第十五章 逆転裁判 5
「森林警備隊?」
初めに反応したのはシグムンドだった。「要するに、ゼント渓谷の狩人隊ということか?」
「何者だ、それは。君の配下なのか?」と、主席判事が怯えた声で訊ねる。
「先月まではある意味そうでした。有事には国境地帯のウーゼル城守備隊長の指揮下に組み込まれるという意味では」
「なら、その連中は君の命令には従うんだな?」
「おそらくは」
宮廷貴族みたいな銀髪巻き毛の傭兵隊長が冷静沈着に応える。
「ならすぐに行って騒ぎを鎮めてきてくれ。衛兵たち!」
「は!」
「姫君とそこの女傭兵を念のため捕縛しておくように!」
「仰せのままに!」
武官たちが一斉に動き始める。
大扉の左に控えていた一人がアマーリエの傍へとやってきて、申し訳なさそうに耳元で囁いた。
「失礼いたします姫君。しばしのご辛抱を」
柔らかくも有無を言わさぬ口調で告げるなり、両手首を後ろ手で拘束して、妙に滑らかな手触りの縄をかけてくる。
結び目はごく緩かった。
見れば、フレデリカも、こちらは実に三人がかりで、両腕を後ろに戒められていた。
白地に青いパイピングを施した聖ニーファのローブ姿のレナーテとシュミットだけが、戒められずにベンチに腰かけている。
どちらも完全に仮面のような無表情で、何の感情も読み取れない。
アマーリエは心臓が激しく脈打ちだすのを感じた。
一体、今外で何が起こっているのだろう?
--考えるのよアマーリエ・フォン・ヴェルン。自分と皆とを救う方法を。次に何をすればいいのかを落ち着いて考えるのよ……
どくどくと脈打つ心臓の音を体の中のドラムのように感じながら沈思に耽っていたとき、不意にまた外から扉が開いてシグムンドが戻ってきた。
背後に二人の人物を連れている。
一人は見覚えのある赤毛の大男だった。
ゼント渓谷の狩人頭だ。
印象的なあの海のように青い眸に燃えるように激しい怒りを湛えている。
狩人頭が、まるで大切に守るように肩を抱いているのは、黄褐色の長めのマントを羽織った小柄そうな人物だった。フードをすっぽり被っている。
アマーリエは一瞬ヨハンかと思った。
「お目汚しを失礼、主席判事閣下」
シグムンドが余所行きの物柔らかなテノールで言い、傍らの赤毛の大男を見やって続ける。「これは件の森林警備隊の長を務めるゼントファーレンのロドバルトと申します。南部地方一体で大いに話題になっているこの裁判に際して、極めて重要な証人を伴ってきたと申しております」
「証人?」と、主席判事が訝しそうに応じる。「何者だ?」
「彼です」
シグムンドが簡潔に言う。
同時に、小柄そうな人物が自らフードを外した。
その下から現れたのは、南方系らしい黒っぽい巻き毛と黒い髭、黒々と太い眉をそなえた五十がらみの男の顔だった。
途端、シュミットがベンチから立ち上がったかと思うと、悲鳴じみた叫び声をあげた。
「お前、なぜ生きている――……!!」
「教えてやるぜ祭司長さまよう」と、ロドバルトが低く唸るように応じる。「この俺が助けたからに決まってんだろ! 町場の連中がどう思っているのかは知らねえがな、俺たちは金を貰えば何でもする無法者じゃねえんだ! ――おい主席判事さま、こいつはゼントファーレンのカルロ・アントネッリだ! 俺はそこにいるお偉い祭司長さまから、この罪もねえハルコニア人を殺せと命じられたんだ! 相棒の仇の《赤翼》を好きにさせてやる代わりにってな!」
「え、おい、何の話だ?」と、フレデリカが狼狽える。「私はお前の知り合いなんか殺した覚えはないぞ?!」
「俺の相棒はイヌワシのエラードだよ! 偵察中だったのお前らが射殺したんだろうが!」
「なんだ、そんなのお互い様だよ!」と、レナーテが参戦する。「あなたのイヌワシだってファルコとムニンを殺しているんだから!」
「誰だよファルコとムニン!」
「エルンハイムの聖ニーファ女子修練院の警備部が飼っていた隼と烏だよ! そっちは一羽でこっちは二羽なんだから、差し引き一羽でそっちが弁済するべきだよ!」
「ふざけんなこの女、相棒の命は金じゃねえんだ!」
レナーテとロドバルトという共通点皆無の二名が、妙によく似た口調で怒鳴り合い続けている。
しかもだんだん論点がずれていっている。
呆然としたまま成り行きを傍観していた主席判事が、ハッと我に返って、手元の木槌で繰り返し円盤を叩いた。
「みな静粛に、静粛に――!」
ようやく室内が静まったところで、主席判事は改めて、新来の黒髪の男に訊ねた。
「あなたはカルロ・アントネッリか?」
「はい閣下。わたくしがアントネッリでございます」と、男が微かなハルコニア訛りで答え、きっと首を持ち上げると、今もって狼狽えた様子のシュミットを睨みつけた。
「わたくしは自白いたします。フォン・ヴェルン男爵閣下から調査を依頼された未開封の滋養強壮飲料のなかに鳥兜が含まれていたという報告は虚偽です。虚偽の報告をするようにと、そこにいるゼントファーレンの聖ニーファ祭司長から強要されました」
アントネッリがそう言った瞬間、アマーリエは全身の力がどっと抜けてゆくような安堵を感じた。
推測はやはり合っていた。
ついに冤罪が晴らされるのだ。
カルロ・アントネッリの証言のおかげで、そのあとの裁判は迅速に進んだ。
アントネッリに続いて、急遽呼び出されたフォン・ヴェルン男爵家の侍医ハイデリッヒも、アマーリエが作った滋養強壮飲料に鳥兜が含まれていたというのは虚偽だったと認めた。
「主席判事閣下、わたくしはエルンハイムの聖ニーファ男子修練院長から、姫君に冤罪を着せるようにと強いられたのでございます」
ハイデリッヒはまるで被害者みたいな顔つきで悄然とそう自白した。
ゼントファーレンの聖ニーファ祭司長ランドルフ・シュミットも同じ告白をした。
やはり、危ぶまれていた通り、アマーリエに冤罪を着せようとしたのは、エルンハイム聖ニーファ女子修練院と対立する男子修練院の長であったらしい。
「――どうやらフォン・ヴェルンの姫君は、ずいぶんと大きな策謀の一端に気の毒にも巻き込まれてしまっただけのようだな。姫君を助けようとなさった聖ニーファ女子修練院長アデレード殿下の冤罪も晴らしてさしあげなければ」
若い主席判事はそう結論付け、裁判の結果をすぐさま首府ハルトシュタットへと送った。
一か月後に早馬を連ねて報告が届いた。
反逆の容疑で拘束されていたアデレード・エルフェンバインの疑いが晴れ、再びエルンハイムへ戻ったという知らせだった。




