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192話

殺し専門に仕込んだガキのフォルカー。

もとは、売春宿に売られて来たガキだった。

大抵のガキは、売られると分かると、恐怖と不安で萎縮する。

だが、フォルカーは違った。

可愛げが無く、初対面の稼業人にもクソ生意気な目つきで睨みを効かせてくる様なガキだった。

店主は、一目(ひとめ)見るなり三下(さんした)に、俺や親父の居る本部へ連れて行けと言って、こちらに回して来た。

クズな従伯父(いとこおじ)夫婦に、死んだ両親の金目(かねめ)の物を全て奪われ、さらには自分までも売り飛ばされる状況に、怒り狂っていた。


コイツは、モノになる。


今にも爆発しそうな荒々しい怒り。突き刺すような視線で睨むその目が良かった。

フォルカーの境遇、腹の()わった性格、意地の汚い浅ましい人間に対する嫌悪(けんお)と激しい怒り。

筋者の世界で使えそうなガキが、久々に手に入ったと親父も気に入り目をかけた。

しかも、読み書き計算ができる。

一人で勝手に逃げ出さない様に、他のガキどもの世話をさせ、情が湧くように仕向けると、それは見事に(くさび)の役目を果たした。(ちまた)で言うところの『絆』ってやつだ。

堅気(かたぎ)の連中は、言葉の由来すら理解せずに、やたらと使うが、『絆』とは、逃れることの出来ない、見えない呪縛だ。

フォルカーは、裏の世界で生きるしかないと腹を決めたのだろう。

朝の訓練も真面目に受ける様になり、良い顔つきになっていった。

そして、夜は飲み屋の手伝いをさせ、組織での生活に

徐々に馴染ませ、染めていった。



統治者ジュールより、長官殺しの依頼が来た時、

手下の連中は、勇ましい事ばかりほざいていた。

だが、今回ばかりは、行けば戻って来れないと思ったからか、フォルカーに決めた途端、皆が揃って安堵したのがわかった。当たりも優しくなり、フォルカーを安心させる為か「ガキは、死刑にされないから大丈夫だ。」などと、無責任にも適当な言葉をかけ、フォルカーが辞退したり逃げ出さ無い様に、取り繕っていた。

だが、そんな言葉をフォルカーは欲していない。

多少の慰めにはなっても、一線を越える理由には成りようが無い事を俺は知っている。

フォルカーの様に頭の良いガキの、特に初めての殺しには、そこそこの大義が必要だ。

「この国では、正義が破綻している。」と、無意識下に(おの)ずと答えが出る様に、日頃からそれとなく植え付けておいた。

あながち間違ってはいない。正義の下に国が成り立っていたなら、そもそもガキを商売道具になど出来ようはずが無いからだ。


暗殺の純粋なる成功の為に、フォルカーを選んだ。

初仕事で、自身もつくはずだ。

ガキであっても、男として扱ってやる事が大切だ。

分かりやすい言葉を選びながら、組織としての考えを教えてやった。

「レイ長官を殺せば、遠からず裏から国を動かすのは、俺たちになる。そうすれば、お偉いさんが勝手に決めた法など、ただの紙に書いた文字でしかなくなる。

(わか)るか?つまりは、俺たちの暮らし向きが、今よりも良くなると言う事だ。」

殺したら、その足で直ぐに出国し戻って来いと言い聞かせた。荷物も放っておいて良い。例外は無しだ。とにかく直ぐに帰って来いと。アークランドでは、潜れないからだ。



長官と言う立場の人間を(ちから)で排除すれば、法がお飾りの決め事に成り下がる時代が必ず来る。

フォルカーなら、俺たちの目指すところを理解できるはずだ。

俺達、裏の人間だけが、『悪』だからでは無い。

裏と(おもて)では、人の価値と、取り決めが違うだけだ。

お綺麗な道だけを歩く奴らが、見て見ぬフリをしたところで、ゴミは消えたりしないし、その悪臭に気づかぬフリをしても、堅気(かたぎ)のお前達が気づいている事を俺たちは知っている。



この国の人間は、旅行に出る時、服を新調する習慣が有る。まあ、大抵は誰でも旅に出る時ぐらい、新しい服で楽しみたいものだろう。

日程通り滞在する訳では無いので、何着かは無駄になるかも知れないが、これも必要な支度(したく)だ。

組織として、フォルカー用に、旅行用の鞄や新しい靴と日程分の服や肌着を全て新調し、腕の良い床屋で髪も切らせたので、坊ちゃんとまではいかないが、そこそこ一端(いっぱし)の仕上がりになった。

腕の良い研ぎ師に、短剣の手入れも頼んでやった。

鏡の様に磨き上げられた短剣を確認するフォルカーの仕草は、どこから見ても掃除屋と呼ばれるに相応しい姿に見えた。

他の連中はフォルカーが死ぬと決めつけているが、親父や俺、幹部連中も、殺した現場で捕まりさえしなければ、二人とも逃げきって戻って来ると考えていた。

それほどフォルカーは、仕上がっている。

何より、周囲に溶け込みながらの逃走は、マチルダの得意分野だ。周囲の人間が死体に気づく頃には、返り血のついた上着を脱ぎ捨て、その場を去る。

例え見える箇所に汚れがついても、歩きながら何食わぬ顔で、手や顔や首についた血も拭き取るので、次の角を曲がる頃には、気に留める奴もいない。

室内での殺しなら、身綺麗にするのは更に簡単だ。

フォルカー同様、マチルダにも少々値の張った旅行客らしい見栄えのする物を何かと新調してやった。



身分証の再発行や、利用した身代わり姉弟の、旅の手配やらで、誰一人として騎士達の動きを全く把握して無かった。

屋敷を見張られている様な動きも、手下に尾行がついていた事すら気づかなかった。

不覚にも、当たりをつけられていた。

統治者ジュールの依頼を受けた数日後、大勢の騎士に本部の屋敷ごと包囲され、下っ端どころか親父や俺、さらには俺の嫁まで拘束された。

下手(へた)に反撃しようものなら、あの場で皆殺しにあっていただろう。それ程、数の差は歴然としていた。

何より、騎士が人間相手に初めから剣を抜く時は、相手を殺す許可が、既に下りている時だけだ。

指揮官の男以外、全ての騎士が剣を抜いていた。

親父の考えも同じだったようで「抵抗するな。」と、即座に一喝していた。

視界の端で、女の役人達に手を引かれながら、俺の子供達が普通の馬車に乗せられて行くのが見えた。

しばらくは、どこかの施設で生活する事になりそうだな。

他の奴らは、手枷(てかせ)を嵌められた後、柵で囲われた馬車に次々と乗せられ、俺は、中が見えない板張りの、護送馬車に入れられた。

親父や、幹部連中も、俺と同じ様な板張りの護送馬車にそれぞれ乗せられているのが見えた。

鉄格子のついた小窓が対になって(ふた)つ有り、両側面には長い木の椅子。右側に腰をおろすと同時にドアを閉められ、鍵をかける音がすると、ダンダンと叩き、護送馬車は動き出した。

それぞれの護送馬車が、どこで別れたかは不明だが、少なくとも他の連中とは別の場所へと連れてこられたのは確かだった。

組織の奴らどころか、親父や幹部連中の姿も見ていない。

降りるとすぐに建物の中へと入った。

これでも俺は、闇組織セタースのボスだ。

だから、護送馬車が一人なのは、特別扱いだと思っていた。

だが、違った。

どうやら、俺が暗殺されると警戒しているようだった。

それと分かるほどに騎士達は周囲を警戒し、常に剣の柄に手を添え、いつでも抜ける体制を維持していた。

これは、演技でも脅しでも無い。本当に、俺が殺されるのを警戒しているのだと肌で感じた。

廊下を進み、一人用の牢の中へ、ガシャンッと音を立てて鉄格子の扉は閉められた。手枷(てかせ)()めたまま過ごすのかと思ったが、たった今 入った、扉部分の胸の高さよりやや低めの位置に、両手を出せる程度の小さな枠がキィーと開いた。

「両手を出しなさい。」騎士に言われるまま、手を突き出すと、ガチャリと手枷(てかせ)を外された。

まあ、良いだろう。手首を握る様に摩りながら騎士を見た。

「ベッドの上に置いてある服に着替え、今、着ている服は肌着も含め、網の袋に入れ、ここに引っ掛け、外側に出しなさい。履いている靴も履き替えたら、下から外に出しておく様に。」それだけ言うと騎士達と牢番らしき男は去って行った。

手前にベッド、その向かいに机と椅子、奥に小さな手洗いの洗面流し台と、蓋付きのトイレが有るだけの部屋だ。

ベッドには、灰色の長袖の服、同じく灰色の長ズボンに、生成(きなり)色の靴下と下着、42と番号が書かれている布が縫いつけられた、網でできた巾着袋、床には簡易靴が置いて有った。

夕食が、いつになるか分からないので、先に着替える事にした。

下着までも着替えるのか…。

ズボンのポケットに入れていた金を取り出し、薄いベッドマットの下に挟んだ。

用意された下着と靴下、灰色の服に着替えると、気分までもが沈んでいった。

着ていた服や下着を網の巾着袋に入れ、鉄格子に付いている小さなフックに掛けて外側に垂らし、靴も履き替え牢の外に出しておいた。


フー…。


机の紙に目を通す。

牢での規則か…


1.食事は、朝、昼、夕方の三度提供される

2.入浴は二日に一回

3.牢の掃除は、毎朝 各自で行う事

4.枕カバーやシーツの洗濯は、白物三点の日のみ

一週間に一度 洗濯するので指示通りに従う事

5.水桶の水は、毎朝補充される。

 鐘の音を合図に、前日までの残っている水は

 全て捨てておく事

6.支給される服と下着、簡易靴を身に付け

拘束された際に身に付けていた服や物や金は、

全て留置施設が保管し、牢から出る時に返却される

7.洗濯物は、番号が縫い付けて有る、網の巾着袋に

入れて鉄格子のフックへ掛け外側に出しておく事

8.大声を出したり、牢番や騎士に話しかけてはいけない。

 また、いかなる理由が有っても、他者に暴力を

 振るってはならない。

9.食事の配膳などの際は、鉄格子に近付かず、

 離れて待つこと。

10.希望する者には、この国や他国で発行されている

 記事や本を読む事も出来るが、容疑に関わる全ての

 掲載箇所は黒塗りとなる



カチャリと音がしたので、廊下側の鉄格子を見ると、一人の男が配膳口に夕食を置き、小さな扉を閉めた。

とりあえず、食事のトレーを牢の机へと置いた。

もう一人の男は、

「預かり品を確認する。」と言いながら、折りたたみ式のテーブルを廊下に広げ、網の巾着袋から衣類を取り出して並べた。

半袖上着、ズボン、下着、靴下、靴と、声に出しながら紙に記入していく。

「財布や金が有るなら出しなさい。」

冗談じゃない。そんな事をすれば、牢番や騎士に渡す賄賂が無くなる。何より、渡した途端にコイツらの懐に入るだろう。「財布は、持って来ていない。」とだけ答えた。

「一番下の署名欄へ記入しなさい。」

紙とペンを受け取り、配膳台の上でサインし、数歩下がった。

鉄格子の向こう側で、服を網の巾着に戻したり、テーブルを折り畳む男たちの姿をただ見ていた。

そして、紙とペンも回収すると、配膳台の開閉枠をカチャリと閉め、無言のまま去って行った。

夕食か…。

机に置いたトレイの食事を見る。

丸いパンと茹でたじゃがいも、スープには、キャベツとにんじん、小さな肉 数個が入っている。そしてコップには水が入っていた。

見るからに不味そうだが、悲観して食欲が無いと思われるのも癪なので、とりあえず食べておく事にした。

どれも酷い味だ。パンはバッサバサ、スープに入ったキャベツは水臭く、お情け程度に塩の味がした。極めつけが生暖かい水。せめて水ぐらいは、井戸の冷えた水を出すべきだろう。

食事が終わると、トレイを配膳台に戻し、歯を磨きながら牢を見渡した。

トイレの奥の角には掃除用のブラシが立てかけてあり、反対側の角には、ケツを拭く四角いちり紙が籠に入っていた。

洗面の流し台には、鏡が(ひと)つと壁のフックに手のひらより少し大きい程度の手拭き布が掛かっている。流し台の左下に並々と水の入った桶と柄杓(ひしゃく)、右下には、バケツが(ひと)つ、そのバケツに雑巾が一枚かかっていて、中にはハンドブラシが一本入っていた。恐らく、洗面流し代の掃除用だろう。

ベッドの足側の柱に、(ほうき)(ちり)取りが紐で引っ掛けて有る。

牢とは… こんな場所なのか…

まさか、俺の組織まで拘束されるとはな…。


トイレを済ませ、石鹸で手を洗った後に、顔も洗った。

風呂は二日に一回と書いてあったので、小さな洗面流し台に足をかけ片足ずつ石鹸で洗い、泡が残らない様に何度も桶の水を(すく)い丁寧に流して、手拭き用の小さな布で拭いた。

布がこれしか無いのだから仕方ない。

石鹸でしつこいくらいに、足を拭いた手拭き布を洗い、ギュッと水気を絞るとフックに吊るした。

部屋の奥に有るトイレの所為(せい)で、蓋をしていても臭う。

染みついたカビと、下水の臭い。

ぼんやりと臭いの種類がわかった途端に、吐き気が込み上げてきた。

吐けば、びびっていると勘違いされるので、何とか耐えた。

起きていてもする事が無いので、ベッドに横になり、毛布にくるまった。日が暮れると、気温がグッと下がる。

取り調べは明日からなのだろう。

とにかく、否認か黙秘で時をかせごう。

フー…。また知らぬ間に息を止めていたようだ。

親父からの跡目相続後、俺の代で受けた殺しは、長官の暗殺依頼だけだ。

たった一件で死刑を言い渡されることは無いはずだ。

様子を見て、牢番か騎士に賄賂を握らせれば、連絡役として支配下に置ける。

そして、暗殺成功の知らせが入れば、他の手下へ通達し、中と外で同時に騒ぎを起こせば良い。

後は、混乱に乗じて脱獄すれば、晴れて自由の身となれるはずだ。

ここは恐らく留置用の牢で、刑期を務める獄舎では無い。脱獄と言うのは正しく無いか…。

フー……。

ベッドが硬い。枕も硬く小さいので、とても眠れそうになかった。

時折り、人の歩く音がするが、話し声は聞こえてこない。

ここからは見えないが、騎士か見張りの牢番が交代しているのだろう。

やはり、厳重に警備されている。

一晩中、廊下の灯りの炎は消えず、一定の時が過ぎると交代の足音がしていた。


奥の、鉄格子がはめられている小さな窓から、陽の光がさしてくると、待っていたかのように蝉もジージーと鳴き出した。

少しは眠れるかと思ったが、流石に無理だった。

口が渇いて気持ちが悪い。

イライラしながら、ベッドから出て歯を磨き、桶の水で顔を洗った。幸い、昨晩洗った手拭き布は、気持ちが良いほどパリッと乾いていて、顔を拭くとほのかな石鹸の香りがして、心地よかった。

だが、このトイレ付近の(にお)いが、たまらなく嫌だ。独居房と言うのか、一人用の牢に入れられただけマシか…。

トイレを済ませ、もう一度 、手を洗った。


まだ、起床時間では無いが、ベッドが硬すぎて、横になる気がしない。

フー…。

椅子に座り、小さな窓の鉄格子の向こう側、澄んだ青い空を眺めた。



リンゴーン リンゴーン リンゴーン


鐘の音が響き、暫く経つと、コトンと奥から音がして、壁の注ぎ口から水が桶に注がれていった。

そうか、水を捨てるのを忘れていた。

とても掃除をする気には、なれなかった。

それから暫くして、ようやく配膳口が開いた。

昨日見た、網の巾着をフックに掛けている。

カチャリと閉まるのを確認してから、立ち上がりプレートを見ると、切ったトマトが三切れ、ゆで卵が一個、スープの具は、細かく切ったじゃがいもとにんじんに、ソーセージが一本だけ入っていた。そして昨晩と同じ丸いパンと、同じく水の入ったコップ。

フックに掛けてある巾着の中身は、半袖の灰色の服と、同じ色の少し薄手のズボンだった。日中はこちらの服を身に付けるのか。


あぁ…これが何日も続くなんて冗談じゃない…



朝食後、着替えて寝衣を巾着に入れていると、数名の騎士と牢番がやって来た。

指示通り、両手を出し、手枷(てかせ)を嵌めた後、

牢から出て館内を移動した。


取り調べだ。


簡素な部屋で、入ってすぐの壁際には、二名の役人がこちらには背を向ける形で、テーブルに横並びで座っていた。恐らくは、書記だろう。

中央のテーブルに騎士と対面する形で、奥側の椅子にドサっと座らされた。

目の前に座る騎士を睨みつけ、相手が(くち)を開く前に、すかさず言ってやった。

「嫁は関係ないだろ。まさか、牢に入れてないだろうな?」

実際は、嫁よりも我が子が気になっていたのだが、なぜか嫁の事を聞いていた。

「嫁は関係ない?本気で言ってるのか?自分の夫が何をしているのか、一番身近で見て知っていた女だぞ。

(いさ)めるどころか、犯罪行為によって得た金と認識しながら、贅沢な生活を共にしていた。

そのどこが関係ないと言うのだ?

セタースの組織運営に協力し、関与していると認められる女であり、暴力的不法行為等の共犯として処罰を受ける者だ。」

騎士の言う通りだ。


()が悪すぎる。


嫁は、卑怯で図々しいところが有る。

「困ったわねー。どーしたら良いのかしら?」が、口癖の様な女だ。そんな女だから、組織の連中も挨拶はするが、誰も相手にしていない。

それを自覚しているからか、時おり三下(さんした)に対して知った風な口をきく。

「店に二重帳簿が無いか、確認はしているの?実際より上がりが少ないんじゃないの?まさか、舐められていないでしょうね。」

女が口出す事じゃ無い。だが、マチルダに対抗心があるからか、くだらない事をやらかす。腹立たしいのは、そんなせっつきを真に受けた三下(さんした)が、強引過ぎる回収をやらかした時だ。下手(へた)をすれば他所(よそ)の組織に上がりが流れる事を分かっていない。

それが理由で問題が起きても

「困ったわねー。どーしたら良いのかしら?」と、

平気でほざく。確かに悪い意味で組織運営に関わっていたな。だが、馬鹿正直に全てを話すほど、嫁も愚かでは無いはずだ。

それぐらいの知性はあると思いたい。

顔と出自で選んだ女だ。俺たちは、下の人間同士でしか婚姻できない。別に法で禁止されている訳では無いが、相手が拒絶する。穢れた血だからだ。

それでも、若い頃は出自を隠して女遊びもしてきた。

どうせバレたら汚い物を見る様な目つきで逃げて行くのが分かっていたので、ヤルだけやって、俺の出自がバレる前に、別れを告げた。ヤリ捨てを男同士で自慢する事ほど楽しい遊びはない。

女が泣く姿は、見ていて気分が良い。相手が悲しめば悲しむほど、それほどまでに俺に惚れているのかと嬉しくなり、優しい言葉をかけてやる事ができた。

「これほど人を好きになったのは君が初めてだ。

だからかこそ、俺みたいな遊び人が、君を傷つけることが嫌なんだ。本気で愛している。これから先も、君以上に誰かを愛する事は無い。別れてもそれだけは覚えておいてくれ。」

もしかしたら、両親を捨てて、俺と家族になる道を選ぶ女がいたかも知れないが、出自を自ら晒すなど、そんな惨めな告白をする気にはなれなかったし、例え婚姻できたとしても、途端に立場が逆転する事は想像に難くない。やはりそんな危険は犯せなかった。相手が俺に惚れている事が大事だった。

気分が良い。

それだけだ。


ケツは大きいが、化粧をすれば派手な顔になる。

見栄っ張りで気の強い、同じ身分の女と婚姻し、家業を継いだ。


俺には、別にマチルダがいる。

俺好みのプリンとした小さいケツ。心底俺に惚れているマチルダが。




とにかく俺は、これ以上の状況悪化を避けるため、これから続くであろう連日の取り調べを否認して、時を稼ぐことにした。


何日過ぎても、状況は変わらない。

とにかく現実は甘く無かった。

親父や幹部どころか手下の誰とも連絡が取れていない。流石に想定外だ。外からの面会どころか手紙すら皆無。

まるで今までの人生が何も無かったかの様に感じた。

あの場に居た者は皆 拘束されたが、出かけていた奴もいたし、全員では無かったはずだ。

それでも、この状況から判断すると、後から調べ上げて一網打尽にイカれたか、身を(ひそ)めているか、捕まらなかったことをこれ幸いと、離れた土地へと逃げたかのどれかしか考えられなかった。

売春宿や夜の店の方まで手を回したとは考えにくいが、とにかく誰とも会う事ができないまま日数だけが過ぎて行った。


イライラする。

取り調べの騎士が言う殺害依頼の証拠とやらは、ただの紙でしかない。何としてでも裏から手を回し、奪い返すしか無い。

お決まりの紛失事案は、よくある事だ。

だが、何日経っても状況は変わらず、何ひとつ動けなかった。


鐘の音で起床し、そこから朝食が運ばれて来るまでの間は、掃除の為の時だが、それは俺のすることでは無い。

放置し続けた。

たった数日で、小さな洗面台には何やら桃色のヌルッとした感じの物が目につくようになった。よく見ると、部屋の隅には蜘蛛の巣まで張っている。

何よりも、この匂いが気分を萎えさせた。

掃除夫の一人を寄こすのに、いったい何の問題があると言うのだ?

「おい!上の(もん)に話しをさせろ!誰か掃除をする奴をよこせ!」

だが、誰も来る事は無かった。



いつも眠りが浅い。寝返りのたびに目が覚めてしまう。

そして、カーテンが無い所為(せい)で、どれだけ眠くても日が昇れば、光と蝉の鳴き声で眠れない。

環境が変わったからか、それとも俺のイビキが酷くなったからなのかは分からないが、毎朝、(くち)がカラカラで気持ちが悪い。いつも目覚めると、まず初めに歯と舌を磨きトイレを済ませる。

そして、コップ一杯の水を飲み、何とかもう少し眠れないかと、もう一度硬いベッドに横になる。

水は、姿の見えない牢番に、直訴した。

「せめて水だけは、好きに飲ませてくれ。」

蓋付きのデカンターに入った水とコップを許されたのだ。

水が無くなれば、デカンターを配膳台に置くだけで

入れてくれた。

手洗い用の桶の水は、毎朝、補充される前に、残っている水を洗面の流し台かトイレへ流すようにしている。

失敗したのは初日だけだ。

とにかく、眠りたいのに眠れないことが、本当に腹立たしかった。

瞼を閉じても、眠れないのだ。


リンゴーン リンゴーン リンゴーン


今では、鐘の音を合図にベッドから出て掃除を始めている。全ての人間が、俺を無視し続けるので、いよいよ洗面の流し台に黒カビが目につく様になり、歯を磨くたびに吐きそうになったからだ。流石にこれ以上、意地を張っても無駄だと諦め、規則通り朝に掃除をする様になった。

そして朝の掃除が終わる頃に、いつも朝食が支給された。

掃除をした後の手をいくら石鹸で洗っても、手が綺麗になった気がしない。

その手でパンをちぎり口にする事が、どうしても嫌だった。

だから、バッサバサのパンを落とさない様にゆっくりとスプーンですくい、ほとんど具の入っていないスープに入れてふやかし、スプーンでパンを刻みながらスープと一緒に食べるようにした。

せめて、デカい肉と半熟卵がこのスープに入っていたなら、そして塩と胡椒だけでも有れば、まだ美味しく食べれただろう。だが、そんなまともな食事が出るはずもなく、とにかく空腹を紛らわすためだけに、押し込むように口にしている。


こんな事になるなら、どこか別の場所に小屋でも作って、依頼書と帳簿を入れた金庫は、隠しておけば良かった。

依頼主と揉めた時の証拠として、代々残す決まりになっていた。何より、堅気の人間は一生(いっしょう)目にすることの無い、貴重な裏の歴史だ。

ガキが、学舎で学ぶ歴史の対極に存在する、裏稼業の、闇の歴史だ。

依頼書の存在こそが、俺たちと、表の権力者との繋がりを示す貴重な証拠で有り、必要悪の存在意義そのものだからだ。



「毎日、記事を読ませてくれ。」と、希望してからは、昼食の時に読めるようになった。

騎士や役人達からどのような発表がされているのか、俺や、組織の連中について、どうするつもりなのか、少しでも状況を知るために、発行されている記事に目を通している。

だが、初めの頃に渡された記事の(ほとん)どは、黒塗りになっていた。

黒塗りにの箇所に、暗殺成功と書かれているなら、俺への尋問も厳しくなるはずだが、今のところ変化は無い。

毎度、毎度、何か新しい情報が書かれていないか、くまなく読むのが日課の(ひと)つになっている。

暗殺の成功だけが頼りだ。

フォルカーとマチルダがやり遂げさえすれば、必ず俺達が有利になるはずだ。



今日の記事は、枚数がいつもと違った。

やたらと多い。


目に飛び込んで来たのは、アークランドの出来事の特集だった。


『漆黒の民 夏の風物詩 花火』


『隔離区画の一画で 黒龍の国の小さな夏祭り

 〜ここまで違う異国の夏〜』


『遊戯を超えた遊戯 漆黒の民と炎の星』


挿絵(さしえ)には、数名の幼子(おさなご)が、細い枝の様な棒の先に星が刺さっている物を手にして、とても楽しそうに眺めている様子が描かれていた。


『黒龍の民が使用する、炎が出る道具で棒に火を点けると、星の様な形で燃え始める。その美しさに誰もが驚き魅了された。』


『花火には、様々な種類が有り、空高く打ち上がる星の様な物も有れば、まるで地面から噴き上がる、山の噴火の様に燃える美しい物も有った。』と、様々な絵で描かれていた。

全てが、夜の闇を明るく照らし、とても幻想的で夢の様な時を過ごすことの出来る玩具だと書いてある。


数年前に突如として現れた伝説の民。

なぜ、再びやって来たのだ?



次のページは、いたるところが黒く塗りつぶされていた。漆黒の民と俺に接点は無い筈だが…。

まさか…アークランドに漆黒の民が現れたので、奴らの安全の為に、一番近くに隣接する地区の闇組織に対し、難癖つけて拘束したのか?

嫌、それは無いな。そもそもアークランドへ入国するには、審査に半年はかかる。

それに他の二組の組織も、俺たちと同じで、長官の暗殺を請け負うまでは、好き勝手にやっていた。

とにかく、読む事が出来たのは、食事について書かれている箇所だけだった。

出店か?黒龍の国で、夏祭りの屋台でよく売られている食べ物を再現した軽食について書かれていた。りんご飴や葡萄飴、チョコバナナ、下味をつけた鶏もも肉に、ころもをつけて油で揚げた料理や、焼いたトウモロコシ、大きいソーセージにトマトソースや粒マスタードをつけたもの。ソーセージにまで、わざわざソースを用意するのか。俺達の国では、焼くか茹でるかだけで、そのまま食べる。どうやら文明の進んだ国では、食事も手間暇かけた美味い料理にありつけると言うことか。

挿絵を見ながら、それらの調理法や味の説明を読んでいると、無性に腹が減ってきた。

ここから出たら、どんな手を使ってでも、アークランドへ旅行に行こう。

嫁と子供達は駄目だ。イライラさせられるだけだからな。

行くならマチルダと二人きりが良い。

あいつは、俺に心底惚れている。

常に俺のことだけを想い、俺だけを見ている。

それが、たまらなく良い気分にさせてくれる。

そうだ。暗殺さえ成功すれば、何とかなる。

きっと、あの二人なら、やり遂げるはずだ。




騎士だろうが役人だろうが、誰に何を言われようと否認し、知らぬ存ぜぬを繰り返し、数週間をやり過ごした。

恐らくニ週間と少し過ぎたころ。

その日は、朝から何かが違った。

いつも以上に、張り詰めていた。

「本当に、正直に話す気は無いのか?」

そう話す取り調べの男から、苛立ちは感じなかった。

むしろ気遣っているようにすら感じたが、返事の代わりに、フンッと鼻であしらった。

「そうか。これから先は、私の手を離れる事になるかも知れない。」そう告げてきた。

まさか、拷問でもされるのかと思ったが、やるならとっくにしていたはずだ。

それに昔、親父が言っていた。

「こちらが暴れない限りは、手荒な真似をされることは無い。騎士や役人達に、口実(こうじつ)を与えるな。」

今でも取り調べのさいに暴力を振るう事は、禁止されているはずだ。

拘束されたからと言って犯人だと確定した訳では無いし、冤罪もあるからな。

大丈夫だ。その内、諦めて解放される。

俺は何も知らない。関わっていない。

そう言い続けてきたが、一度も殴られてはいない。

嘘も100回言えば真実になる。ハハッ。


いつも通り、クソまずい夕食をすませ歯を磨いた。

日が落ちるとグッと寒くなるので、長袖の寝衣に着替えようとした。

今まで、午前中や昼間以外に、尋問を受けた事は無かったからだ。


だが、今日は違った。



手枷(てかせ)をはめて、連れて行かれた先は、いつもよりも広い部屋だった。

部屋が、明るい。まるで昼間の様だ。

どうなっている?ランプの明るさでは無い。

不思議に思いながら部屋に入ると、暗殺の標的、長官が立っていた。


くそったれ!!!! クソ! クソ! クソ!


フォルカーどころか、マチルダまで(やら)れたのか!!!!



俺の手下を二人も殺しておいて、よくもその(つら)を俺の前に晒せたもんだ!

なんて事だ!クソッたれ!


ドカッと椅子に座り、手枷(てかせ)を嵌められたままの両手を机にドンッと乗せた。

目の前の人物……と……目が合った。

何だ!!!!この男は!!!!

思わず椅子から立ち上がりそうになったが、まるで予測されていたかの様に、両脇に立つ二人の騎士に上から肩を抑えられた。

恐怖で息が荒くなる。

フー、フー、フー、フー、

漆黒の目 闇の様に黒い髪の男!漆黒の民か!!

しかも二人!!!

一人は座り、もう一人は(かたわら)に立っている。

頭の中で、ドクッ ドクッと音がする。

俺にでも分かる。コイツらは真面(まとも)では無い。


ヒッ!


腕を掴まれた!!


「ほな、ちゃっちゃと済まそか。指、出せ。」


咄嗟に、手枷(てかせ)で繋がれたままの両手をブンッと横に振り払い、自分の身体に引き寄せた。

「指を!!……お、俺の指を切り落とすつもりか!!」

思った以上にでかい声が出てしまった。

フー、フー、

グッと握りしめた両手に力が入る。

長官は漆黒の民に触れながら

「彼は、貴方に指を切り落とされると勘違いした様です。」と、説明した。


「ハ?ナンデヤ?ケッタイナヤッチャナー。モージャマクサイシ、カップノデ、シモンノカクニンスンドルシ、ヤメトクカ?」


呆れた顔?驚いた顔?とにかく今まで聞いた事の無い言葉を発したが、長官は男が何と言ったのか、教えてくれなかった。だが、漆黒の民に対し、少し微笑みながら首を横に振ると、

「本人に理解させる必要が有りますので、経験させてやってください。」と、穏やかに言った。

そして、俺に対して淡々と説明してきた。

「尋問に対し、何一(なにひと)真面(まとも)に答えていないと報告を受けている。よって、貴方の指紋とDNAを採取し、本当に一連の事件に関与していないか調査する事にした。彼の指示に従いなさい。」

俺のシモンと何だ?何と言った?意味が全くわからなかったが、とりあえず言われた通りに手を開いた。

何をされても、痛くも痒くも無い。

指も手も黒い色はついてしまったが、紙に手の平と、手の横の部分と、指先も一本づつ右から左とゆっくり丁寧に紙へ押していっただけだ。

終わると柔らかな紙を手渡してきたので、手についた黒い色を拭き取った。完全には落ちなかったが、後で手を洗えば、綺麗になると言われた。

(くち)の中に細い棒を入れられ、両頬の内側辺りを少しスッ スッと撫でられ終わった。

ハ、… ハハ。警戒し過ぎた。

顔の所為(せい)だ。目の前の、漆黒の男が、それと分かるほど…そう……顔つきが、

何よりも、目つきが違う。

本物の闇を経験した男の目。

若い方の男も同じだ。

殴り合い程度では無い、命のやり取りを経験している男の顔だった。

間違いなく、コイツらは人を殺した経験をしている。

本能で、そう感じたので早合点してしまった。

ハハッ

銀色の、薄い本の様な物や、良く分からない箱や(ひも)(せわ)しなく動く指。

そして暫くすると、机の中央に手のひらに収まる白くて長方形の物を一個、コトンと置いた。

何だこれは?

初めて目にする透明の袋に入っている広げた状態の便箋を見せてきた。透き通った袋だと?ガラスか?

嫌、違う。見た感じ、まるで布の様に柔らかそうだ。

長官が男の言葉を訳してくれた。

「こちらの殺害依頼書は、貴方の屋敷金庫から押収した物です。」

殺害依頼書が見つかったから、ぶち込まれている事ぐらいは理解している。

バカにしているのか?

相手がどんな手を使うか分からない以上、今まで通り時を稼ぎ、否認に徹するしか無い。とりあえず驚いた風な顔をして答えてやった。

「家に金庫が有った事すら知らなかった。そんな依頼書なんぞ見た事も無い。俺の家を調べると言いながら、その時に騎士の誰かが持ち込んで、もとから有った事にしたのだろう。つまり、俺は()められたって事になるな。」フンッ!と鼻で笑ってやった。


長官は、漆黒の民の腕に触れ、俺がたった今、話した言葉を復唱をした。

何の意味が有るのだ?

違和感があった。なぜ、長官は漆黒の民から手を離さないのだ?


男は、薄い大きめの本の様な物をクルッと向きを変えて見せてきた。


そしてもう一度、剥き出しの腕を掴まれた。


「アホにも分かるよーに説明したる。えーか。一回しか言わんから、一発で理解せーよ。お前の指紋がこの紙に(のこ)っとるんや。指紋 ()ーのは、この指の腹に有るシワみたいな紋の事じゃ。」

俺の握りしめた(こぶし)から無理矢理 人差し指を伸ばし、目の前に突き立て、指の(ひら)を見せてくる。

クソッ。指がポキッと折れそうで思わず顔をしかめた。

「この指紋は、人間が母親の腹ん中におる時に形成され、終生不変 ()うて、一生変わらん。ほんで、万人不同。つまり同じ(もん)は存在せん。」

指は握ったまま、腕を掴んでいた手を離し殺害依頼書を指差すと

「さわっとるやんけ!」と、怒鳴られた。

な!なんて横暴な男だ!

「そ、それがどーした。見せられた時に()れたんだ!」

俺の指を投げ捨てるかの様に乱暴に離すと立ち上がり、ガンッ!!と机を蹴りやがった。グエッ!腹に衝撃をくらった。息が苦しい。

フー、フー、上目遣いで見上げると、全く何も感じていないのか無表情な男の顔がそこにあった。

イカれてやがる!!!!

椅子ごと後ろに倒れるほどの(ちから)だった。

だが、気づくともう一人の漆黒の民が、後ろで椅子を押さえていた。

オイ! オイ! オイ! オイ !

いつの間に、後ろに移動していたのだ?!!

俺でも分かる。非常に不味い状況だ。

長官が男に触れながら

「尋問のさいに、被疑者に対して暴力を振るう事は禁じられています。」と言っている。

先に説明してなかったのか!

俺が誰か知らないのか!こんな事をしてタダで済むと思うなよ!

漆黒の民は、俺から視線を外す事なく何か返事をした。

その言葉を他の者にも分かる様に、長官が訳す。



「後ろに倒れそうになって、つい足が上がってしまっただけなので、もう大丈夫だと言っています。」


は?


はぁ"ぁ"ぁ"?????



駄目だ!駄目だ!駄目だ!


見ていただろ!コイツは机を蹴ったじゃないか!

反論したいのに、パニクって声が出ない。


コイツは駄目だ!!!!



男が「シューイチ」と言うと、後ろに立っている漆黒の民が、右手で椅子の背をガッツリ掴み、もう片方の手で俺の腹に何かを当てた。


グオオオォォォー!!!!


反射で悲鳴をあげた。

パチパチッパチパチッと音がした気がする。

経験した事の無い激痛と、凄まじい吐気。

何をされたのか分からなかった。

ハア ハア ハア ハア

吐きそうだ。

痛みで視界にキラキラと光りが見えた。

恐怖からか、部屋中が霧がかかった様に、白くボヤけて見える。

椅子からダラリと崩れ落ちそうになったその時、首の後ろを掴まれた。


「話す気ぃなったか?」

耳もとで囁くその言葉は、他の人間には聞こえていない。



ヒィッ


マズイ マズイ マズイ


長官も、騎士も、役人も、書記官ですら驚いた顔をしているだけで、誰も何も言わない。


気づいて無いのか!!!!


シューイチと呼ばれた男は、長官に触れながら何かを言っている。



「腹が立ったので、つい、胸ぐらを掴んで話そうとした途端、被疑者が驚いて悲鳴をあげた様です。」と、長官は周りの人間に言った。



違う!違う!違う! 何かをされたのだ!

上着の袖で、良くは見えなかったが、何かを手にしていた。

黒い、そう、黒い何かを握っていた。

フー、フー、フー、 

大声で反論したいのに辛くて言葉が出ない。


何てことだ…。皆の目の前でヤラれたのに、誰一人として本当に気づいていない。


「ホレ。」


シューイチと呼ばれている男が

俺の上の服を胸まで捲り上げた。


ホレ?ホレとは何だ?どう言う意味の言葉だ?


役人と騎士が近くまで来て俺の身体を確認すると二人とも頷き

「アザも傷もついていません。」と、言った。


そんな…そんな、バカな………


見下ろすと、確かにどうにもなっていない。


嘘だろ?


凄まじい吐き気をどうすることもできない。


黒龍の、 こいつら 漆黒の 男達 狂ってやがる




次は、誰からも見えない背中をやられるかも知れない。

二度もくらえば死ぬ。


殺される!!!!



このままでは、勝手にいきなり死んだ事にされてしまう。

原因不明の突然死。


イヤだ!嫌だ!嫌だ!!!!


あまりの痛さと恐怖で涙がジワリと溢れ、ガタガタと勝手に身体が震えだした。


必死だった。

狂気に満ちた漆黒の民から解放されたい一心(いっしん)で、他の奴らが口を挟む隙も無いほど、なり振り構わず話した。

これだけ早く話せば、通訳は無理だ。書記官の手も止まっている。

長官や騎士達が、どんな目で俺を見ているかなんて気にする余裕も無かった。

嫌悪、軽蔑、もうどうだっていい。

早くこの部屋から出て、安全な独居房に戻りたい。


後になって騎士達から聞き返されても、覚えていないとしらを切れば良い。俺なら上手くやれる。

漆黒の民に呪いをかけられ、やってもいない事を喋らされた。そう言おう。

そうすれば、俺の話した内容を手下の奴らに尋問で確認するしかなくなる。そして、手下は手下で誰かが白状したと観念し、皆がありのままを言うだろう。

後から、そいつらの所為(せい)にすれば良い。

俺は知らなかったと、覚えていないと、また明日から言い続けよう。


殺される前に、この部屋から出してくれ!



声を出すと咳き込み、咳き込むと嘔吐(えず)いて吐きそうになる。

それでもガタガタと震える身体で、痛みに耐えながら無我夢中で話した。

統治者ジュールから、長官の暗殺依頼を受けた事。

ジュールの父親、ヨーツ公から続く関係で、ジュールが学生の頃にやらかした、殺しの後始末を親父(おやじ)の代で請け負った事。

セタースでは、その名に見合う難易度の高い殺ししか引き受けない。

冬の女の刺殺も、路地裏の役人(やくにん)殺しも簡単すぎる。

つまり俺達の仕事ではない。

アレには、一切 関わっていない。

裏稼業の間では有名な話しだ。あの二件も依頼主はジュールだと。そもそも父親のヨーツ公が、イカれた男だった。頭が悪すぎて、問題解決の方法を殺す以外に選択肢を持たない男だった。


簡単な集金は、どこの闇組織も年寄りが回る。

その屋敷は、別の闇組織の縄張りだった。

話しによると、集金の年寄りが、守料(もりりょう)の回収に行ったきり、帰って来なかった。


()ったのは、なりすましのヨーツ公。


ある日突然、老夫婦が消え、代わりに老夫婦の名を語り住み出したのが、偽のヨーツ公と死んだはずの息子ジュールだった。

そう。老夫婦の本物の息子ジュールは、とうの昔に病で死んでいる。

今でも墓場へ行けば、若くして亡くなったジュールの墓を見る事ができる。

夫人を名乗る女も居た様だが、しばらくすると気がふれて病院に入ったとか、夫と折り合いが悪くなって出て行ったとか聞いた。

何が言いたいかって?つまり、火事で死んだヨーツ公は偽物で、統治者のジュールも偽物。どこの馬の骨かも知れない奴が、ある日突然やって来て、家主の名を語り、屋敷に住み出したって事だ。戸籍がどうなっているかは知らないが、少なくともあの親子が背乗りしたのは間違いない。現に本物のジュールの墓は、今でも村の墓地に存在する。



偽物の身分で統治者になれば、無効じゃ無いのか?

これ程のネタがどこに有る?

わかったら、サッサと俺を解放しろ!



送り込んだマチルダは、俺の女。

男の俺ですら躊躇する様な依頼でも、顔色ひとつ変えずに遂行する組織の殺し屋だ。掃除専門の兄貴衆から訓練を受け、覚えが良いのか、それともズバ抜けて要領が良かったのか、何度も生きて戻って来た。

俺には逆らわない。心底 俺に惚れている。その意味が分かるか?

俺専用の! 俺だけの! 俺の!女だ!

ヤルだけならいくらでも用意できる。だが、殺しも出来る女となると、そうそういない。

だからマチルダを女としても調教し躾けた。


フフフフ ハハハハ



自慢の女だ!


酷い興奮状態だと、自分でも分かる。


ハハハハ


無様(ぶざま)だ。


あ?何だ?


気分良く話しているのに何か言っている。



「内縁の妻と言う事か?つまり、ゆくゆくは今の奥さんと離縁して一緒になるつもりだったのか?」と、騎士が聞いていた。


「役人や騎士ていどの、惨めなお前らの人生とは違って

俺は女を囲えるんだよ!」

間抜けな質問に半ば呆れながら教えてやった。


「嫁とは別枠の女だ。結婚するなどあり得ないだろ?

馬鹿がつくほど従順で、俺以外には誰にも抱かせていない。だから性病の心配も無い。

捨て駒のガキはいくらでも()えが()くが、女は違う。」

そこまで話して無性に腹が立った。

殺し損ねた長官を睨みつけ、ドスを効かせた低い声で静かな怒りを口にした。


「俺の女を殺しやがって。この人殺し野郎。」


「殺していませんよ。」


へ?


「彼女は、偽造公文書行使の罪、及び旅券不正取得の罪、準脅迫罪でアークランドにて勾留されました。

今は、アークランドの留置所に居ます。」




そうだった…。アークランドの入国審査は、どこよりも厳しい。


………喋り過ぎ……た……


あぁ…


なんて事だ……


マチルダは、俺の所為(せい)で処刑されてしまう。



ねっとりとした黒い絶望で……押し潰されそうだ…



いや、そこまで思う必要は無いか。

売られてきたとは言え、マチルダも身分は俺より上の人間だ。それを知れば、マチルダも俺を毛嫌いし、冷めるに決まっている。

裏切られる前に裏切っただけだ。

だから、別に俺は悪くない。




「ホイ、オツカレサン。ホナ、ツギ イコカ。」


漆黒の民が、言葉を発すると

長官が「皆さんにお疲れ様と言っています。」と、通訳した。

「レイ。」そう言いながら、漆黒の民は、机の上の白い何かを手に取り、長官へ手渡した。



長官は、腕に着けている丸い何かを見ながら、今日の日付と「午後7時4分から7時42分 セタース 組頭 マモンの証言」と、言うと何かを押した。


漆黒の民は、横に何やら銀色の棒で立てている四角い手のひらサイズのガラスの様な物を手に取ると、

「ギリ、ヤナ。データ、サキニオトシトクカ。」と言った。それは、いったい何だ?

だが、極悪非道な狂った漆黒の民の言葉を長官が訳してくれる事は無かった。


俺は、自分の足で立つ事すら出来なかった。

全く力が入らずに倒れ込んだ。

頭はハッキリしているのに立つ事が出来ないのだ。

俺は、二人の牢番に、両脇の下に腕を通され、独居房へと運ばれた。

足がもつれて歩けない。そんな自分の重みで腕が千切れそうなほどに痛かった。ベッドへと運ばれてそのまま倒れ込んだ。両足をベッドの上に乗せてくれたのは、本当に俺が動けないと理解してくれたからだろう。


あぁ。まただ。また、全身がガタガタと震え出した。

あの時、声が出せたのは奇跡だ。

今は呻き声さえ出せずにいる。呼吸さえ辛い。

もしかしたら、俺はこのまま死ぬのか?

ふと、そんな考えが頭をよぎった。

この牢に入れられてから初めて、牢番が口を()いてきた。

「水を飲むか?」

「ぁ、ぁぁ、」

まるで、病人を優しく解放するように上半身を少し起こしてくれた。

もう一人の牢番は、デカンターからコップに水を注ぐと、俺に手渡そうとしたが、手枷を嵌めた両手を動かして受け取る事すら出来ない。震えて、手が上がらないのだ。

惨めだ。ぅ…ぅぅ…。

俺の身体を支えてくれている牢番がコップを受け取り、水を飲ませてくれた。

「ゆっくりだ。そう。急がなくて良いから。」

あれほど気に入らなかった生温い水が、生命の水のようにありがたかった。

コップの水を飲み干すと、満たされてフーとため息が漏れた。

「もう大丈夫か?」と、聞かれたので、首を縦に動かして、何とか頷いた。

そして、俺に毛布を掛けて手枷を外すと、二人は牢から出て行った。

遠のく足音を聞いていると、また身体が震えてきた。

ただの恐怖からくる震えなら、明日を迎える事が出来るはずだ。だが、漆黒の民に酷いことをされた所為(せい)なら、このまま死んでしまうかも知れない。


カチカチカチ カチカチカチカチ


何の音だ?


カチカチ カチカチ


耳障りな音。それは、俺の歯が当たる音だった。


死にたく無い。


死ぬのが怖い。


あぁ。本当に嫌だ。


痛みと恐怖で、涙がとめど無く溢れた。


親父 親父


助けてくれ


確かに激痛を感じた。今も腹の中が辛い。

震える手で、自分の腹に触れると、それは確かに存在した。水脹れの様な小さな小さなイボが(ふた)つ。


痛い…痛いょ…母さん…



戻りたい。


戻って、そしたら、やり直せるのに。



お読みいただき有難うございます。

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