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祠の悪魔と、貧乏貴族 〜屋敷の地下ダンジョンと悪魔の商店で、領地再建はじめます〜  作者: ななほし


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第1話 祠の悪魔と、貧乏貴族

俺の一日は、剣ではなく鍬から始まる。


「若様、腰が引けてますぞ!」

「剣より鍬のほうがお似合いで!」

「分かってる、分かってる!」


 朝靄のかかる畑で、俺は領民たちの野次を浴びながら鍬を振るっていた。


 土は重い。

 朝露を吸った畝はぬかるみ、慣れない手つきだとすぐに刃を取られる。

 だが、この程度で音を上げていられるほど、うちの領地は豊かじゃない。


 俺はロシュ・ヴァーミリオン。

 ローク王国の片田舎を治める、由緒だけは立派な男爵家の当主だ。


 なお、由緒以外は何も立派ではない。


 治める領地は小さい。

 これといった特産物もない。

 国に納める税は重い。

 下級の魔物もたまに出る。

 使用人を何人も雇えるほどの余裕もない。


 そして何より――金がない。


 とても大事なことなので、もう一度言う。


 金がない。


「若様、今年の出来は去年よりは良さそうですぞ」


 背後から落ち着いた声がした。

 振り向けば、整えられた口髭を撫でる老執事――センバスが立っていた。


「“よりは”って何だ、“よりは”って」

「比較対象が地獄ですので」


 即答された。

 ぐうの音も出ない。


 センバスは元王国騎士団所属の歴戦の男だ。

 剣も強いし頭も切れる。

 だが今は、ヴァーミリオン家の家計簿という、別の意味で過酷な戦場を戦っている。


「今月の収支は?」

「赤字ですな」

「来月は?」

「赤字ですな」

「未来は!?」

「希望的観測で赤字です」


 俺は空を仰いだ。

 今日もいい天気だ。現実逃避日和である。


「若様ー!」


 明るい声とともに、小柄な少女がこちらへ駆けてきた。


「お昼できたよー!」


 ロロだ。


 ヴァーミリオン家の家人は俺とセンバス、それに彼女だけ。

 つまり三人で屋敷も家計も領地も何もかも回している。

 泣ける話だろう? 泣いていいぞ。


 ロロは俺の幼馴染で、この屋敷の実質的な台所の支配者だ。

 うちがどうにか人間らしい食事を保っているのは、だいたいこの子のおかげである。


「今日のスープ、ちょっと自信作なんだ」

「おお、それは楽しみだ」


 そう返すと、ロロは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐにぷいと横を向いた。


「そ、そういうのいいから。早く来て」

「照れるくらいなら最初からそう言えばいいのに」

「照れてない!」

「はいはい」


 こういう何でもないやり取りがあるから、俺はまだここを自分の居場所だと思えている。


 畑の向こうには、朝日を浴びた小さな村が見える。

 古びた屋根。細い煙。痩せた畑。放牧地の柵。

 決して豊かとは言えない景色だ。


 みんな口では笑っている。

 俺をからかい、貧乏をネタにし、それでも今日を生きている。


 だからこそ、諦めた顔だけは見たくなかった。


 そう思った、その時だった。


 近くの森から、不気味な咆哮が響いた。


 畑にいた領民たちの手が、一瞬だけ止まる。


 この世界に魔法なんて便利なものは存在しない。

 あるのは剣と弓と根性、それから飢えと税金と魔物だ。

 理不尽で出来ている。


 森の奥に棲む魔物は、珍しい存在じゃない。

 だから皆、すぐに作業へ戻った。

 ――だが、その空気の揺らぎは、完全には消えなかった。


 センバスが俺へ視線を向ける。


「そういえば若様。猟師のロイが、森の奥で古い祠を見つけたそうです」

「祠?」


「ロイの話では、近づくと声がすると」

「……は?」

「“ヴァーミリオン”と呼ぶ声だそうです」


 俺は鍬を持ったまま固まった。


「……何それ怖い」

「ええ。実に怖い話ですな」

「お前、その顔で言うと説得力ないんだよ」


 センバスは平然としている。

 だが、こういう男がわざわざ今この話を出してきた時点で、ただの噂話では済まないのだろう。


「ロイ以外にも、森に入りたがらない者が増えております。薪拾いも、薬草摘みも、少々鈍り始めておりますな」


 それは困る。


 森はこの領地の生命線だ。

 薪が止まれば冬が死ぬ。

 薬草が取れなくなれば病人が死ぬ。

 狩りが減れば食卓が死ぬ。


 ただでさえ細い首を絞められている領地なのに、そこで森まで止まったら本格的に終わる。


「ハンターを雇う余裕は」

「ありませんな」


 だろうな。

 知ってた。


 俺は深く息を吐いた。


「……仕方ない。俺が行く」


 ロロがぴたりと動きを止めた。


「ロシュ様が?」

「領主だぞ。領民が怖がってるものを放っておけるか」


 本音を言えば嫌だ。

 めちゃくちゃ嫌だ。

 だが俺が行かなければ、次は領民の誰かが様子を見に行くことになる。


 そんなもの、当主の仕事じゃないと言えるほど、うちの領地は豊かじゃない。


 それに。


 ヴァーミリオン家の名を呼ぶ“何か”があるなら。

 確かめずに済ませられるほど、俺の肝は太くない。


「私も行く」


 ロロが言った。


「いや、危ないかもしれんぞ」

「ロシュ様ひとりの方が危ないよ」


 即答だった。

 確かに反論できない。


 ロロは小柄だが、うちの数少ない立派な戦力でもある。

 センバスの指導の賜物か血筋なのか、前にゴブリンを素手で叩き伏せていた時はさすがに震えた。

 誰がメイドだ。


「センバスも同行します」

「ああ、頼む」


 こうして俺たちは、森へ向かうことになった。


     ◇


 森の入口に立った瞬間、空気が変わった。


 いや、気のせいかもしれない。

 そう思いたかった。


 湿った土の匂い。

 草の青い匂い。

 木の皮の乾いた匂い。


 いつもの森なら、それだけだ。

 だが今日は、それに混じって鉄みたいな、嫌な臭いがあった。


「……今日は、やけに静かですね」


 ロロが小さく呟く。


 確かに静かだった。


 鳥の鳴き声がない。

 風もないのに、葉擦れの音だけが妙に耳につく。

 それだけじゃない。

 いつもなら見かける薪拾いの跡や、薬草を摘んだ痕も見当たらなかった。


 まるで、ここだけ領地の外へ切り離されたみたいだった。


「周囲に魔物の気配は……感じませぬな」


 センバスの声が低くなる。


 その横顔は、さっきまで収支報告をしていた老執事のものではなかった。

 騎士の顔だ。


 “感じない”こと自体が不気味だった。


 俺は喉を鳴らす。


「……ほら、領民が勝手に怖がってるだけだ。森に祠があって、変な噂が立っただけかもしれん」


 言いながら、自分でも分かっていた。

 これは確認じゃない。ほとんど祈りだ。


 だが歩を進めるほど、違和感は濃くなっていった。


 枝が折れる音。


 振り向く。

 何もいない。


 だが、“見られている”感覚だけがある。


 嫌な汗が背中を伝った。


 やがて、祠が見えた。


 苔むした石造り。

 蔦が絡まり、長い間放置されていたのは一目で分かる。

 だが、その古びた見た目とは裏腹に、周囲の地面だけが妙に踏み荒らされていた。


「……最近、誰か来ていますな」


 センバスが低く言う。


「領民、じゃないよな?」

「足跡が……途中で消えてる」


 ロロの声に、背筋が冷えた。


 祠の前で、足跡は途切れていた。


 まるで――吸い込まれたみたいに。


「冗談だろ……」


 俺は祠を見上げる。


 その表面には、苔に埋もれかけた古い紋様が刻まれていた。

 翼の形に見える。

 いや、それだけじゃない。


 見覚えがあった。


 屋敷のどこかで見たことがある。

 古い柱か。書庫の奥か。幼い頃に一度だけ、どこかで目にしたような――


「若様?」

「……いや」


 気のせいかもしれない。

 そう思ったが、胸の奥が妙にざわついた。


 ヴァーミリオン家。

 この祠。

 何かが繋がっている。


 まだ言葉にはできないが、体が先にそう感じていた。


 気づけば、俺は剣の柄に手を置いていた。


 空気が重い。

 肺に入る息がひどく冷たい。


「若様、下がって――」


 その瞬間。


 祠の奥から、かすかな“声”が響いた。


 囁き。


 頭の内側を、冷たい指でなぞるみたいな声。


 ロロが俺の袖を掴む。


「……ロシュ様、帰ろう」


 俺だって帰りたい。

 今すぐ帰りたい。

 だが、石造りの祠の前で、俺は立ち尽くした。


 『ヴァーミリオン』


 確かに、そう呼ばれた。


 逃げたらきっと、この先ずっと考える。

 あの声は何だったのか。

 何を呼んでいたのか。

 俺が背を向けたせいで、何かを見落としたんじゃないかと。


 くそ。


 一歩、近づく。


 石に触れる。


 ひやり、と冷たい。


 その瞬間――


 空気が震えた。


 地面が低く唸り、祠の亀裂から淡い光が滲み出す。


「下がれ!!」


 センバスの怒声と同時に、石が砕け、光が爆ぜた。


 森の静寂が、一瞬で破壊される。


 光の中心から、ゆっくりと人影が現れた。


 銀白の髪。

 赤い瞳。

 小さな角。

 黒い翼。


 どう見ても――


「悪魔!?」


 光の縄に縛られ、空中に拘束された女が、ゆっくりと笑った。


「ふふ……ようやく来おったか」


 その声には、待ちくたびれたような響きが混じっていた。


 赤い瞳が、まっすぐ俺を射抜く。


「ヴァーミリオンの末裔よ。ついに、わらわから盗まれた魔法を取り返してくれたのかえ?」


 頭がついていかない。


 魔法?

 盗まれた?

 末裔?


 何を言っている。

 いや、それより――


 悪魔はわずかに首を傾げた。


「それとも、おぬしもまた――先祖のように契約から逃げるつもりかえ?」


 ぞくり、と背筋が粟立った。


 契約。

 先祖。

 ヴァーミリオン家。


 意味は分からない。

 分からないのに、その言葉だけは妙に胸の奥へ沈んだ。


 俺は、悪魔の姿を見た。

 見てしまった。


 威厳たっぷりに微笑む悪魔。

 だが、その全身はどう見ても――


「なぜ亀甲縛り!?」


 思わず叫ぶと、悪魔は胸を張った。


「ふふふ……わらわの趣味じゃ」


 台無しだった。

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