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第陸話「黒髪」(中)

 答えは得た。

 とは言え、どうすればそれを成し遂げられるのか。

 次に頭を悩ませるのは、そのことだった。

 委員長には訊けない。

 きっと「それは違うわ」と言われてしまう。

 でも、私はあの座敷童を、元に戻してやりたいと思っているのだ。

 これから先の犠牲者の為ではなく、自分自身の為に。

 それが二度の死を回避した意味だと、私は信じている。

 私に恨む気持ちがあるとすれば、それは座敷童に対してではなく、怪異はその在りように従っているだけなのだから恨みようがない、けれど、その在りようが本来のものでないのならば、見失わせた者は許せない。

 だから元に戻して、呪縛から解き放ってやりたい。

 委員長はもう、私に関わって欲しくないと思っているのだろう。

 安全にはなったけれど、自分のような人でなき者といてはよくない、なんて考えているに違いない。

 でもそんなの、私の知ったことではない。

 好きにやらせてもらうわ、悪いとは思うけど。

 まずあの“教室”に入ることは、容易いはずだ。

 私ならばむしろ招かれる客になるだろう。

 だがその後だ。

 委員長の言うように、気が違えてしまっているのなら、それをどうにかしなくてはならない。

 正気にしてやらなければならない。

 私はパソコンの前で、頭を抱え込んでいた向かっていた。

 何かヒントとなるようなものがあれば、そう考えたのだ。

「あら、これって……」

 幾つものページの中で、気になるものがあった。

 たとえばこの、荒魂と和魂とかいうの。

 神の二面性の話らしい。

 祟る神と加護する神は同一なのだ。

 力の方向というか、使い方次第で人の見方が変わる。

 不良が仲間には優しいから一目置かれる一方で、そうでない者には無茶苦茶やるから白い目で見られる、そんな話のようだ。

 これはまさに、今の座敷童を表す理論ではないだろうか?

 人々はその荒魂を鎮め、和魂とする為に供物を捧げたり、祭を行ってきたそうだ。

 供物もまた、座敷童が必要とするものだと委員長は言っていた。

 おもちゃや、お菓子が。

 ますますもって、よく似ている。

 神と妖怪は紙一重なのかもしれない。

 そして人も。

 不良だって、お菓子を与えたら少しは大人しくなるんじゃないかしら。

 今更お供え物をしてあげたところで無駄だと、勝手に思っていたけれど、そうではないのかもしれない。

「今からでも充分、これで正気に戻すことができるんじゃ……!?」

 一筋の光明が、脳天を貫いた気分だった。

 可能性があるのなら、やる価値はある。

 ──いや、待って。

 頭の中を影が過り、思考にストップがかかる。

 事はそんなに簡単ではないという、警鐘だ。

 一つ一つ、ゆっくりと物事を噛みしめていく。

 座敷童とは、幸福を与えたり奪う存在。

 おもちゃやお菓子が必要不可欠。

 つまり供物が。

 供物を与えてもらえなかった座敷童は、まず、家を出るんだわ。

 この場合は学校だけど。

 でもそれが出来ないから、おかしくなってしまった……。

 そうよ、彼女は出られないんだったわ。

 委員長は言っていた。

 以前は、学校内を自由に歩いていたと。

 そして今は“教室”だけ。

 自ら引きこもっているわけではない。

 創設者に頼まれた何者かによって、そういう封印とでも言うようなものを施されているんだわ。

 だから仮に、お菓子とおもちゃで正気に戻ったところで、外に出られなければ、また元の木阿弥だわ。

 何の解決にもなっていない。

 真の問題はそれよ。

 狂気の解消は目途が立っている。

 だから、封印をどうにかしなくてはならない。

 封印は今は“教室”だけなのか、それとも、学校全体と“教室”の二段構えなのかしら。

 私なら、二段構えにするけど……。

 そもそも封印ってなにかしら。

 私は呪術師ではない。

 そんなのはテーブルトークの世界でしかやったことはない。

 しかも剣士をやりつつ、踊り子をやりつつ、魔法使いをやりつつ、モンスターをやりつつ……という究極の兼業状態でだ。

 もっとよく調べる必要があるようね。

 今度ばっかりは、誰の手も借りられないのだから。

 ただ一人で、やらなければならない。

 私はキーボードを叩いて、思いつく限りのキーワードを打ち込んでいった。

 こうして自分から、進んで怪異の世界に手をつっこむのは、初めてのことだった。

 夜は知らず知らずに更けていく。

 慣れない作業は眼球に多大なる疲労感をもたらし、半ばうつらうつらとした意識の中で、ある単語が目についた。

 結界という言葉だ。

 フィクションでは、よく慣れ親しんだ言葉だ。

 結界とは境である。

 つまり区切り。

 その役割は神域と俗世とを隔てることであったり、タブーの視覚化なのだそうだ。

 立ち入り禁止の看板と同じだ。

 広義には襖とか、段差、地面に引かれた線一本だって結界と言える。

 なるほど、と思う。

 そしてあの“教室”はそれなのだと分かった。

 “教室”の内にとっては外がタブーで、外にとっては内がタブーという、両面看板なのだ。

 私はパソコンの電源を落として、部屋の電気を消して、布団に横たわった。

 では、どうすればその結界とやらは、壊せるのだろう。

 やはりと言うか、区切りとなる線を消すかなんなりすれば、それでいいのだろう。

 ともすれば、あの“教室”や学校に引かれた線というのは、どこなのだろう。

 自然な考えでは、学校の敷地と外とを隔てる塀とか。

 教室ならば、壁が境界線の役目を果たしてくれそうに思える。

 とにかく明日やるべきことは、決まった。

 今日はもう、寝よう。

 ほんと、疲れた。

 慣れないことなど、するものじゃないわね。



 私はケイコとの約束を反故にしてしまうことを謝ってから、学校内の探索に出かけた。

 彼女には本当に申し訳ないことをした。

 昨日「また明日」などと言っておいて。

 今度クレープを奢るという約束を、代わりに結ばされてしまった。

 結界は、世界を結ぶと書く。

 二つの隔たれた世界は、それでとても密接している。

 少しだけ前向きに考える。

 ならば、あちら側から、こちら側へと移すのは、難しいことではないはずだと。

 私は校舎から出て、そして正門から外へと出た。

 こうして考えると、門というのは結界に空く穴のように思える。

 二つの世界を結びつける、一本道だ。

 鳥居なんかもそうだろう。

 ここから普通に出ることは……無理でしょうね。

 それなら座敷童も苦労しない。

 じゃあ、と考える。

 逆に、と考える。

 ここにこそ、結界の要があるのでは?

 空いた穴を閉じる為の、何かが。

 私は再び門の内に入る。

 まだ登下校中の生徒が多いから、もう少しだけ校門から離れて、ひっそりと木陰に身を隠す。

 そこで出来るだけ他の人の目に入らないように、周囲に気を配りながら、そっと眼帯を外した。

 瞬間、灰色の半透膜が世界を包む。

 植木の緑も、青く澄み渡る空も、人も、色を失くして埋没し、そこには平面的な空間が広がり続ける。

 限りなく等しいこの世で、特別で唯一なものは、普段の生活の中では決して知覚することの出来ぬ存在たちだけである。

 ここは彼らの世界。

 私はそこに、この半身を割りこませているだけなのだ。

 開かれた門の間に、三本の線を視る。

 黄色い線。

 それは左右の支柱に絡みつき、ぴーんと張りつめている。

 下校をする生徒たちは、そのことに気付くことなく、そして阻まれることなく、すり抜けて行っている。

 即座に私は、それが結界であると確信した。

 やっぱり、だ。

 学校の敷地を覆うように存在している塀や柵も、私のこの左眼を通すと、ぼんやりとした黄色い光を放っているし、塀や柵を延長するように、灰色の空へと向かって光の壁が伸びている。

 本来の塀や柵の、五倍ぐらいの高さになるだろうか。

 壁は壁。

 私にはどうにか出来る気がしない。

 しかし線は細い。

 紐のように存在感が薄い。

 こちらなら、どうにか出来るのではないか。

 そう思わせてくれる、頼りない線だ。

 それは私の希望の線だ。

 私は校舎の方へと向き直る。

 灰色の校舎は、とても静かで冷たかった。

 死んでいると思ったそれが今はありがたかった。

 希望の死を抱く彼は、私たちを止めることなど出来ないどころか、導いてくれるだろう。

 線という意志が、壁という意志が、まるでないのだから。

 予想通りの連続に、私の体は確かな熱を帯び始めていた。

 私という意志の熱が、私の足を急き立てる。

 手早く眼帯を定位置に戻すと、学校は普段の姿を取り戻した。

 すると打って変わって、あたたかみを感じる。

 学校はそれだけでは空虚な箱だ。

 もしかしたら、私のこれからの行動は、ここを単なる箱と成す行為なのかもしれない。

 でも、私には関係のないことだ。

 意志を止めるのは、意志だけだ。

 私を阻むのは、あの黄色い三本の線と、この“教室”だけだ。

 私は遂に“開かずの教室”の前へとやってきていた。

 深呼吸をして、心臓をなだめる。

 周囲に人はいない。

 放課後となって、まだそんなに時間は経っていない。

 いつもなら隣の、私の教室に誰かが残っていて、たべっていてもおかしくない。

 そのくらいしか時間は経っていない。

 しかし、声は聞こえない。

 どこからも、校庭の運動部の気合いの声すらも届かない。

 ちらりと、窓からそちらを窺うと、サッカー部だろうか、男子が列を成して走っているのが見えた。

 けれど声はここまで届かない。

 もっと気合いをいれなさいよ、と心の中で無理難題を唱える。

 静寂という音は、私に生を感じさせない。

 今、この空間は彼らのものなのだ。

 私という、力の接近を感じ取ったのかもしれない。

 アンコウの光みたい。

 一度は落ち着いた心臓が、石炭を与えられた汽車のように、徐々に激しく、高鳴っていく。

 今はまだ視るだけだ。

 この左眼で。

 ただそれだけ。

 それ以上のことはしない。

 そう自分に囁いて、私は再び眼帯に手をかけた。

 瞼を上げる。

 白き眼が露わになる。

 色彩が灰色に塗りつぶされる。

 “教室”は赤く染まっていた。

 壁の隅々まで、決して教室の範囲を超えないようにキッチリと、ベタ塗りと言っていい、どこが扉かもわからないほどに、真っ赤っ赤だった。いやよくよく目を凝らすと、引き手のところだけ赤色が薄い。

 思わず吐き気がこみあげてくる。

 こんなにも、異常な場所がこの学校にはあるのかと。

 目の前の光景を受け入れるには、相当な覚悟がいることだった。

 それと同時に、私にこれをどうにかすることなど出来るのだろうかと、意志が揺れ動く。

 私は自らの頬を強く両手で、挟み込むようにして、はたいた。

 ぱちんと、いい音がした。

「大丈夫。できる。やる」

 呪文のようにそう呟く。

 それからまた、よく隅々まで“教室”外の赤壁を眺め視る。

 あらためて視ると、私のこの十数年の人生の中で、この灰色の視界に、ここまで鮮明な色を写し取ったことはない。

 特に赤は、初めてのことだった。

 この赤は……なんなんだろう?

 今までの犠牲者を表す色。

 つまり鮮血の赤だ。

 または座敷童の心の痛みを表す色。

 つまり血涙の色だ。

 あるいは、結界の色。

 黄色は危険信号で、赤は停止信号だ。

 どれも、ありえそうね。

 もっともらしく、よく三つも挙げられたものだわ。

 赤色の意味はとりあえず放っておくとして、もう少し、何がここを“開かずの教室”たらしめているのか観察しなくてはならない。

 先ほどの線、黄色い紐はわかりやすかった。

 ここにもそういう、障害を意味する標、意匠があるはずだ。

 もしも表にないのなら、後は中に入ってみるしかないけれど。

 辺りは静けさを保っている。

 まるで学校が私に味方しているようにも思えた。

 腰を下ろしたり、背伸びをしてみたりして、赤を瞳に焼き付ける思いで、壁を隅々まで注視する。

 何度も何度も、同じところを行き来する。

 私は名探偵とは違う。

 何かに気付くまで繰り返すつもりだ。

「……ない。ない、ない!」

 そして遂に、静寂は破られてしまった。

 サッカー部の練習和音が耳を震わしたのだ。

 それを合図にするかのように、私のいるフロアに続々と人影がやってきだす。

 最寄りの階段、談笑しながら下りてくる生徒。

 それが聞こえて私は、素早く左眼に眼帯を戻した。

 そして、素知らぬ顔でその場を後にする。

 そのままトイレに直行し、誰もいないことを確認してからようやく、私は安心して悔しさを表情にできた。

 なにもなかった。

 黄色い線に対して、あそこには立ち入り禁止看板らしきものはなかった。

 もしくは仮説の一つ、赤色の壁全てがそれなのか。

 その判断は今はしようがない。

 私は大きく溜息を吐いてから、なんとなく冷たい水で手を洗おうと思って、汗でべっとりしていることに、それで気付いた。

 女子トイレから出ると、入ろうとする委員長と鉢合わせした。

 いや、彼女にトイレは必要ないのでは。

 じゃあ、探していた、のだろう。

「柳田さん、やっぱりまだ帰ってなかったんですね」

「ええ、ちょっとね。忘れ物をして」

「早く帰りなさい。だいぶ安全になったとは言え、夜は私たちの時間ですわ」

 もしかして、私が何をしようとしているのかバレてしまったのかもしれない。

 ここで彼女の顔を見た時、そう思ったが、どうやら杞憂……委員長は単に私が校内に残っているのを察して、警告をしにきただけらしい。

「うん、そうする」

「正門まで送りますわ」

「ふふ、子供じゃあないわ」

 久しぶりに彼女とちゃんと話せて、私は心からほっとしていた。

 そしてそれが勇気になる。

「それじゃ、また明日ね」

 言いながら、私は胸のあたりで小さく手を振る。

「明日は休みですわよ」

「そうでした。それじゃ、ね」

 そう別れの挨拶を交わして、私は真っ直ぐと家路につくのだった。

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