第56話 夜・レーザーと写真
部屋に戻った私は、興奮で、どうにかなりそうだった。
ドアを開けて飛び込む。
「ただいま!」
グンちゃんが出迎えてくれた。
「にゃあ!」
「グンちゃん!聞いて聞いて!振ってくれたの!手!窓の人、振り返してくれたの!しかも男の子だった!同じくらいの年の!すごいでしょ!?」
抱き上げる。
グンちゃんを抱きしめる。
興奮が収まらない。
心臓が、まだドキドキしてる。
夕食のタッチパネルを開く。
スパゲッティ注文。
「スパゲッティ!」
ウィーンとトレーが出てくる。トマトと肉の、お腹の鳴る匂い。
出てきたミートソーススパゲッティ。
フォークで巻く。
「いただきます」
一口。
「……味がしない……美味しいはずなのに……」
もう一口。
「心臓うるさくて、味が分からない!」
興奮しすぎて、味覚が麻痺してる。
でも食べる。
もぐもぐ。
「早く食べて、ボトル子に話さなきゃ……」
急いで食べる。
グンちゃんにもお肉を少しあげる。
「私は味分からないけど、グンちゃんは分かる?」
「にゃあ」
食べ終わって、ボトル子に話しかける。
「ボトル子!聞いて!男の子だったの!窓の人、私と同じくらいの男の子だった!しかも、手振ったら、振り返してくれた!二回も!」
机に駆け寄る。
ボトル子は笑ってる。
早口でまくし立てた。
「あ、それと、麦わら帽子、風に飛ばされちゃった……残念……すごく可愛かったのに……でも、それより!人がいたんだよ!」
興奮が止まらない。
グンちゃんは、私のただならぬ様子に、少し戸惑っているみたいだった。
「にゃあ?」
首を傾げる。
「ごめんね、興奮しすぎて」
でも、止められない。
胸の奥が、ざわつく。
PCの前に座っても、作業が手につかない。
窓の外を見る。彼の部屋の窓。見える。明かりが灯っている。
それだけで、胸がいっぱいになる。
「本当に……いるんだ……」
——あ。
ふいに、思い出した。休息日に見つけた、あのデータ。学校の屋上に写り込んでた、人影。『これは何?』のフォルダにしまった、説明のつかない誰か。
あれ、この人だ。
きっと、私が学校を撮ってたあの日、彼も、どこか別の場所から、同じ島を撮ってた。だから、彼のいた屋上が、私のデータの端っこに、紛れ込んだ。
謎が、ひとつ、解けた。怖い話じゃ、なかった。ただ、もう一人、この島で同じことをしてる人が、いただけ。
そう思ったら、急に、あの写り込みが、愛おしく思えた。
視界が一瞬にじんで、息で、散らす。
嬉しい。
でも、なんだか恥ずかしい。
どんな人なんだろう。話せるかな。明日、会えるかな。
いろんな思いが、頭の中を駆け巡る。
私は、なんとか気持ちを落ち着けて、今日の撮影データを処理した。
「落ち着け……落ち着け……すーはー……」
深呼吸。
部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。
灯台の、白く美しい時間の化石。
Align Images、Create Model、Simplify。
いつもの工程。
でも、私の心は、もう、そこにはなかった。
窓の外の明かり。気になる。彼のこと、考えてる。処理が終わった。ピコン。
「終わった」
確認する気になれない。
後で見よう。
ネットに繋がる、1時間半。
私は、検索窓に、彼が持っていた機械の特徴を打ち込んだ。
『レーザー』『三脚』『3Dスキャン』
検索。
そして、一つの技術にたどり着いた。
「これ……?レーザースキャナー……」
クリックする。
「対象物にレーザーを照射して、その反射で、精密な3Dデータを作成する……フォトグラメトリよりも、ずっと速くて、正確……」
読み進める。
「……!ずっと速くて……正確……?」
「……ずるい」
思わず、呟きが漏れる。
「ずるいよ……」
私は、こんなに苦労して、一枚一枚、写真を撮っているのに。
何百枚も。
何時間もかけて、構図考えて、光読んで。
こんなに頑張ってるのに。
彼は、レーザーで一瞬。
「ずるい……悔しい……」
でも、すぐに、その感情を打ち消した。
「……でも、ちょっと、かっこいいかも」
小さく呟く。
顔が、少し熱くなる。
違う技術を使う、もう一人の挑戦者。
彼は、一体、何者なんだろう。
どんなデータを、作っているんだろう。
気になる。
すごく気になる。
私は、窓の外の、小さな明かりを見つめながら、考えていた。
明日、彼と、話せるだろうか。
話したい。どんな人なんだろう。同じ年くらいだった。高校生かな。
何を考えているんだろう。
私と同じように、孤独だったのかな。
どんな声なんだろう。
笑うのかな。
いろんな想像が、頭の中を駆け巡る。
心臓が、ドキドキする。
ボトル子に話しかける。
「ねえボトル子、明日、話せるかな……そうだよね、話せるといいな……どうしよう、緊張する……」
グンちゃんも見てる。
「グンちゃんも応援してね」
「にゃあ」
【残り日数:12日】
画面の数字を見る。赤い数字。冷たい数字。
あと12日。
孤独な世界は、終わりを告げた。
ここから、何が始まるんだろう。
期待。不安もある。でも、楽しみ。すごく楽しみ。おやすみ、3番さん。
「おやすみ、ボトル子」
「おやすみ、グンちゃん」
窓の外の明かりを、もう一度見る。
小さな明かり。
でも、温かい。
「おやすみ……」
心の中で、呟く。
今夜も、一人じゃなかった。
そして、明日からは、もっと、一人じゃなくなる。
息が、浅くなる。胸が、苦しいくらいに高鳴ってる。
でも、嬉しい。すごく嬉しい。静寂が、部屋を包む。
最高の一日だった、はずだった。
台風の傷跡も乾いた青空。白いワンピース。そして——手を振り合った。あの窓の人と、私が。向こうが振り返してくれた瞬間のことは、たぶん一生忘れない。
夜になっても、まだ顔がにやけてる。
「グンちゃん、見たでしょ?振り返してくれたんだよ?二回も!」
「にゃあ」
「そうそう、二回!……って何回も言ってるね私。ごめん。嬉しくて」
鼻歌まじりに夕食を選んでたら、PCが鳴った。
ピロリン♪
「お、実績解除?『初めての友達』とか?運営もたまには良いセンス——」
『重要なお知らせ』
「……ん?」
『被験者間の、物理的な接触を禁止します』
『違反が確認された場合、両名の試験を、その時点で終了します』
「…………は」
画面の前で、固まった。
にやけてた頬が、ゆっくり冷えていく。
「……繋がった瞬間に、これ?」
今日だよ?初めて手を振り合った、その日の夜だよ?何それ。見てたんでしょ、あの瞬間。見てて、これを送ってきたんでしょ。
「ひどくない!?」
叫んでから、画面の文字をもう一回、読み直す。読み直して——気づいた。
被験者間。
「……『被験者間』ってことは」
あの人も、被験者なんだ。私と同じ。閉じ込められて、何かをやらされてる、私と同じ立場の人。運営の人でも、不法侵入者でも、幽霊でもなく——仲間だ。
「両名の試験を終了、ってことは、向こうにも試験があって……向こうにも、この通達が行ってる」
今ごろあの窓の中で、同じ文面を見て、同じ顔をしてるんだろうか。
「……ふーん。へえ。そう」
私は、腕を組んだ。だんだん、怖さより腹が立ってきた。
「会うな、とは書いてある。でも『関わるな』とは書いてないよね?」
画面に顔を近づけて、一字ずつ確かめる。物理的な、接触。
「手紙は?接触じゃないよね、紙だし。合図は?光は触れないし。物々交換は……グレー?ものは触るけど、人は触らないし……ってか運営!『物理的接触』の定義を述べよ!半径何メートル!?基準を出せ基準を————!!」
『それなり』の時と同じだ。この運営、肝心なところを絶対に言わない。
ひとしきり叫んで、息を吐いて、窓の外を見た。
あの窓に、灯りが点いてる。嵐を生き延びた、オレンジ色の小さい光。
会えない。声も届かない。それが、ルールになった。
「……上等だよ」
会えないなら、会えないまま、繋がってやる。紙でも、光でも、猫でも——使えるもの、全部使って。
「見てなさいよ、運営」
今日も、一人じゃなかった。
ルールがなんだ。一人じゃ、ないんだ。




