新しい相棒
翔太は、朝、目を覚ますと、真っ先にベランダへ向かった。
ペットボトルを大事そうに抱えると、リビングへ戻ってくる。
「おはよう、はむしちゃん。」
ペットボトルの中では、小さなハムシが葉っぱの上をゆっくり歩いていた。
翔太はうれしそうに顔を近づけ、その様子をじっと見つめている。
「翔太。」
朝の支度をしていた春が声をかけた。
「お部屋には入れない約束だったでしょ。」
「あっ。はーい。」
翔太は素直に返事をすると、ペットボトルを両手で大事そうに抱え、ベランダへ向かった。
しばらくして戻ってくると、幸一と一緒に朝ご飯を食べ始めた。
パンをほおばりながら、翔太は楽しそうに昨日の虫取りの話をしている。
そのときだった。
「いたー!」
洗面所から春の声が響いた。
幸一と翔太は顔を見合わせる。
「ママ?」
二人は慌てて洗面所へ駆けていった。
春は浴室の前でしゃがみ込み、床を指さしている。
「ほら!」
その先には、一匹の小さなコクワガタがいた。
昨日の夜、玄関で見つけたあのクワガタだった。
翔太は目を丸くした。
「えっなんで?なんで? なんでこんなところにクワガタムシいるの?」
幸一は微笑みながら答えた。
「昨日、ママが見つけたんだ。」
「えっ!すごっ!」
「夜中に玄関の前にいたから捕まえたんだけど、虫かごから逃げちゃってさ。」
翔太はしゃがみ込むと、コクワガタを食い入るように見つめている。
「ねぇパパ!パパ!」
「ん?」
「クワガタなら飼っていいんだよね。昨日言ってたもんね。」
その言葉を聞いた瞬間、幸一は昨日の夕方、何気なく口にした言葉を思い出した。
『カブトムシとか、クワガタなら……もしかしたらいいって言うかもしれないな。』
翔太をがっかりさせたくなくて、根拠もなく口にした一言だった。
幸一は頭をかきながら、困ったように笑った。
「うーん……。」
確かに、自分でそう言った。
言った以上、「やっぱりダメ」とは簡単には言えない。
幸一は春の方をちらりと見た。
春は幸一を見返す。
「えっそんなこと言ったの?」
あきれたような顔をしている。
幸一は頭をかきながら苦笑した。
「いや、その……。」
「カブトムシとかクワガタなら、他の子どもたちもよく飼ってるから。」
「ベランダで飼うくらいならどうかなって思ってさ。」
その横で、翔太は目を輝かせながらコクワガタを見守っていた。
「コクワガタって、かっこいいなあ。ロボットみたい。」
「キリギリスも見たことあるけど、やっぱりクワガタが一番かっこいい。」
春はケースの中のコクワガタを覗き込んだ。
「でも、この子ちょっと弱ってるんじゃない?」
「昨日もあんまり動かなかったし。」
「元気になるように、お外へ返してあげた方がいいんじゃないかな。」
すると、さっきまでじっとしていたコクワガタが、ケースの中を勢いよく歩き始めた。
木片の上を勢いよく歩き回る。
「あっ!ママ元気だよ!」
翔太はぱっと笑顔になった。
「ほら!」
春もつられて笑ってしまった。
「そうみたいね。」
春は優しく尋ねた。
「じゃあ、最後までちゃんと面倒を見られる?」
「もちろん!」
翔太は力強くうなずいた。
「はむしちゃんも、クワガタも、ぼくが大事に育てる。」
春は観念したようにうなずいた。
「でも、一緒の入れ物には入れたらだめよ。クワガタが食べちゃうかもしれないから。」
「うん!わかった。」
翔太は何度も首を振っている。
春は幸一と目を合わせ、軽くうなずいた。
「じゃあ、ベランダで飼うなら……いいよ。」
「ほんと!」
翔太は飛び上がるほど喜んだ。
「ありがとう、ママ!」
そう言うと、虫かごを大事そうに抱きしめた。
「よかったね、コクワックス。今日からよろしくね。」
翔太はにっこり笑った。
「今日は一緒に寝ようね。」
「翔太。お部屋には入れない約束だったでしょ!」
「あっ。」
翔太は照れくさそうに笑った。
「そうだった、そうだった。」
そう言うと、虫かごを抱えたままベランダへ向かって駆け出した。
「翔太、走らない!」
あわててあとを追いかける春の姿を見て、幸一は笑みをこぼした。
虫が苦手なはずなのに、夜中にクワガタを見つけて自分を起こし、寒いだろうと家の中へ入れ、最後には飼うことまで認めてくれた。
母親というのは、本当に大変だ。
けれど、その大変さの分だけ、子どもの笑顔は増えていくのかもしれない。
そして今日、わが家には笑顔を運んでくれる新しい相棒がやってきた。




