27 テーブルマナーを守ろう 後
オレの背中から天辺に冷たい物が走る。
まったく気が付かなかった!気配がしなかった!
オレは驚いて声の方を振り向く。
きっとオレはバカみたいな顔をしていたと思う。本当に、声の主の存在に気付いていなかったのだ。
思わず掴んていたソーセージを放り出し、立ち上がろうとして足がもつれて転んだ。
「ぐぅ」
失態だ。
転んだ拍子に背中が椅子にぶつかり、喉から変な音が出た。
静かなロビーに椅子の倒れた音が響き渡った。
ヤバいヤバいヤバい。
オレは慌てて床に手を突いて上半身を起こす。
そこに……。
「……佐夜子……」
白いツバ広の帽子を被った真っ白いワンピース姿の少女がいた。
透き通るような白い肌は美白という言葉とは程遠く、死人の肌のようだ。
オレを真っ直ぐに見つめている瞳と、長い髪だけが、黒かった。
いつからいた?
気配は常に探っていた。
気の抜ける状況ではない。今はいわば、敵陣の中。流石のオレでもそんなマヌケなことはやらかさない。
なのに、この少女は目の前にいる。
「生は良くないわ」
幼さを残す高い声。
間違いなく、存在している。
なのに、気配がない。オレの感覚は少女がここに居ないと伝えている。
……幽霊。
そうや、あのボディーガードがそんなことを言っていたな。昔からある都市伝説だと。
幽霊もまた、怪物と言えなくもない。
「……この程度で腹なんか、壊すかよ」
震える唇を軽く噛んでから、オレはそう言い返した。
こんな少女相手にビビッてるなんて思われたくない。内心の焦りを抑え込み、平静を装う。
上半身を支えている腕がブルブルと震えているが、これは疲労からだ。
握り締めている拳も震えているが、それも疲労だ。
「見てたんだろ?オレもバケモノだぜ?」
この少女が敵側なら、オレと赤鬼となった谷口との戦いを見ていたはずだ。
オレが、虎のバケモノになったことも……。
この発言が少しでも牽制になってくれて、オレのことを手を出せばヤバい奴だと思ってくれればいいんだが。
今、この少女の仲間に襲われたら、オレはひとたまりもない。
不調すぎる。
「お腹を壊すわよ」
少女の声は平坦。
まるで感情はないみたいに、坦々としている。機械音声みたいだ。
最近の棒読み音声合成ソフトでも、もう少し感情的だろう。
オレの言葉をまったく気に留めていない。
オレと赤鬼の見ていなかったのか?いや、見ていなかったのなら、逆にオレの言葉に興味を示すはずだ。
「お前は何者だ?」
ドストレートで質問を投げかける。
だが、少女は表情を変えることはない。仮面の様に、表情筋の一筋すら動かない。
「食中毒に、なるのよ?」
そんなことは、聞いてない。
オレの言葉が、届いていない。
センサーで反応して録音された言葉を繰り返す、子供だましの人形を相手している気分だった。
「食中毒で、死ぬこともあるわ」
人形……。
ああ、幽霊よりもそっちの方がしっくりくる。
人間そっくりに作られた、動いて、言葉を話す人形。
「あなた、病気になるのは怖くないの?」
今、この人形少女を壊しておいた方が良いんだろうか?
この少女が、敵の関係者なのは間違いないだろう。そうでなけりゃ、こんなところには現れない。
敵なら、無害に見えても潰しておいた方が良いはずだ。
「あなたは、死ぬことが怖くないの?」
いくら今のオレが弱っていると言っても、この少女くらいなら簡単に壊せる。
「あなたも、死を求めてるの?」
少女は血色のない唇から、言葉を吐き出し続ける。
「あなたも、死にたいの?」
カッと、目の前が真っ赤になった。
自分が激高した時に気が付いた時には、オレは立ち上がり、少女の首を片手で掴んでいた。
そのまま少女の首を握り潰さなかったのは、その柔らかな手触りに理性が働いたためか、それとも、人間とは思えない冷たい少女の肌に恐怖を感じたためか……。
オレはそのままの状態で固まる。
少女の表情は、変わらなかった。
オレがわずかに力を入れれば、この細い首はへし折れるだろう。
首の骨はポキリと軽い音を立てて砕け、柔らかな肉も、その内側の気管や食道もろとも引きちぎれるに違いない。
なのに、オレは何もできない。
「……クソっ!!」
オレの喉から洩れた声は、涙で湿っていた。
どうしてだかわからない。なのに、オレは泣いているらしい。
やばいな。肉体が弱って、心までそれにつられて弱っているのか。
こんなの、オレじゃない。
オレに首を掴まれたまま少女はオレを見つめている。
何も映していないような、静かすぎる水面のような瞳。
それから目を離せない。
何もかも見透かされているようで、オレは逃げ出すことすらできない。
「うるせぇ!」
少女はもう何も話していない。
なのに、オレは自分が責められているように感じていた。
彼女の瞳が、同情を含んでいるように感じたから。
オレはただ一人、人間の中に紛れ込んだバケモノ。理解してくれる仲間もいない。この世界の片隅に隠れて、ただ生きているだけの存在。
父親も、死んだ母親も、人間だった。
オレは二人の中に隠れていた、バケモノの因子が重なり合い、生まれ落ちた。
オレは……バケモノなのは、オレ一人。
だからオレは、バケモノの本性を生かして働き、世界に貢献している気になって、生きていることを許されているだけ。
だから……。
オレを見透かそうとするな。
オレに、理解を示すな。
オレの、今までが、崩れてしまう。
「なんで……」
オレがバケモノだと知っている人間はわずかだがいる。
そういった人間の中には、オレに対して理解を示すような態度を取る人間もいた。
だけど、オレはその人たちの言葉に心を動かされることはなかった。
オレはそいつらと違うと、理解していたから。
バケモノのオレを、理解できるはずが無いと知っていたから。
裏切られて傷付くより、最初から信じない方が良いと考えていたから。
なのに、なぜ、オレはこんな人形みたいな少女に理解されたと感じているのだろう?
何も知らない、敵でしかない存在なのに。
オレは、こんなにも少女に理解されたことを嫌悪しているのに。
少女の首を掴んでたオレの手が緩む。
少女を開放すると同時に、オレは膝から崩れ落ちた。
嗚咽が漏れる。
オレは、やっぱり、泣いていた。
ダメだ。
こんなの、オレじゃない。
バケモノのオレに戻らないと……。
どれくらいオレは泣いていたのか。
気付いた時には、少女の姿は消えていた。
テーブルの上には、大皿に山盛りにされた焼いたソーセージとベーコンがあった。
それは、冷え切っていた。




