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追放された万能魔導士の穏やかな万屋生活 ~仕事を押し付けていた元婚約者が破滅しても、もう遅い~  作者: だんよ


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第五話 レイモンド視点

 ルミナス王国王宮、その一角に位置する宮廷筆頭魔導士の執務室。

 かつてアルヴィナが控えめに使っていたその部屋は、今や金箔をふんだんに使った豪奢な家具と、最高級の特注毛織絨毯で埋め尽くされていた。

 だが、その豪華絢爛な部屋の主であるレイモンド・ヴァルディスの表情には、かつての勝ち誇ったような余裕は微塵もなかった。


「くそっ……! なんだこれは! どうしてこんな数字になるんだ……!? この魔力循環式がなぜ収束しない!?」


 レイモンドは苛立ちに任せて、執務机の上に山積みになっていた羊皮紙の束を薙ぎ払った。

 舞い散る書類の山。そこに書かれているのは、彼が理解できる範疇を遥かに超えた複雑怪奇な多重微分幾何学と、古代魔導言語の羅列だった。


 アルヴィナ・ハルフォードを国外追放にしてから、三ヶ月が経過していた。

 追放した直後は、まさにこの世の春だった。

 目障りで可愛げのない婚約者を追い払い、愛人であるエレナ・カース男爵令嬢と連日連夜の晩餐会や観劇に興じ、宮廷筆頭魔導士としての名声と栄華を独り占めできると信じて疑っていなかった。


 かつて国王の御前で披露した第5階梯の儀式魔法『天光の聖嵐』の成功を思い出す。

 あの時、国王や居並ぶ重臣たちから万雷の拍手を浴びたのは自分だった。

 だが、その舞台裏の真実を、レイモンド自身が一番よく知っていた。壇上の裏、分厚い緞帳の陰に潜んだアルヴィナが、自らの両腕を魔力火傷で爛れさせながら、膨大なマナの暴走を必死に抑え込み、レイモンドの杖へと魔力をバイパスしていたのだ。

 レイモンドが行ったことといえば、決められたタイミングで杖を天に掲げ、朗々と口パクのように詠唱を唱えただけだった。

 それを、レイモンドはいつの間にか「自分の才能」だと錯覚するようになっていたのだ。


 だが、現実のツケはあまりにも早く、そして容赦なく回ってきた。

 アルヴィナがいなくなった翌日から、執務室の前に届けられる書類の量が尋常ではなかった。

 宮廷筆頭魔導士の職務――それは国王や貴族たちの前で華々しい演説をすることなどではなく、王国の根幹を支える膨大かつ精密な魔導インフラの維持管理そのものだったのだ。


 第一に、ルミナス王国全土を覆う『国土防衛大結界』の魔力循環監視。

 全国に設置された百二十箇所の魔導中継塔から送られてくる膨大なマナの流入データ。アルヴィナはこれを毎朝わずか一時間で目を通し、独自の補正術式を遠隔で打ち込んで負荷を均等化していた。

 だが、レイモンドにはそのデータシートの読み方すら分からない。

 放置された結界は各地で魔力の偏りを起こし、先週には東部監視砦の中継結界が突如としてオーバーヒートを起こし、砦の兵舎が全焼する大事故が発生していた。


『筆頭! 第三回路のバイパス圧力が危険水域です! 前補佐のアルヴィナ様が遺されたマニュアル通りに操作しても、魔力の逆流が止まりません! どうすればいいのですか!?』

『う、うるさい! 私に指図するな! 適当に冷却水を流し込んでおけば鎮火するだろうが!』

『そんな無茶な! 高熱のマナ炉に水をかけたら水蒸気爆発を起こします!』


 現場に駆けつけたレイモンドは、部下の技術官たちの前で何一つ的確な指示を出せず、ただオロオロと狼狽える無様な姿を晒す羽目になった。


 第二に、隣国ロザリア帝国との間に結ばれている『魔導通商協定』の査定文書。

 帝国側が突きつけてきた新たな術式輸出入基準は、難解な古代法術式で記述されていた。アルヴィナがいれば一晩で帝国の意図する罠を見抜き、完璧な修正案を作成していただろう。

 しかしレイモンドは内容を理解できぬまま放置し、期限を過ぎたことで帝国側から「協定違反であり、我が国に対する侮辱とみなす」という極めて強硬な抗議状が届いてしまったのだ。


 そして第三に、魔導院の出納帳簿の破綻だった。


「レイモンド様ぁ〜! 先週お願いしていた南方の真珠のネックレス、宝石商がまだ届けてくれないの! どういうことかしら?」


 バタンと乱暴に扉が開き、ピンク色の派手なドレスを纏ったエレナが、不機嫌そうに唇を尖らせて入ってきた。


「エレナ、今は仕事中だ! ノックくらいしろと言っているだろう!」

「まあ! わたくしに向かってそんな大声を出すなんて酷いわ! アルヴィナを追い出した時は『これからは何でも好きなものを買ってやる』っておっしゃったじゃないの! 今夜の伯爵家の舞踏会に着ていくドレスも、まだ仕立て屋にお金が払われていないって言われたのよ!?」

「金、金と……! 魔導院の研究開発費の口座はもう底をついているんだ! アルヴィナを追い出す際に着服の証拠を捏造したせいで、監査官の目が厳しくなって、勝手に公金を引き出せなくなったんだよ!」

「そんなの、レイモンド様がなんとかすればいいじゃない! 筆頭魔導士なんでしょう!? 無能なアルヴィナにできて、どうして宰相家のレイモンド様にできないのよ!?」

「な……無能だと!? あいつはただの平民上がりの雑用係だ! 私をあんな女と同列に扱うな!」


 レイモンドは怒鳴り返したが、その声は焦りと恐怖で上ずっていた。

 エレナは「役立たず!」と吐き捨てると、部屋の扉を叩きつけるようにして出て行った。


 部屋に残されたレイモンドは、頭を抱えて執務机に突っ伏した。


「くそっ……くそっ……! あいつだ……全部アルヴィナのせいだ……!」


 その時、執務室の扉が厳かにノックされた。


「レイモンド卿。エリオット第一王子殿下がお呼びです。至急、大評議の間へ参内するようにとの仰せです」


 近衛兵の冷淡な声が響いた。

 レイモンドの背筋に、氷水を浴びせられたような戦慄が走った。


 ◇


 王宮の大評議の間。

 重厚な円卓の最奥には、ルミナス王国の実質的な軍権と国政を預かる第一王子、エリオット・フォン・ルミナスが座していた。

 北方での国境防衛任務から帰還したばかりのエリオットは、まだ二十代半ばの若さながら、歴戦の将としての冷徹な覇気と、鋭利な刃物のような知性を全身から漂わせていた。

 その周囲には、眉間に深い皺を刻んだ軍務卿や外務卿、そしてレイモンドの父である宰相ヴァルディス公爵の姿もあった。


「……宮廷筆頭魔導士レイモンド・ヴァルディス、参内いたしました」


 レイモンドは膝をつき、必死に平静を装って頭を下げた。

 エリオット王子は冷たい金色の瞳でレイモンドを見下ろし、手元の分厚い報告書を机の上に放り投げた。

 バサリと重い音が広間に響く。


「レイモンド卿。単刀直入に聞く。この三ヶ月間の魔導院の惨状について、貴殿はどう説明するつもりだ?」

「は、殿下……惨状とは、一体何のことでしょうか……?」

「とぼけるな!」


 エリオットの一喝に、広間の空気が凍りついた。


「東部監視砦の中継結界の崩壊による火災。死傷者二十名、損害額一億ルピス。さらにロザリア帝国からの協定不備に対する最後通告。帝国軍はすでに国境地帯に三個師団を集結させ、我が国の術式違反を口実に開戦の構えを見せている! 我がルミナス王国は今、建国以来最大の安全保障上の危機に直面しているのだぞ!」

「そ、それは……! 前任の補佐であったアルヴィナが遺していった術式設計に重大な欠陥があり、それが今になって露呈したためでして……!」

「見苦しいぞ、レイモンド!」


 エリオットの声は低く、地を這うような怒りを孕んでいた。


「アルヴィナ・ハルフォード殿が追放される前の五年間、東部結界の事故率はゼロ、ロザリア帝国との魔導外交においても我が国は常に優位を保っていた。帳簿の管理に至っては一ルピスの狂いもなかった。それがどうだ? 彼女が追放された途端、貴殿が筆頭として単独で指揮を執り始めた瞬間から、魔導院のあらゆる機能が完全に麻痺している!」

「し、しかし殿下、アルヴィナは公金横領と国家反逆の大罪人で……」

「その罪状についても、大いに疑義が生じている」


 エリオットの冷徹な言葉に、レイモンドの心臓が凍りついた。


「アルヴィナ殿が横領したとされる三億ルピスの使途不明金だが、王立銀行の極秘記録を照合したところ、彼女個人の口座への送金記録は一切存在しなかった。代わりに浮上したのは――貴殿が愛人であるエレナ男爵令嬢に買い与えた貴金属や、高級サロンへの支払い記録の数々だ」

「なっ……!?」

「父上である宰相閣下の顔を立て、これまで貴殿の放蕩を黙認してきたが、国の存亡に関わるとなれば話は別だ。外務卿、ロザリア帝国への対応はどうなっている?」


 エリオットに水を向けられた外務卿が、青ざめた顔で進み出た。


「はっ……。ロザリア帝国側は『三日以内に、我が国の提示した古代術式の整合性検証と、修正条約の完全な調印を行わなければ、即座に武力行使に踏み切る』と通告してきております。……ですが魔導院の現体制では、帝国の高度な術式を解析できる者が誰一人としておりません……!」

「……聞いた通りだ、レイモンド卿」


 エリオットは立ち上がり、レイモンドの目の前まで歩み寄ると、冷え切った眼差しで見下ろした。


「三日だ。三日以内に、帝国の提示した術式を完璧に解読し、我が国に有利な対案を提出せよ。それができなければ――筆頭魔導士の地位剥奪にとどまらず、国家反逆罪および虚偽告発の罪で貴殿を地下牢へ投獄し、厳重なる軍事裁判にかける。よいな?」

「ひ……っ、は、ははっ……!」


 レイモンドは床に額を擦り付け、震え声で返答するのが精一杯だった。


 ◇


 評議の間を出た直後、レイモンドは父である宰相ヴァルディス公爵に呼び止められ、個室へと引きずり込まれた。


「バカ者がッ!」


 パアンッ、と乾いた平手打ちがレイモンドの頬を打った。


「ち、父上……!?」

「お前がアルヴィナを追い出したせいで、我がヴァルディス家まで破滅の危機だ! エリオット殿下は本気でお前を処刑台へ送るおつもりだぞ! なぜあのような万能の道具を手放したのだ! 何としてでもアルヴィナを連れ戻せ! 連れ戻して帝国の書類を処理させろ! さもなくば、我が家からお前を勘当し、全財産を没収する!」


 父からの怒号に、レイモンドのプライドは完全に粉々に打ち砕かれた。

 逃げ場はどこにもない。アルヴィナを連れ戻す以外に、自分が生き残る道は残されていなかったのだ。


 その夜、レイモンドはフードを目深に被り、王都の下町にある薄暗い裏路地の酒場へと足を運んでいた。

 酒場の最奥、煙草の煙が立ち込める個室で待っていたのは、裏社会の情報ギルド『影の鴉』の幹部だった。


「ようこそ、宮廷筆頭魔導士様。こんな薄汚い掃き溜めに、大貴族の若様が直々のお出ましとはね」


 傷だらけの男がニヤリと下品な笑みを浮かべた。

 レイモンドは震える手で、公金から横領した最後の残金である金貨五百枚の革袋をテーブルの上に叩きつけた。


「金ならいくらでも出す! ……アルヴィナ・ハルフォードを探せ。あいつが今どこに潜伏しているのか、今すぐ居場所を突き止めるんだ!」

「アルヴィナ……あの追放された天才魔導士かい。へえ、あれだけの冤罪を着せて追い出しておいて、今さら連れ戻そうってのかい? 貴族様ってのは本当に身勝手で傑作だねえ」

「黙れ! あいつは私の婚約者であり、私の所有物だ! 私の命令で戻ってきて、私のために働くのが当然なんだ! 今すぐ場所を特定しろ!」


 狂気に染まったレイモンドの眼差しに、情報屋の男は肩をすくめて金貨を懐に収めた。


「へいへい、仕事はきっちりこなすさ。……すでにうちの網に引っかかってる情報がある。山岳連盟の関所を越えて、南西の自由商都グランヴェルに入った白銀の髪の女魔導士がいるって噂だ。グランヴェルの運河沿いで、小さな万屋を開いてるらしいぜ」

「グランヴェル……!? あの南西の果ての交易都市か!」


 レイモンドは拳を握りしめ、歪んだ笑みを浮かべた。


「見つけたぞ……アルヴィナ! 貴様がのうのうと平和に暮らすことなど許さん。裏ルートの長距離高速転移門を手配しろ! 今すぐグランヴェルへ向かう!」

「おいおい旦那、国境の警備や王子の三日間の期限はどうするんだい? 仕事を放り出して他国へ高飛びする気かい?」

「うるさい! アルヴィナさえ引っ張ってくれば、帝国の書類など一晩で片付く! 私の命令に従え!」


 レイモンドは絶叫し、執務室の机に残された重要書類の山を顧みることなく、闇の中へと駆け出していった。

 自らの職務放棄が、王国を未曾有の戦火へと叩き落とす引き金になることなど、狂気に憑りつかれた彼の頭には微塵も浮かんでいなかった。


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