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空先カナタの異世界宇宙探検記  作者: 木山京


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1-1.勇者を憐れむ歌

 人生は、良い方へと劇的に変わったりしない。

 それが少女の信条であり、きっと知らず緩やかに変化してゆく日常への、斜に構えた視点だった。

 悪い方にならいくらでも転がる。事故だとか災害だとか、挙げたらキリがない。坂を転げ落ちるようなものだ。他人にちょっと背中を押されれば、それで止まらなくなる。


 けれど良い方へ変えるには、ひたすら積み上げるしかない。階段でも塔でも、何にたとえるにせよ地道な努力というやつが一番大事で、それ以上に退屈だし終わりが見えなかった。

 積んで、サボって、積んで、遊んで……またサボって、時々積んで。そんな風に進んでゆく。

 少女は漠然と思いながら毎日を過ごしていた。取り立てて真面目でなければ、度を越えて怠慢というわけでもない。


 要するに日々の生活がなんとなくマンネリ化しつつも、サブスクリプションの新作で夜更かしをし、広告なしにプラン変えようかな? だとか考えながら、そのための資金でガチャを回して一喜一憂している、そんな毎日を送っていた。

 だから下校中の景色が一変した瞬間も、彼女は声を上げるでもなく、驚くでもなく、気付かずに何歩か進んだところでようやくスマートフォンから視線を外して、きょとんと辺りを見回した。


「……?」


 さっきまであった夕暮れが、ない。ローファーが踏んでいる感触は、アスファルトでなく石畳。


 屋内にいるようだった。しかし、それにしても唐突すぎる。

 市営の体育館くらいはありそうな空間に、明かりは天窓から差し込む青空の日差し。彼女の正面では少しの階段が盛り上がり、さらにその先でいやに着飾っている中年が、やけに装飾過多な椅子に腰かけている。


 見た目で判断するなら男は王様だとかそういう立場で、状況だけだと玉座の間に見えた。実際、男の傍らには側近らしき老人がいるし、よくよく観察するとホールのあちこちにも兵士が控える。

 だけど、なぜ?

 ぽかんとしたままいる彼女に、王らしき中年が言った。手元のスクロールをあご先で示し。


「おい、これなんて読むんだ? あっちの言葉はわからんぞ」

「陛下、カナタです、カナタ」


 応じるのは老人。互いに耳打ちのつもりだろうか。元の声量をあまり抑えてない上、反響のせいでよく聞こえる。


「ああ……なんでルビ振りひとつせなんだ? 言葉は翻訳されとるだろう?」

「まあまあ、陛下。そう仰らずに。ささ、勇者殿へお言葉を」

「ふむ、ごほんっ……そうさな。――勇者カナタよ。此度は我らの召喚に応じたこと、感謝する」


 咳払いを挟み名前を呼ばれても、未だに状況が掴めない。スマホを片手に、呆気に取られて口を開けている女子高生だ。

 だいたい、あの王様らしい男はなんと言った? 勇者?

 ブレザーを着て、華奢で背が低く、亜麻色のショートボブに眼鏡をかけながら、頭の中の半分は現状よりも回線落ちした周回中のゲームのことをまだ考えている、こんな勇者がどこにいる? 誰が見たって人選ミスだ。


 少女、もといカナタは脳内に自己評価をまとめると、ひとまず割り込んだ。


「今この世界には死者を統べる魔王が生じ、現世と幽世との境い目を歪めている。その脅威はおそろしく、人の身で抗うことは難しい。ゆえにそなたという――」

「あ、人違いです」

「――勇者を召喚し、我らの救い主と……なに? なんだ、なんと言った?」

「人違いです」


 カナタは繰り返す。立場が入れ替わった。今度は中年たちがきょとんとした。

 ややあって、


「……カナタであろう?」

「はあ」

「15歳」

「まあ」

「生返事はやめい。家名は?」

「家名……って、苗字? 空先ですけど」

「ソラサキ……ソラサキ、ソラサキ……おい、これソラサキか?」


 と、これは老人に。


「さようです、陛下」

「であろう? であれば、あれば……合っとるじゃないか」

「人違いです」


 意地でも繰り返す少女だ。


「しつこいな、おぬしゃ。召喚されたものは、この書に名が記されとる。ソラサキもカナタも、揃って書かれておるわ。ステータスだってしっかりと……ひっどいなこりゃ。手違いではないか?」

「む」


 バッチリ聞こえている。先ほどからカナタ自身が主張してることだが、勝手に呼び出して勝手に不満を言われるのは話が違う。

 少女はあからさまに不機嫌を浮かべてみるものの、王たちは構わず内輪話を続けた。


「いえ陛下、言うほどではないかと。良く言えば、そう……並みの素養はあるわけで」

「悪く言えば?」

「スキル含めて、絵に描いたような平々凡々」


 老人の寸評に王が吹き出す。

 事情はどうあれ、どうにもいけ好かない連中だ。カナタはふと部活を思い出す。セクハラしか頭にない顧問と、おべっか使いの部長。雰囲気がこの二人にそっくりだった。

 いきなり通学路から異世界へ放り込まれた恐怖だとか驚きだとか、そうした感情は呆れて枯れてしまっている。


「ぷっ、くくくっ……! そりゃいくらなんでも言い過ぎじゃろ、仮にも勇者……ぷふふふっ」

「あのぉー」

「ん? お、おお、すまんすまん……ぷふっ」


 呼びかけてやっと応じるものの、まだ笑いが収まらない王である。せめて声を上げて笑ったなら、ここまで下卑た悪印象を与えないだろうに。


「つまり、なんなんですか。見ず知らずの小娘ひとり攫ってきて、命が惜しかったら勇者になれとか言う話ですか」

「概ね、その通りよ。もそっと言い方があろうがな」


 わけもわからない異境に突然連れ込まれ、小馬鹿にされ、これで礼節を保てと言う方がどうかしているものだろう。そうした正論を寸前でカナタは飲み込むと、口調だけはうんざりして続けた。


「嫌です。帰してください」

「そう無粋を申すな、勇者殿。我らとて藁にも縋る想いで、おぬしを召喚し……」

「平々凡々な子供がろくに活躍できるわけないでしょうが。だいたいっ! 見ず知らずの――ひっ」


 王たちめがけ足を進めた矢先、突然、視界が遮られた。

 甲冑を着た大柄な人物。それが音もなくカナタの眼前へ現れ、喉首に短剣の切っ先をあてがった。兜の隙間より覗く眼光は、明らかに王や老人と別格の雰囲気。思わず取り落としたスマホが、床でむなしく音を立てる。


 冷たく研ぎ澄まされた殺意の眼差し。

 カナタはむろん、生まれてこの方これほどの敵意を浴びたことなどなかった。膝を震わせながらへたり込まず、悲鳴だけで済んだのは奇跡に等しい。


「待て待て、カベンディッシュ公。近衛の鎧、仮にも勇者殿の返り血で汚すことはなかろう」


 にやつきながら王がたしなめる。先ほどまでの、どこか抜けた調子は消えていた。

 呼応して騎士が剣を退いた。だが殺気立った眼差しは相変わらずで、無言のうちに警告している。もしまだ駄々をこねるのなら、今この場で首をはねると。


 カナタに何が出来るはずもない。ただ無力に立ち尽くす様は、しかし王の娯楽にはなったらしい。程なくすると優越感をたっぷりと含め、のんびりした物腰で口を開いたのだから。


「それで……勇者殿、なんであったかな? 構わんよ、滅多なことではそやつに斬らせん」

「……っ、帰してください、元の場所に……!」

「ああー、そういうわけにもいかんのだ」


 王はまず自分の口ひげを撫で、それから続けた。


「魔王はこの世のことわりを歪め、我らはその歪みを利用し、おぬしを召喚した。ただ、それも莫大な時間と労力を割いてのことよ。この……」


 片手で老人を示し、


「ファーガスら、王級魔導士たちの力によってな。三日三晩の大仕事よ。ゆえに今すぐ帰せと言われ、相分かったとはならんのだ」

「だ、だからって……! そもそもっ! 自分たちでやればいいじゃないですか! 私みたいな素人に戦わせるより、この騎士の人とか……も、もっと強い人がいくらでもいるでしょ!?」

「それはそれで事情がある。魔王の歪みを受け、今や諸国が疑心暗鬼に陥っておる。軽々に我が軍を動かせば、侵略の口実を与えかねん。そこで、我らとなんら関わりのない貴殿の出番だ」


 王の言わんとしているところが、カナタをがく然とさせる。


「捨て駒、じゃないですか……。その、魔王相手に……あ、あなたたちに使い潰されろって言ってるんですか?」

「そうは申しておらん。申しておらんが、おぬしの国にも英雄譚はあろう? 勇者カナタ殿よ、英雄とは見返りを求めぬからこそ誉れ高い。貴殿が歩むのは、そうした永久に好まれる救世主の道だ。たとえ志半ばで打ち取られようとも、我ら皆、詩歌として貴殿の栄光を語るだろう。なんら秀でた才のない娘にとって、これほどの栄転はあるまい?」


 ここに来てついにカナタがへたり込んだ。悪い夢だと信じたい。けれど両足に伝わる石畳の感触はあまりに冷たくあまりに無慈悲で、連れ込まれたこの世界が、自分にとって地続きの現実なのだと突きつけてきた。


「あまり深刻に思われるな、勇者殿。我らとて出来る限りの支援はしよう。余、シックバーン王の名において軍資金の援助はもちろん、いくらかの兵もつけてやってよい」


 ひじ掛けに片腕をつき、ゆったりと告げる王の言葉は、例によって反響しカナタのもとへ届く。

 悪夢だ。――そんな呟きが、少女の胸裏に落ちた。


 人生は良い方向に決して転がらない。ひたすら悪い方へ、ドン底の方へと滑り落ちてゆく。否応なくどこまでも。

 ただ、そんな劇的すぎる下り坂にとって誤算があるとすれば、空先カナタが儚げな見た目よりもずっと力強い気骨を備えていた点である。


「……んなは……りょく」

「なにか申したか?」


 自身に言い聞かせた囁きは小さすぎて、カナタ以外には聞き取れなかった。構わず続ける。


「帰してもらえるんですか……! 魔王を倒したら、元の世界に……!」

「むろんだ。嘘は言わんよ、勇者殿」

「約束ですからね……!」


 ひびの入ったスマホを掴み、カナタは立ち上がる。出し抜けに王たちをぐっと睨み、身を翻した。


「もう行かれるのか? 言った通り、金と兵をつけてやっても――」

「結構ですッ!」


 怒号をひとつ。ホールに響き渡ったそれは精一杯の反抗だ。涙目になりつつ、それでも怒りを支えにどうにか憮然として去ってゆく、少女の全力がこれである。

 カナタが出て行き、衛兵の手で扉が閉ざされてから、しばらくの後。


「……どう見る? ファーガスよ」

「あまり期待は出来ませぬな、此度も」

「然り。とはいえ、側室としてはそう悪くない体やもしれぬわ。些か貧相にすぎるが、あれはあれで愛でようがあろう」


 にやりと口の端を吊り上げ、続ける。


「わが曾祖父、この国を作りしかの王は、あの者らと同じ異界の出であったという。ここらで同郷の血とやらを濃くしてもよかろうが」

「でしたらば、ただちにその方向で……?」

「今ではない。存外、我の強い娘ではないか。反発も度が過ぎれば可愛げを損なう。手は出さずともよいのだ。根が尽きて逃げ帰ってきた折に、余が慰めてやればよい。……とはいえ、それより先に魔獣に食われたのではつまらぬでな。――カベンディッシュ」


 玉座の傍ら、老人とちょうど逆位置にあの騎士が現れた。カナタの行く手を阻んだ時と同じく、あまりに唐突な出現。歩法というより瞬間移動だ。


「勇者殿を追いかけよ。金と、基本の装備一式を渡してやれ。兵はいらん。あれでは追い返されよう。そうさな、どうにか五日も食える程度の金でよい。行け」


 騎士は一礼を残し、そして消えた。

 ほどなくして老人が問う。


「しかし、そうなさると……魔王への対処はいかに?」

「なに、また呼べばよい。賭け事とは勝てる金で回すものよ。地道に、当たりが出るまで引く努力をすればよい。第一、真面目にやるものではないわ。討ったところで誉れにもならん、アンデッドの相手なぞ」


 出し抜けに王はあくびをした。

 飽くなき欲望は、およそ人が望める全てを手に入れてしまったがゆえか。絶対的な権力と王たる自負に裏打ちされた、無気力な暴君だ。


 空先カナタという少女が巻き込まれた異世界は、そんな狂気に満ちている。――ように見えた。少なくともこの瞬間は、まだ。

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