*25*
ネルは真っ青な顔で、主マルグレーテの背を追う。
「マルグレーテ様、お戻りになった方が……」
ネルは逃げ出してきた王妃塔をちらりと見た。きっと、今頃は大騒ぎだろう。次期王妃が消えたのだから。
「新作が出ているって言うのに、こんな所にいられないわ」
マルグレーテは辺りに人気がないことを確認すると、バッと走り出す。
ネルも慌ててマルグレーテを追った。
王都は賑わっている。三日後に行われる婚姻式のために、街は彩られていた。マルグレーテの飴色の髪を思わせるような光沢のある布と、ザグレブの赤金糸の髪に似た布があちこちではためいていた。
街の店では婚姻を祝う限定品が売られている。
「ネル、全て揃えられるかしら?」
「え、まさか新作全てを購入するおつもりですか?」
「え、全て揃えなくて、何のための脱走よ?」
「……えーっと、まあそう言われれば」
「先ずは、新しい街から回りましょう」
「あっ、そうですね。うっふん」
ネルのニンマリ笑った顔にマルグレーテは『何よ?』と問う。
「初めての出会いの場所ですからでございましょうか?」
「ち、違うわよ! 新しい街を見たいだけよ!」
マルグレーテはずんずんと進んでいった。ザグレブと出会った最初の場所に向かって。
マルグレーテらは明るい路地を歩む。初めて会った時には闇の路地であったが、今や新しい街まで伸びる路地は、道幅が広がり街頭まで灯るまでになっている。といっても、まだ昼間であり単に明るいだけだ。
闇市を開いていた廃虚街は、水路が張り巡らされ水の街となっている。この街を作ったのはホマーニである。領地を失ったホマーニに、ザグレブが命じたことは、この廃虚街の再開発であった。
「ふはっはっはっは!」
マルグレーテの見つめる先に、そのホマーニがふんぞり返っている。
「この街は、私の名にちなんで『マニマニ街』としよう! この街を拠点に再度儂はのしあがって見せようぞ! ふはっはっはっは!」
マルグレーテは細い目でホマーニに見つめている。ゆっくり、気づかれずにホマーニに近づいていく。
「この大侯爵ホマーニの好敵手よ、小娘め!」
街の住民はやれやれといった呆れ気味の顔である。
「儂はここで落ちぶれてなどいないわっ! この街こそが儂を羽ばたかせてくれよう! 水都『マニマニ』の威光が必ずや帝国王様の耳にも入ろうぞ! ふはっはっはっは、そしーてー、儂は晴れて王城入りだ。イーッヒッヒッヒ」
マルグレーテはホマーニの背後に忍びよる。
「そこは帝国王じゃなく、ザグレブ帝でしょ」
「おーそうじゃった! このジャンテをさらに拡大したジャンテ帝国二代目、ザグレブ帝……儂はわかっていたぞ! あの類いまれなる才能は、ルクア領主であった儂にはわかっていたのだ!」
そんなわけあるか‼ と街の誰もが内心思っている。ホマーニの失態はジャンテ域には十分に広まっているからだ。呆れ顔だった民らは、背後のマルグレーテに気づき、口もとを押さえている。クスクス笑いを閉じ込めているのだ。
「儂は心を鬼にして、彼の帝に辛くあたっていた。懐かしいのお、ルクア領が」
「さすがはホマーニね。私も見習わなきゃ」
「おお、見習え見習え……んっ?」
「私も心を鬼にして言うわ。ホマーニの再開発地区以外への外出は、許可できないわね。そのおつむと口が改善しない限り無理だわ」
ホマーニはこの再開発地区以外には出てはいけないことを条件に、お咎めなしであった。
ホマーニはギッギッギと顔を横に向ける。マルグレーテを確認すると、大口を叩いていた口がカクカクと震える。
「こ、こ、これは、これはマルグレーテしゃま!」
「噛んでるわよ」
「ひゃい!」
「ホマーニ、その歳で噛んだって全然可愛くないわ」
マルグレーテはハァとため息を吐いた。
ホマーニはビックンと体を跳ねさせ、ズザザザザとマルグレーテから離れる。距離をとったことで焦った気が少し落ち着いたようで、ホマーニは佇まいを正した。
「いやあ、忙しい忙しいのです。三日後の噴水除幕式の準備で忙しいのです。あは、あははは、マルグレーテ様、では」
ホマーニはゆったり三歩ほど歩んだ後、脱兎の如く逃げていった。
民らは、大笑いである。面目を保つためのゆったり三歩がさらに、笑いを誘ってしまっていた。
「あら、お早い逃げ足だこと。せっかく褒めようと思っていたのに。こんな素敵な街を作り上げたのだものね」
マルグレーテは民らに微笑んだ。
街は笑顔に包まれている。しかし、相変わらずというか、その空気を読めぬのはネルだ。
「一番の逃げ足はマルグレーテ様ですよ」
そうキョトンと言われては、マルグレーテはガックシと肩を落とした。
「ですが、あのようなホマーニ様をあのまま放っておくのですか?」
ネルの言い分も理解できる。あのような、つまりマルグレーテに敵意をなお抱くようなと言うことだろう。
「あら、いいのよ。だって、あれがホマーニの役目だもの」
マルグレーテはクスクス笑う。
現状に反感を持つ者は、ホマーニの元にすり寄ってくることになろう。ああやって、反感を見せているのだから。ザグレブが破天荒で強靭な帝になろうが、庶子であることを嫌う者もいるし、地方爵の田舎娘を王妃と崇めぬ者もいよう。
それら反逆者の芽を、ホマーニが摘むのだ。ホマーニはすでにマルグレーテの手駒である。大々的に装うことで、マルグレーテと反目している存在に映ろう。その実、ホマーニはすり寄ってきた不埒者や悪さを計画する者らを、マルグレーテに伝える役目であった。
「そうですねぇ、ホマーニ様のあれは皆様に笑いを起こさせますし、素敵な役目ですね」
やっぱり、ネルは理解していなかった。
マルグレーテとネルは、いつものマカロンの店に入る。もう夕暮れだ。朝早く王城を出たにも関わらず、未だにマルグレーテは捕まっていない。何度も危うい時はあったが、ケインの機転で逃げることができた。
「いらっしゃいませ、マルグレーテ様」
店主はいつものようにマルグレーテをもてなす。
「新作のディップ式マカロンです」
クリームの挟んでいない色とりどりのマカロンと、これまた色とりどりのクリームがテーブルを華やかせた。
「まあ! 自分で好きなようにできるのね」
マルグレーテは楽しそうにマカロンに手を伸ばした。
「お待ちを、マルグレーテ様」
店主はニコニコしながら、マルグレーテの手を遮った。
「こちらを食べるには条件がございます。ご自身が作ったマカロンをお相手が食べること、食べさせてあげることが条件でございます」
マルグレーテは店主の条件を聞き、ネルを見る。ネルは食べさせてもらうなど、滅相もないとばかりに手を振っている。
「ああ、もうひとつ。この新作は婚姻を祝う限定品でして、婚姻を祝うのですから……ディップを食べ合うお相手は、もちろん互いに想いを寄せ合う方という条件がございます」
店主はそう言うと、チラリと店の出入り口に目を向けニヤッと笑った。
瞬間、マルグレーテは立ち上がる。逃げ足が速いのは、危機を察知する能力に長けているからだ。
「ここで会うのは二回目だな」
立ち上がったマルグレーテを、逞しい腕が捕らえる。
マルグレーテはその腕をポカポカ叩いて必死に逃れようとした。
「離して!」
「嫌だね」
相変わらずのザグレブである。ザグレブは、マルグレーテをソッと椅子に下ろした。しかし、腕は離れない。マルグレーテの前でザグレブは片膝をついた。腕を離すと同時にマルグレーテの手を取ったザグレブは、その甲に口づけをする。
「上書きだ」
ザグレブのそれは、はじめてこの店であったことをさしている。シーバルに口づけられたことの上書きだと。
「そ、そ、そのようなこと!」
テンパっているのだろう、マルグレーテの言葉はワタワタしている。
「マルグレーテ様、これで新作が食べられますね。どうぞ、お二人でごゆるりと」
店主らが退いていく。
マルグレーテはすがるように、皆を見つめるが誰もそこに佇もう者はいなかった。
「マルグレーテ」
ザグレブはマルグレーテを呼ぶ。未だ膝をついてマルグレーテを見つめるザグレブは、心落ち着かぬマルグレーテをクスリと笑った。
その笑みに、マルグレーテが頬を膨らせる。
「ムカつくわ」
「ああ、俺だってそうだったろ?」
マルグレーテはザグレブの発言に笑った。
「ムカついて、手元にいないのが気にくわないのかしら?」
「ああ、手元にいないのが気にくわないな。だが、もうムカつくことはない。ただお前を無限に可愛いと思う。可愛いから手元で見ていたい。膨れた頬だって、負けん気が強い瞳だって、怒った顔だって、泣く顔も全て可愛いと思う。……マルグレーテ、俺に捕らわれてくれ」
マルグレーテの頬にポロリと流れたそれを、ザグレブの手が拭う。
好きな者の前では、誰だって乙女だ。お転婆だろうがなかろうが。男とてそうだろう。好きな者のどんな姿も腕の中に留めたいと思うものだ。
「そ、んなに……簡単に……捕らわれないわ」
震える発言とは真逆に、マルグレーテはザグレブの腕の中に飛び込んだ。
がしりとマルグレーテを抱えたザグレブは、そのまま立ち上がる。
店内に歓声が上がった。
「いつだって、捕らえにいってやる。お前は心のままにすればいい」
お転婆嬢は帝国王の腕の中に……
終わり
最後まで読んでいただきありがとうございました。
あとがきは午後に活動報告にて。




