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悪役令嬢の母になりました。断罪より先に子どもを連れて舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第3章:こちらの舞台を作る

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第34話 正しさの中にも、縄がある

「……私にも、決められないことがあります」


 その声は、廊下の灯りより小さかった。


 夜の別邸。

 子どもの声が消え、床のきしみがよく聞こえる時間。

 私は台所から戻る途中で、廊下の影に立つ人影に気づいた。


 セレスだった。

 神殿の聖務官。柔らかい言葉で圧をかける人。

 けれど今日は、言葉が柔らかいまま、疲れていた。


 いつもの笑顔が薄い。

 肩が少し落ちている。

 指先が冷えたまま、袖の中に隠れている。


 私は一歩だけ距離を詰めた。

 詰めすぎない。逃げ道を残す距離。


「こんな時間に……」


 私が言いかけると、セレスは小さく首を振った。


「昼は……人の目が多すぎます」


 人の目。

 神殿の人も、人の目に縛られている。


 私は息を吸って吐いた。

 怒りや警戒をそのまま出すと、廊下が舞台になる。

 舞台にしたくないのは、こちらも同じだ。


「こちらへ」


 短く言って、私は台所寄りの小部屋へ案内した。

 生活が見える場所。使用人の出入りがある場所。密室にしない場所。


 ノエルが部屋の隅にいた。

 いつものように静かに、状況を数えている目。


 セレスが椅子に座ると、息を一つ吐いた。

 その吐き方が、謝る人の吐き方じゃない。

 “耐えている人”の吐き方だった。



 私は湯気の立つ温かい飲み物を用意した。

 湯気がふわりとのぼる、お茶。


 湯気の立つカップを置くと、セレスは一瞬だけ目を伏せた。


「……ありがとうございます」


 礼は丁寧。

 でもその丁寧さに、いつもの余裕がない。


 私は向かいに座り、セレスの顔をよく見た。

 目の下に影がある。

 書類の角が、少し折れている。

 手袋の端が、わずかに擦れている。


 仕事が多いだけじゃない。

 “縄”が食い込んでいる。


「……私にも、決められないことがあります」


 セレスはもう一度、同じ言葉を繰り返した。

 繰り返すのは、覚悟の言葉じゃなく、逃げ道のない言葉だ。


「決められない、とは」


 私は問いを短くした。

 責めない。詰めない。

 でも、聞く。


 セレスは目線を落とし、言葉を選んだ。

 選んでいる時点で、神殿の中では言葉が危険なのだと分かる。


「ルミナ様は……現場の担当です」


 ルミナ。

 にこにこして刺す指導役。


「決定は、もっと上から降ります」


 上。

 神殿にも階段がある。

 階段の上ほど、現場の温度を知らない。


「神殿は、ひとつの声ではありません」


 セレスが小さく言った。

 “派閥”という単語は出さない。

 出したら、自分が縛られるからだ。


「誰が正しいかではなく……誰が先に結果を出すか」


 結果。

 その言葉が、冷たい。


 私は息を吸って吐いた。

 敵は個人ではない。

 制度だ。成果だ。結果だ。

 それらは、人を道具にする。


 セレスが続ける。


「私は……止めたい時があります」


 止めたい。

 その言葉だけで、彼女が完全な悪役ではないと分かる。


 けれど、止められない。

 縄がある。



「お嬢さまの件で、上から“成果”を求められています」


 セレスがこぼした言葉は、湯気より重かった。


「成果?」


 私が聞き返すと、セレスは僅かに唇を噛んだ。

 言ってはいけないことを言う前の顔。


「……証が欲しいのです」


 証。

 それは“導く器”という言葉の続きだ。


「お嬢さまが“導く器”である証が」


 セレスは声を落とす。

 落とした声ほど、危険な言葉になる。


「確認の儀が“簡易”では足りない、と」


 簡易。短い。拒否しづらい。

 その先にあるのは、儀式。制度。役。


 私は娘の顔を思い浮かべた。

 挨拶の時、震えながらも声を出した小さな背中。

 「たのしかった」と言えた日。

 それを“証”の材料にされたら、もう生活ではなくなる。


 セレスがさらに言う。


「祭りの場が……話に上がっています」


 祭り。

 生活の舞台として広げようとしている場所。

 そこへ照明を持ち込む気か。


「公の場で“導き”を示す、と」


 示す。

 示すために、子どもを立たせる。

 拍手が欲しい人たちは、生活の声を奪う。


 セレスは、言い訳をしないまま、でも苦しそうに言った。


「子どもを傷つけたいわけではありません」


 私は頷いた。

 彼女の言葉を、軽くは扱わない。


「……でも、止められない」


 そこだ。

 正しさの中にも縄がある。

 善意の中にも縄がある。


 ノエルが、部屋の隅でぽつりと言った。


「縄が見えるなら、切り口も見えます」


 唐突すぎて、セレスが固まった。

 私は小さく咳払いをして、笑いを飲み込んだ。


「……切り口?」


 セレスが聞くと、ノエルは真顔のまま頷く。


「はい。縛り方が見えるなら、ほどく順番も見えます」


 難しいのに、妙に分かりやすい。

 ノエルの言葉はいつも現場の刃だ。


 セレスが、少しだけ息を吐いた。

 その吐き方が、ほんの少しだけ軽くなった。



 私はセレスに視線を戻した。

 責めたい言葉はいくつもある。

 でも責めると、彼女は“制度の盾”に戻る。盾に戻ったら、話は終わる。


 私は短く言った。


「あなたも縛られている」


 セレスの目が揺れた。

 揺れたまま、否定しない。


「だからといって」


 私は続ける。


「娘を差し出しません」


 短い。通る。

 これが私の線引きだ。


 セレスが、苦い顔をした。

 それは怒りじゃない。

 理解と、無力の顔だ。


「……分かっています」


 分かっている。

 分かっているのに止められない。縄の中の人の言葉だ。


 私は言葉を変えた。

 対決の言葉ではなく、順番の言葉にする。


「あなたができる範囲で、危険な手順は止めてください」


 セレスが少し目を見開く。


「危険、とは」


 私は一瞬、ハーゼ先生の言葉を思い出す。

 刺激。緊張。距離。健康は現実。


「香。密室。近い距離。長い時間。大人の視線」


 私は指を折った。


「それを“安全”と呼ばないでください」


 セレスが、ゆっくり頷いた。


 私は続けた。


「書面に残してください。医師の判断が優先、と」


 セレスの唇が僅かに動く。

 その言葉がどれほど難しいか、彼女の顔が語っている。


 でも、逃げ道も必要だ。

 縛られている人ほど、逃げ道が必要だ。


「あなたの立場のためでもあります」


 私は付け足した。


「誰かが責任を押しつける時、書面が盾になります」


 盾。

 母が作る盾は、剣じゃない。

 紙と順番と、生活の温度だ。


 セレスはカップに触れ、温かさを確かめるように指を当てた。


「……あなたは、私を敵だと思っていないのですか」


 問いが来た。

 まっすぐな問い。


 私は息を吸って吐いた。

 ここで嘘をつかない。


「あなたは、敵になり得る」


 セレスの目がわずかに細くなる。


「でも、敵はあなた一人じゃない」


 私は言う。


「敵は、制度です。成果です。証です」


 セレスは目を伏せた。

 反論できない。

 反論すれば、自分が神殿の縄を引っ張ることになる。


 私は言葉を柔らかくした。


「だから私は、あなたを責めない」


 責めない。

 それは許すではない。

 ただ、言葉で傷を増やさないという選択だ。


 セレスが小さく頷いた。

 その頷きが、ほんの少しだけ人間の頷きだった。



 セレスが立ち上がった。

 長くはいられない。長くいると縄が締まる。


「……今夜来たことは、誰にも」


「言いません」


 私は即答した。


 セレスが扉の方へ向かい、最後に振り返った。


「ルミナ様が動きます」


 その言い方が、予告の言い方だった。

 避けられない波が来る時の言い方。


「祭りの場で“導き”を示す、と」


 やはり。

 公開の場で圧をかける。

 断ると悪者。受けると管理。


 セレスは、ほんの少しだけ口元を歪めた。


「私は……止められません」


 縄の言葉だ。


 私は扉の前で、短く言った。


「でも、順番は決めます」


 セレスが、驚いたように私を見る。


「順番?」


「ええ」


 私は頷く。


「私たちは生活を先に置く。祭りも、生活の形でやる。娘の負担が増える順番は、後に回す」


 後に回す。

 それは拒否ではない。

 相手の手を鈍らせる方法だ。


 セレスは何も言わずに頷き、廊下の暗がりに消えた。

 その背中は、正しさの背中ではなく、縛られた背中だった。



 部屋に残ったのは、湯気と静けさと、ノエルの視線。


 ノエルが短く言った。


「縄の場所は分かりました」


「うん」


 私は椅子に座り直した。

 疲れが、肩の内側にじわりと溜まっているのが分かる。

 今日の会話は、戦いではないのに重い。


 ノエルが続ける。


「切り口も、増やします」


 私は笑いそうになって、笑えなかった。

 今は、笑う余裕が足りない。


「……ノエル」


「はい」


「私、明日も笑えるかな」


 自分でも驚くほど、小さい声が出た。

 母が弱音を出す時の声だ。


 ノエルは一拍置いて、短く言った。


「笑えます。笑える形にします」


 その言い切りが、少しだけ救いになる。

 守り手が守り手でいてくれる言葉。


 私は息を吸って吐いた。


 正しさの中にも縄がある。

 縄が見えるなら、ほどく順番も見える。


 でも次は、公開の場だ。祭りだ。

 照明が強くなる。視線が増える。言葉が増える。


 母の疲れは、限界に近づく。


 その予感が、湯気より重く胸に残った。

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