↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の母になりました。断罪より先に子どもを連れて舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第3章:こちらの舞台を作る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/60

第33話 父の手伝いは、だいたい邪魔

「手伝う」


 アデルがそう言った瞬間、廊下の空気が一段だけ固くなった。


 季節の行事に向けて、別邸の廊下には荷が積まれている。

 布。木箱。飾り紐。台の板。椅子。

 生活の舞台を外へ広げる準備は、見た目がだいたい“引っ越し”だ。


 アデルは腕まくりをしていた。

 やる気はある。方向も、多分正しい。


 ノエルが一歩だけ前へ出た。

 丁寧語のまま、容赦なく。


「では、運びますか」


「何を」


 アデルが即座に聞き返す。

 この返しだけで、もう少し嫌な予感がする。父の不器用は、質問から始まる。


 ノエルが真顔で言った。


「全部です」


 アデルが固まった。

 固まったまま、廊下に積まれた荷の山を見た。

 山は、山の顔で沈黙している。


 私は思う。

 父の手伝いは、だいたい邪魔。

 でも今日の邪魔は、成長の前触れでもある。


 クラリスが私の手をそっと握った。

 合図じゃない。確認の握り。

 私は握り返す。逃げ道のある握り方で。


⸻


 台所寄りの部屋に、いつもの面々が揃った。


 机の上にはパンとお茶、そして紙。

 紙の上には、祭りの予定が書かれている。


 領地の季節行事。

 町の人が集まって、屋台が並び、子どもが走り、音楽が鳴る。

 生活の大きな音だ。


 リュシエンヌが指で紙を叩いた。


「これよ。教室も参加しよう。読み聞かせを“外”に出すの」


 私は頷いた。


「別邸の中だけだと、噂が先に走る。生活を見せたほうが早い」


 エミル先生が嬉しそうに言う。


「出張読み聞かせですね。素晴らしい。物語は風であり――」


 ノエルが視線で止めた。

 先生が咳払いをして、短く言い直す。


「……子どもが喜びます」


 奇跡が続いている。


 ハーゼ先生は胃薬の位置を直しながら言った。


「外は冷えます。休憩と水分。無理はしない」


 私は頷いた。


「短く。続く形で」


 続く形。

 豪華にしない。大きくしない。

 生活の規模で守る。


 クラリスが机の端で小さく言った。


「……えほん、もっていく?」


「持っていこう」


 私は笑って答える。


「クラリスが読みたい日だけでいい」


 娘の肩が少し落ちる。安心の落ち方。


 そこへアデルが、真面目な顔で言った。


「私も参加する」


 場の空気が一瞬、動いた。

 父が“公爵”として動く。

 それは盾にもなるが、照明にもなる。


「王都の圧を払うには、公爵の顔も必要だ」


 アデルは続けた。


「領地の行事は領地の権限で守る。外からの口出しをしにくくする」


 方向は正しい。

 正しいのに、現場に入ると止める人がいる。


 私は息を吸って吐いた。


「ありがとう。……ただし」


 短く言う。


「現場は、現場の速度で動かす」


 ノエルが即座に付け足した。


「はい。止めると壊れます」


 アデルが眉を寄せる。


「壊すつもりはない」


「壊すつもりがない方が壊します」


 ノエルが真顔で言う。


 リュシエンヌが笑いながら両手を上げた。


「はいはい。今日はそれを学ぶ日ね、公爵様」


 公爵様。

 その呼び方が、場を一瞬だけ“公”に寄せる。

 寄せるな、と思いながら、私はクラリスの手を握り直した。


⸻


 準備は、速さが命だ。


 布を運ぶ。台を組む。紐を通す。看板を付ける。

 椅子を並べる。絵本を箱に入れる。

 コップを数える。水を用意する。毛布を用意する。


 現場は、手が動いている時に一番安全だ。

 止まると、余計な目が入る。余計な言葉が入る。


 ところが、父が現場に入った瞬間――。


「その箱は、先に運ぶべきではない」


 アデルが言った。


 運んでいた使用人が止まる。

 止まった瞬間に、別の人の手も止まる。

 連鎖する。


「順番を決めてから動こう」


 正論。

 正論ほど現場を止める。


 ノエルが短く言った。


「順番は、今、動きながら整っています」


 アデルが真面目に返す。


「危険だ」


「危険なのは、止まることです」


 ノエルも真面目だ。

 真面目同士がぶつかると、場が硬くなる。


 私は一歩引いた。

 ここは母が前に出る場じゃない。

 父が学ぶ場だ。


 でも、現場の空気が固くなりすぎると、クラリスが固まる。

 娘は“硬い空気”が苦手だ。王都の記憶があるから。


 クラリスが私の手を握った。

 少し強い。合図に近い握り。


 私は握り返す。

 ここは生活。窓がある。出ていい。


 アデルが次の指示を出す。


「その台は、もっと右だ。いや、左だ。測れ」


 測るのは悪くない。

 でも今は、測ってから動くと日が暮れる。


 使用人が困った顔をする。

 町の協力者も、笑顔が薄くなる。

 誰もアデルを嫌っていない。ただ、止まりたくないだけだ。


 リュシエンヌが私の耳元で囁いた。


「ほら。人気は税みたいに付いてくるけど、指示も税みたいに増えるのよ。しかも払ったら増える」


「払わない」


 私が小声で返すと、リュシエンヌが笑った。


 ノエルが、さらに短く報告する。


「今、手が止まりました」


 アデルが真面目に言う。


「再開を」


 その言葉で、さらに止まる。

 笑うしかない種類の空回りだ。


 クラリスが父を見る。

 父の顔は“公爵”だ。

 正しさの顔。強さの顔。役の顔。


 クラリスの眉が、少しだけ寄る。

 怖い顔じゃない。困っている顔。

 そして、逃げない顔。


 私は娘の手をそっと握り直す。

 温度を渡す。

 娘の息が戻るのを待つ。


 クラリスが一歩、父に近づいた。


「……お父さま」


 声が小さい。

 でも通る。生活の声だ。


 アデルが振り向いた。


「どうした、クラリス」


 クラリスは一瞬だけ言葉を探し、そして言った。


「お父さま、今は見てて」


 場が静まった。


 拍手のための静けさではない。

 評価のための静けさでもない。

 子どもの正直が置かれた静けさだ。


 アデルが固まる。

 固まったまま、周囲を見る。止まった手。困った顔。息を止めた空気。


 そこで初めて、父の目が“現場”を見た。


 私の胸が少し痛くなる。

 父は悪い人じゃない。

 守りたいだけだ。守り方が不器用なだけだ。


 アデルが、ゆっくり息を吐いた。


「……分かった」


 短い。

 短いほど、修正の匂いがする。


「見ている。必要なら、運ぶ」


 その言葉に、ノエルが即座に頷いた。


「では、運びます」


 アデルが聞く前に、ノエルが言う。


「全部です」


 またそれだ。

 場に笑いが戻る。

 笑いが戻ると、手も戻る。


 アデルが黙って箱を持ち上げた。

 板を肩に担いだ。

 椅子を運んだ。

 薪の束を運んだ。


 汗が出る。息が上がる。

 誰にも見せる顔じゃない。生活の顔になる。


 ノエルが淡々と指示する。


「そこです。通路が塞がります」


 アデルが黙って動く。

 「はい」とも言わない。「分かった」とも言わない。

 ただ運ぶ。


 クラリスがそれを見て、少し笑った。

 小さな笑い。ほっこりの笑い。


 リュシエンヌが、私の耳元で言う。


「いいわね。役を脱いだ顔。あれが一番、強い」


 私は頷いた。

 黙って汗をかく父は、確かに強い。

 照明の強さじゃなく、生活の強さ。


 エミル先生が小声で言った。


「公爵様が運ぶ姿は、物語の転換点ですね」


 ノエルが即座に刺す。


「先生、三行で」


「努力します」


 努力しないでほしい。

 でも、このやり取りでまた場が笑う。

 笑いがあるだけで、準備は回る。


⸻


 夕方、荷はだいぶ減った。

 別邸の廊下が、ようやく廊下の顔に戻る。


 アデルは額の汗を袖で拭き、息を整えていた。

 公爵の顔ではなく、父の顔だ。


 クラリスが近づき、そっと言った。


「……お父さま、ありがとう」


 アデルが一瞬、言葉を失ってから頷いた。


「……うん」


 その「うん」が、さっきの運び方と同じ匂いだ。

 余計な飾りがない。だから通る。


 私は胸の奥で静かに息を吐いた。

 今日は父が一つ学んだ。

 クラリスも一つ言えた。


 家族のルールが、生活の場で働いた。


⸻


 夜、台所寄りの部屋に戻ると、リュシエンヌが顔を曇らせた。

 嫌な噂を運ぶ時の顔だ。


「奥さま。祭りの日ね……王都から客が来る気配がある」


 私は手を止めた。


「誰が?」


「専門家。神殿。あと、噂が好きな貴族」


 噂好き。

 それだけで、照明の匂いがする。


 アデルが、真面目な顔に戻る。


「公爵として受ける」


 私は頷いた。

 必要な時は必要だ。盾になる時は盾になる。


「ただし」


 私は短く言った。


「生活の形は崩さない」


 ノエルが、いつものように締める。


「順番を決めます」


 短い。通る。


 祭りは生活の舞台。

 そこに王都の照明が来るなら、こちらは生活の灯りを厚くする。


 黙って汗をかいた父が、今日の最後にぽつりと言った。


「……邪魔にならないようにする」


 私は笑った。

 それだけで十分だと思えた。


 次は祭り当日。

 そして、セレス側の派閥が見え始める。

 にこにこだけじゃない、別の刃が来る気配がする。


 だからこそ、準備は止めない。

 生活は、止めない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。