合宿の罠5
風呂から上がった一行は、旅館の和室に戻った。
部屋の中央には、すでに人数分の夕食が並べられている。
おにぎり、漬物、温かいお茶、果物。
サークルの伝統で、夕食タイムはみんなでわいわい食べる時間だ。
しかし、リンの席だけがぽっかり空いていた。
彼女の分の御膳が、誰も触れずに残っている。
由香が小さく呟いた。
「…リンの分、余っちゃったね。」
他のメンバーが顔を見合わせ、すぐに口を開く。
「もうリンなんかどうでもいいよ!」
「さっきのあれ、許せないし!」
「私たちで分けちゃおうよ!美穂ちゃんにも多めに。」
皆が自然とリンの分を分配し始めた。
鍋の具を半分に分け、デザートの果物を分け合い、笑い声が少しずつ戻ってくる。
美穂は隅の座布団に座り、静かにそれを眺めていた。
皆が席につき、食べ始めようとした瞬間。
美穂が、消え入りそうな小さな声で言った。
「…ごめんね。少しだけ、一人にさせてもらっていい?…」
部屋が一瞬、静かになった。
由香が真っ先に立ち上がり、美穂の肩に手を置く。
「うん、もちろん。ゆっくり休んでね、美穂ちゃん。無理しないで」
他のメンバーも口々に労りと励ましの言葉をかけた。
「さっきは本当にひどかったよね…」
「私たち、ちゃんと美穂ちゃんのこと守るからね?」
「何かあったらすぐ呼んでね。」
「ゆっくりお茶飲んで、落ち着いて。」
美穂は涙を浮かべたふりをして、弱々しく頭を下げた。
「ありがとう…みんな…ちょっと、廊下で空気吸ってきます。」
部屋の襖をそっと閉め、廊下に出る。
瞬間、表情が変わった。
涙は消え、目は鋭く、背筋がピンと伸びる。
探偵・佐藤健一の顔に戻っていた。
スマホを取り出し、由香にLINEを送る。
短い一文だけ。
「今からリンを追う。部屋にいて、絶対に動かないで。」
続けて、高木に電話をかけた。
呼び出し音は一回で繋がった。
「…今から裏手に向かう。来てくれ」
高木の声はすでに緊張していた。
「了解。僕はもう旅館の駐車場にいる。GPS発信機の信号、裏山の方向に移動中だ。リンは一人で逃げてるみたいだね。外で待機してる男たちがいるみたいだ。動き出した形跡がある。」
健一は廊下を素早く歩きながら、階段を下りる。
女装のまま、しかし動きは男のそれ。
長い黒髪をポニーテールにまとめ直し、浴衣の裾をたくし上げて走りやすいようにした。
148cmの小柄な体が、影のように旅館の裏口へ滑り込む。外は真っ暗な山の夜。
冷たい風が頰を撫で、遠くで虫の声が響く。
健一は息を潜め、裏手の林道へ向かった。高木が黒いバンから降りてきて、合流する。
小型のモニターを手に、GPSの位置を表示している。
「ここから200m先。リンはまだ走ってる。仲間が車で待機中だと思う。どうする?」
健一は夜の闇を見据え、静かに答えた。
「…捕まえる。リンを先に押さえて供述を取る。そして、他の連中ごと警察に引き渡す。これで、土地の脅迫も終わりだ。」
高木が頷き、二人で林の中へ踏み込む。
木々の間を抜け、月明かりがわずかに差し込む道を進む。
佐藤美穂の姿は、もうどこにもなかった。
そこにいるのは、依頼を完遂させるための探偵だけ。
可愛い顔の下に隠された、冷徹な目で、闇の中へ消えていった。




