第十四話 どうしてここに
高台に設えられた仮の物見から、昊夜は蘇原の広場を見下ろしていた。
四方を囲む土壁。その東西南北にそれぞれ設けられた門。四つの門を守るのは朝廷軍だった。
だが、その最前線には、昊夜が自ら選んだ四人が立っていた。昊夜は順に追っていく。
日差しはすでに傾き、吹き抜ける風が土埃を白く巻き上げていた。
北門。朝廷軍の最前に立つ朝凪の剣は、息を潜めるように静かだった。
絶え間なく繰り出される刃。それは斬り伏せるためではなく、ただ無駄なく敵の骨組みを崩す。
相手の得物を鋭く弾き、顎を、頸を、峰で的確に打つ。息の乱れさえなく、余計な動きはひとつもない。向かってくる者たちが次々と地へ崩れていく。
しかし、致命の傷を負う者は一人としていなかった。
東門。刹那はの背後では朝廷軍が隊列を維持し、彼一人が敵陣へ切り込んでいた。
無駄を削ぎ落とした剣筋の合間に、鞭のように蹴りが走る。
腹を、顎を、淡々と打ち抜いていく。不意に身を翻せば、しなる身のこなしだけで相手の視界か消え、その死角から再び刃が肉を食む。
予測のつかない軌道。
斬り、蹴り、また斬る。その連撃だけで、取り囲む群勢を次々と土へと沈めていた
南門。暁の指揮する朝廷軍は、重厚な陣形を崩さぬまま前進していた。
暁の重い得物が、うなりを上げて空気を裂く。
真っ向から力のみでねじ伏せる力技だった。振り下ろされる一撃を受け止めたはずの刃が、まるで枯れ枝のようにへし折れる。
相手は農具まがいの粗末な武器しか持たず、暁の強靱な膂力の前では、防ぐ術すら持たなかった。
どの門も、相手はしょせん急ごしらえの兵──寄せ集めの民に過ぎない。鍛え抜かれた武人たちにとって、決して厳しい戦いではなかった。
やがて、北と南、そして東の一角から、白い布を括りつけた竿がぽつりぽつりと掲げられ始める。降伏の合図だった。
昊夜は、最後に西門へと視線を移した。
そこだけが、様子が違っていた。
疾風の部隊が、じりじりと押し込まれている。
数では、むしろ他の門よりも厚く配置していたはずだった。
それでも、疾風の剣捌きには明らかな迷いがある。一撃一撃は決して悪くない。だが、次の一手に移るまでが、呼吸ひとつ分遅い。
まだ若い。実戦の場数が、他の三人とは違う。
厚めに固めた味方の兵も、疾風の判断の遅れを完全には補いきれていなかった。統率が取り切れず、じわりじわりと隊列が崩れていく。
昊夜の眼が細まった。奥歯が、きつく噛み締められる。
猶予はなかった。
物見の床を強く蹴り、西門へと駆けた。
だが、駆けつけるより早く、崩れかけた隊列の隙間を突いて、反乱兵の一団がするりと広場の内側へと滑り込んでいったのだ。
「――しまった」
低い舌打ちと共に刀を抜き放ち、疾風の傍らへと斬り込んだ。援護しながらも、目の端で広場の内側へ消えていった一団の背を追う。
その光景を、隣りの北門から、朝凪が捉えていた。
すでに敵をあらかた無力化し終えていた朝凪の眉が、初めて険しく寄せられる。視線の先、広場の内側へと吸い込まれていく人影。
握りしめた刀の柄から、きしむ音が微かに漏れた。
(姫様――)
答えを待たず、地を蹴った。
昊夜もまた、目の前の敵を斬り伏せながら、広場の方角へと一瞬だけ鋭い視線を投げる。胸が、冷たく騒いだ。
広場へ向かうか一瞬迷ったが、視界の端で朝凪が駆け出すのを見て踏みとどまった。
***
広場に悲鳴が上がった。
木戸の一枚が、内側へと弾け飛ぶように倒れる。
巻き上がる土埃の向こうから現れたのは、殺気立った反乱兵の一団だった。統率など、もはや意味を成していない。
ただ、目の前にあるものを薙ぎ払おうとするだけの、剥き出しの気配。
「――来る……!」
誰かが叫んだ。
民たちが声を失い、折り重なるように後ずさる。子供を抱えた母親が、幼子を庇いながら地に伏せた。老人が逃げ場を求めて杖を取り落とす。乾いた地面に、木のぶつかる鈍い音が響いた。
「六花様、お下がりください」
瑛が声を上げ、桜桃の前へ出ようとする。
けれど、その声より先に、桜桃の身体は動いていた。
弾かれたように立ち上がり、瑛の脇を抜けて、逃げ惑う民たちの前へ出る。
「六花様!」
膝が小刻みに震えている。息が詰まり、冷たいものが喉元まで込み上げてくる。それでも、足は止まらなかった。
(守らなければ。この人たちを――)
刀など持たない。武術の心得もない。それでも、自分がここで動かなければ、誰がこの人たちの盾になるのか。
桜桃はきつく奥歯を噛み締め、震える両手を広げ、なだれ込んでくる兵の正面に立ちはだかった。
「……下がってください!」
今度は、桜桃が背後の民へ向かって叫ぶ。
反乱兵の切っ先が、まっすぐに桜桃へと向けられる。
──その瞬間だった。
風が、割れた。
一人の男が、桜桃と反乱兵の間に、音もなく滑り込んできたのだ。
大きな背中だった。振り下ろされた刃を片手だけで難なく受け止め、そのまま捻り上げて、相手の得物を宙へと弾き飛ばす。
金属の鋭い音が虚空に消えた。次の一撃が来るより早く、拳が一人の顎を撥ね上げていた。
桜桃は、目を見開いたまま動けなくなった。浅い呼吸が止まる。
見慣れた背中。幼い頃から何度も見てきたはずの背中。
男は振り返らない。ただ、次々と迫る敵を捌きながら、桜桃を背に庇う位置を、寸分違わず保ち続けている。その大きな肩が、わずかに上下していた。
(どうして。どうして、ここに――)
天澄京にいるはずの男が、なぜこんな遠い戦の地に立っているのか。頭の中で疑問が渦を巻くが、答えなど出るはずもなかった。
桜桃は、震える声を絞り出した。
「どうしてここに……?」
彼は、答えなかった。
ただ、迫る反乱兵の一人を、無造作な動きで地に沈めただけだった。
***
朝凪は、崩れ落ちた敵兵の間を縫うようにして、広場の方角へ向かう。
暁もまた、南門の仕末を部下に任せ、鋭い眼差しを広場へと向けていた。
刹那は東門の混乱がまだ完全には収まっていなかったが、遠くから響く民の悲鳴に気づき、刀を納める間も惜しんで走り出す。
石畳を叩く激しい足音が、低く響き渡っていた。
西門では、昊夜の加勢を得た疾風の部隊が、ようやく息を吹き返していた。
昊夜の一振りが、統率を失いかけていた反乱兵の勢いを断ち切る。
一切の無駄を省いた、見本のような剣捌き。流れるような奇軌道を描き、次々と地に沈めていく。
その綺麗な一閃に、疾風もまた我を取り戻したように踏みとどまった。
「……すみません、兄上」
「今は謝るな、片付けろ」
短くそれだけ言い残し、昊夜は最後の一人を斬り伏せた。
乾いた秋の風が、血の匂いを遠くへ運んでいく。
西門の外に、白い布が掲げられる。
それを確認するや否や、昊夜は疾風に後を任せ、広場の内側へと駆け込んだ。
暁は、真っ先に広場へと駆けていた。
飛び込んだ先で目にしたのは、異様な光景だった。
なだれ込んだはずの反乱兵たちが、次々と弾き飛ばされ、地に沈んでいく。中心にいるのは、たった一人の男だった。
暁は低い舌打ちを漏らすと、刀を構え直し、混乱に乗じて逃げようとする反乱兵の一人を素早く捕らえた。
腕をねじ上げ、縄を打つ。次から次へと、目に入る敵を機械的に組み伏せていく。
(何者だ、あれは)
大柄な背中が刀を一振りするたびに、道が開ける。反乱兵は戦意を根こそぎ削がれたように後退し、恐れをなして得物を取り落とす者すら現れていた。
素人目にも分かる、桁違いの手練れ。
逃げかけた兵の襟首を掴んで引き倒したところで、暁はふと顔を上げた。
男が、ふいに横を向いた。
その横顔を捉えた瞬間、暁の動きが完全に止まった。
(……日向殿)
なぜここにいる。武州へ向かうなどという話は、一切聞いていなかった。事前の連絡も、内密の報せすらも皆無だったはずだ。暁の眼が、鋭く細められる。
そこへ、遅れて朝凪と刹那が広場へと駆け込んできた。
刹那は、その姿を視界に捉えた瞬間、全身の血が凍りついたように固まった。目を細め、信じられないというようにもう一度凝視する。
間違いなかった。目を疑うような、しかし決して見間違えるはずのない、かつての絶対的な存在。
「――殿?」
日向は、その声に気づいてちらりと刹那の方を見た。しかし、特に驚いた風でもなく、いつも通りの酷薄なほどに落ち着いた顔のまま、また前を向く。
「え、いや、待って。殿!? 本当に殿ですか!?」
日向はやはり答えない。ただ、流れるような動作で刀を鞘へと収めながら、静かに、堂々と歩みを進めていく。
「なんで武州にいるんですか!」
問いかけに、返事はない。
刹那は、朝凪の元へと詰め寄った。
「朝凪、お前は……知ってたのか!?」
「……知らなかった」
「じゃあなんでそんなにいつも通り落ち着いてるんだよ!」
「……びっくりしている」
「全然そう見えねぇよ!」
「……心の中では、かなりしている」
そこへ、少し遅れて昊夜が広場に駆け込んできた。
目に飛び込んできたのは、すでに大方の決着がついた光景だった。地に伏せられた反乱兵、その中心に立つ大柄な背中、そしてそれを呆然と見つめる暁たちの姿。
昊夜の足が、ぴたりと止まった。
予期せぬ男の姿に、昊夜の思考が一瞬、追いつかなくなる。
その視線の先、日向に庇われるようにして立つ小さな影があった。
桜桃だった。
(――無事、か)
安堵が胸を過るのも束の間、さらに遅れて疾風が息を切らせながら駆け込んでくる。西門の後始末に手間取っていたのだろう、額に汗を浮かべ、状況が飲み込めない様子で立ち尽くした。
「あの、朝凪殿、なんであの人いるんですか」
「……」
「朝凪殿?」
朝凪は答えなかった。
ただ、いつものように波一つないその双眸を、静かに、じっとその人影へと向けていた。
暁は脇を抜けようとした反乱兵の襟首を、振り向きもせず掴んだ。
地面へ引き倒し、その腕を背へ回して縄を打ちながら、厳かな声を響かせた。
「日向殿」
日向が、ゆっくりと足を止めて振り返る。
「暁か」
「そっちには答えるのかよ」と、刹那が顔を上げた。
「……なぜ、ここにいらっしゃるのですか」
「通りかかった」
広場に、凍りつくような沈黙が落ちた。
「……通りかかった、とは?」
「武州を通る用事があった」
「この、大内乱の最中にですか」
「着いたら、戦になっていた」
再び、何とも言えない重い沈黙が落ちた。
疾風は困り果てた様子で、隣にいた刹那の袖をそっと引いた。
「あの方、前の近衛大将ですよね。行方不明だったんじゃないんですか?」
誰も答えない。
疾風は構わず、日向と、その周囲で固まっている面々を交互に見る。
「じゃあ、近衛に戻ってくるんですか? 兄上もずっと心配してましたし――」
刹那は面白そうに笑った。
「心配してたのか」
それから刹那はふと思い出したように隣を指した。
「じゃあ、朝凪のことは?」
「朝凪殿?」
疾風が朝凪を数秒、じっと見る。
「…………あ、そーか!」
疾風がぽんと手を打った。
「朝凪殿が、近衛中将でしたね! どこかで見たことあると思ってたんですよ!」
「今さらかよ」
刹那が呆れた声を上げる。
「だって近衛にいらした頃と全然違うじゃないですか。髪も格好も違うし……」
疾風は妙にすっきりした顔で朝凪を見てから、日向に視線を戻した。
「……それにしても、なんで急にここに」
「それが分かってりゃ、俺だってこんなに驚いてねぇよ」
「暁様も固まってるし、朝凪殿も、昊夜兄上も動きが止まってるし。昊夜兄上なんか、珍しい顔してますよ」
刹那は、日向を凝視し続ける昊夜の横へと音もなく並んだ。
「昊夜、日向殿だぞ」
「……見れば分かる」
昊夜は短く、答えながらも、その視線は日向から片時も離さなかった。いつも以上に、その彫刻のような横顔が微妙に、硬く強張っている。
「お前、結構驚いてるだろ」
一瞬の間があった。
「………通りかかったとは思っていなかった」
「それが驚いてるってことだ」
昊夜はそれ以上、何も言わなかった。刹那はそれを彼なりの肯定と受け取り、はぁ、と長く大きなため息を吐き出した。
「やれやれ。これじゃあ、俺が腰を抜かすほど驚いたのも間違ってなかったってわけだな」




