27.解決策、発見?
ふと目覚めると、朝のやわらけき陽光を背に負いながら、セリアン様がわたしの顔をのぞきこんでいた。
静止する世界の中心で、セリアン様がにこりとほほえむのが、ぼやけた視界でもわかった。
「おはよう、クロちゃん」
「ッ!? ~~~~!?!?!?!?!?」
「ごめん、驚かせちゃったかな」
声にならない悲鳴をあげるわたしに、セリアン様は小首をかしげた。
驚いた、などというものではありません。想像を絶する驚愕です。……とは言えないので、わたしは首をがくがくと上下させて肯定をあらわす。
寝起きで眼鏡をしていなかったから意識をたもっているが、そうでなければ起床即失神コースだった。
「な、なにをなさって……?」
「クロちゃんのかわいさに慣れようと思って……」
セリアン様は顔をうつむけて身体をもじもじと揺らした。
「クロちゃんも言ってたでしょ? 目をあわせなければ大丈夫だって。寝てるときなら目はあわないから」
「だからって寝室に……」
言いながら、昨日の会話がよみがえってくる。
昨日はエリナとカラディア商会へ顔をだす約束をしていた。準備が終わって出発、というときになって、セリアン様から声をかけられたのだ。
「クロちゃんの部屋に入ってもいーい?」
「もちろん、かまいませんよ」
わたしがいないあいだになにか用事があるのだろうかと思ってそう答えた。
けれど……あれは、こういう意味だったのか。
「申し訳ありません、今後は禁止です」
「そう……」
セリアン様が肩を落とす。萎れた菜のようなシルエットに胸が痛んだがさすがに困る。
わたしは寝相がよいほうではないし、髪だって身支度をしなければぼさぼさだし、ときたま涎も……。
ハッと気づいて口元を拭うと、セリアン様はまた笑った。
「大丈夫、今日は出てなかったよ」
「ギエエエエエ」
「出てなくてもダメなの?」
「そういうイメージがついていること自体が乙女にとっては大問題です!」
「ぼくは気にしないけど」
「セリアン様は変……特別です」
ぽろっと漏れそうになった本音を隠すためにベッドサイドの眼鏡をさぐる。
セリアン様には一度退室いただいて、きちんと身だしなみを整えてからまたお話を……。
「どんなクロちゃんでもかわいいよ」
思わず、セリアン様を見てしまった。
ひらかれたカーテンから見える青空をバックに、わずかに頬を染めたセリアン様が目を細めてわたしを見つめていた。
結局わたしはベッドから出る前に失神した。
***
さて、わたしはいま、セリアン様のベッド横に座り、セリアン様の寝顔をながめている。
「……」
どうしてこうなったかといえば、昼食のあと、セリアン様が仮眠をとるとおっしゃって、
「寝顔をながめているとね、夫婦になったなぁって感じがするよ。楽しかったからクロちゃんもやってみるといいよ」
と勧められて仕方なく……勧められて仕方なくだ。
セリアン様はわたしに見られているなんて微塵も気にしていないお顔ですこやかに眠っていらっしゃる。
なんの夢を見ているのかときどき笑顔があらわれた。
そのたびに胸を高鳴らせながらも、目が離せない。
気兼ねなく見つめることができるのはたしかに楽しい。
こんなにゆっくりと隅々までセリアン様を見るのははじめてだ。
その美貌にあらためて驚かされる。
髪と同じ薄金色の睫毛は、長いだけでなくすらりとのびて整列している。鼻筋は通り、唇は品がよくて控えめだ。陶磁器のような肌、という比喩が納得できる人間がセリアン様以外にこの世に何人いるだろう。その肌に落ちる影にすら味わいがある。
要は、ものすごく顔がよかった。
どれだけ見ていても飽きないし、なんならこの顔でパンが食べられる。
はじめはベッドの脇に置いてもらった椅子に座ってながめていたわたしは、吸いよせられるような引力に逆らえずじりじりとセリアン様との距離を縮めていった。
そして気づけば、ベッドに片腕をつき、上からのぞきこむ体勢になっていた。
あおむけになったセリアン様を、真上からじっくりと見下ろす。
そのときのわたしは、油断しきっていた。
さながら明かりに吸い寄せられる夏の虫のごとく、セリアン様しか見えていなかった。自分の姿については考えているようで考えていなかった。
そんなだから、ほうっとため息をついた拍子に、編みこんでいた髪が肩からすべり落ち。
セリアン様の頬を撫でた。
「ん――……クロちゃん?」
なんでそこで即わたしの名を呼ぶんですか、とつっこむ暇もなく。
ぱちりと瞼がひらいた。
「ぁっ」
アイスブルーの瞳がわたしの眼鏡を射抜いて脳を直撃する。
真正面から叩きこまれるセリアン様の美の暴力である。
一瞬のうちに意識が遠のく。
いやいや耐えて!!!
ここで失神したらセリアン様の顔面をわたしの顔面でクラッシュしてしまう。傷なんかつけようものなら土下座して謝っても償いきれない。
レベッカ様のお茶会でも部屋を出るまではふんばった。本気でがんばれば数秒は意識はもつ。
わたしはやればできる子!!!
ベッドについていた腕に力をこめ、わたしは起きあがろうとした。
しかし、起きあがれなかった。
なにかがわたしをひきとめたのである。
視線をむければ、それは腰にまわされたセリアン様の腕だった。
――ん?
「こっちむいて」
頬に指先がふれた。
セリアン様へと顔を戻される。
呆然としているあいだに、セリアン様の顔が近づいてきて。
まっすぐにわたしを見つめていた瞳は、ふたたび瞼によって覆われた。つまり、セリアン様が目を閉じた。
イケメン圧が、減った? いや、増えた。だって顔が近い。
……混乱しているうちに、唇にやわらかな感触。
…………????
視界にまたセリアン様が戻ってきた。
わたしとの距離が広まったらしい。表情がすべて見える。
セリアン様はうれしそうに頬を染めて笑っていらっしゃったが、ふとなにかに気づいた顔になって首をかしげた。
「違うの?」
違うってなにが、と考えて――そこでようやく、思考力が戻ってくる。
わたしは現在の体勢が客観的に見てどうなっているかに思い至った。セリアン様がそのことをどう勘違いされたのかも、いまなにをされたのかも、たぶん理解した。
「!?!?!?! いえ違いますこれは!! 断じて寝込みを襲ったのではなく!!」
「違うのかぁ」
「……っ、え……いま……?」
やっと手が離れてくれたので、わたしはボールがはずむような勢いでベッド脇の椅子に戻った。
正直に言えば足に力が入らない。
セリアン様は身を起こすと、ベッドからおりた。
わたしと違って髪の毛一筋の乱れもなければ、なぜかシャツに皺もないし、寝起きとは思えないほど瞳には生気があふれている。
セリアン様はゆっくりとわたしに近づいた。
「クロちゃん、気絶しないね」
「あ、えっ!?」
言われて、あまりのことに硬直していた意識が記憶に追いついてくる。
セリアン様と、キスをした。
くらり、と眩暈が視界を揺らす。
あまりの衝撃にわたしは失神――――――しなかった。
倒れかけたわたしの腕をとり支えると、セリアン様がふたたびキスをしたからである。
「ホゲエエエエエエエエ!?!?」
たぶん、キス直後の唇から出てはいけない悲鳴を発しながら、キス直後にしてはいけない顔をした。
けれどもセリアン様はにこにこと笑うだけで、わたしを抱きよせると妙な方向にひきつる頬に唇を落とす。
まって、なにが起こっているのですか、これは???
「キスをすれば、気絶しないんだ」
嬉しそうに言わないでください。
それは想像を絶する状況に精神がすっとんでいってしまっているからで、おとぎ話の眠り姫のような美しい愛の力ではありません。
セリアン様はわたしの手をぎゅっと握った。
真正面から見つめられて意識が遠のきそうになるが、そのそぶりを見せた途端になにをされるかは理解できるためにわたしは必死に意識をつなぎとめた。
これはとんでもない窮地だ。わたしはいま自分のおかれている状況をただしく悟った。
セリアン様は「これで解決策が見つかったね」と言いたげな笑顔を浮かべている。
わたしは確信していた。
早いところ自分の失神癖をなおさないと。
使用人の前だろうが、王族の方々の前だろうが。
セリアン様は、嬉々としてわたしに口づけをくださるだろう。