第5話 午前・ドルフィン桟橋と、空への挑戦
部屋に戻って、まずは水分補給。汗だくだ。一息ついて、二件目の予習を始める。
「桟橋……島の玄関口ってことか」
PCで『軍艦島解説資料』を開いて予習開始。まずはドルフィン桟橋から。
「なになに……波の高さに合わせて桟橋が上下する画期的な船着場……でも完成までには何年にもおよぶ海との戦いの歴史があった……?」
読み進めるうちに、もう驚きすぎて声も出ない。マウスを持つ手が止まった。
昭和29年に完成した日本初のこの桟橋、わずか2年後の台風で流出。より頑丈に作り直した二代目も、その翌年の台風でまた流出。今の桟橋は、海底の岩盤を3メートルも掘り下げて造られた、執念の三代目だって。
「台風で2回流されて、3回目!?昭和の人、少年漫画の主人公かよ!」
ただの船着場じゃない。自然の猛威に屈しなかった、執念の歴史だ。
「あ、海底水道取込口ってのも近くにあるんだ」
解説を読む。
「ドルフィン桟橋のすぐ近くの堤防部分にある穴で、かつて野母半島からの野菜船の荷揚げに使われていた……昭和32年に国内初の海底水道が完成すると、海底を伝ってきた水道管の引き込み口になった……国内初、って多いなこの島」
島には真水がなかったから、海底を通して水を引いてきたんだって。すごくない?
「よし、両方撮ろう」
深呼吸して、立ち上がる。今日も暑くなりそうだ。
外に出た瞬間──
「うげぇ、また暑い!湿度エグい!」
でも昨日よりはマシ。慣れって怖い。パーカーのフードを被って、首からカメラを下げる。
「重っ……やっぱ重い」
首が痛い。でも文句言ってる場合じゃない。
実際にドルフィン桟橋の前に立ったら、その複雑な構造に圧倒された。錆びた鉄骨が、海に向かって巨大な昆虫の足みたいに伸びてる。コンクリートの支柱が波に洗われて、白い泡を立ててる。
コツン、コツン。
桟橋の上を、そっと歩く。足音が乾いた音を立てる。波が寄せると、パシャッ、と塩水が足元に跳ねる。
「すごい……こんな複雑な構造なんだ」
近づいて触ってみる。ざらざらの感触。塩が固まってる。手が白くなった。錆と塩害で、コンクリートの表面がボロボロだ。でも、それが勲章みたいに見える。
「2回も流されて、それでも3回目を作った……」
二度の敗北、三度の挑戦。不屈の桟橋。
私なんて、昨日たった2回撮影に失敗しただけで心折れかけたのに。なんか恥ずかしくなってくる。
地上から撮影開始。カメラを構えて、昨日学んだことを思い出す。重複率80%、ピント慎重に、明るさ一定。
「よし、いける」
ファインダー越しに桟橋を見る。錆の模様が、なんか綺麗。
でも、撮影を進めるうちに気づく。
「これ、地上からだけじゃ絶対無理。上の構造が全然撮れない」
桟橋の上部、橋脚の接合部、複雑に絡み合った鉄骨。どうやっても死角だらけ。手が届かないし、登れるような構造でもない。
「使うしかないか……アレを」
部屋に戻って、ドローンの前に立つ。白くてプロペラが4つついた、あいつ。昨日までの私なら、怖くて触ることすらできなかっただろうけど。
「今は違うもん。『解説資料』という知識と、昨日のささやかな成功体験がある!大丈夫、きっとできる……たぶん」
『ドローン撮影の基礎』というマニュアルを片手に、ドローンを外に持ち出した。白い機体が日差しを反射して眩しい。
「左スティックで上昇……右スティックで前進……うん、ゲームのコントローラーと一緒じゃん。楽勝楽勝!」
そう思ってた。本当に、そう思ってたんだ。ゲーマーの友達が「ドローンなんて簡単だよ」って言ってたし。
深呼吸。
呼吸が浅くなる。心臓がドキドキする。手のひらに汗かいてる。指先が微かに震えてる。
コントローラーの電源オン。
ブゥン、と低い音を立ててドローン起動。左スティックをゆっくりと上に倒すと、プロペラが高速回転して、機体がふわりと浮き上がった。
「浮いた!やった!」
でも喜びも束の間。
ヒュウウウウッ——
海からの強風が、鋭い軋み音を伴って吹き抜けた。
機体があおられて、ふらふらと木の葉みたいに舞い始めた。
「ちょ、まっ……!やばっ!」
慌ててスティック操作するけど、逆に機体はあらぬ方向へ。頭が真っ白。マニュアルの内容なんて全部吹っ飛んだ。知識って、パニックになると役に立たないじゃん!
緊張で右手がコントローラーを握りしめ、左手の指が小刻みに震えながら耳の後ろをかいてる。また出た、この癖。
「やばいやばいやばい!どうしよう!ミカ助けて!」
ドローンは私の制御を完全に離れて、猛スピードで海に向かって一直線!
「あーーーーーっ!!ダメダメダメ!戻ってきて!お願い!」
私の絶叫が廃墟の島に響き渡った。反響して、自分の声が何重にも聞こえる。恥ずかしい。でもそれどころじゃない!
「終わった……10万円以上する機材が海の藻屑に……私の予算じゃ弁償なんて絶対無理!人生詰んだ!お母さんごめん!将来のお小遣い全部没収される!」
そう思った瞬間、ドローンがピタリと空中で静止。
そして、ゆっくりとこちらに機首を向けて、光に導かれるように、何事もなかったかのように戻ってきた。
「……え?」
機体が私の目の前まで戻ってくる。
「自動帰還?そんな機能あったの?」
マニュアルに書いてあったセーフティ機能だ。読んだはずなのに、完全に忘れてた。
膝から力が抜ける。がくっ、と崩れ落ちそうになる。
その場にへたり込んで、震える手で戻ってきたドローンを抱きしめた。
「バカ!心臓止まるかと思ったじゃん!もう!」
心臓まだバクバクしてる。涙が出そう。ていうか、ちょっと出てる。
地面に座り込んだまま、しばらく動けなかった。潮風が頬を撫でていく。涙が乾いてしょっぱい。
「私、何やってんだろ……」
でも、諦めるわけにはいかない。ドルフィン桟橋は、2回流されても3回目を作った。私も、1回失敗したくらいで諦められない。
立ち上がって、膝についた砂を払う。
「よし、もう一回……じゃなくて、ちゃんとマニュアル読み直そう」
部屋に戻る。今度は、ちゃんと勉強してから挑戦する。焦っちゃダメだ。
今日は、何かが始まる気がする。




