ピンポーン
「ピンポーン」
しばらくして、もう一度鳴る。
「ピンポン、ピンポン、ピンポーン」
この繰り返しが、朝の四時に始まる。
「借金取りかよぉ」
どこの家も静かで、皆が眠っている時間だ。
耳障りな音が部屋に響く。
「まただ」
俺は、布団の中で、身悶えた。
仰向けになり、腕を瞼に置く。
泣きたい。
「あーっ、もう」
午前三時半過ぎ、ようやく寝床へ入ったばかりだった。あくびが出て、涙目になっていたが、目が冴えてしまった。左手で伸びた髪を掴み、引っ張る。
「どうせ、出ても、走って逃げてくんだよなー」
舌を鳴らし、掛け布団を派手に剥いだ。布地の縫い目から外に出た、小さな羽毛が空中に舞う。
「魂の抜け殻みたいだな」
俺は、揺蕩いながら落ちる羽毛を見つめていた。
「ふーっ」
鼻息を荒く吐き、壁のインターホンへ向かった。
「はい、はい、はい」
そう言う間も、ピンポンは止まらない。
インターホンの前で、腰に手を当て、数秒考えた。息を一度大きく吸った。
「今日は、絶対に捕まえる」
直接、玄関へ行くことにした。
俺のショッキングピンクのボクサーパンツは、やる気に満ちていた。
右手を冷たいドアノブにかけ、全身の力を込めて、一気に押した。
見開いた目が俺を見上げている。
「べかー、べかあー」
赤い舌を顎まで垂らしている。赤ん坊か?男か?涎を垂らし、笑いかけてくる。
「えっ?お前、ダメだろ」
かろうじて、言葉にしたが、語尾が消えていった。
俺が、赤ん坊の毛のない頭を叩こうと手を上げても、まだ笑っている。しかも、心底、楽しそうに笑う。
上げた手を下ろし、そのまま、指で鼻の脇を掻いた。
俺の頬には、エクボができているはずだ。
「俺は、決して笑ってないぞ」と目力を強くする。
妻のユキが「困った時に、出るよね」と指差した、エクボだった。
「こいつ、まじ、変だろ」
腹を突き出した姿は、子供にも見えた。金太郎のような腹掛けをしている。
「べかー」が、もう一度聞こえた。
「ベかー」の太った指は、呼び鈴に置かれたままだ。
「そんなに、抑えなくても良いのでは?」と問いたくなるほど、指先が赤くなっていた。
どんなベルだって、壊れる。
「これは、子どもか?いや、おじさん?」
俺は何度も首を傾げた。
開けたドアを掌で押さえて、突っ立っていた。
「そうだ、ここで、誤魔化されてしまってはいけないんだ」
俺は、こいつにピンポンダッシュをやめさせないとならない。
「べかーって、言ってもさ」
そう言って、俺は唾を飲み込んだ。
その時、ドアの陰から、男の渋い声がした。
「来いよ、べか太郎。こっちだ、来いって」
俺は驚いて、声の方を見た。
「もう一人いるんだな」と、内心で呟いた。
俺は、その男と対決するために、ドアの裏に回り込んだ。
素足が廊下に「ぺたり」と吸いついて、鼓動が少し速くなった。
目の前には、牛の顔があった。
しかも、どちらかといえば、わずかな身長差で、俺が見下ろされている。
牛の中でも整っている顔立ちかもしれない。あの、呆けたような目つきもないし、反芻による口の忙しない動きもない。その男前の牛は、肩を落として、「ふうー」と吐息した。
次の瞬間、俺の膝から力が抜けた。ちらちらと白目になり、気を失う手前だった。
俺は、無意識に、ドアノブを探して、すがりついた。えづきが喉の奥から押し寄せてくる。
「うおっ、うおっ、うおー」
「あはは、えづいてる」
べか太郎が俺を指さして笑うのが、涙目に見えた。




