番外編
穏やかな午後、フィシャル家の一室。
【業務連絡:明日PM1時 庭のアーチ新調予定 手伝える者求む】
と書かれた札の掛かる室内。――相変わらず札はフィシャル家に仕える者達に良いように使われているが、今更それをリーズリットが気にするわけがない。むしろ「庭のアーチが新しくなるのね、楽しみ」と胸を弾ませていた――
そんな室内には、向かい合って座り優雅に紅茶を飲む一組の男女。言わずもがなリーズリットとハインリヒである。各々の背後にはこれまた言わずもがな従者が控えている。
いつ紅茶のおかわりを求められても良いように、むしろどちらかのティーカップが空になったら言われる前に注ごうと、ティーポットを片手にそわそわと待ち構えているのはルーナ。対してディークは今日もまた転職情報誌を眺めていたが、途中でふわと欠伸をすると転職情報誌を閉じてゆっくりと瞳を閉じた。
普段通りの長閑な室内。
窓から入り込む風は心地良く、リーズリットの金の髪をふわりと揺らす。あと少ししたら、日が落ち風も徐々に冷たさを伴うだろう。
そうしたら先日新調したケープを羽織ろう、きっと素敵な組み合わせだわ……とリーズリットが心の中でコーディネートを楽しむ。
「ところでハインリヒ、今日はどうしたの?」
「聞いてくれリーズリット。最近俺達は順調に婚約関係を続けているだろ」
「えぇ、誰が見ても完璧な婚約関係だわ」
「だが俺達はまだ行っていない事がある。婚約関係、恋人同時ならば当然のようにする事だ。うっかり忘れていた」
ティーカップを置くや見つめてくるハインリヒの瞳に、リーズリットが佇まいを直した。先ほどまでの長閑さを堪能していた時とは違う、真剣な瞳だ。
だが【恋人同士ならば当然のようにする事】と言われても、いまいちリーズリットにはピンと来ない。なにせハインリヒとは互いに望んで婚約関係に戻ったが、いまだ二人の間に恋心は欠片も無いのだ。
リーズリットは相変わらずムキムキした男性の胸筋にうっとりとしてしまい、ハインリヒもムチムチした女性が前を通ると表情をゆるめてしまう。
これを恋仲とは言い難い。だが望んで婚約関係にある。そして周囲にそれを悟られないようにしなくてはならない。
「それは大変だわ。ハインリヒ、早くその【恋人同士なら当然のようにする事】をしましょう!」
「あぁ、そうだなリーズリット。だが実行する前に計画を立てなければならないんだ」
「そうなのね。でも、そろそろその【恋人同士なら当然のようにする事】を教えてちょうだいよ」
じらさないで、とリーズリットが訴えれば、ハインリヒが苦笑を漏らした。どうやらわざと遠回しな言い方をしていたらしい。
悪戯っぽい彼の表情からそれを察し、リーズリットがクルリと背後を振り返った。そこにいるのは勿論ルーナだ。
「ルーナ、意地悪なハインリヒにはうんと渋い紅茶を淹れてあげて」
「はい、畏まりました。うんと渋く、コーヒーより濃い色を出してみせます」
リーズリットの仕返しに、ルーナが乗って返す。これにはハインリヒも参ったと言いたげに謝罪の言葉を口にしてきた。
そうして改めるように「それで」と話し出す。
「その【恋人同士なら当然のようにする事】なんだがな」
「えぇ、いったい何なの?」
「それは……デートだ!」
答えを突きつけるように言い切るハインリヒの言葉に、リーズリットが小さく「デート」と呟き……次いではっと息を呑んだ。
「そうだわ、確かに恋人同士ならデートをするものよね! デートをしてより仲を深めるものよ!」
「あぁ、そうだ。想い合う男女ならデートをするものなんだ。俺としたことが忘れていた。だが今からでも遅くない、リーズリット、デートをしよう!」
「えぇ、デートしましょう!」
いざ! と意気込むと共に二人そろえて立ち上がり……そして再び座り直した。
デートとは外出、どこに行くかを決めないことには出かけようがない。だからこそハインリヒは計画を立てなければと言ったのだろう。
「それでハインリヒ、デートをするとしてどうするの?」
「俺達はデート初心者だろ、だからなにか失敗をしてしまうかもしれない。そこで考えたんだが、最初はダブルデートというものから初めてみようじゃないか」
「ダブルデート?」
聞き慣れぬ言葉にリーズリットが首を傾げる。
ハインリヒ曰く、ダブルデートとは二組のカップルが共にデートすること言うらしい。
単なる男女の集団に見られる可能性もあるが、デート初心者には適しているだろう。そのうえ同行するのがデート経験者のカップルであれば、ダブルデートの最中に恋人らしくデートする術も学べる。
そんなハインリヒの説明を聞き、リーズリットがなるほどと頷いた。さすがハインリヒ、自分達が初心者であることを自覚したうえで手を打ってくるとは。向上心が計り知れない。
そう関心しつつ、次いでリーズリットが視線を向けたのはルーナだ。再び主人に見つめられ、意図を察したルーナが誇らしげに頷いて返してきた。
「お任せください! このルーナ、デート経験者としてお二人を導いてみせます!」
瞳を輝かせて宣言するルーナのなんと頼りがいのあることか。痛々しい目元の傷は普段ならばか弱く見えるが、今は瞳に宿る強い意志を前に霞んでいる。
対してルーナのデート相手であるディークはといえば、彼女がデートの詳細を話しやしないかとハラハラしていた。やましいことがあるのか、「先日の話は」だの「夜に会った時の話は」だのと止めようとしている。だが強引にルーナを制する事が出来ないのは、無理に止めて逆に言及されることを恐れているのか。
――幸いリーズリットはそんなディークの態度に気付かずにいたが、ハインリヒは気付いてニマリと笑みを浮かべた。冷静沈着で麗しいと謡われる彼らしくない、なんとも年相応で意地悪な笑みだ――
「ねぇルーナ、デートっていうのはどこに行くの?」
「色々なところです。お洒落なレストラン、長閑な公園、素敵な観劇……恋い慕う相手が隣にいれば、どこだってデートになるんです」
「そうなのね。分かりやすくて助かるわ。それならハインリヒ、どこに行くのか今すぐに決めましょう!」
リーズリットが意気込んでハインリヒを誘う。彼もまたやる気を漲らせており、リーズリットの言葉に深く頷いて返してきた。
次いで彼が見上げたのは壁に掛けられた時計だ。時刻を見ればそろそろ夕刻にさしかかる。
「リーズリット、作戦会議がてら夕飯は外に食べに行かないか? 先日知人にいいレストランを紹介してもらったんだ」
「まぁ、どんなレストランなの?」
「高台にあって夜景が見えるらしい、ちゃんと窓側の席を押さえておいたよ」
「素敵! 是非エスコートしてちょうだい!」
リーズリットが瞳を輝かせながら了承すれば、ハインリヒも嬉しそうに笑った。
次いでリーズリットが再び背後を振り返るのは、ルーナも異論は無いだろうと確認するためだ。四人で始めた会議ならば、レストランにも四人で行って四人で話をしなければ……。
だが振り返った先にいたルーナは残念そうな表情で同行は出来ないと告げてきた。見ればディークも同じなのだろう、小さく首を横に振っている。
「先程ハインリヒ様からお誘いを頂きましたが、本日は夕方から『フィシャル家メイド会議~春の陣~』が行われるんです」
「まぁ、そうだったのね」
「フィシャル家に仕える者として、これに出席しないわけにはいきません。それに去年の冬の陣のこともありますし……今回は奥方様付のメイド達には負けません!」
「闘志が漂っているわ。さすがルーナね! レストランはまた今度一緒に行きましょう、ルーナは去年の雪辱を晴らして!」
「はい、必ずや! 倍にして返します!」
ルーナが闘志をたぎらせながら拳を握る。痛々しい傷跡の残る手だ。だが長年フィシャル家のメイドとして仕え、リーズリットの世話役として支え、そしてメイド大会議を幾度となく乗り越えてきた手である。なんと勇ましい。
仮にここに他家の者がいれば、事情を知らず「会議程度で大袈裟な」とでも言っただろう。もしくは本当に会議なのかと疑ったはずだ。
だが生憎とこの場には、メイド会議に出席するルーナと、フィシャル家のリーズリット、そして……、
「メイド会議か、そろそろうちも行われる季節だな。なぁディーク、いつか知ってるか?」
「いえ、ですが最近メイド達が殺気立ってるので、近々でしょうね」
と、フィシャル家と同様のメイド会議を行うボドレール家のハインリヒと仕えるディークしかいない。つまり違和感を訴える者はいないのだ。
――むしろ両家合同メイド大会議も年に一度行われており、ルーナはその大会議に選抜されるための闘志も燃やしていた――
「メイド会議は長引きますので、レストランの予約時間には間に合いません。残念ですが今回のお誘いは辞退させて頂きました」
「そうだったのね。それならディークは? 何か用事があるの?」
そうリーズリットが尋ねれば、ディークがむぐと口をつぐんだ。
もごもごと何か言いたそうにし、「俺も」だの「用事が」だのと明確な言葉は言わずはっきりしない。
そんなディークをしばらく見つめ、リーズリットが再びルーナへと視線をやった。
心なしかルーナの頬が赤い。嬉しそうに微笑み、リーズリットの視線に気付くとより赤みを増した頬を押さえた。
「なるほど、そういう事なのね」
「メイド会議の話をしたら、終わるまで待っていてくださると……」
嬉しそうにルーナが話す。その時のことを思い出しているのだろう、なんとも幸せそうな表情ではないか。
仕事が終わるのを待ち、そして二人で食事に行く……。これもまた立派なデートだ。うっとりとしたルーナを煽れば、演奏の聞けるレストランに行くのだと話してくれた。――うっとりとしている時のルーナは口が軽くなる。とりわけリーズリットが「それで? ねぇ教えて」と先を促すと、照れつつもあれこれと喋ってしまうのだ。真っ赤になって口を噤むディークとは対照的である――
そんなルーナの熱に当てられ、リーズリットがほぅと吐息を漏らした。
ルーナとディークはまだデートには出発していない。なにせ今この会議室に居るのだ。彼らがレストランに行くのは数時間後。
だが今夜デートに行くと話す二人からは、これでもかと恋人の空気が漂っている。ふわふわとハートマークが飛び交いそうなほどだ。
これがデートの力なのね……とリーズリットが瞳を細めた。
なるほど確かにこれは婚約関係をアピールするには有効手段だ。
「ハインリヒ、私達もデートをしましょう!」
「あぁ、そうだな! そのためには作戦会議だ! 夕暮れの公園が人気スポットらしいから、レストランに行く前に寄ってみよう」
「事前調査が行き届いてる、さすがハインリヒね!」
そうリーズリットがハインリヒを誉めつつ立ち上がれば、彼もまた頷いて立ち上がった。
さぁ出発だ! と意気込む二人の瞳は、色こそ違うが同じ度合いの闘志が漲っている。
そうしてリーズリットがハインリヒに手を差し伸べた。デート成功を誓い合うための握手である。
だがハインリヒはそれを見て穏やかに笑うと、闘志を表すように固く握り返し……はせず、きゅっと優しくリーズリットの手を握ってきた。大きな彼の手に包まれ、指を絡ませられ、リーズリットの中で業火のようにたぎっていた闘志が緩やかに落ち着き始める。
「……あら」
「どうしたリーズリット。……あぁ、もしかして握手がしたかったのか? すまない、こっちの繋ぎ方だと思ってしまった」
「大丈夫よ、こっちでも良いの。さぁレストランにエスコートしてちょうだい」
ハインリヒの手を握ったまま強請れば、彼が穏やかに笑ったままゆっくりと歩き出した。
ルーナが恭しく頭を下げ「行ってらっしゃいませ」と見送ってくる。さすがに万年反抗期のディークも主の出発には「お気をつけて」と言葉を掛ける。
そんな二人に見送られ、リーズリットはハインリヒと手を繋いだまま会議室を後にした。
「あれがデートじゃないのなら、いったい何がデートだって言うんだ」
というディークの一言は生憎と二人には届かず、唯一聞き取ったルーナは楽しそうにクスクスと笑うだけだ。
「ハインリヒ、ハインリヒ! 大変よ!」
「どうしたリーズリット」
「私達のお話『円満に婚約を破談させるための、私と彼の共同作業』が書籍化するの。むしろしてるのよ! 発売中よ!」
「そうか。ありがたいことに『第六回アイリス恋愛ファンタジー大賞』で大賞を受賞し、ついに書籍化するのか。いや、してるのか」
「えぇ、既にしてるのよ。書店に行けば並んでいるのよ」
「WEB掲載分の加筆に、新たに書き下ろした二話目『円満に婚約を継続させるための、私と彼の共同作業』を加え、かなりの増量らしいな」
「えぇ、スフィンクスキャットがノルウェージャンフォレストキャットになるぐらいの増量よ」
「さすがリーズリット、分かりやすい表現だ。それじゃ手を繋いで本屋に行こうか」
「えぇ、手を繋いで行きましょう!」
「というわけでディーク様、スフィンクスキャットがノルウェージャンフォレストキャットになりました」
「書籍化だな」
「お嬢様の例えは分かりやすく品が有り、愛らしさと知的さが溢れています」
「そうか」
「加筆分には何故私がこのような傷だらけになったのかも書かれています。あとはリーズリットお嬢様のお友達や、呪いの……といった新規のキャラクターも加え、賑やかな一冊となりました」
「……そうか。いや待て、呪い?」
「詳細は10/30活動報告をご覧ください」
「……ルーナ、呪いってなんだ?」
「どうぞよろしくお願い致します」
「ルーナ、答えてくれルーナ。呪いってなんだ」
「それはさておき、スフィンクスキャットもまた趣のある愛らしさですね」
「ルーナ、呪いってどういうことなんだ。ルーナ、ルーナ」
ご報告が遅くなり申し訳ございません。
今作が『第6回アイリス恋愛ファンタジー大賞』にて大賞を頂き、11/2に書籍発売となりました。
WEB掲載分加筆に、更に同量の第二話を書き下ろした一冊となっております。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
本当にありがとうございます!




