第1話 ダンジョンを壊したら村の守り神だった
朝もやの立ちこめる山あいの村に、そのギルドはあった。
―― 冒険者ギルド 忌歌意村支部 ――
『しきたり』と書かれた立て札が刺さっている。
一つ、ギルドマスターをば、お館様と呼び奉ること
二つ、お館様の前には正座にて、控え侍ること
三つ、お館様の仰せには、ゆめゆめ背くべからず
「……おやかた、さま?」
そう呟いたのは、少年――レオン。
立て札の意味が分からず、首を傾げている。
彼は、今年この国の成人年齢である十六歳となり、村を出てきたばかりのいなか者である。
『故郷に錦を飾るのだ』
いずれは勇者と呼ばれ、英雄として語り継がれる存在になりたい――若さゆえの、輝かしい野心を胸に秘めていた。
レオンが不承不承ながらギルドに足を踏み入れると、どこからか、異国めいた香の煙がゆらりと漂っていた。
木造りの室内はやや薄暗く、壁には角の捻くれた鹿の剥製や、色褪せたタペストリーが掛けられている。
奥の方では、ランタンの灯りに照らされた数人の男たちが、使い古された地図を囲んで相談事をしていた。
武装し佇むもの、なんとはなしに酒を嗜むもの、各々が思い思いに過ごしている。
「こんにちは!」
レオンの侵入に気づいた彼らが一斉に顔を上げ、まるで得体の知れない物でも見るような目を向けてくる。
「え……?」
笑顔で挨拶したのに、返ってきたのは白い目である。
内心で『傷つくなぁ』と、引きつりそうな頬の筋肉を抑えた。
「おや、新顔かね……」
そんなレオンに、カウンターの向こうから声をかける者がいた。
値踏みするような粘つく視線を送るのは、痩せぎすの老人……。
白い作務衣に白いほっかむり、そして腰にはなぜか、しゃもじが差してあった。
レオンはさっき見た立て札の『しきたり』を思い出しながら返事をする。
「そちらは、お館様で……よろしいのでしょうか?」
「よろしい。よろしいが、礼儀がなってない」
そういって、しゃもじで床を指し示した。
「まさか正座を知らんとは言うまいな」
『しきたり』の二――レオンは慌てて両膝をつき、深々と頭を下げた。
「レ、レオンと申します。よろしくお願いします」
レオンは勇者に憧れている。
筋がいいと、剣の腕を褒められたことがある。
だが、生まれてこの歳になるまで、笛を吹き、羊を追って暮して来た、ただの牧童である。
――冒険者って、毎回こんなことするのかな?――
レオンには普通が分からない。
ギルドマスターは満足げにうなずき、指を舐めて帳簿をめくり始めた。
「で、用件は?」
「えっと、冒険者登録と……あと、戦利品の換金をお願いしたいです」
「ほう、登録前の若造が、何を持ち込んだ?」
「これです」
フッフッフッ、と自信満々にレオンが取り出したのは、血のように赤いクリスタルだった。
「ここに来る途中にあったダンジョンで手に入れました」
空気が凍りついた。
周囲で囁きごとをしていた戦士たちが、一斉にこちらを向く。
吟遊詩人は調律の手を止め、魔法使いは杖を落とし、
漬物をつけていた老婆まで顔を上げた。
「貴様……今、なんと言った?」
ギルドマスターの声が一段低くなる。
「え? えっと、近くのダンジョンを攻略して、破壊に成功しました。これがその証――ダンジョンコアです」
「も、もしやそのダンジョンとは、村の麓にある祠のことか……ッ!!? 赤い鳥居のあるッ!!!?」
「トリイって扉のない門みたいなやつです、よね?
だったら、はい、そこの奥で長い髪の女――のようなボスを倒したら、このクリスタルが落ちました」
ギルドマスターは耳の先まで紅潮させ、わなわな身を震わせた。
「お前……」
震える指をレオンに突きつけ、叫んだ。
「あの祠壊したんかあッ!!!!!!」
ギルド中に、悲鳴とも怒号ともつかない声が響き渡る。
「へっ?」
レオンが呆気にとられていると、突如、蹴り倒される。
「おらあ!!」
倒れ込んだレオンを、老人は憎々しげに睨みつけた。
「――な、何するんですかっ!」
「そりゃこっちのセリフじゃ! とんでもない事してくれたのおッ!! ええッ!」
レオンは慌てて声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください! ダンジョンって、普通は潰した方がいいんじゃないんですか!?」
「それは村の守り神である髪守様じゃ!!」
「モンスターもいっぱい出てきたし、ボスも襲ってきて全然神様には見えなかったですよ!?」
「あれを見よッ!!」
ギルドマスターが指さしたのは部屋の隅に作られた小さな祭壇だった。
桐で作られた小さな棚に、左右に立てられた緑の香から、白い煙が線のようになって昇ってゆく。
その中心には、赤い糸で束ねられた、一房の黒髪が祀られていた。
「我らは代々髪守様を奉ることで、この小さな山村を魔物より守って頂いておるのじゃ。お前が入ったのはダンジョンではなく、髪守様の住まいなのじゃ!」
「でもダンジョンの中にいて、倒すとダンジョンコアを落とす。どう考えてもダンジョンボスじゃないですか」
「それはダンジョンコアなどという巫山戯たものではない、髪守様の心臓じゃ!」
レオンは手の中のクリスタルを見る。
「村のお爺に昔取ったのを見せてもらったことありますけど、これとそっくりでしたよ?」
「貸してみィ!」
ギルドマスターはカウンターを乗り越え、レオンの手から石をひったくると、頭上に高く掲げる。
「聴け! この髪守様のありがたい鼓動を!」
ドクン、ドクンと、かすかに脈打つ音が聞こえる。
「ドクン、ドクン」
「今、口で言いましたよね?」
「やかましいわ不届き者!! 髪守様にお返しする前に、お前に罰を与える!!」
気づくとレオンは村人に囲まれていた。
「なんで――っ!?」
「者共、この不埒者をひっ捕らえよ!!」
四方から伸びてきた手が、レオンを掴もうと伸びる。
『百叩きで済むと思うな糞餓鬼――』
そのとき、ギルドの扉が勢いよく開いた。
「お館様ぁぁぁ!!」
飛び込んできたのは、法被を着た老人。
肩で息をしながら叫ぶ。
「祠が! 祠が消えたんじゃあああ!!」
「慌てるな村長よ! 犯人はここにおる!!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいってば!」
レオンは自分の何が悪いかも分からず、必死になって弁明を始めた。
「これ俺が悪いんですか!?
どうみてもただのダンジョンでしたからね!?
入口に『立入禁止』とか『神聖な場所』とか、そういう注意書きは一切なかったですからね!?」
「そらそうじゃ」
村長が胸を張る。
「あれが髪守様の祠じゃと、ここらのモンはみぃーんな知っとる。なぜ書く必要がある?」
「よそ者には分からないからだよ!!」
ギルドマスターは「これだから最近のモンは……」といい、周囲の村人たちが「そうじゃそうじゃ」と同調する。
こいつら……と、何だか腹立たしくなってきたレオン。
――もう無視して帰っちゃおうかな――
などと考えていたら、ぽつりと、漬物を漬けていた老婆が呟いた。
「やっぱり、怒ってるんじゃないかねえ」
「おばば、黙っとれ」
ギルドマスターが低くうなる。
「……レオン、と言ったかねえ」
「は、はい」
「お前、祠に入る前、何か"聞かれて"おらんかえ?」
「聞かれて?」
レオンは首をかしげる。
「いえ、何も。誰もいませんでしたし。
ただ、入口の前で、変なことはありましたけど」
「変なこと?」
「入口に、小さな紙が落ちていて。
何かと思ったら――『たすけて』って、書いてあったんです」
ギルドマスターがかすれた声で言った。
「"招き紙"か……!」
老婆が、遠い目をする。
「まだ残ってたんだねえ、あれ」
「招き紙?」
レオンが聞き返すと、ギルドマスターは、しゃもじの柄をぎゅっと握りしめた。
「本来、祠は"村の者"しか入れん。
よそ者には辿り着けんようになっとる」
「でも、俺は普通に……」
「だから、"招かれた"んじゃ」
ギルドマスターの声は、低く、湿っていた。
「祠の中では、どうじゃった?」
レオンは、目を閉じて思い出す。
「最初は、普通のダンジョンみたいで。
スライムとか、ゴブリンとか、そういうのが出てきて。
でも、奥に進むほど、変になっていって」
「変じゃと?」
「帰り道が無くなったんです。
振り返ったら来た道がのっぺりした岩壁に変わってて『あ、一方通行のダンジョンなんだな』って思って。
そういう罠の対処法はとにかく進むことだと教わりました」
全く意に返さない様子でレオンはそれに――と続ける。
「それに、途中から、モンスターが出なくなって。代わりに……」
「代わりに?」
「人の声が、聞こえました」
ギルドの誰かが、小さく息を呑む。
「子どもの、赤ちゃんの笑い声とか、女の人が歌ってるみたいな声とか。
でも、姿は見えなくて。
ただ、足音だけが、後ろからついて、きて……」
レオンは、そこで言葉を切った。
話を聞いていたギルドマスターの顔色がどす黒く変わり、ようやく『もしや自分はとんでもないことをしでかしたのではないか』と思い始めたからだ。
「あの……俺……そんなつもりじゃなくて……」
思い返そうとすると、頭の奥がじんと痛んだ。
老婆に聞かれるまで、紙のことも、不気味な声のことも、すっかり頭から抜け落ちていた。
染わりと、背筋に冷たい血が流れ込んだ。
ギルドマスターは、そんなレオンの混乱を見透かしたように、
押し殺したしゃがれ声で訊ねた。
「最後の部屋で、何を見た?」
「ボス部屋……ですよね? ……長い髪の女が、立ってました」
レオンは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「顔は、髪で隠れてて。
でも、服は……ボロボロで。泥だらけで。
でも、腰のあたりだけ、やけに赤くて」
「赤くて?」
「血だと思いました。
でも、よく見たら……」
レオンは、唾を呑んだ。
「小さな手形が、いっぱい、ついてたんです」
誰も、何も言わなかった。
老婆だけが、静かに頷いていた。
ギルドの中で、香の煙が、細く、まっすぐに昇り続けていた。
「そいつは、お前を見たか?」
「髪の隙間から、目だけが見えて。
真っ黒で、でも、涙が出てて。
それで、こう言ったんです」
レオンは無意識に、ギルドマスターが持っているダンジョンコアを見た。
「『つひに来たれり』って。
それから戦ったんですけど、何かあっさり倒せて拍子抜けでした」
そのとき、ギルドの奥から、ひょっこりと巫女服の少女が顔を出した。
黒く艷やかな髪を切りそろえ、透き通るような白い肌をしている。
顔立ちはおぼこいが、年の頃はレオンと同じくらいだろうか。
しかしその目つきは、妙に達観している。
「お館様、村長様。たった今、髪守様よりお導きを授かりました」
「おお、巫女どの……!」
場の空気が一瞬で改まる。
「髪をここへ」
「へ、へい! ただいま!」
村長がドタドタドタと踏み鳴らしながら、棚に置いてあった一房の髪を巫女に届けた。
「巫女さま、お持ちしましてございます!」
少女は超然としたまま髪を捧げ持つ。
そして頬を赤らめ、恍惚としたまま焦点の合わない目で言った。
「今、髪守様は、私の耳元で、こう、仰りました」
少女の影が突然伸びたように見えた。
――ッ!
突然、ギルドマスターが握っていたダンジョンコアを放り投げた。
その手は赤く焼き爛れ、しゅうしゅうと白い煙を上げていた。
「ぐぅぅ、な、何じゃ? これは……?」
そして、巫女と呼ばれた少女の声色が、変わる。
【 あな、見つけたり 】
血がほとばしる。
破裂した村長の胴が、どさりと床に落ちた。
『え――?』
一房の髪が、独りでに動いている。
それは少女の手の上で膨れ上がり、波打ちながら質量を増していく。
ギルドマスターは震えながら、小さなしゃもじを振りかざしたが、
「か、かか、かみもり、さまぁ、あ、あああ……!」
太い束になった黒髪が、大蛇のように首をもたげる。
「あ゛」
ばちん、と叩き潰された。
誰かが叫び、大勢が逃げ惑う。
ところが扉や窓が次々と閉まり、押しても引いても動かなくなった。
そうしてる間にも黒髪が這い寄り、逃げ場を失った人々は壁際に追い詰められた。
だが、レオンの立つ場所だけは触手が避けて通った。
――なんで俺だけ……俺が壊したから?――
彼は望むと望まざるとにかかわらず、最前列でこの地獄を目撃しなければならない。
「儂は! 儂らは! 髪守様を一番にお慕いしィ!」
するすると伸びた黒髪が村人の足を掴み、逆さ吊りにする。
「一番にィ! あひゃあ!」
ぶぅぅぅんと唸りを上げて振るわれる。
村人は壁に打ち据えられ、体を奇妙に曲げたまま動かなくなった。
「なんまんだぶなんまんだぶ……」
冒険者たちは、慄きながらも背中合わせになり、この怪異に挑んだ。
だが、剣を抜いた者から先に、黒い髪に抱きすくめられ、泡の混ざったような声を上げると、上下に泣き別れとなった。
狂乱の中心に、ただ一人、巫女だけがクルクルと楽しそうに踊っている。
どこからか歌が聞こえてきた。
阿鼻の叫喚、奈落の現出
逃げるる術なき、黒糸のひとや
荒神来たりて、罰を受くべし
レオンは声を押し殺し、黒い髪が世界を塗りつぶしていくのを見ているしかなかった。
そして――
ふと、音が消えた。
奇妙な静けさの中、聞こえたのは……
【 迷ひ子よ、報い奉らん 】
そこでレオンの記憶は途切れた。
―――――
鼻腔に、湿った土の匂いが広がる。
レオンが目を覚ますと、鬱蒼とした森の中で、一人きりになっていた。
ぼんやりする頭で周囲を見渡してみても、黒黒とした森が広がるばかりだ。
レオンは、喉がひりつくのを感じた。
じっとりと嫌な汗が背中を伝う。
最後に聞いたのは、笑い声。
狂おしく笑う、女の声が、今も頭の中で木霊していた。
固く握りしめた拳を開くと、そこには、血のように赤いクリスタルが、艶めかしく光を放っていた。
『主よ……』
誰かに話しかけられた気がしたが、もう耳を貸すことはしなかった。
レオンは長く伸びた影に気づかないまま、次なるギルドへと旅立った。




