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巻末付録:ちるひめ考

はじめに)

 私の父は民俗学者でした。母はかつて家の風習により将来を失いそうになったそうです。ですが、父と婚約したことにより、その風習から解放されました。

 父は私の祖父にあたる蒼月真実教授に師事し、民俗学者として研究をしておりました。その研究というのが、私の母が当主を務める蒼月家の風習でございます。父と母にはそれぞれ双子の兄姉がおりますが、当時、兄弟姉妹のどちらが各々の家を継ぐかで一悶着があったとか。結果として伯父は父の生家である久瀬家を継ぎ、伯母が嫁入りする形となったため、母が蒼月家を継ぎ、父が婿入りする形となったそうです。今は私が母から蒼月家当主を継ぎましたが、母の代より以前のような風習はすべて撤廃となったため、私はただ本家に住んでいるだけの者でございます。

 父は生前、研究について広く公開することはありませんでした。ですが父が亡くなり、この遺稿を読んだ私は、蒼月家の歴史だけではなく、この国そのものの歴史の深淵をのぞき込むような印象を抱きました。我が家のことでありながら、私は母の一族に関する風習についてあまりにも無知でした。父の遺稿を受け継ぐには学者としての見地も浅く、一族を語るには無知すぎる。ゆえに、父の遺稿を後世に残したく思ったのです。


――蒼月次行氏娘の言葉より――




ちるひめ考)


一、〝ちるひめさま〟について

 明治三年。廃社となった旧蒼月神社は〝ちるひめさま〟を祀っていた。蒼月神社は無格社であり、古い時代から存在するものの、延喜式神名帳にも名が見当たらない。その理由は蒼月神社の成り立ちと祭神〝ちるひめさま〟にあると考えた。


 イ)ちるひめさま

 〝ちるひめさま〟とは、鹿児島県日置郡阿多村にあった蒼月神社にて祀られていた神である。正式名称を〝木花知流比売コノハナチルヒメ〟と言う。


 ロ)木花知流比売

 コノハナチルヒメの記述は『古事記』に名前と系譜が見られる。『日本書紀』に記述なし。コノハナサクヤヒメ、イワナガヒメと並び、オオヤマツミのもうけた神の一柱。スサノオノミコトとクシナダヒメの子であるヤシマジヌミと婚姻を結ぶ。その系譜はオオクニヌシへとつながり、十七世神とおまりななよのかみと呼ばれる。同様に十七世神の系譜を記述している粟鹿神社の『粟鹿大明神元記』の竪系図には〝木花知利比売〟と記述される。蒼月家に伝わる家系図は〝知流姫〟の名から始まり、百代以上にも渡り家系を繋いでいる。



二、蒼月家の風習について

 蒼月家には双子を同一人物として扱う風習がある。その由来について考察する。


 イ)ウケイ

 同地域において、双子は〝ウケイ〟と呼ばれる。〝ウケイ〟は本来占いの一種で、『古事記』『日本書紀』において、重要な場面で誓約の意味を持って行われている。記紀において、オオヤマツミがニニギノミコトへイワナガヒメとコノハナサクヤヒメを嫁入りさせる場面がある。この神話を中心に、誓約としての〝ウケイ〟と双子の〝ウケイ〟の関連性を今後、調べていきたい。


 ロ)奇形児

 蒼月家では稀に奇形児が産まれる。産まれた奇形児は神域内に捨てられる。神域内に存在する頭蓋骨の数を数えたところ、確認できただけでも六十九存在した。これは一般的に考えても異常な数である。おそらくは蒼月本家より剪定された分家の隠れ里〝喪月衆〟で産まれた赤子たちもここに捨てられたと考える。


 ハ)婚姻

 前項において奇形児を神域に捨てることを挙げたが、この奇形児が産まれるというのは〝喪月衆〟を含む近親婚による長年の弊害がもたらしたもので間違いない。久瀬家が父雪代、子長幸の二代に渡り、遺伝学的見地より蒼月家の婚姻による近親婚について研究していたが、この奇形児や双子が他より生まれやすいというのは、やはり長年の近親婚による弊害であると断定した。



三、蒼月神社の神域について

 蒼月神社の神域は洞窟となっている。入り口の一つは神社側にあり、蒼月邸敷地内にも通じている。他、洞窟の裏手には隠されし〝喪月衆〟の集落に通じる道も存在する。この洞窟には儀式的意味が強い遺物が残っており、子々孫々と伝えてきた〝ちるひめさま〟との強いつながりを示している。


 イ)〝磐可行左。花可行右。〟

 洞窟に入ってすぐに一つ目の岐路がある。その岐路には〝磐可行左。花可行右。〟と書かれた岩があり、左の道へ進むと御神木への道、右に進めば儀式場の一つへ繋がる。

 ここはおそらく、オオヤマツミによる、ニニギノミコトとの〝ウケイ〟を象徴する場だと考えられる。記紀において、イワナガヒメは長寿の象徴、コノハナサクヤヒメは繁栄の象徴として、ニニギノミコトの元に嫁ぐが、イワナガヒメはその醜さを理由に、追い返されてしまう。阿多に残る者が神域を守るものとされ、イワナガヒメを意図する〝磐〟の道が御神木へ通じるのだろう。コノハナサクヤヒメの道については後述する。


 ロ)〝此明也、其山子也〟〝照・遠・勢の篝火〟

 〝花〟の道を進むと十字路がある。三つの通路はそれぞれ特徴的な篝火が置かれている。

 正面右手より〝照〟の字が書かれた背が高い篝火。正面に〝遠〟の字が書かれた奥のほうにある篝火。正面左手に〝勢〟の字が書かれた全体的に大きい篝火。三種の篝火の軸には全て、〝此明也、其山子也〟と書かれている。

 この篝火はコノハナサクヤヒメが産んだとされる三柱の神、ホデリ、ホスセリ、ホオリを指す。

 〝照〟の道は壁画のある儀式の場へと繋がっており、〝遠〟の道の先には後述する〝首なしの石像〟がある間へと繋がっている。この二つの道はそれぞれの最奥の間が隠し通路で繋がっていた。残る〝勢〟の道は御神木へと繋がっている。

 私は初めてこの三択の道を見た時に違和感を覚えた。通常、コノハナサクヤヒメが産んだ神には順序があり、ホデリ、ホスセリ、ホオリの順が古事記での記述となっている。というのも、ホデリが火が燃え始める頃の意、ホスセリが勢いよく燃える意、ホオリが勢いが衰えた意を持つためだ。

 ではなぜこの通路において順列がおかしいのか。それは過去の篝火に真相が隠されていた。蒼月家の宝物庫には洞窟内の儀式具に関する書物が残されており、そのうちの一つに篝火についても記述が見られた。その記述には〝明〟の文字が刻まれており、本来〝照〟は〝明〟であったことが分かった。また篝火の軸にある〝此明也、其山子也〟についての記述も見受けられず、これらは後世、手が加えられたものであった。

 本来の篝火の意図としては〝明・遠・勢〟となり、〝ホアカリ・ホオリ・ホスセリ〟または反対に〝ホスセリ・ホオリ・ホアカリ〟の並びとなる。後者は『日本書紀』に近しい表記になるが、〝ホアカリ〟に関して『古事記』ではニニギノミコトの兄である説もある。この篝火については蒼月家の伝承においても不明瞭な部分があるため、要研究。


 ハ)〝首なしの石像〟

 〝遠〟の道を進むと〝首なしの石像〟がある。これはオオヤマツミの化身と考えられる。諸説あるが『日本書紀』一書第八によれば、オオヤマツミはイザナギノミコトがカグツチを切り捨てた時に、カグツチの頭より生まれた神の一柱である。この首なしの石像がカグツチとするならば、失われている首がオオヤマツミと考察はできる。オオヤマツミが元々火の神であるカグツチの身体の一部と考え、その源である炎をこの首なしの石像の頭に置くと、隠し通路が見える仕掛けとなっている。


 ニ)〝火中出産の壁画〟

 〝照〟の道の最奥には壁画がある。壁画に描かれているのは燃え盛る赤子を抱く女神だ。この道は〝遠〟の道とも繋がっていた。それぞれの道が示してきたオオヤマツミもホデリ(ホアカリ)も火から生まれる。この壁画の間には儀式の際、多くの火が焚かれ受胎の儀式が行われた。コノハナサクヤヒメが成した火中出産と類似した儀式である。この受胎の儀により生まれた子は母胎ともども隠れ里へと隠されることで、蒼月家の十八の日の儀式が終了する。


 ホ)御神木

 イワナガヒメとホスセリの道の先にあるのは、御神木の場だ。洞窟の天井がなくなり、崖のような場所に水が流れ込み湖のようになっている場所がある。その湖の中央に青い岩桜が生えており、これが蒼月神社の御神木とされる。

 この御神木は〝岩、花、水〟の神の体現であるとされ、イワナガヒメ・コノハナチルヒメを内包する〝ちるひめさま〟の正体だ。



四、十八の日の儀式について

 蒼月家には満年齢で十八歳になると、〝ウケイ〟から次代の〝かんなぎ〟を選定する儀式が行われる。


 イ)かんなぎの選定

 〝かんなぎ〟は女の〝ウケイ〟から選ばれ、姉がなる習わしだ。それまで同一人物として育てられる〝ウケイ〟であるが、この時に初めて姉妹の区別がつけられ、姉は〝かんなぎ〟として蒼月家の当主となり、妹は次代の〝ウケイ〟を生むために〝喪月衆〟と契りを交わすこととされてきた。


 ロ)盟神探湯由来の釜

 十八の日の儀式に使われる大釜がある。洞窟内でも分かるように、火は〝人の道〟の象徴である。コノハナチルヒメはその名前からも水を司る神としての側面もあったと考えられ、湯を沸かすという行為自体が神聖な儀式となっている。

 またこの湯を沸かすという行為について専門家から興味深い話を聞いた。

『古来から盟神探湯(くかたち)と言って、湯に手を入れて火傷の有無によって正邪を判断する占いが存在するの。これだって〝ウケイ〟の一種よ。―占い師、炯々の言葉―』

 この〝クカタチ〟という言葉は蒼月家特有の祝詞にも出てくる。後述するが、おそらくこの〝クカタチ〟が〝ちるひめさま〟を象徴する行為の一つだろうと考えられる。


 ハ)祝詞

 蒼月家に伝わる祝詞は主に二種ある。

 一つ目は御禊のための祓詞に類するものだ。

〝かけまくもかしこきオオヤマツミの神。吾田の長屋の笠沙の碕に。クカタチし給ひし時に生り坐せるウケイの大神たち。もろもろの神意によりて禍事罪穢れ有らむをば。祓へ給ひ清め給へと白すことをきこしめせと。かしこみ、かしこみ白す。〟

 この祓詞は、一般的な神道における祓詞の形式に則ったものだ。一般的な祓詞ではイザナギノミコトが黄泉の国より帰還した際に御禊をして神産みをした描写から浄化の加護を得るものだが、蒼月家のこの祝詞はオオヤマツミのウケイの描写を示している。〝クカタチし給ひし〟とあるが、このクカタチが盟神探湯であるとしたら、オオヤマツミの〝クカタチ〟により〝ウケイの大神〟が産まれたこととなる。この〝ウケイの大神〟こそがイワナガヒメであり、コノハナチルヒメであり、コノハナサクヤヒメであったのだろう。

 そしてもう一つ祝詞が存在する。

〝ちるれ、ちるれ、ちるちらん〟

 儀式中、何度となく唱えられる短い祝詞であるが、これに籠められた意味については定かではない。祝詞中に三度または四度〝ちる〟という言葉が出てくる。黒川真頼や大槻文彦らの詞の研究を参考にすると、おそらくは後続する活用形より、前半の〝ちるれ〟においては〝ちるる〟が正しい語源、後半の〝ちるちらん〟に関しては〝ちる〟が二度重ねられたものだと考える。〝ちるる〟には関しては語意が定かではないが、〝ちるひめさま〟に関連して〝知流〟から来るのではないかと考察する。後半の〝ちるちらん〟は前述したように〝散る〟を語源とするのならば「散る、散るだろう」の意味をなす。この二語の接続が意味するものについて、今後、語学者による研究に期待したい。


――蒼月次行著『ちるひめ考』より――


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