⑤
「くくっふくっ…ふはぁっ」
大丈夫だろうか? アレックス殿下の笑いが止まらなくなっていた。
高貴であろうとなかろうと…本気の笑いや泣きは、言葉が喋れなくなるらしい。「ぇどっくふぁっ…」と、時々入るので、弟君であるエドガー殿下の名を呼んで居るのだろう。口元を押さえた手は、力が入り過ぎているのか、プルプルと震え、筋張っている。
アレックス殿下以外は反対に苦い顔をしている。
「兄上。そろそろ笑いを止めて頂けませんか?」
奥歯を噛み締めた様なへの字口のエドガー殿下。
そうですよね、話が終わらないじゃ無いですか。さっさと平常心というものを取り戻して頂きたい。
アレックス殿下。チラリと私を見ては強く復活する笑い。
で、私が可笑しいのですか? なら帰りますよ。面倒臭い。
「…クルシェ嬢?」
苦い、苦~い顔の筆頭ランス様。
「何でしょうか。これ以上話が無いなら帰りますが」
「言わせてもらうが、反省はわかる。勿論、反省はする。だが、子供のした事と言うのは、私達の事か?」
「考えが足りなかったのは認めるが、子供とは…」
「ええ。エドガー殿下方ですよ」
「この場であるとは言え、不敬だろ!」
お子様扱いでアレックス殿下の笑いのツボを押し、エドガー殿下へは不敬と取られる発言をしたという事なのだろうか?
しかし…不敬? 不敬に当たるのか?
「不敬ですか?」
「私もルキスも成人だし、エドガー殿下も仮成人である。それなのに子供のした事の様に言われるのは…抵抗があるのだが」
「…はぁ」
「周りを見て無かったと、今なら分かるが…」
私は、首を傾げるしかなかった。
そもそも、子供のした事にしたいのでは無かったのか?
責任を全部エドガー殿下に押し付けるつもりは無い。
エリアナの行動を管理しきれなかったのは、我がレイナードとアーデンテスの責任だ。
なら、エドガー殿下達の責任は?
事情も事実もすっ飛ばし、理解不可能荒唐無稽の言い分を突き付けた。
私は当主として謝罪を求め、アレックス殿下が受けた。
そもそもエドガー殿下の言ってる前提が間違ってるのだと、理解を求める為に、アレックス殿下がこの場を用意したのでは無いのだろうか?
だが、アレックス殿下は伝えると言った。それは、この場では無い。正式であれば、当主かそれに準ずる者が揃って居ないとならないから。
エドガー殿下達は…悪く言ってしまえば、実際の血縁関係を無視して、養子では無く正式な血縁者としろと言ったのだ。前提自体が間違っていたと理解してくれたので、謝罪を受けた。当人同士の和解。その和解の形を確かなものにしてしまいたいのでは? と、思ったのだけれど? 王家や家同士のやり取りの前に、学園内での行違い。即ち、子供の諍い。仲直り。どうなのだろう? 違うのかな?
私は、くつくつとまだ笑ってるアレックス殿下を見た。
「アレックス殿下? 何が可笑しいですか? そもそも話が終わりなら、帰ります」
「思いもしない言葉が出たので、悪い。まさか、子供とでるとは思ってもいなかったから…」
「ならば、何と言えと?」
ん゛~? と、考え込んだ後で「学園生?」と言った。
学園生? 微妙です。それにその言葉を使うとすると、私は先生ですか? それはそぐわない気がします。
「それに、まだ帰られたら困る」
「何の御用がありますか?」
「用と言うか、頼みと言った方がいいか…」
いいだろうか? と視線を向ける。
聞いてみないと分かりませんが…。何でしょう?
「エドガー。自分が何をしたか分かるか?」
静かな声音で、エドガー殿下に語り掛けます。
叱責を含まない兄君からの声に、エドガー殿下は顔を上げます。
「今なら分かります」
「何が分かる?」
「もう少し、話を聞けばよかったのにと…。エリオットは、クルシェ嬢は悪く無いと。粗雑にしているのでは無く、父を待って居るのだと言いました。だけど、エリアナを見掛けると…何時も何時も1人で居て、泣いてたりするのが気になって…」
「それで?」
「それで…クルシェ嬢が家族と認めれば問題無いのに、何で知らない振りをしてるのかと思うと、腹が立ちました」
チラリと私を見たエドガー殿下は、深く息を吐き出してから続けます。
「父親がハロルド・アーデンテスなら、レイナードは関係無いとも聞いたのに、その時は、それがどういう事か考えて無くて…。公爵家なら王族との縁を持ちたいだろうし、兄上のパートナーがレイナードで無いなら有力な候補だから婚約者にでも内定してるだろうと思い込んでしまいました」
「ランス。ルキスは?」
「申し訳ありません。人の力になろうとしてる殿下を応援しているつもりになって、いい気になっていました…」
「自分もです…」
「なら、自分の役割りを、お前達の誰1人理解して居なかっという事だ」
「申し訳ありません。浅慮でした」
情けないと、肩を落とすエドガー殿下。ランス様もルキス様もばつが悪い思いを飲み込む様に口をむすんでいる。
「それがクルシェ嬢の言う「子供」だという事だ。事の事情は理解した。悪い事を認めて謝罪した。そしてどうする…?」
「言葉だけの謝罪で終わらせるつもりはありません。そう言いました。償いは必ずします!」
エドガー殿下の言に、ランス様もルキス様も頷く。
「お前達が言っているのは、自分個人としてだろう? なら、家としてどうすする? 王族としてどうする?」
「…王族として?」
そこで初めて思い至ったのだろう、ハッと見開いた目で、エドガー殿下はアレックス殿下を見た。
とても事が大きくなれば、冤罪のままレイナード家の取り潰しにあう事もある。その場合は王家の隠蔽工作だ。そして逆を考えたら、エドガー殿下の身分剥奪や幽閉もありうる。
私は、そこまで事を大きくするつもりは無い。
だから此処に居る。
「だからクルシェ嬢に頼みたいのだ」
「アレックス殿下?」
「お互いが和解したと親にも分かる形にするのを手伝って貰いたい!」
ふふふ…。アレックス殿下? 子供に親を乗せて来ましたね? 子供のした事の責任は親が取る。その親からの叱責を軽くして差し上げたいのですね? 良い兄君です。
ですがその前に一つ言いたい事があります。
「アレックス殿下。宜しいですか?」
「あぁ、何か?」
「責任を持たない者に、自覚を解いても無駄ですのよ? ですから、子供のした事にするのは賛成ですの。ですから承りますわ」
「感謝する。ありがとう」
私は、ランス様とルキス様を見る。エドガー殿下より年上なのに情けない。無責任で無自覚この上ない! タチの悪いお坊ちゃんだ。
「ランス様、ルキス様。恐らくお2人は、エドガー殿下の良い兄貴分であろうとしたのだと思います。何故、兄貴分であろうとしたのでしょう?」
「それは…仕える者としてまずエドガー殿下に頼って貰いたかったからだ。同年で無い以上、信頼してもらえる機会を作ろうとしていた」
「そんな中途半端をするくらいなら、最初からエドガー殿下を無視すれば良かったのです」
「そこまで言わなくても…エドガー殿下と同年の高位貴族は、エリオットくらいだ。殿下の周りを固めるのにも自分がと思って何が悪い?」
「なら、何故エリオットの声を聞かなかったのですか? 何故、私の元に、事実の確認にでも、文句を言いにでも来てはくれなかったのですか? ただの追従は有害です」
「それは謝ってるだろ? …そこまで言わなくても…」
「言わなくていい事ではありません! 必要な事です」
「…どこら辺が?」
「アレックス殿下は、親が分かる形での和解をお望みです。事を大きくしない為には、それがいいと私も思います。なら、今の状態で親と対したらどうなりますか? アレックス殿下が取り繕ったとしか思われませんわ」
「クルシェ嬢もそう考えるか?」
「考えますわ。親の内、2人は王陛下と宰相閣下ですのよ?」
エドガー殿下とランス様が微妙な顔をした。
「アレックス殿下の側近の方は、側近としての職に就いていらっしゃいますか?」
ここで漸く、側近として控えていた(今は、座ってもらっている)お2人のお名前が分かりました。
ランドン公爵家次男のイヴァン様。
バーン伯爵家嫡男のレイン様。
ランス様達の様に高位貴族の子息だ。
お2人は、私の問いに首を横に振りました。この問いの主旨は職務に就いている事では無く、これから側近として仕えようという自覚の問題です。お2人は内示の段階で、アレックス殿下と共にご卒業してから、正式に側近へとなるそうです。あ、レイン様は1歳年下で、ご自身の卒業後だそうです。ランス様やルキス様の様な半端なものでは無く、アレックス殿下を主として仕えるのだという自覚を既にお持ちです。
「イヴァン様。レイン様。とても素敵ですわ」
そして再び、ランス様とルキス様に向き合った。
「お分かりですか? 殿下に仕えようと思うのなら、御学友では駄目。兄貴分でも駄目なのです。エリオットだって、エドガー殿下と乳兄弟だからと言って側近でなくても良いのです。ただ、側近としてお側にと思ったら、覚悟が出来てなければならなかった」
「覚悟を示せばいいのか?」
「それは誰に示すのでしょうか?」
「…それは…いや、自分で考える事だったな…」
「そしてエドガー殿下です」
えっ? と、怯えた顔をなさらないでくださいますか?
心外ですわ。ねぇ、アレックス殿下?
だけどその前にランス様が立ち上がった。ソファーの横に立ち、殿下2人の方に頭を下げる。
「先にやらなければならない事があります。こちらを離れる事をお許し下さいますか?」
「許そう」
アレックス殿下が言う。が、ランス様は頭を上げない。エドガー殿下の言葉を待っているのだ。
アレックス殿下がエドガー殿下を促す。
「許す」
「必ずお側に戻ります」
顔を上げるとルキス様を見、エドガー殿下の側を離れないでくれと頼んで部屋を出て行った。
「エドガー殿下? ランス様もルキス様も殿下より年が上ですが、お2人より御自分が、高位であると自覚はごさいました? 乳兄弟のエリオットがお側に居るのは、年が同じだからですか?」
「エリオットは、子供の時から一緒だったからそういうものだと…」
しゅんとして俯く。
「エドガー殿下はいいですね」
エドガー殿下もアレックス殿下も、何を言い出したのかという顔をする。
「殿下方の仲は、問題無く良いですよね? 兄君に強く怒られたら落ち込んで、静かに諭されれば受け入れる。弟君の事を考えて正そうとして、導こうとされる兄君。ランス様やルキス様だって、王宮から出て学園生になった殿下を心配されて、殿下の元へ行っていたのだと思いますの。とても羨ましいですわ」
「クルシェ嬢?」
「世には親兄弟でも争い、権力を求めて取り入るだけの者いる」
アレックス殿下を見る。アレックス殿下はエドガー殿下の表情を読み取るかのように視線をむけていた。
「権力…エドガー殿下の持つものはとても大きいですわ。殿下方御兄弟に亀裂があれば、そこに入り込もうとする者が…必ず現れます。そしてそれは、国を荒す事になるやもしれません」
「大袈裟すぎないか?」
思いもしないのか、エドガー殿下は首を傾げて思案している。
「権力を欲す者は必ず居ります。エドガー殿下だって先程仰いました。王家との縁を持ちたいだろうと…お忘れですか? エドガー殿下自身、王家に近付きたい者が居るとご理解なさっているでは無いですか」
思い出して下さいと、言葉を切る。
「確かに言ったが…」
「王子妃だけではありませんよ? 側近として身近に仕える者もです」
「ランス達は違う!」
「そうですね、違うと思います」
「なら、何でそんな事を?」
「何処で何が起るか分から無いという事。そして事が起これば、大なり小なり国が揺れる…良い方にも悪い方にも…」
「…揺れるな。そして、揺らいで困るのは、巻き込まれる民だ」
アレックス殿下の言葉。そして続く言葉。
「クルシェ嬢は、公爵家当主だ。公爵家だけで無いが、貴族への糾弾が思い込みで不確かなものであってはならない。これが通ってしまったら、他の貴族から仕える価値の無い王家と謗られよう。…上手く取り入る事ができれば、王家の力で自分の目の前に権力への道を作る事が出来る。冤罪を上げても王家の力で押え付ければ、一貴族に覆せるものは少ない。そのような者に付け込まれて傀儡となれば国が傾く」
エドガー殿下の顔が歪む。
「それを防ぐ為に王家がする事としたら、エドガー殿下の王族からの除籍身分剥奪。それか幽閉になるかと思われます」
「そこまでの事をしてしまったのか?」
「そこまでにしない為に、そのような決断をしなければならないという事ですわ」
「私は本当に浅はかだったのだな」
「ある意味…国自体が平和であったからでは無いでしょうか?」
「どうして?」
「そんな事を考えもしない程、殿下は大切にされ御育ちになる事が出来ていたという事でしょうから…」
「大切にされているのか? こんな馬鹿をしてしまった私でも?」
「だから、兄君が頑張ってらっしゃる」
弟の為だけじゃ無いと、アレックス殿下の呟きが聞こえます。
エドガー殿下は頬を染めます。お可愛らしいです。
「そして宰相閣下の血筋だけは良い御子息様も、自覚なさったと共に、奔走なされてる事と思いますよ」
ランス様の事だ。
私は立ち上がる。
私は私のケジメは付けなくてはならない。
スカートに伸ばす指先を意識する。頭を下げながら腰を落とす。言葉を出す為に吸い込んだ息が一杯になった時。誰かの腕に肩を掴まれ…上体が起こされていた。
アレックス殿下だった。
「アレックス殿下?」
怒っていらっしゃる? 見上げる顔には怒気が含まれてると思う程、額に寄る縦の皺が深い。
「止めてくれ。貴女にそんな風に謝られたら、私の立場が無い!」
「…でも」
「でもも何も無い」
「…ですが」
「ですがも無い」
「ならどうしろと?」
何時の間にと思う間も無く、アレックス殿下の隣に座らされて居た。
何故だ?
そして断固この場所は辞退したい。
「クルシェ嬢。今の貴女は、当主として謝罪をしようとしていた。まだ誰も貴女に正式に謝罪していないのにも拘らずにだ。それが貴女とって必要である事は理解するが、今されては困る!」
ではどうしろと?
私は首を傾げる事しか出来無い。
「クルシェ嬢。貴女がエドガーやランス達にしたように、それを貴女自身に向けてくれた対応を頼む」
暫し考える。どういう事? エドガー殿下やランス様達…。非を認めて謝りましょうだけど? 謝ろうとしてたのだけれど? 当主としてが駄目なのですか?
私はアレックス殿下を見詰めたまま言葉を探す。
「…私は…エリアナが何を考えているのか知らなかったし、初等科で何をしてるかも知らなかった。…知らないを言い訳にしてはいけない事。疎かにしてはいけなかった事で人を巻き込んでしまったわ…。ごめん、なさい…」
何時の間になのか、アレックス殿下の手の中に私の手がある。
よしよしとでもいうように、その手の中の手が撫でられた。
それから少しの決め事をして…やっと私は寮へ帰る事が出来たのだ。
クルシェ嬢の1日が終わりました。