女公爵クルシェ嬢 家庭内労働中殿下の急襲に遭う
五家和解案は私が提案したままの形で採用された様で、詳しい事を詰める為、学園までアレックス殿下が迎えに来てから今日で3日となる。
あの時王宮の一室には、声を掛けられた商人が待機して、既に見本となる物を広げていた。
唖然とするしか無い。
小さい石の付いたカフスやタイピン。ブローチと髪飾り。
近頃出回り始めた、携帯できる筆記用のペン。洒落たペーパーナイフ。
レースのあしらわれた物や、鳥の羽の使われた扇子。
…どれも、個人的なお返しやお詫びと考えれば無理は無い。無いのだが…。
大人数分を用意するのには、ほんの少し高価な物だ。
「あの、アレックス殿下?」
「どうだろう? 直ぐに候補があげられればと用意させておいた」
「殿下? 王家はどれだけの物をと考えているのでしょうか? 他の家との擦り合わせは出来てますか?」
この中から選ぶにしても、当事者関係者を引いても2~3数百となる筈。
まず、同じ物の生産はあるの?
「陛下も三家も、俺とクルシェ嬢に任せると言ったから心配は無いよ」
えっ? 心配大有ですよ?
まず、生徒の全人数と男女別数。
それを伝えると、名前のリストを見せられた。
良かった…。数から始めないですんだわ。
等々のやり取りを終え、子息にはイニシャルを刺繍したハンカチ。子女にはレースのリボンとなった。
高額の取引を期待していた商人だったが、子息子女別であっても同じ物の用意に日数がかかる事から穏便に諦めてもらった。最短5日以内にお届けだ。
だが、商人として名を上げる提案を一つ。これは、アレックス殿下が言い出したのだが、この商人の抱える職人だ。印刷…スタンプか? これの飾り文字などが、とても美しいのだそうで、メッセージカードに其れを使いたい。カードを手にした者も、こんな使い方があったのかと興味を持つ筈。そして生まれる商談のチャンスを手に入れる事の大切さを知っている者なら、この勝機を逃せないと思ってくれるだろう。…と。
駄目かと思ったが、使える所のある人で良かった…。
そんなこんなで今…私の目の前には憎くて仕方の無い、八つ裂きにしても飽きたらないヤツが我物顔を晒す。見るのも、触るのも嫌だ!! こんな物を押し付けてきた殿下が憎い!!
私は、ようやく数を減らしてきた白い悪魔を睨み付けた。
白い悪魔…宛名を書かなければならない封筒である。
コレのせいで、皆と触れ合えないっ。
そう3日…もう3日、私は執務室に缶詰だ…。机上の孤独。ヘコタレそうだ。
品物も決まり、カードのメッセージも決まり…、順次配達。そこへ立ち塞がった問題。宛名書きである。
ご親切なアレックス殿下は、半分…いや、それ以上を押し付けてきた。
殿下は女性に。私が男性に。異性からの文字の方が、貰った者も嬉しいだろうと…。落とし穴だった。学園生は、学園の特性上男性の方が多いのだった。
残す氏名は、あと15通程。もう一息だと思うものも、集中が切れてしまって如何ともし難い。
今日中には終わす事が出来るだろう。段取りの通りなら、3日後の舞踏会前日には、皆の手元へ届く。今年最初の舞踏会。そもそも…これに間に合わなければ意味が無いのだ。
何だかんだで集中出来無いままで居たら、外が騒がしいのに気が付いた。
こっちが騒がしい何て珍しい。
手を止めてしまっていると、ノックの後の開いたドアから、ダリル兄様が執務室へと入って来た。
ダリル兄様は一番上の異母兄で、レイナード家の執事をしている。
「なぁに?」と、問うと、「お客様が」と返ってきた。
って? 何でダリル兄様の後ろに居るのですか、アレックス殿下?
「応接室へ」と言っても、「問題無し」とすり抜ける様に部屋へ入って来た。
アレックス殿下の腕の中には、白バラと青い小花でまとめられた花束。机を挟み、目の前に立つ。
思わぬ事で呆気に取られてしまったが、立ち上がって受け取れという事だろう。
その前にアレックス殿下。…殿下は、この白い悪魔の撃退を終えたという事です…ね?
「アレックス殿下? 淑女が淑女たるには、時間という物が必要ですの」
困ってしまいますわと視線を落とす。
飾りの無い紺色のワンピースの部屋着。それ程親しい訳でも無く、また、身分のある者の前に立つには相応しいとは言えない装い。
家人だって止めているのに、普通はここ迄入り込まないでしょ?
「十分可愛いぞ! 兎に角、時間何て必要無いだろ?」
それよりも「これ」と、花束を強調する。
何を考えているのでしょうか?
受け取れって事ですよね。仕方無く立ち上がり、アレックス殿下の隣へと立つ。
押し出される様に、白と青のコントラストが目の前を塞ぐ。受け取ろうと両手を広げたら、右手を取られた。左手には花束分の重み。視線を下げたら、騎士の様に跪くアレックス殿下。
「はぁ?」
思わず出た声。
軽く乗せる様に私の手を持ち上げる。
ですが殿下…添えたその親指で、私の指先押さえてますよね? 押さえるの好きですか?
「クルシェ嬢! 私に、今度の舞踏会での初めてのダンスを踊る相手として、貴女の手を取る栄誉を与えては貰えないだろうか…」
何を言っているのだろう? 一瞬の思考の停止。
グワッっと言われた事が頭の中で暴れる。理解すると同時に右手を抜き取り、左手に持っていた花束をアレックス殿下の顔へと押し付けた。
「お断りします!」
「断るのか?」
花の向こうから溜息。
「お断りします!!」
念を押す為にもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「そうか…残念だ」
もう一度の溜息の後立ち上がる。意地悪な色を含んだ視線。
からかっているのですか? ムッとしたので、返すとばかりに花束をグイグイと押し付ける。
「そのまま貰ってくれ」
貰ってくれと言われても、意地悪の人からはいりません。
グイグイグリグリと、それでも押し付けていたら「ふざけて悪かった」と言ってくれたので、受け取りました。
仕方無く侍女へと渡し、アレックス殿下へと向き直す。
執務室は、私の代で模様替えをした。重厚な執務机はそのままなのだけれど、応接用のテーブルとソファーが、対面で二人用。誰かが来るのを想定していないから、コレは可愛らし物を使っている。そして毛足の長いラグにフリルのクッションが転がっている。だけだ。
招く人を選ぶ設えで、殿下や御付きの方を通す様な部屋では無い。
なので応接室へと移動をお願いしたい。勿論、着替える時間も欲しい。
「申し訳ありませんが、応接室の方に移って頂いても?」
「ここで構わないぞ?」
片眉を持ち上げるアレックス殿下。
ここまで立ち入られて、私はとても困っています。もしかすると、怒っているかもしれません。
「移動をお願いしますわ」
7歳で公爵位を継いで9年。家人や親族以外は、この部屋に入った者は居ない。屋敷自体も、人は招いてはいない。
乙女よろしくと飾り立てている訳では無いのだけれど…。見られて、不都合という訳では無いのだけれど…。
自分の中に立ち入られた気がして、見慣れた部屋なのに居心地が悪い。
「お願いしますわ」
貼り付け笑顔でもう一度。大切な事ですので、繰り返します。
「なら、家族の食卓に案内してくれないか? エドガーが、どういったものかと気にしていたから」
この場合は、食事に誘ってくれでは無いですよね? それに、正餐室は勿論ある。が、そんな物…お母様が屋敷を出てから使用した事なんか無い。
エリアナは使用人の食堂と言い。私は、アレックス殿下が言った様に、家族の食卓と言った。受け取り手の見方によって、違うものである様な表現だ
案内しても大丈夫だろうかとダリル兄様を見る。静かに入口に控えて居る。何か問題がありそうには思えないし、駄目という訳では無いのだろう。何かあれば、そう言ってくれる筈だから。
「いいですわ。ですけど、案内させますので、先に行っていて下さいませんか?」
アレックス殿下は同意し、ダリル兄様を先頭にイヴァン様とレイン様を連れて部屋を出た。
素直に部屋を出てくれて良かった。着替えるは無理でも、せめて靴だけでも履き替えたい。
今の私は、マキシマム丈のワンピース。お気に入りだが、足裏はふんわりとしたクッションで、レースをあしらった室内履き。締め付けもなく、リラックス出来る出で立ちだが、高位貴族の子息を前に余りにも油断した姿を晒している事になる。
取り敢えずと、足元だけはとりかえ部屋を出た。拭えない気鬱から俯いていて気付くのが遅れたが、アレックス殿下がそこに居た。
視線の先には、布を掛けたままの花台。シンとした奥へと続く廊下。
「2階は使って無いのか?」
「必要無いですから。そもそも、2年前から寮ですし…」
「そうだな」
「あ、家財差し押さえでは無いですよ? 没落の心配は無いと思いますの、多分…」
クスッと頭の上で笑ったのが伝わった。固い視線を奥へと向けていたようだか、様子が柔らかくなった様で良かった。
歩き出すと、アレックス殿下が隣へと並ぶ。
「さっきのアレ…」
「…アレ?」
「ダンスのパートナーだが、出来れば受けてくれないか? 本当はエドガーで頼みたかったが…」
モゴモゴとして、歯切れが悪い。何でしょうか?。
「エドガーは他の3人と一緒に、第二師団に放り込まれてる。そして、ランスとルキスは、この夏の成人が見送りになった」
まぁ、それはお気の毒です。ですが、当たり前の事と思います。
男女共、16歳の夏…舞踏会への参加を経て成人となります。成人したと、周知してもらう為の舞踏会と言った処ででしょうか? ですが今回、やらかした事は、まるっきりの子供です。深く考えるでも無く、成人出来無い子供という事です。反省と自覚を本人に促す意味があります。言ってみれば罰です。これは、各家が、子供に対し指導を行った。対処したという事です。
「そうですか…」
溜息と共に言葉が零れた。
「受けてくれるか?」
「………」
「受けてくれるか?」
答えられ無いで居ると、もう一度聞かれた。
私に向かって伸ばされる腕。
思わず、一歩後ろに下がる。
苦笑いを浮かべた口元。瞳は、真っ直ぐに私を見てる。
「お父様がお許しになったならば」
…私は即答を避けた。
本邸と別邸を繋ぐ様に建てられた、私の家族の食卓。
一見すると学園のカフェの様。テラスもあり、この建物と本邸別邸を繋ぐ渡り廊下でかこまれた庭。
この囲の中では、私は女公爵では無い。貴族の令嬢でも無い。ただの兄妹の1人。
エリアナが食堂と言った場所だ。
アレックス殿下にはどう見えるのかしら?
イヴァン様とレイン様が殿下と私を待っている。
「アレックス殿下? こちらに座ります? それともテラスへ出ましょうか?」
長テーブルの並ぶ室内。カウンターの向こうには厨房。
柑橘系の香りが漂う。厨房には、料理人とレミーネの姿。
「何をしてるんだ?」
「レモンを煮ているところですわ」
「レモンを煮る?」
「香りが気になりますか?」
「大丈夫だが…」
私は、外へ出ましょうとアレックス殿下を誘った。
何時までも此処にいたら、周りの人間の方が気を使うだろう。
アレックス殿下だけでなく、イヴァン様とレイン様にも座って貰う。
側近としてなら、執事と同じで後に控えるのが本当なのだろうけど…。立たれているのは苦手だ。
お二人が座るのを待って、レモンのシャーベットとミント水が運ばれる。
レミーネや兄妹では無い。ちゃんと侍女が運んで来た。
我が家にも、ちゃんと使用人は居ますのよ? 彼女達は、自分の事を自分でしていただけなのだから。
「氷の器は有りませんがどうぞ召し上がって」
アレックス殿下。…彼には、此処がどんな風に見えるのだろうか?。