4-8 知は力
皇城
警備についていた近衛銃士は次第に門の内側へと押し寄せてくる、血で真っ赤に染まった帝国軍の軍勢に、ごくりとつばを飲み込んだ。
「あれが全部帝国軍かよ・・・マジで門が突破されちまうぞ」
「だからって今更どうしようもないだろ?俺たちはここを離れるわけにはいかねぇんだ」
古い荘厳な石造りの門を護る、それがこの二人に与えられた使命だ。
同僚の言葉に「ああ」と頷いて、決意を新たに息を吐いた時だった。
突然背後から口元を抑えられ、抵抗どころか身動き一つとる暇もなく、喉仏を切り裂かれた。
ガパッと傷口から血をぶちまけて倒れ込む二人の銃士。それを冷たく見下ろして、彼らに音もなく忍び寄った市民風の男は、ヒュっと口笛を吹いた。
街の物陰から、市民や奴隷、商人、果てには衛兵の服装に身を包んだ異様な集団がぞろぞろ姿を現し、開け放たれた門をくぐって行く。
「うん?おい、ちょっと止まれ!ここは皇帝陛下のおわす聖域だぞ!」
「貴様ら誰の許可を――――――・・・ッ!」
警備についていた銃士はことごとくその海に呑み込まれ、やがて波が去った時にはその哀れな骸を青空に晒していた。
姿かたちは異なれど、彼らの目は一様にギラついていて、見るものをぞっとさせる不思議な力を持っていた。
「侵入者だっ!鐘を・・・鐘を鳴らせ!」
叫び声に銃士がハンマーで警鐘を叩こうとするが、その腕が肘からバッサリと切り落とされる。
「――――――なっ!」
やがて皇城へと入り込んだその集団は、出会う者全てを斬り伏せて進んでいった。
□ □ □ □
銃士の服を身にまとった小柄な女が、音もなくドアを開ける。
本が天井まで届くほどうず高く積み上げられた部屋は、さながら迷路のようで、とても皇城とは思えないその一室に、彼女は眉を顰めた。
足音を立てぬよう、足の踏み場もないその部屋をゆっくりと進みだそうとした女に、奥の方からフッと声が掛けられた。
「・・・五月蠅いね。静かにできぬものだろうか?」
女は僅かに目を細めた。その古めかしいが若く中性的な声が、彼女の国の、ノヴゴロドの言葉を紡いだことにも驚いたが、なによりも彼女がこの部屋に入る音は鳥が羽搏かぬほど静かだったし、廊下から殺戮の音がこの部屋まで響いているとは思えなかったからだ。
単なる独り言だろうか。ベルトから下げた剣に手をかけて、一歩前に出した脚に力を込めた時、今度はため息が聞こえた。
「五月蠅いと言っただろう?それとも君には言葉を聞く耳が無いのかね?」
「・・・」
言い訳をするかどうか悩むように女が口をつぐんだままでいると、声の主は矢継ぎ早に告げた。
「ああ、下手な芝居を打つつもりなら辞め給えよ。皇室劇場で肥えた私の感覚が、三門芝居で狂ってしまうだろう?蟻は蟻らしく、梟の言うことに従うのだ」
「・・・そうか。だがお前が梟だとしても、飛べなければ蟻に追い詰められるぞ?」
女はこの部屋の出入り口が、今入ってきた廊下に面したものしかないことを確認してからそう返した。ここにいるのが誰であれ、追い詰めてしまえば、後は赤子の腕を捻るより簡単だ。
キンッと剣を鞘から抜いて、今度こそ前へと歩を進める。
だがその足を突然、刃が貫いた。
「――――――なッ!?」
ズルッと軍靴を貫通して真っ赤に染まった切っ先を露わにするそれに女が目を開くと、同時に本の山の向こうから、バンッ!と紙を散らして弾丸が飛来した。
ギリギリで予力で弾道を読んで躱したが、バランスを崩し、足を一歩下げるとそこでもまた刃が煌めいた。
「くっ!!」
「五月蠅い五月蠅い。臭い臭い。早く消えてもらえないか?」
再び本の奥から声がした。いら立ち混じりに貧乏ゆすりの音も聞こえる。
「ハッ!お前が誰だか知らないが、この本の山だ、学者だろう?その学者先生が知恵のつまった本越しに銃を撃つなど、いささか滑稽に映るな」
冷や汗を垂らしながら、足に刺さった剣を抜く女に、声の主はフフフフと不敵な笑い声を上げた。
「その本は空だ。白紙と言い換えでもいいだろう。尤も我が輩にとっては、だがね」
「・・・どういうことだ?」
「知恵と言うのは頭に叩き込んで、初めてその効果を発揮する。本に載っているだけで、知らなければ何の役にも立たぬ。我が輩は全てを覚えている。故に、今その本に価値はない」
年老いていそうな高慢な口調なのに、声は若々しいその主に、女は舌打ちをして、壁を走り始めた。
何かフックを引っ掻けているとか、手を使っているとか、そういうわけではなく、本当に壁が地面であるかのように走っているのだ。
本の山を飛び越え、部屋の奥に躍り出る。そこでくるりと回転して、女はデスクの上に立つと、椅子に座った男に剣を突きつけた。貴族のみが身に纏うことを許された、高級なシルクのローブにキラリと剣が光る。
「すべて覚えている、か。ならば余計なことをする前に、その首撥ね飛ばしてやろう」
ローブの下で猫のような目をギョロリと動かした男は、彼女の言葉など聞こえていないかのように、しばし考え込んでから口を開いた。
「・・・今の騎士術、思い出したぞ。貴様、帝国軍少将エリサ・キウルだな?」
「――――――っ!?思い出しただと?どういうことだ?なぜ私を知っている?」
女――エリサ・キウルの僅かな動揺を男は見逃さなかった。手に持っていた杖で彼女の剣を弾くと、そのまま本の山へと駆けていく。
「逃げる気か!」とキウルも慌ててその後を追ったが、床に置かれた本と本の間にワイヤーが張られているのに気が付いた時は、時すでに遅かった。
キュッ!と音を立てて本に隠されていた鎌が飛び出し、脚を斬りつける。貫かれ、斬られと、彼女の脚はすでに重傷だった。
――抜かった・・・
――まさかここにも罠が仕掛けられているとは・・・
臍を噛みながら男を睨んで、ふと男はどうやってこれを躱したのかと、心の中で首を傾げた。
この罠の数だ。自分の部屋とは言え、いちいち覚えていられるものでもない。
――一体どうやって・・・
「全てを覚えている」。彼の放った言葉が思い浮かんできた。普通の人間なら比喩表現だと言えるが、あの男が騎士だとしたら・・・?
――まさか、それが奴の騎士術か!?
冷や汗を流すキウルに、正解と答えるかのように男はフフフと笑い声を上げた。
「全知全能と言い換えてもいい。我が輩の知は矮小な貴様のことも、隅から隅まで及んでいるぞ?」
「・・・神にでもなったつもりか?それに知っているからと言って、私に勝てると?」
「ああ、我が輩を神と呼ぶか否かについては貴様に任せよう。そして、知が実力となることについては、騎士である君なら骨身に染みているはずだが・・・それともそれすら知らぬ蟻を、少将に据えているのが帝国軍かね?」
どこまでも余裕ぶった男。まずはそのフードを脱がせてやろうと、キウルは騎士術を発動した。彼女の騎士術は珍しく、間接発動でしか使えない。能力は単純明快、血を消費して重力に関係なく壁や天井など縦横無尽に走ることが出来るというものだ。
まるでそこだけ重力が逆転したかのように、天井に立って男へと迫るキウル。信じられない速度で迫る彼女に、男がしたのはその杖を構えることでも一歩引くことでもなく、ただそこに立っているだけだった。
それはただの的である。殺してくれと言わんばかりだ。
だが、キウルの剣は彼に当たることはなかった。
「――――――バカなっ!?」
軟体生物のように体をくねらせて剣を躱した彼に、キウルは目を見開いた。
それは余力で読んだというには、あまりに正確過ぎた。僅か三ミリでも間違えれば剣に当たるほど、ギリギリなのだ。予力である程度剣の通る位置を予想した、というよりもまるでハナからそこを通ることを知っていたというようだ。
男はよもや避けられるとは思わず、バランスを崩したキウルに懐からピストルを引き抜くと、何ら躊躇することなくその引金を引いた。筒から弾く様に飛び出した鉛の塊が、キウルの体を貫く。
「やれやれ、愚鈍な者に根絶丁寧な説明などしたところで、聞く耳を持たぬか」
「私の・・・剣の癖まで知っているというのか!?」
――どこまで情報が漏れているんだ!?
知っていると言っても、それは流れている情報だけ。彼の耳に入らなければ、それは知り得ないことだ。だから自分の顔は知っていても、それ以上の情報は何も知らない。そう思っていたキウルを、目の前の男は易々と越えてきた。
「貴様の剣の癖を知っている?失笑に尽きるな。それで留まると思っているのか?」
「・・・どういうことだ?」
「貴様の生まれも育ちも、教育も友人も、趣味も思考も、はてに初潮の日さえこの頭直中にある。吾輩を一体誰だと思っているかね?」
フードの下で男は黄色の目をギラギラと滾らせながら、言葉を続けた。
「ヘッラス大公アーキレスタ・エウスタキウス。我が輩の知はこの世界全てにあまねく及んでいるぞ」
ストック確保のため、暫く更新途絶えます。すみません。




