26.告白
翌日、わたしはセリアン様とむかいあっていた。
無作法ではあるが先にお断りをして、眼鏡は外している。さもなくばそもそもむかいあうことができないからだ。
わたしの正面に立つセリアン様は、いつものやわらかな空気をまとい、首をかしげていた。
セリアン様にはいまからなにをするのかはお伝えしていない。
セリアン様のお顔のあたりを見つめる。ぼやけて表情はわからないものの、周囲が輝いている……詳細が見えないかわりに、わたしの脳が勝手に補完しているのだ。
躊躇してはいけない。一瞬でも悩んだら、言えなくなる。
深呼吸。
「セリアン様……わたしは、セリアン様をお慕いしております。セリアン様のことが……す、すす、好き、です」
息が途切れる前に、頭のなかで何度も練習した台詞を口にのせる。
そして、おそるおそるセリアン様を見れば。
ぼやけて見えないはずのセリアン様の表情が、ぱぁっと輝くのがわかった。
「嬉しい、クロちゃん」
両手の拳をぎゅっと握って胸に当てているのは、たぶんわたしに抱きつきたいのを我慢したからだ。微妙に踵も浮いているようだ。姿勢が前のめりになっている。
表情がわからなくとも、全身の動きでセリアン様の感情はわかった。
……か、かわいい……っ!
わたしも思わず拳を握ってしまった。
セリアン様の反応に勇気をもらい、わたしはさらに言葉を続ける。
「そ、それで……さしつかえなければ、セリアン様のお気持ちも……聞かせていただけませんか」
このおねだりを言うためにわたしはがんばったのだ。
セリアン様の気持ちを疑っているわけではない。けれど、エレナに言われて考えてみれば、なにも言われなくとも気にしないでいられるほど自分に自信があるわけでもない。
とはいえいきなり想いをねだるのは申し訳なく……まずは自分から、という礼儀を通してみた。
セリアン様は、なんのてらいもなくあっさりと言ってくださるに違いない。
そのお顔はちゃんと見なければなるまいと、わたしは眼鏡をかけ、セリアン様のお顔を見上げ。
信じられないものを見た。
「……え?」
「……え?」
〝美貌の貴公子〟の美貌は、熟れたトマトのように耳まで真っ赤に染まっていた。
硬直したわたしの前で、セリアン様は胸に手をあてる。わたしの顔を見、天井を見上げ、それからまたわたしの顔を見て、眉をさげた。
気絶しようとする意識すら気絶していたようで、わたしはその一部始終をながめることができた。
数秒の沈黙が二人のあいだを通りすぎ。
セリアン様は両手を頬にあてると、消え入りそうな声で言った。
「ぼく……クロちゃんのこと好きだったの……?」
本来ならば傷ついてもおかしくない台詞だが、セリアン様に限っては許される。
ここでやっと意識が追いついてきて、わたしは失神した。
***
翌週、レベッカ様とエリナがロイヒテン侯爵邸を訪れた。
王都にいるうちにレベッカ様もまじえてのお茶会を、と言っていたのが、エリナの働きにより素早く実現したのだ。
「ひさしぶりだね、レベッカ」
「レベッカ様、その節はたいへんお世話になりました」
「ごきげんよう、セリアン、クロウディア様。その節はだなんて、わたくしはなにもしておりませんわ」
「いいえ、レベッカ様のお力添えあってこそです」
わたしがカラディア商会にいることをセリアン様に告げたのはレベッカ様だ。
そのやりとりがなければ、わたしたちの関係修復にはもう少し時間がかかっていたかもしれない。
「ではそういうことにしておきましょうか」
レベッカ様がおちついた笑みを浮かべる――しかし、おだやかな空気もつかの間。
巻いた黒髪を揺らし、レベッカ様はセリアン様とわたしを見た。
正確には、セリアン様とわたしのあいだの空間を。
「で、どうして新婚夫婦が、そんなによそよそしい態度ですの?」
あまりにも的確な指摘に、わたしはセリアン様といっしょにうつむくしかできない。
「セリアンが赤面しているわ……」
ぼそりと呟かれたレベッカ様の言葉にわたしも顔が熱くなる。
やっぱり見すごしてはくれませんよね。そうですよね。
……わたしへの恋心に気づいたセリアン様は。
わたしの顔が見られなくなっていた。
セリアン様のお言葉をねだったあの日、失神から目覚めたわたしは、ベッド脇に据えられた椅子の上で肩を丸めているセリアン様を見た。おそるおそる名を呼べば、顔を赤くして視線を逸らされた。
それどころか、あんなにゼロ距離だったスキンシップも恥ずかしくてできなくなってしまったようだ。セリアン様にエスコートしていただけないわたしは、かといってほかの誰かに頼むわけにもいかず、微妙な距離をあけてのご挨拶になったのだ。
なにも言えないわたしの隣で、セリアン様はぎゅうと胸元を握る仕草をした。
「クロちゃんが輝いて見えるんだ……胸がドキドキして息が苦しくなる」
「セリアン、あなた、初対面で結婚を申しこんだんでしょう? いまさらなにを言っているの」
わたしも思ったものの口には出せなかった、しかし当然の指摘を、レベッカ様は告げる。
このお二人は幼いころから親しくすごされ、歳は同じながらレベッカ様はセリアン様の姉のようだったと聞く。その片鱗が見えたような気がしてほっこり……している場合ではない。
「結婚は、ずっといっしょに暮らしたい相手とするものだろ? ぼくはクロちゃんといっしょに人生をすごしたいと思った。だから結婚を申しこんだ」
「つまり、そこに恋愛感情があるかどうかを考えていなかった、と」
「うん……」
「クロウディア様に、顔を見る訓練をさせているんですって?」
「ど、どうしてそれを!? あっ、申し訳ありません」
思わず口を挟んでしまうと、レベッカ様は気にしないでというようににこりと笑顔をむけてくれた。
「オズワルド様がね、なにかあるたびに手紙をくださるの。八割はセリアンのことよ」
「そ、そうなんですね……」
女性にマメに手紙を出すというのは好意のあらわれであるというが、これはどうなんだろう。
「セリアンも訓練をすべきね。クロウディア様のお顔をごらんなさい」
言われて、セリアン様がわたしを見た。
わたしもセリアン様を見返す――イケメン圧にぐらりとくるより先に、その顔は隠されてしまった。
両手で顔を覆うセリアン様。唯一見える耳まで真っ赤に染まっている。
それを見ていたらわたしの体温もじわじわとあがった。たぶんわたしは首まで赤くなっている。
「……ただのバカップルだわ」
レベッカ様のため息が聞こえた。
エリナも隣でうなずいている。
「もうこのままでいいんじゃない?」
エリナの言葉にわたしは首をふった。バカップルにしか見えないことは同意するが、このままでいいということはないと思う。
だっていまも意識が遠のきそうになった。
「応援しているわ」
いつかのお茶会のときのように、レベッカ様はやさしく手を握ってくださった。
でもその唇の端はふるえていた。