五話
地下の鍛錬場を後にしてから約30分。
夕餉の支度を始める時間にしては随分と早かった事が幸いしてか、思いの外、時間は経過していなかった。
割りかし大きめの声で、注目を集めるように声を張り上げる。
「ただいまー……って、あれ、アルーヴは?」
戻ってきた鍛錬場。
寝そべっていたり、本を読んでいたり、武器の手入れをしていたり。各々が自由に過ごす中、いくら見渡せど、アルーヴの姿が見えない事に疑問を覚え、俺はそのまま言葉にして声に出した。
「連日の疲れが溜まってらっしゃったので、適当に部屋をあてがいましたが……問題ありましたかねぇ? あ、ちなみに一番端の部屋ですよぉ」
「あ、それもそっか」
視線の先。
どうにも、鍛錬中に意識を失った俺が安静にする為にと、良く使っていた部屋をあてがったらしい。
この鍛錬場は俺の鍛錬場所であり、そして彼らの住まいでもある。空き部屋は後幾つだったかな、なんて考えながらも取り敢えずはアルーヴの事を放っておく事にした。
「それはそうと。ふと思ったンだが、坊主てめ、来年からどうすンだよ。学園とやらには行くのか?」
夕餉の食材の入った袋を移動させていると、ごろりと寝そべっていたハランから声が飛んでくる。
「まぁこれでも一応貴族だし? これが面倒臭い事に行かないとダメなんだよねえ……。それこそ、寝たきりだとか滅多な理由がないと行かないで済むような事態にはならないかな」
「貴族ってンのも面倒臭ェンだな」
まぁ、オレは未だにテメェが貴族な事を信じらンねェんだが。
などと付け加えるハランに、俺は苦笑いで返した。
貴族の癖に馬鹿みたいに鍛錬するわ、奴隷に頭下げるわ、金銭に殆ど一切の執着を見せないなどエトセトラ。
確かに貴族らしくないよなあと、思い返しても心当たりしか見つからない。
「けど、従姉さんと一緒に通えるのは利点なんだけどね。てか、それしか利点ないし。それすら無かったら学園なんて行くかっての」
「マジで筋金入りだよなァ」
「ソイツの場合、ダイヤモンドでも敷き詰められてそうですけどね」
「くはっ、違いねェ」
本を読んでいた筈のアンナも会話に参加。
けれど、フィーネへの愛が重いなどと言われても俺にとっては褒め言葉なので、相変わらずの毒舌だろうと痛くも痒くも無い。
「けどよ。鍛錬はどうすンだ? 学園行くってンなら時間も限られるだろ?」
「問題はそれなんだよねえ」
テキパキと早速、夕餉の準備を始めてくれていたフェレアの下へ向かいながらも悩ましげに唸りあげる。
ただでさえ、4年も既に経過してしまっている状況。
出来る事なら今まで通り、鍛錬に打ち込みたいところなのだが、学園に通う事は貴族の義務でもある。
無理矢理にでも行かない。という選択肢は取れるだろうが、そうした場合、どこかでツケが回ってくる可能性が生まれる。
不安要素は可能な限り増やしたくは無いというのが本音。
ゆえに、行かないという選択肢を選ぶつもりはなかった。
「学園に通うのであれば、時間も限られるでしょうし、これからは特に近接戦闘に時間を多く割くべきですかねぇ。魔法に関してはまあ、ワタシが教本のようなものでもお作りいたしますのでぇ、それを使って学園にて魔法を学んで頂ければ宜しいかとぉ」
「確かに、魔法に関してはそうした方が良いかもしれないわね。なにせ近接戦闘は身体に叩き込むしかないもの。ぶっちゃけって魔法なんて才能9割努力1割くらいよ」
主に魔法を教えてくれているセシャリアがレガシィの提案に同調。その際に何か身も蓋もないような言葉も聞こえてきたけれどそれは都合よくカットしておいた。
「あ、それはこちらにお願いします。後は私が全てやっておきますので」
コンバットナイフを片手に、食材の用意を始めるフェレアにそう告げられ、遠回しに追い出されてしまう。
どうにも、神様は俺に料理の才能を授けてはくれなかったようで、野菜を切るだけでもそれはもう酷い残状が生まれるのだ。
「……あ、うん」
取りつく島もない様子に、気落ちしつつも俺はトボトボとその場を離れる事にした。
俺が料理しない事に対して安堵したのか、安心したような表情を見せながら手招きをするハランにほんの少しだけムカッとしてしまうが、己の料理才は天災の域だと自覚があったのでここは穏便に胸にしまっておく。
「にしても、瞬殺だったなァ?」
一瞬、なんの事? と疑問に思ったが、すぐにそれがアルーヴとの戦闘の事だと理解し、小さな溜息を吐いた。
「もし、相手が油断してくれてたら傷の1つ負わせれたかもしれなかったけど……どこかの誰かさんが余計な忠告をしてくれたおかげで瞬殺だよクソ」
「く、ははッ。まぁいいじゃねェか。あの『黒狼』相手に1分近く戦う事が出来るガキなんぞテメエくれェだぜ。例え弱ってたとしても、だ」
「『黒狼』?」
「あの男の通称だ。結構有名だったンだよ」
風の噂ではあるが、散々にカシェレア王国を苦しめたうちの1人と聞いていた事もあり、その言葉には素直に頷いた。
「だろうね。隙なんて一切なかったし」
肌を刺すような圧倒的なプレッシャー。
服越しにも分かる鍛え抜かれた体つき。常に最適の答えを見落とさないように周囲の警戒を怠らないあの所作。
「まあ、時間稼ごうと思えばもう少し出来ただろうけど——」
「あン?」
「そうすると、多分、何かがあると勘付かれて暴風は決まらなかったような気がする」
「その理由は」
「勘」
人を納得させられるような理由はない。
けど、どうしてか、丁寧に戦おうとすれば、すぐに潜めていた魔法陣がバレてしまうような。そんな気がした。
だから直線的にやろうと思った。
だから、『エンチャント』を選んだ。
「勘、か。そうか、勘か」
およそ他者を納得させられないような答えにもかかわらず、ハランは面白おかしそうに愉快に笑う。
「戦場において、その勘っつーのは何よりも鋭利な武器になる。忘れるな、その感覚をよ?」
「あ、うん」
「かぁーっ。やっぱテメエは貴族っぽくねェわ」
「……なんでだよ。素直に頷いただけなのに」
「貴族連中は嫌うんだよ。その勘に頼るのを、な。貴族出の騎士どもは特にな。だからテメエ見てるとなんつーか、やっぱ調子狂うわ」
あっけらかんとするハランに対し、理不尽だと言わんばかりに恨めしい視線を向けるが、貴族に生まれた事を恨めと一蹴される。
「あー、酒飲みてェ」
「酒臭くなるのはいいけど、俺に匂いを移さないでくれよ」
「そのセリフは、あそこのババアに言うんだな。浴びるように飲むのはいつもあそこのババアだけだ」
そう言ってセシャリアを指差す。
心なしか、頭に2本ほどツノが生えているように見える。
「……駄犬には大人の女の魅力ってものが分からないものね。ええ、ええ。仕方ないわ。ワンキャン五月蝿いけど、ワンコの独り言くらいなら見逃してあげるわ」
「あ゛ぁ゛!?」
基本的に、俺が教えを乞うている人間同士の仲は最悪の一言。
各々、個性が強過ぎるのが原因なのか、口喧嘩は日常茶飯事でたまに血みどろの殺し合いにまで発展したりする程。
だからこういった言い合い程度は日常的な光景と言えた。
「ねえ、ユウくぅん?」
粘着質な猫なで声が俺に向けて発せられる。
セシャリアの声だ。
はっきり言って嫌な予感しかしなかったけど、声を掛けられた手前、無視するわけにもいかない。
「……なに」
「貴方なら分かるわよね? 大人の女の魅力が……、ね?」
しなを作り、それなりに膨らんだ双丘を寄せたり、くねくねと身体を扇情的に動かすセシャリアだったが——。
「ほら、ほら。貴方なら特別に——」
「フィーネ以外興味ない。ごめんねセシャリア」
「なに即答してんのよ!? ぶっ殺すわよ!? このクソガキが!!!」
「ぎゃはははッ!! 振られてやンの、ぷっ、く、ははッ!!! はら、痛ェ、くハハッ。さっすが坊主!! クソ面白ェ、ぎゃははははッ!!!」
「……ふ、ふふっ。ふふふ、今日という今日は貴方たち2人とも灰にしてあげるわ」
ゴゥッ。と唸りあがり、視覚化できる程の魔力の塊がセシャリアの手のひらに収束されていく。
色は赤。魔法の属性は炎だろう。
「メシ前の運動といくかァ!! おい坊主!! 援護しろ!! あのババアをのして全部酒飲むぞ!!」
「いや、俺は酒なんて要らないし……」
「あんた、ねぇッ!! ババアババア五月蝿いのよ!!! いい加減、ッ、だま、れッ!!!!」
「きひっ。今日も今日とて賑やかですねぇ」
オラァッ!! なんて掛け声と共に盛大な破裂音が耳を劈き、衝撃が地面を伝って僅かにずずず、と地震のごとく足場が揺れ動く。
「……なんなんだこれは」
「いつもの事です。ワンコと厚化粧とシスコンバカの喧嘩なんて一日一回は起こりますし」
「わん、こ? 厚化粧……、シスコンバカ?」
「……あそこで暴れてる三馬鹿の事です」
轟音のせいで目が覚めてしまったのか。
困惑の表情を浮かべつつ部屋から顔を出したアルーヴに軽く説明をするアンナ。
心底嫌そうに轟音を遮らんと手で両耳を塞ぎながらも、顎をしゃくって指し示す。
「淫乱娘が夕餉の準備を終えたら勝手に収まりますし、私としては部屋に戻る事をオススメしますが」
「いや、いい。別におれに被害はなさそうだしな」
「そうですか。では、どうぞご勝手に」
ペラリ。
片手は耳を抑えたまま、手にしていた本をアンナは再び読み始める。
「……その本は?」
「シスコンバカに貰いました」
「仲、良いんだな。あの子供と全員が」
「……貴方の目、腐ってるんじゃないですか?」
ギロリと鋭い眼光を向けられるが、歴戦の戦士たるアルーヴにとってはその程度の威圧は気にも留まらない。
それよりも、彼の視線はアンナの言う三馬鹿に釘付けである。
「信頼、してみるのも悪くないかもしれないな」
一切期待していなかったと言えば嘘となる。
けれど、3年間の鍛錬に付き合うという言葉と引き換えに出した条件。それを満たせるなどと、アルーヴはあまり期待していなかった。
見たところ、見知った顔も何人か見受けられる。
彼らは無条件に人を信頼してくれるような聖人でない事は誰より、アルーヴは理解していた。
「信じるのは自由ですけど、裏切られても知りませんよ」
「その時は、おれの見る目がなかったと言う事。ゆっくり見定めさせてもらうつもりだ」
「ま、私の事ではありませんし、勝手にして下さい」
ここに居ついている。という事は、キミもある程度の信用をしているんじゃないのか。
なんて言葉が浮かんでしまったが、アルーヴがそれを口にする事はなかった。
妙な縁に恵まれてしまった、か。
そんな事を思いながら、ひとり、想いを馳せるように天井を仰いだ。




