スクルートと酒場の歌姫
長い茶色い髪は緩やかに巻かれ、柔らかそうな肌、長いまつ毛、魅力的なぷっくりとした唇、全てを認めてくれるような優しい笑顔。そして魅力的な歌声……
何故こんなにも彼女のことが気になるのだろうか
スクルートは寝ても覚めても、酒場の歌姫を思い返していた。
今日は仕事を求めて、騎士団へ入団を応募し、冒険者ギルドに行って日雇いの現金収入をする予定だ。時間があまれば、宿の仕事を手伝って、宿代の減額を請求しよう。今日の予定も完璧である。
……完璧だったばずだった。
慣れているはずのスケジュール確認が頭に入ってこない。何故か酒場の歌姫の顔がチラつく。
気がつけば夜の酒場にいて、彼女の姿を視線で追ってしまう。
あの美しい方は、歌っている時に何を考えているのだろうか。
自分を見つめる私をどう思っているのだろうか……
彼女は美しい。素晴らしい資産価値である……
キホテールは、そんなスクルートを見て困っていた。
酒場の歌姫は子持ちだ。下手したら旦那がいる。
うっとりと遠くを見つめて呆けているスクルートに、どう伝えるべきか悩んでいた。
まさか、こんなに入れ上げるとは想像しなかったのだ。
(スクルートは結婚初日に妻を数字で呼んで、離婚された奴だからな。女性への免疫はあるはずなんだが……)
ある日、宿の主人が用事で忙しいらしく、スクルートに簡単な料理を依頼していた。スクルートは宿代を稼ぎたいので、喜んで引き受けた。
キホテールは、心配で時々スクルートの様子を見ていた。ただ、魔道具屋のタイムセールの時間だけは宿を離れた。
念の為に、台所に時間が来たら鳴り出す魔道具を置いていく。
スクルートも、これは便利だと喜んでいた。
キホテールが店から帰ってくると、宿中が焦げくさい。慌てて台所に行く。
「おい、スクルート! この焦げくさい匂いは何だ?」
「ああ、キホテール。早かったな」
「スクルート……!」
「そうだ、キホテール。いい床屋を知らないか? 魔道具屋なら良い仕立て屋も知っているだろう。おまえ聞いてくれないか?」
「はあああ!?」
「こんな姿では彼女に嫌われてしまうかもしれない。彼女に相応しい男にならなければ……」
ゴツッと音がした。
キホテールが毛を逆立てた猫のように後ろに飛び下り、頭を柱にぶつけたのだ。
精霊達が心配そうに、彼の周りを飛んでいる。
「い、いてて…」
「相変わらず奇天烈な行動をするんだな、キホテール」
「今は、お前のほうが奇天烈だよ!」
「……そうだ。酒場の歌姫の名前を知らないか? 話しかける時に、名前も知らないのは失礼だからな」
キホテールは混沌を見つめるような瞳で、スクルートを眺める。
「彼女の名前は、アイリーンだ。ただ、彼女は……」
「アイリーン。美しい名だ。彼女に相応しい。愛称はアイラ、リーナ……何がいいだろうか」
「いやそれよりもだな、スクルート。おまえが焦がした鍋は、俺達の夕飯なんだがな。おい、魔道具タイマー鳴っただろう。どうして焦がしたんだ?」
「焦がした?」
スクルートは、鍋を見て驚く。
「私は2重の安全装置を用意した…完璧だったはずだ…なぜだ…」
「“ちょっとだけ”って考え事してやっただろ」
「……やった」
「それだよ」
「なぜわかった?」
キホテールはドヤ顔で言った。
「経験者だから。実験に夢中になってよくやった」
その日の夕飯は、シチュー抜きのパンのみだった。
キホテールは、結局歌姫の事をスクルートに伝えられなかった。夢見る少年のようなスクルートに、うまく伝える自信がなかったのだ。
できる限りの予算内で、スクルートは着飾った。
花屋で一本の赤い薔薇を買った。
今日こそ、彼女に話しかけるつもりだった。
何故か、キホテールも付き合わされた。
いつもの席で、スクルートは緊張して固くなっている。
この酒場では、彼女にチップを払って歌をリクエストできるタイミングがあるのだ。その時が、唯一彼女に話しかけられる奇跡の瞬間だった。
ただし、彼女は人気者でリクエストタイムは人を押し除けて辿りつかないといけない。
スクルートは、キホテールに他の人達の足止めを頼んだ。
「頼む! キホテール! 一生のお願いだ! 私を彼女と話をさせてくれ。ここは奢るから」
「分かったよ。他の連中は足止めしといてやる。行ってこい」
一番安い酒一杯なのだが、キホテールはスクルートを応援してやることにした。
なにしろ、あのスクルートからの希少な奢りなのだ。もう2度とないかもしれない。
彼は静かに魔法を張り巡らせ、他の連中の歩みを遅くした。
スクルートは右手と右足が同時に動きながら、歌姫アイリーンの前に立った。赤い薔薇を差し出して、彼女に甘いセレナーデをリクエストした。
「美しい歌姫アイリーン。よければ、私の為だけに愛の歌を歌ってほしい」
スクルートの精一杯の気持ちを込めた言葉だった。
アイリーンはじっとスクルートを見つめると、こう言った。
「薔薇をありがとうございます、紳士様。ごめんなさい。子どもがいるの。だからこの時間だけ歌ってるのよ」
「……そうか」
スクルートは固まって動かなくなってしまった。
きっと女神のような笑顔で答えてくれると信じきっていた。
キホテールが走ってきて、スクルートを抱えるように元いたテーブルに連れて行った。
歌姫アイリーンの甘いセレナーデが始まる。
全ての生気を抜き取られたゾンビのようなスクルートが、その歌声を聞いていた。
酒場のマスターが、そっとスクルートの前に小さなショットグラスを置く。
「奢りです。よくあるんですよ。彼女、美人でしょう? みんな恋しちまう。また店に来てください」
「ありがとうございます。よかったな、スクルート」
「あ、ああ……子ども……よくある……」
スクルートはショットグラスを一気に煽った。
「……苦いな」
「それがいいんだよ」
「理解できない」
キホテールは苦笑いした。
スクルートは歌姫アイリーンを見つめている。
「……あれは、非効率だ」
スクルートは彼女から目は離さない。
「この感情は、コストに見合わないな…」
そして寂しげにポツリと呟いた。
「……たまになら、こういう無駄も許容する」
ショットグラスの酒は、思ったよりもアルコール度数が高く、スクルートはふらついてキホテールの肩を借りていた。
「いつもと逆だな」
「……すまん。私は格好悪いな。おまえなら……モテるだろうな。恋人はいるのか?」
キホテールは、少しの間黙る。
「昔のことだな」
キホテールに切なく苦しい思い出が蘇ってくる。
彼は恋人になった女性に素晴らしい贈り物をしようと旅だち、気がつくと季節が2つ過ぎ去っていた。半年後に戻ると、彼女は自分が死んだと思って葬式を出し、別の男と結婚していた。
キホテールは、自分の墓を眺めた。
その時、自分は普通の家庭は持てないと諦めた過去がある。
(遠くから見る彼女は幸せそうだった。俺の墓には花が添えられていた。お互いに裏切ったわけじゃない……でも俺はきっと、普通の家庭に向いてないんだろうな)
涙は出ない。ただ皮肉な運命の巡り合わせに笑いが出た。
(……半年で葬式って早くないか?)
今、思い出しても苦笑いが出る。
落ち込むスクルートの肩をポンポンと叩く。
「俺もモテない奴さ」
「そ、そうか? そうなのか……」
スクルートは困ったような安心したような情けない顔をしている。
「弱っている時は甘いものと暖かいものを食べて、何も考えずに寝るのが一番さ」
「おまえが言うと説得力ありすぎるな……」
疲れた二人を優しく包むように、夜は更けていくのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は「合理主義」と「直感型」のぶつかり合いをテーマにしています。
どちらが正しいというより、どちらも極端だと大変そうだなあ…という視点で書きました。
もし気に入っていただけたら、次の話もゆるく続けていく予定です。
スクルートとキホテール、どちらに共感しましたか?
あるいは「この二人、ここが好き/苦手」など、気軽に教えていただけると嬉しいです。




