「はぁっ!」
「ッ!」
振り下ろされる双剣を、手で交差して受け止める。『嵐衣無縫』で纏った気流と接触した双剣はギギギギと音を立てて一瞬膠着する。
「まさに鎧。防御にも使えるわけですか。しかしその程度で…!」
「…うおっ…」
徐々に押し込まれる双剣。初めから全力を出す俺に対し、セシリアは段々と力を押し込んでくる。あの細身でこの膂力とは…。踏ん張った地面が陥没する。
「いたぞっ!セシリア様と交戦中だ!」
「援護に回れ!」
しかもここで更なる窮地。このタイミングで続々と他のデイティクラウドの生徒たちが集まって来た。時間稼ぎもここまでだ。最早逃走に一刻の猶予もない。
「ッ!」
「なにっ!?」
俺は踏ん張っていた力を抜き、セシリアの勢いに合わせて背中から地面へと体を落とす。
セシリアの力によってかなりの勢いで地面にぶつかり、肺の酸素がいっぺんに押し出される。しかし、それによってフリーになった足でセシリアを蹴り上げ、肉薄していた体を離す。
その隙に跳ね起きセシリアを見るが、ダメージは見受けられない。あまり力を乗せられなかったとはいえ、『嵐衣無縫』で威力が倍増した蹴りを受けてノーダメージとは…。やはり今の俺では届かない相手だと確信させられる。
「気を付けなさい!相手は上級魔法を扱います!Aランク相当の相手だと心得なさい!」
セシリアの鋭い指示が飛び、場の指揮が上がるのが分かる。仲間からも相当信頼されているようだ。
俺は周りを見る。ほぼ包囲網は完成しつつあり、どこの道も生徒でふさがれている。走って逃げるのは不可能か。
セシリアは油断なくこちらに剣を向けながら、鋭くこちらを睨む。
「ここまでです。ここに集まるデイティクラウドのメンバーは二十人。私一人にてこずるあなたにここを突破するのは不可能です」
そしてそこで少し残念そうに顔を伏せる。
「…あなたが何者かは知りませんが、今の手合わせで、かなりの修練を積んでいることはわかりました。アカデメイアに通い、正しい心を持っていたならば、必ずや学園の誇るべき生徒となったでしょう。それが人さらいのグループに所属し、奴隷売買で手を貸すとは…、残念でなりません」
その言葉には、確かな悲しみが滲み出ていた。流石にあれと一緒にされるのは困ると思い、それだけは言い返す。
「言っておくが俺は《シャドウアイ》のメンバーじゃない。最近跳ねてるあいつらがあそこで取引するって聞いて、アンタたちがチンタラしている間に潰そうと思ったんだ。それを後からしゃしゃり出てきて俺たちもろとも捕まえるだと?ふざけるにも限度があるだろ!」
最後の所で向こうもカチンと来たようだ。学園での冷静な彼女とは打って変わったような感情的な声でこちらにまくし立ててくる。
「ッ!ふ、ふん!騙そうったってそうはいきませんよ!大体、ウィンデル内では許可なく争いを起こすのは禁止になっています!それを加味すれば、例えあなたが奴隷売買に関与してなくても、傷害の罪でどちらにせよ牢獄行きですよ!」
「じゃあいつ来るかもわからないトロイ事で有名なアンタたちが来るまで奴隷が売られるのを指加えて待ってろってか?冗談じゃねえ。確かに俺たちは間違っても善良な人間では無いし、そういう意味ではアンタ等なんかよりはさっきの倉庫にいた奴らの方に近い外道だって言える。けどな、外道には外道なりに通すべき道理ってもんがある。それも通さねえあいつらみたいな本当に腐った連中に、関係ない奴らを巻き添えにさせることだけはぜってえに会っちゃならねえことなんだよ!もし俺たちに闘わせたくないなら、そういうことが起きる前に、未然にお前らが食い止めろや!」
「――ッ!う、うるさい!あなた達がそうやって色々と理由を付けて出した被害を、私たちは毎日必死に修繕しているんです!それをただトロイと一言で愚弄するなど、あなた達だけには言われたくありません!――総員、攻撃用意!」
セシリアの合図で周りが一斉に各々の武器を構える。だが今のやり取りの間で準備は十分だ。俺は左手の人差し指に嵌めていた指輪に魔力を注ぎ込む。
「さあ、待たせたな。やっとお前の出番だ。――悪により悪を敷け、カリラ」
『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOAAAA!!!』
「なっ、邪龍だと!?」
カリラの突然の登場に周りの生徒は浮足立つ。
「カリラは邪龍じゃねえ!俺たちの象徴、《黒龍》だ!!」
「…ッ!待ちなさい!」
俺が、カリラの背に飛び乗った途端、翼をはためかせ急上昇。道は封鎖しても、道のない上空は封鎖できない。
散発的に魔法がカリラに向けて放たれるが、龍種はアンチマジックという圧倒的な魔法耐性を持っている。上級魔法すらかすり傷にならないカリラに、それらの攻撃は無意味だ。
カリラはあっという間に空高くまで上昇する。俺はカリラに指示する。
「一度街から離れた所で降りろ。このままあいつらのとこに帰ったらむざむざ居場所を教えるもんだからな」
『あいよ主様』
カリラはぐんぐんと速度を上げ、セシリア達はたちまちただの点となり、見えなくなる。街からだいぶ離れた所でカリラは地に降り立ち、マジックリングへと戻った。そこでやっと一息つく。
「はあ。今日はなかなか危なかったな」
『この街に来てから初めて俺を召喚したもんな。だが、今回は不意を突いたから上手くいったが、次はこうもいかねえぞ?』
「わかってる。次はこうもいかないだろうさ。それまでに俺ももっと強くならねえと…」
俺は遠くでそびえたつ街を囲む壁に向けて歩き出す。明日は学園には遅刻するかもしれないな。そんなことを考えながら、街までの長い道のりの歩を進めた。




