第八話 闘争の女王は、待たれると壊れる
黒瀬レナは、検証という言葉が嫌いだった。
反省会も嫌いだ。
分析も嫌いだ。
改善点の洗い出し、という言葉はもっと嫌いだ。
負けた。
悔しい。
次は勝つ。
それでいい。
少なくとも、昨日までの黒瀬レナはそう思っていた。
格闘ゲームは、画面の中で全部が決まる。
相手より早く見る。
相手より深く読む。
相手より強く押す。
相手より先に、相手の心を折る。
それが黒瀬レナの勝ち方だった。
なのに。
今夜のディスコード画面には、すでに三つの名前が並んでいた。
Hoshino_Mika
Tsukishiro_Yui
NoName
そこに自分の名前が加わる。
Kurose_Rena
レナは椅子に座りながら、コントローラーを指先で回した。
落ち着かない。
理由はわかっている。
今日は、自分の負けを見られる日だからだ。
しかも相手が悪い。
FPS/TPSの世界女王、星野ミカ。
MMOと戦略ゲームの盤面女王、月城ユイ。
そして、NoName。
顔も声も知らないくせに、自分の負け方だけは誰よりも正確に突いてくる男。
レナは舌打ちした。
嫌すぎる。
ミカからメッセージが来る。
よろしくお願いします。
ユイ。
よろしくお願いします。
本日は格闘ゲームの検証ですね。
NoName。
よろしくお願いします。
レナは少しだけ画面を睨んだ。
あんたたち、真面目すぎ。
ミカ。
緊張してるので。
ユイ。
専門外なので、失礼がないように。
NoName。
必要なので。
レナ。
最後のは何でもそれで済ませてるでしょ。
NoName。
少し。
ミカ。
また冗談言いました?
ユイ。
言いましたね。
レナは思わず笑いそうになった。
この男は本当に、よくわからない。
普段は氷みたいに淡々としているくせに、たまに変なところで冗談らしきものを混ぜる。
それが余計に腹立たしい。
レナは画面共有を始めた。
映し出されたのは、昨日NoNameと戦った非公開対戦の録画だった。
使用キャラはレナのメインキャラ。
近距離特化。
攻めが強く、一度画面端へ運べばそのまま相手を倒し切れるタイプ。
ただし、防御はやや薄い。
レナらしいキャラだった。
対するNoNameのキャラは、万能型。
突出した火力はない。
特別速いわけでもない。
だが技の隙が少なく、位置取りと判断で差が出るキャラ。
地味。
とにかく地味。
レナはそこも嫌いだった。
勝った時に派手じゃない。
負けた時に言い訳しにくい。
全部、自分の判断の差に見えてしまう。
NoName。
一戦目から見ます。
レナ。
わかってる。
映像が始まる。
試合開始。
三。
二。
一。
ファイト。
画面の中のレナは、開幕から前に出た。
迷いはない。
ステップで距離を詰め、牽制を振り、相手の反応を見る。
ミカがすぐに打った。
速いです。
最初の踏み込み、相手に判断を押し付けてますね。
レナは少しだけ口元を上げた。
わかるじゃん。
ユイ。
ただ、開幕時点で選択肢が攻めに寄っているように見えます。
相手が下がる、暴れる、待つ、のうち、待たれた時の分岐が薄い気がします。
レナの口元が止まった。
NoName。
ここで止めてください。
嫌な予感しかしない。
レナは映像を止めた。
NoName。
月城ユイさんの指摘通りです。
黒瀬レナさんは、相手が何かをする前提で攻めています。
レナ。
対戦なんだから、何かするでしょ。
NoName。
普通はそうです。
ミカ。
師匠は普通じゃないですもんね。
NoName。
待つのも選択です。
レナは画面を睨んだ。
待つ。
それが嫌なのだ。
相手が攻めてくるなら読める。
下がるなら詰められる。
暴れるなら潰せる。
ガードするなら崩せる。
でも、NoNameは違う。
何もしない。
本当に何もしない時がある。
こちらが攻めたくなるまで待つ。
こちらが読み合いを始めたくなるまで、ただそこにいる。
その沈黙が、レナは嫌いだった。
NoName。
黒瀬レナさんは、相手が動いた瞬間を拾うのが非常に上手い。
ですが、相手が動かない時、自分から場面を壊しに行きます。
ユイ。
それは、長所でもありますよね。
停滞した状況を動かせるので。
NoName。
はい。
ただし、動かしたい気持ちを読まれると弱点になります。
ミカ。
相手に待たれて、レナさんが壊しに来るところを狙われる。
NoName。
そうです。
レナは黙った。
全部わかっていた。
自分でも、たぶんわかっていた。
でも他人に言葉にされると、腹が立つ。
ユイ。
ここで、レナさんが待つ選択肢を持つことは難しいのですか?
レナ。
難しいというか、嫌。
ミカ。
嫌なんですね。
レナ。
嫌。
待つくらいなら殴りに行きたい。
NoName。
それを見られています。
レナはコントローラーを机に置いた。
本当に、嫌な男だ。
映像を再開する。
レナの初撃は、NoNameの立ち位置に届かなかった。
空振り。
ほんのわずかに届かない。
たったそれだけで、流れが変わる。
レナはすぐに次の技を振る。
小技。
中段。
投げの匂わせ。
下段。
普通の相手なら、どこかで崩れる。
だがNoNameは崩れない。
大きく避けない。
過剰に反応しない。
ただ少しずつ、レナの攻めが届きにくい距離に立ち続ける。
ユイ。
間合いの端に置かれていますね。
レナさんが届くと思っている距離の、ほんの外側。
ミカ。
FPSでいうと、こっちの有効射程の少し外にずっと立たれてる感じですね。
撃てそうで撃てない。
レナ。
そう、それ。
すごいムカつく。
NoName。
ここも止めてください。
レナは止めた。
また刺される。
NoName。
黒瀬レナさんは、届かなかった技の後、すぐに取り返そうとしています。
レナ。
取り返すでしょ。空振ったんだから。
NoName。
はい。
ですが、取り返す速度が速すぎます。
ミカ。
速すぎる?
NoName。
空振りを見せられた直後、黒瀬レナさんは相手に借りを返そうとしています。
そのため、次の選択が少し前に寄ります。
レナは目を細めた。
借りを返そうとしている。
そう言われると、思い当たる。
空振った。
ムカつく。
今のなし。
次で触る。
次で黙らせる。
そういう感情が、確かに指に乗る。
ユイ。
一つ前の失敗を、次の行動で帳消しにしようとしているということですね。
NoName。
はい。
ミカ。
私もあります。
撃ち負けた後、次の接敵で取り返そうとして前に出すぎること。
ユイ。
私も、盤面で小さく損をした時に、次の配置で過剰に整えようとすることがあります。
レナは画面から目を逸らした。
まただ。
三人ともジャンルが違うのに、なぜか自分だけの弱点ではなくなる。
それが少し救いで、少し悔しい。
NoName。
黒瀬レナさんの課題は、失敗を次で返さないことです。
失敗した場面を、そのまま次の情報にしてください。
レナ。
言うのは簡単。
NoName。
はい。
レナ。
はいじゃない。
NoName。
難しいので課題です。
レナは返す言葉を失った。
正論が一番腹立つ。
映像は進む。
一ラウンド目の終盤。
レナは一度、NoNameを画面端へ追い込んでいた。
ここからがレナの領域。
起き攻め。
投げ。
中段。
下段。
暴れ潰し。
相手に何もさせず、選択肢を奪う時間。
コメント付きの録画なら、ここで観客は沸く。
黒瀬レナの圧が始まる。
そういう場面だった。
ミカ。
ここ、怖いです。
私なら絶対焦ります。
ユイ。
相手の選択肢がかなり絞られています。
有利状況ですね。
レナは少しだけ得意になった。
そう。
ここは自分の勝ちパターンだ。
一度捕まえれば逃がさない。
ところがNoNameは、そこで何もしなかった。
起き上がりに暴れない。
投げ抜けを狙わない。
無理に逃げない。
技を置かない。
ただ、待った。
レナの攻めが、ほんの少しずつズレ始める。
レナ。
ここ嫌い。
NoName。
止めてください。
嫌いな場面で止められる。
最悪だ。
レナは映像を止める。
NoName。
ここで、黒瀬レナさんは相手に何かしてほしがっています。
レナ。
してほしいよ。起き攻めなんだから。
NoName。
はい。
相手の反応を見て、次の攻めを選びたい。
だから相手が反応しないと、攻めが少し前のめりになります。
ユイ。
反応を引き出すための攻めが、反応がないことで強引になる。
NoName。
はい。
ミカ。
撃ち合いでもあります。
相手が顔を出さないと、こっちから見に行きたくなる。
レナは思わず頷いた。
それだ。
相手が顔を出さない。
見えない。
反応がない。
だから、こっちから見に行く。
NoNameは、そこを待っている。
レナは小さく呟いた。
性格悪い。
NoName。
よく言われます。
レナ。
誰に。
NoName。
黒瀬レナさんに。
レナは少しだけ笑ってしまった。
このやり取りは、もう何度目かわからない。
でも、嫌いじゃない自分がいる。
それが少し腹立たしい。
ユイ。
この場面、もしレナさんが待てた場合、どう変わりますか?
NoName。
待つだけでは足りません。
待つ理由を相手に押し付ける必要があります。
ミカ。
待つ理由を押し付ける。
NoName。
黒瀬レナさんがただ待つと、本人が先に耐えられません。
レナ。
ひどい。
NoName。
事実です。
レナ。
事実でも言い方。
NoName。
なので、相手にも待たざるを得ない理由を置きます。
たとえば、逃げ道を一つだけ空けて、そこを選ばせる。
攻めていないようで、実際は次の選択肢を狭める。
ユイ。
盤面を止めるのではなく、止まっている時間で相手の選択肢を削る。
NoName。
はい。
レナはノートを開いた。
普段なら絶対にやらない。
でも昨日、少しだけ書いた。
私は、待たれると焦る。
その文字の下に、新しく書く。
待つなら、相手も待たざるを得ない理由を置く。
なんだこれ。
真面目か。
自分でそう思った。
でも、書かずにはいられなかった。
映像を再開する。
NoNameが何もしなかったことで、レナの攻めは少し前のめりになった。
そのわずかなズレを、NoNameが取る。
逆転。
レナは守りに回る。
守りは得意ではない。
できないわけではない。
だが、レナは守って勝つより、攻めて勝つ方が好きだ。
だから守りに入った瞬間、少しだけ心が急ぐ。
早く抜けたい。
早く攻めに戻したい。
その気持ちが、手に出る。
NoNameはそこも逃さない。
一ラウンド目、敗北。
レナは映像を止めずにそのまま見た。
負けた瞬間の自分のキャラ。
画面に出る敗北表示。
何度見ても腹が立つ。
だが今は、少し違う。
腹立たしさの奥に、理解がある。
負けた理由が、少しずつ見えている。
それがまた腹立たしい。
NoName。
ここで一度止めましょう。
レナは映像を止めた。
NoName。
一ラウンド目の負け筋は三つです。
レナはペンを持った。
ミカもたぶん持っている。
ユイは絶対に持っている。
一つ。
待たれた時、自分から場面を壊しに行く。
二つ。
失敗を次の行動で取り返そうとする。
三つ。
相手の反応を引き出せない時、攻めが強引になる。
レナは三つを書いた。
待たれると壊しに行く。
失敗を次で返そうとする。
反応がないと強引になる。
ひどい。
本当にひどい。
でも、全部当たっている。
レナはため息をついた。
これ、私めちゃくちゃ単純じゃない?
ミカ。
単純というより、真っ直ぐなんだと思います。
ユイ。
強みが明確だから、相手に見えやすいのかもしれません。
NoName。
黒瀬レナさんの強さは、相手に圧をかけ続けられることです。
ただし、圧をかけたい気持ちを読まれると、圧の起点を潰されます。
レナは黙った。
ちゃんと褒められている。
その上で刺されている。
NoNameの言葉はいつもそうだ。
ただ否定するわけではない。
強さを認めた上で、その強さから出る弱点を突く。
だから反論しにくい。
レナ。
次。
NoName。
はい。
二ラウンド目。
レナは開幕を変えた。
前に出ない。
待つ。
相手を見る。
一ラウンド目の反省を、その場で反映しようとしている。
ミカ。
ここで変えられるの、すごいです。
ユイ。
修正が速いですね。
レナは少しだけ胸を張りたくなった。
そうだ。
自分は修正が速い。
感覚で掴めば、すぐに変えられる。
そこは自信がある。
だが、NoNameが止めた。
ここです。
レナ。
まだ何もしてないけど。
NoName。
何もしないと決めています。
レナは眉をひそめた。
NoName。
黒瀬レナさんは、待つことを選んだのではなく、前に出ないことを選んでいます。
ミカ。
違うんですか?
ユイ。
違いますね。
待つ目的がない、という意味だと思います。
NoName。
はい。
レナは、ペンを止めた。
待つことを選んだのではなく、前に出ないことを選んでいる。
言葉遊びに聞こえる。
でも違う。
自分はこの時、前に出ないと決めただけだった。
相手に何を見せるか。
相手に何を選ばせるか。
待つことで何を得るか。
そこまでは考えていない。
ただ、一ラウンド目に前に出て負けたから、今回は前に出なかった。
それは選択ではなく、反動だ。
レナは唇を噛んだ。
NoName。
反省を反動にすると、逆を取られます。
ユイ。
これは私にもあります。
前回の失敗を避けるために、反対側へ振りすぎる。
ミカ。
私も。
撃ち急ぎを反省して、次に待ちすぎることがあります。
レナは二人の言葉を見た。
また、全員に刺さっている。
NoName。
負けた後に変えることは重要です。
ただし、なぜ変えるのかを持たないと、相手に利用されます。
レナはノートに書いた。
反省を反動にしない。
短い。
でも重い。
映像の中で、レナは待った。
いや、前に出なかった。
その瞬間、NoNameが前に出る。
レナは迎撃しようとする。
だが遅れる。
NoNameの攻めは派手ではない。
だが、レナが待つと決めた空白に、すっと入ってくる。
ミカ。
ここ、師匠が急に前に出るから怖いです。
ユイ。
レナさんが作った空白を使っていますね。
NoName。
はい。
レナ。
自分で言うな。
NoName。
必要なので。
レナはペンを置きかけて、また拾った。
二ラウンド目の負けは、さらに腹立たしい。
自分なりに変えたのに、その変えた理由が浅くて負けた。
NoNameに負ける時は、ただ負けるより痛い。
自分の浅さを見せられるからだ。
映像は進む。
二戦目、三戦目。
そして、レナが唯一一ラウンド取った場面に入る。
レナは自然と姿勢を正した。
ここだけは見てほしい。
そう思っている自分に気づき、少しだけ恥ずかしくなる。
画面の中のレナは、明らかに変わっていた。
前に出る時は、出る理由を作っている。
下がる時は、相手を動かすために下がっている。
待つ時も、ただ我慢しているわけではない。
相手が動きたくなる位置に立つ。
相手が選びたくなる択を残す。
その上で、レナは一気に踏み込む。
NoNameの防御がわずかに遅れる。
レナの攻撃が通る。
コンボ。
画面端。
起き攻め。
今度は強引ではない。
相手の選択肢を狭めてから、押し込んでいる。
そして、一ラウンドを取った。
ミカ。
ここ、すごいです。
ユイ。
前半の攻めと違いますね。
圧は同じなのに、相手の逃げ道を先に限定している。
NoName。
良いラウンドです。
レナは固まった。
昨日も言われた。
今のは良かったです。
でも、こうして三人で見ながら改めて言われると、妙に胸に来た。
レナ。
……どこが。
NoName。
自分の感情ではなく、相手の行動を起点に圧をかけています。
待たれて焦るのではなく、相手が待つ理由を奪っています。
ユイ。
相手が動かないなら、動かないこと自体を不利にする形ですね。
ミカ。
私の撃ち合いにも使えそうです。
相手が顔を出さないなら、出さないことで不利になる位置を作る。
NoName。
はい。
レナはノートに書いた。
相手が待つ理由を奪う。
ペン先が止まる。
さっきまで嫌々だったはずなのに。
今は少しだけ、楽しい。
自分の感覚が、言葉になっていく。
自分の強さが、ただの勢いではなく、形として見える。
それは恥ずかしいけれど、悪くなかった。
だが、その次の瞬間。
NoName。
ただし、この後が悪いです。
レナ。
知ってた。
ミカ。
来ましたね。
ユイ。
来ますね。
映像の中で、レナは一ラウンドを取った後、わずかに動きが変わった。
気持ちが乗っている。
それは悪いことではない。
むしろレナの強さでもある。
勢いに乗ったレナは強い。
しかし。
NoName。
褒められた後、黒瀬レナさんは自分の正解を再現しようとしています。
レナは目を細めた。
NoName。
今のラウンドで勝てた形を、次も使いたくなっています。
だから、相手の変化を見る前に、自分の成功体験を置いています。
レナは返事ができなかった。
その通りだった。
一ラウンド取った。
見えた。
いける。
なら次も同じように。
そう思った。
その瞬間、NoNameは変えてきた。
レナは自分の成功体験に引っ張られた。
そして負けた。
ユイ。
成功体験も、次の負け筋になる。
NoName。
はい。
ミカ。
世界大会優勝も、そうですね。
NoName。
そうです。
ミカ。
刺さります。
レナは苦笑した。
自分だけじゃない。
ミカは勝利に刺されている。
ユイは完成度に刺されている。
レナは成功体験に刺されている。
本当に、全員同じだ。
強いところが、そのまま弱点になる。
検証は二時間近く続いた。
レナは途中から、嫌がるのをやめた。
いや、表面上は嫌がっていた。
腹立つ。
性格悪い。
なんでそこ見るの。
今のは言わなくていいでしょ。
そう言いながら、ノートには書いた。
待たれると壊しに行く。
失敗を次で返さない。
反省を反動にしない。
相手が待つ理由を奪う。
成功体験を次の負け筋にしない。
普段のレナなら、こんなに書かない。
でも今日は違った。
書けば書くほど、自分の輪郭が見える。
黒瀬レナというプレイヤーが、どう勝ってきて、どう負けてきたのか。
それを初めて外から見ている気がした。
最後に、NoNameが言った。
今日はここまでです。
レナ。
まだ見れる。
NoName。
見られますが、受け取れません。
レナ。
言い方。
NoName。
判断と感情の整理が限界に近いです。
ユイ。
私も、今日はここまでが良いと思います。
これ以上はメモが消化できません。
ミカ。
私もです。
レナさんのログ、かなり刺さりました。
レナは少しだけ照れそうになり、すぐに顔をしかめた。
刺さったならよかったね。
ミカ。
はい。すごく。
素直に返されると困る。
レナは画面から目を逸らした。
NoName。
黒瀬レナさんの課題は三つです。
レナはペンを構えた。
一つ。
待たれた時、自分から壊しに行かないこと。
二つ。
失敗や成功を、次の行動で取り返そうとしないこと。
三つ。
相手を読む前に、自分が何をしたがっているかを見ること。
レナは三つを書いた。
待たれても壊しに行かない。
失敗や成功を次で返さない。
相手を読む前に、自分を見る。
最後の一文を見た時、胸の奥が少し熱くなった。
相手を読む前に、自分を見る。
それが、NoNameに読まれていた理由だった。
自分は相手ばかり見ていた。
相手が何をするか。
何を嫌がるか。
どこで折れるか。
どこで暴れるか。
でもNoNameは、自分が何をしたがっているかを見ていた。
だから負けた。
レナはディスコードに打った。
腹立つけど、わかった。
NoName。
良い検証でした。
レナは目を細めた。
良い検証。
短い言葉。
でも、嬉しかった。
素直に嬉しいと思うのは悔しいので、少し強めに返す。
次は勝つ。
NoName。
楽しみにしています。
レナの指が止まった。
またそれだ。
楽しみにしています。
たった一文で、心臓が変な動きをする。
ミカ。
レナさん?
ユイ。
大丈夫ですか?
レナは慌てて打った。
大丈夫。
次、NoNameの負け試合の話ね。
チャットが止まった。
ミカが反応する。
見たいです。
ユイ。
私も興味があります。
NoName。
まだです。
レナ。
まだってことは、いつか見せるんでしょ。
NoName。
必要になれば。
レナ。
出た。
ミカ。
必要になれば。
ユイ。
条件を満たせば、という意味でしょうか。
NoName。
はい。
レナ。
その条件は?
NoNameは少し間を置いた。
三人が、自分の勝ち方ではなく、自分の負け方を使えるようになったら。
レナは画面を見つめた。
自分の負け方を使う。
また変なことを言う。
でも、なんとなくわかった。
負け方を知るだけでは足りない。
負け方を避けるだけでも足りない。
自分がどう負ける人間なのかを知り、それを逆に使う。
待たれると焦るなら、焦る自分を囮にする。
撃ち勝ちたいなら、撃ち勝ちたい自分を見せて相手を動かす。
綺麗に盤面を組みたいなら、その綺麗さを餌にする。
そこまでできた時、NoNameの負け試合を見る意味がある。
レナはペンを置いた。
遠い。
でも、見えている。
ミカ。
頑張ります。
ユイ。
課題として受け取ります。
レナ。
絶対見せてもらうから。
NoName。
はい。
レナ。
はいじゃなくて、約束。
NoName。
必要になれば、見せます。
レナ。
頑固。
NoName。
よく言われます。
ミカ。
誰にですか?
NoName。
黒瀬レナさんに。
レナ。
私ばっかりじゃん。
ユイ。
実際、よく言っています。
ミカ。
言ってますね。
レナは笑った。
悔しい。
腹立つ。
でも、楽しい。
この三人とNoNameで話していると、自分の弱点を抉られているのに、なぜか前より強くなれる気がする。
それが不思議だった。
NoName。
今日は解散です。
明日は三人の課題を合わせた合同検証を行います。
ミカ。
合同検証?
ユイ。
三人のログを比較するということでしょうか。
NoName。
はい。
三人の負け方は違いますが、根は同じです。
レナ。
根は同じ?
NoName。
自分の強みを、相手も見ていることを忘れる。
チャットが静かになった。
ミカも、ユイも、レナも。
それぞれに思い当たることがあった。
ミカは撃ち勝てる自分を見られている。
ユイは盤面を組める自分を見られている。
レナは読み勝ちたい自分を見られている。
NoNameは、その全部を見ている。
だから勝てない。
でも、逆に言えば。
そこを使えるようになれば、少しだけ近づける。
レナは打った。
明日、何やるの。
NoName。
三人で、互いの負け方を使った対策案を出してください。
ミカ。
難しそうです。
ユイ。
かなり難しいですが、面白そうです。
レナ。
面白そうだけど腹立つ。
NoName。
良い状態です。
レナ。
何が?
NoName。
難しくて、面白くて、腹が立つ時は伸びます。
ミカ。
それ、ちょっとわかります。
ユイ。
確かに。
レナは少し黙った。
難しくて、面白くて、腹が立つ。
今の自分そのものだった。
NoName。
では、休んでください。
ミカ。
お疲れさまでした。
ユイ。
お疲れさまでした。
レナ。
お疲れ。
NoNameがオフラインになった。
続いてミカが退出し、ユイも退出した。
レナは一人、画面を見つめた。
部屋は静かだった。
配信の時の騒がしさはない。
コメント欄も流れていない。
観客もいない。
歓声もない。
あるのは、自分のノートと、負け試合の録画だけ。
レナはノートを見た。
自分の弱点が並んでいる。
待たれると壊しに行く。
失敗を次で返そうとする。
反省を反動にする。
成功体験に引っ張られる。
相手を読む前に、自分を見ていない。
ひどい内容だ。
本当にひどい。
でも、昨日より嫌ではなかった。
レナは最後に一文を書いた。
読まれる私を、私が先に使う。
書いてから、少しだけ笑った。
いいじゃん。
次にNoNameと戦う時、自分はまた負けるかもしれない。
たぶん負ける。
でも、同じ負け方はしない。
待たれても、すぐには壊しに行かない。
失敗を次で返そうとしない。
褒められて浮かれない。
いや、少しは浮かれるかもしれない。
でも、それすら使う。
黒瀬レナは、負けるのが嫌いだ。
待つのも嫌いだ。
でも、今は少しだけ、次の検証を待つのが嫌ではなかった。
NoName。
顔も声も知らない、正体不明の男。
その男に勝つために、世界女王たちは自分の負け方を見つめ始めている。
ミカは、勝った試合の中にある負けを見た。
ユイは、綺麗な盤面の中にある脆さを見た。
レナは、読む前に読まれていた自分を見た。
そして明日。
三人の敗北は、初めて一つの武器として並べられることになる。




