185話
娼婦になるか男娼になるか、それとも極端に短い人生の殺し屋になるか、親に捨てられた子供の行き着く先は、男も女も変わらない。臭くて汚い大人達の性病で死ぬか、殺しの後に逃げきれず、斬り殺されるかの違いだけだ。
五歳まで生き残るのが大変だ。可愛い顔なら十歳を待たずして、男女関係なく、子供が大好きな大人の相手をさせられる。
「ヒヒッ。子供のくせに、いやらしいことが好きなのか。」と、嬉しそうに客は言う。そんなわけ、あるかよ。
無理やり、そう躾けられ、やらされてんだよ。
弟分たちは、食事をもらっていても、仕事の後に、吐いたりするので、いつまで経っても痩せたままだ。
「売るヤツがいるから、買うヤツがいる。」と、大人たちは言う。逆だ。買うヤツが存在するから、僕達は売られて行く。皆、死ねば良いのに。
両親が揃っていても売られる子はいるし、放置され捨てられる子もいる。手加減無しで蹴られ、殺されたりもする。
「木から落ちて死んでしまった。」
「もともと体の弱い子で、食が細かったから、風邪をひいただけで、死んでしまった。」
「家を出たきり、帰って来ない。」
近所の人達は、そんな言い訳にすら、なっていない言葉が、嘘だと知ってる。それでも、下手に関わって、面倒になったら、危なくて、そこでは暮らしていけなくなる。だから、誰も騎士に言いつけたりしない。
この地区では、そこらの森を掘り返せば、土に還る子供達が出てくることは、別に珍しくも何とも無い。
追い討ちをかけるように、豪雨や寒波がこの国を襲うと、決まって食糧難に陥いる。小さな盛り土は増え続け、森は景色を変える。
たとえ片親であっても、貧乏な夫婦であったとしても、我が子を捨てたり売ったりしない、まともな親のもとに生まれる事が出来たなら、ボロでも清潔な服を着て、風呂にも入れてもらえ、スープとパンで腹を満たし、雨風しのげる家の中、安心してベッドで眠る事が出来る。そんな家に生まれる事ができたなら、流行病にかかったり、頭のおかしい奴に襲われなければ、生き残る事ができる。
だが、現実は甘くない。人間性に問題のある親の方が、多いのが現実だ。だから、人知れず殺される。毒親から逃げ出せたとしても、生き延びるのは過酷だ。
感の良い子は、施設からも逃げ出す。
表向き、子供の保護を謳ってはいるが、裏では里子と称して売られたり、慰み者にされるからだ。
結局のところ、どこから逃げても、そんなこんなで、闇組織に拾われる。
売られても、捨てられても、逃げても、行きつくのは、どこかの闇組織だから、どの組織も子供にだけは、困る事が無い。
だから今日も、どこかで消耗品として使い捨てられる。
この僕のように。
大丈夫だ。訓練はちゃんと受けた。
近づく事さえできれば、上手く刺せる。
短剣は、職人に研いでもらったから、深く綺麗に突き刺せるはずだ。
前の法の番人、リチャードの入院先を探し出し、お見舞いに来るレイ長官を刺せば良い。
きっと王都の大きな病院に入院しているはずだからと、三カ所の病院の地図も書いてもらった。
病院で油断しているところを狙えば、簡単に殺せるはずだ。
警護の人に、その場で斬り殺されなければ、走って逃げきってみせる。背を低くして滑り込む動作も、身体に染みついた。
痣ができるほど、何度も練習したから大丈夫だ。
生きたまま捕まったら処刑されるかな?
「ガキは、死刑にされないから大丈夫だ。」と、お兄さん衆が言ってたけど、それはアークランドでも処刑されないって事だよな。
とにかく、初仕事を失敗する訳にはいかない。
僕達が、なりすましているのは、両親を早くに亡くした、姉と弟だ。幸運な事に、彼らの親は、二人が生きていくのに困らない程度の金を残してくれていたらしい。そして、もっと幸運な事に、祖父母が健在で、その庇護下で暮らせていたから、親戚連中から財産をむしり取られずに済んだようだ。姉のアメリアが堅実な女性で、両親の残してくれた財産に甘んじる事なく、学舎を卒業後は、働いていたようだ。今回の旅行は、姉弟で頑張ってきたご褒美にと、アメリア自身が働いたお金で、用意した旅行だったようだ。
組織の中でも特に顔が良くて、女の扱いが上手いお兄さんが、アメリアに接触して譲ってもらった。
「親友の姉の子が、病を患っていて、もう余り長く無い。動けるうちに、最後の思い出として、ずっと行きたがっていた、アークランドに連れて行ってやりたい。」
親友役と、わざと垢抜けない格好をした、姉役のマチルダが顔合わせをして、結構な額を払って身分証と入国許可証、旅券、宿泊予約証明書などを手に入れた。
アークランドに入国するなら、国が発行する似顔絵付きの身分証が必要となる。
ボスは、「紛失による再発行」で、僕たちの似顔絵に差し替えた、本物の身分証をわずか半日で作ってくれた。
アメリアとジョージ。それが僕達の使う名だ。
本人達は、次に旅行に行く前に、もう一度、紛失した事にして、身分証の再発行をすれば、元通りになる。
本物のアメリアとジョージは、僕たちの身分証と旅券で、他の国へ観光旅行に出かけている。アークランド以外の国なら、似顔絵による本人確認なんて必要ないし、事前の入国申請も不要だから、どこにだって行ける。なにより、旅行に出たはずの人間が家に居られては困る。別の国への、少し贅沢な旅行を手配したのも組織だ。僕達が、しくじりさえしなければ、二人は、予約を取り直し、半年後には、アークランドへ旅行できるのだから、何も問題ない。
だが、次にこの手は使えない。
そう何度も「紛失による再発行」を申請すれば、間違い無く怪しまれてしまう。公的機関発行の書類には、一般人が知る事の無い偽造防止が仕込まれている。入出国管理がザルと言われている、僕たちの国ですら、出国審査の時に、偽造書類で捕まるバカが出るほどだ。
つまり、アークランドでは、一切通用しないと言う事だ。
だから、本物の、偽の身分証が必要だったのだ。
僕は、この生活を送るようになってから、初めて綺麗な服と靴を与えられた。身なりも清潔にしたから、きっと普通の旅行客に見えるはずだ。
入国審査は緊張した。
「お早うございます。身分証と、入国許可証、旅券と宿泊予約確認書の提出をお願いします。」
なんとか、震えずに書類を渡した。
手荷物検査も徹底していると聞いていたので、短剣は、国を出る前から、太腿の内側にベルトタイプのホルダーで取り付けて来た。
剣で殺すのは目立ち過ぎて難しい。鞘から出せば殺意が有ると相手に知らせているのも同然だ。
だから、僕の道具は短剣になった。
入国審査員は、恐ろしく手際が良い。抜け目なく鞄の中身を検査しているのが分かる。
彼らは、見落としたりしない。怪しまれない為にも、短剣を鞄に入れてなくて良かった。
「はい。結構ですよ。よいご旅行を。」
行程の通りに移動しなければ、不法滞在の疑いをかけられてしまうので、僕達は、予定通りメリル温泉に数日間、滞在するため、移動した。
まず、移動の馬車が快適だった。また、メリル温泉までの景色が、どこも素晴らしい。噂は本当だった。アークランドは、何もかもが違う。
皆、幸せそうだ。
僕達の馬車は、「道の憩いの広場」で、休憩をとらせてくれてた。綺麗に手入れされた芝に、丸い白色のテーブル、ふかふかのクッションがセットされている白い椅子。目の前に広がる光景に、心が鷲掴みにされた。僕たちが案内されたテーブルには、真っ白のパンにハム、チーズ、レタス、タマゴをはさみ三角形に切った軽食が、深い青色の皿に綺麗に盛り付けられて透明のガラスで蓋をしてセットされていた。席に着くと、ガラスの蓋をスッと取りながら、「こちらは、サービスの軽食、サンドイッチです。お飲み物は、コーヒー、紅茶、冷たいミルク、リンゴの炭酸水とございますが、どれになさいますか?」と、小さなメニューを出しながら聞いてきた。
「ワインは、無いの?ワインを出してちょーだい。グラスで良いわ。」椅子に座ると足を組み、驚くほど偉そうに、マチルダが言った。
朝から飲む気なのか?遊びに来た訳では無いのに、バカ過ぎだろ。
「アルコール類は、有料となります。こちらがメニューです。カクテルもご用意できますよ。ご休憩は15分から20分程度でので、こちらのチーズの盛り合わせでしたら、すぐにご用意できます。」と、先ほどより少し大きなメニューをテーブルに置いた。
偉そうに言った手前、後に引けないのだろう。
マチルダの顔はみるみる赤く染まっていった。
こんな所で、揉めるなんてごめんだ。
「姉さん。次の休憩まで、どれくらいかかるか分からないから、紅茶か、リンゴの炭酸水にしておいたら?」
二択にすれば、どちらかを選ぶだろう。
「紅茶で我慢するわ。」この女は、邪魔なだけだな。
「僕も、姉さんと同じ紅茶で、お願いします。」
「かしこまりました。」こんな客には、慣れているのか、穏やかな表情を崩す事なく、花柄の美しいカップに、見るからに熱々の香り立つ紅茶を注ぐと、次の席へ飲み物の確認をしに移動して行った。
紅茶もサンドイッチも、とても美味しかった。
左足の靴擦れの痛みをほんの少し忘れるほどに。
「ねえ、その顔、辞めてくれない?せっかく『癒しの国アークランド』に入国できたのに、それじゃまるで殺し屋みたいじゃ無い。いやぁーねぇ。」マチルダに言われて、ふと我に返った。国を出て、初めて出す指示が、それならこの女は終わってる。
「僕は、殺し屋だよ。」
「まだでしょ。ちゃんと殺してから名乗んなさいよ。ほんと、生意気ね。あのねぇ、そもそも入国事態が難しい国なの!わかってんの?もっと楽しそうに、しなさいよ。あたし達は、半年も待った旅行客なのよ。アンタのその顔じゃ、ただの不審者よ。」
ついさっき、恥を晒して顔を赤くしておいて、どの口が言う?ボスの愛人のくせして、バカなのか?
「トイレに行ってくる。」左足を少し庇いながら
芝生を抜けて、公衆の手洗い場、兼トイレへと向かった。
やはり、歩くと痛いな。
「こんにちは。」知らないご婦人が声をかけてきた。
誰かと勘違いしているのか?とりあえず、小さい声で「今日は。」と、挨拶を返した。
「左足、どうかなさったの?」
「え?あぁ、慣れない靴で来てしまって、ただの靴擦れです。」あまり、人と接触したく無い。なんとか笑顔で答えた。
「あらあら、それは痛いわね。そこの椅子に座ってちょうだい。踵当てをしてあげるわ。大丈夫よすぐだから。」有無を言わさぬ雰囲気に負けて、すぐ側の椅子に腰を下ろした。
ご婦人は、ポーチから、ハンカチを取り出すと、いきなり半分に切り裂いた。そして、指二本分ほどの幅になるようにくるくるっと折り畳むと、左足の靴擦れで赤くなっていた踵の部分にあてて、保護する様に巻いてくれた。
「立って足踏みしてみてちょうだい。」言われた通りにすると、痛みがかなりマシになった。
「良さそうね。毎日取り替えた方が良いから、残りの半分も持って行って。旅行で来たのでしょ?宿に着いたら消毒してもらってね。それじゃ。」
「ありがとうございます。」僕は、半分になったハンカチをポケットにそっとしまった。
今、自分が受けた親切を心から締め出した。
そうでもしなければ、泣き叫びそうだ。
頭を空っぽにして、トイレを済ませ、手を洗って、大きく深呼吸すると、マチルダの座るテーブルへと戻った。
「どうだった?」
「何が?」
「トイレよ!公衆のトイレなんてゴミでしょ?」
「とても清潔で、ちゃんと個室で、トイレットペーパーも備え付けてあったし、水洗トイレだったよ。初めてだから、驚いた。使った後はレバーを下げると水が流れる。爽やかな花の香りがしていて良かったよ。」そのまま今さっき経験した感想を伝えた。
「トイレ、アタシも行ってくるわ。」バッと立ち上がると、椅子も戻さず、早足にトイレへ向かって行った。
周りで同じように休憩のテーブルに座っている数人が、驚いてこちらを見ている。僕だって浮いてるかも知れないが、マチルダは、間違いなく悪い意味で人目を惹いてしまっている。
最悪だ。
思ったよりは早く、少し興奮した顔をして、マチルダは戻って来た。
「まぁ、あの程度なら、噂で聞いていたほどは驚かなかったけど、アンタの言う通り、まぁまぁ良かったわ。泊まる宿も、あんなだと良いわね。」結局、そう言う言い方しか、この女は出来ないのか、疲れるな。僕は、ただ力無く「そうだね。」とだけ答えた。メリル温泉の後は、王都に泊まる。その数日で、本当にレイ長官を見つけ出して、殺せるのだろうか。
フィン総長は、すでに二つの組織を壊滅させた。そのどちらも、レイ長官の暗殺依頼を請け負った組織だ。
マチルダは、狡猾な女だと自負するような口調で、ニヤリと口を歪めると、嫌な顔で言って来た。
「ねぇ、この仕事が片付いたら、このままアークランドで暮らさない?アンタが、この初仕事をビビらずに、ちゃんと殺せたら、風向きが変わって、ジュールとの繋がりも太くなるじゃない?今、戻ったって、雲行きがあんなだしさぁ。ほとぼりが冷めるまで、ここにいた方が、安全だし快適に暮らせるでしょ?」そう言うと、身なりの良い旅行客のフリをするのを忘れたのか、綺麗に整えられた爪を更に爪用ヤスリで削って、フーっと粉を吹いた。光に照らされてキラキラと粉が舞っているのが見える。爪ヤスリを奪いとって、目に突き刺してやりたいくらい不愉快だ。いくら良い服を着て、外見を綺麗にしても、仕草や言葉使いに育ちが出ている事を分かっていない。良識のある人間なら、たとえ男であっても、人前で爪の手入れなど絶対にしない。旅行の前に済ませて来るべきたろ。汚いな。
「口には、気をつけた方が良いよ。勝手をやらかした奴らが、どうなったか知らないの?」爪の粉が入る前に、残りの紅茶を飲み干した。
「あのねぇ、組織を抜けるって言って無いでしょ?大丈夫よ。それに、アークランドの闇組織と接触して、顔合わせをしとけば、今後の仕事も増えるじゃない?アークランドでは、闇組織が存在しないなんて言われてるけど、そんなわけ無いわよ。どこにだって存在するわよ。ただ、潜っただけでしょーに。世間知らずのバッカな王様と騎士が、見栄張って表向き自慢してるだけよ。」
「あのさぁ、そのバッカな王様とやらが、手を回したせいで、二つの組織が、この一月で、事実上の壊滅にまで追い込まれたの忘れたの?」裏では有名な話しだ。密かに、アークランドから騎士と役人が何人も入国し、貧困層の救済機関として立ち上げたストレリチアと呼ばれる部署で、連日、何やら協力していると、闇組織の連中は、戦々恐々としているのに。全部とまでは言わないが、必ず何かしたはずだ。
「あら、でも、あたし達は無事じゃ無い?それと同じよ。運の良い人間だって居るってことよ。ま、あんたみたいな、日の浅い子には、外の事情なんて、わかる訳無いか…。」わかって無いのはお前だよ。出国の前に言われた事をもう忘れてる。アークランドでは、潜れない。だから、仕事が終われば、その足で荷物を捨ててでも、祖母が危篤だと言って、すぐに戻って来いと指示されている。この国に足を踏み入れてから、それがどう言う意味か、さっきわかった。僕たちは監視されている。騎士にじゃ無い。この国の至る所に存在する、民によってだ。さっきの知らないご婦人もそうだ。当たり前のように挨拶してくる。
「こんにちは。」
今まで一度も経験した事の無いほどの無数の目に晒されている。なぜ、旅行客とまで分かるんだよ。
吐きそうだ。
逃げ切るのは、無理かも知れない。そんな考えが、どんどん膨らんで、頭がギューとする。
「メリル温泉行きの馬車のお客様、お待たせいたしました。
出発いたします。」チリンチリンと鈴を鳴らしながら馭者が、呼びに来た。僕達は、他の客と一緒に、馭者の後に続いて、馬車へと戻った。
二人がテーブルから去った後、給仕の男は、テーブルの下から、手の平ほどのスティック状になっている、四角形の箱のような、艶々した白い物を取り出し、小さなボタンを押した。騎士がやってくると、女性が飲んでいたティーカップを透明の袋に入れた後、木箱に入れて、給仕の男と騎士は、騎乗し王都へと去って行った。
「この大仕事をやってのければ、箔が付く。」
「今までは、流石に法の番人の始末を頼む奴は居なかったが、実父殺しは一味違うな。」
腕に自信のあるお兄さん衆は、我先にと、浮き足立っていた。けれど、ボスが命じたのは、他の誰でもない、僕だった。
これは仕事だ。与えられた仕事を訓練通りに、こなすだけだ。余計な事を考えてはいけない。
「肉屋が豚を潰す時、豚の事なんか考えたりしない。
苦しまない様に、速やかに終わらせて、あげるだけだ。」
「殺したいほど憎まれる生き方をしてきた、そいつに落ち度が有る。だから、何も考えるな。」
そう、教えられて来た。
訓練と実戦が違う事ぐらいわかってるよ。
それでも、やるしか無いことも。
僕の居場所は、組織の中以外には、どこにも無いのだから。
「レイ長官を殺せば、遠からず裏から国を動かすのは、俺たちになる。そうすれば、お偉いさんが勝手に決めた法など、ただの紙に書いた文字でしかなくなる。
解るか?つまりは、俺たちの暮らし向きが、今よりも良くなると言う事だ。」今回の仕事の重要性を説明されたけれど、僕の現実には、法なんて有っても無くても関係ない。現に僕は、ここに居る。まだ、ここに居るじゃないか。
二度目の休憩で、
「これが、最後の休憩です。次で、メリル温泉に到着します。」と、馭者が言うのを聞いて、他の客も楽しそうに、「いよいよね。」「どんな所かしら。」などと、言葉を交わしてしる。
もし、コレが本当の旅行だったなら、どれほど幸せだっただろう。悔しくてたまらない。
一度目の「道の憩いの広場」と同じく、美しく整えられた芝が広がっている。この休憩場所も、真っ白な丸テーブルと、座り心地の良いクッション付きの白い椅子が、適度な距離で配置されていた。先程と同じ、コーヒーか紅茶、もしくは冷たいミルクか、リンゴの炭酸水を選べて、今回はクッキーや、見た事も無い、ほんのり温かい焼き菓子を可愛い花柄の生地が、内側に敷かれた籠に入れて出してくれた。
「クッキーと、マフィンは、サービスです。宜しければ、お召し上がりください。」と、言われた。
「一度目の休憩でサンドイッチを食べたのに、こちらも無料なのですか?」
「はい。馬車の料金に含まれていますので、お代は結構です。」驚いた。
「そうなの?だったら、食べなければ、その分のお金は戻ってくるのかしら?」マチルダは、恥ずかしげもなく、給仕のスラっとした、筋肉質の男性に聞いている。
「逆ですよお嬢さん。馬には休息が必要です。その休憩にお付き合い頂いているので、サービスとしてお出ししているだけです。召し上がるかどうかは、お客様の自由です。」失礼な質問にも、嫌な顔をせずに、丁寧に答えている彼を見て、本物の大人とは、この人の様な、男の事を言うのだろうと思った。
他の席の人が、「冷たいミルクが、とても美味しかったから、またミルクにしようかしら?」
「噂で聞いて、想像してたのより、もっと美味しかったわよね。私も、もう一度、ミルクにするわ。」
「そうしましょう。」「ね。」フフッと、楽しそうに話しているのが聞こえたので、僕もミルクを頼もうと思った。
「僕は、冷たいミルクにするけど、姉さんは、どれにする?」
「あんたと、同じで良いわよ。」相手にされなかった事が気に食わないのか、差し出されたメニューを見ようともせずに、不貞腐れた顔をして言ってきた。
「ミルクを二つで、お願いします。」
「かしこまりました。」と、給仕の男性は、優しい表情を崩す事なく、真っ直ぐな細長いグラスに、コク コク コクっと、真っ白なミルクを入れてくれた。
「どうぞ。」綺麗なレースのコースターを置き、その上にミルクの入ったグラスをセットしてくれた。
嫌な予感がした。
「失礼します。」彼は、次のテーブルへと、飲み物の確認をしに移動して行った。
「ガキじゃあるまいし、ミルクって、何よ!」と、言いながら、一口飲むと、美味しかったのだろう。両目がパッと開いたが、すぐにいつもの不機嫌な何でも無い風を装った顔で、ゴクゴクと、ミルクを飲みながらマフィンを食べていた。
そして、嫌な予感は的中した。ミルクを飲み干したマチルダは、レースのコースターを小さなバッグにサッと入れた。
後、何度、こんな恥ずかしい思いをしなければ、ならないのだろう。僕は、生まれて初めて口にした、濃くて甘みのある良く冷えたミルクと、見たことも食べた事もなかった、マフィンと言う名の焼き菓子を口にした。
二人がテーブルを離れると、給仕の男がやって来て、先ほど女性が飲んでいた縦長のグラスを透明な袋に入れ、木箱に収めると、騎乗して、王都へ向けて去って行った。
出国してから、この女は一人で浮かれてイキリ倒している。
マチルダは、ボスへの忠誠心から志願したのでは無い。この女は、人の金でアークランドを堪能したかっただけだったんだ。
そして、馬車は目的地のメリル温泉に到着した。
日が暮れそうだが、道の両側には、灯のともった商店がずらりと並び、とても幻想的に輝いていて、本当に美しい景色が広がっていた。治安が良いのだろう、小さな子供を連れた家族までいる。
なんて楽しそうなんだ。
宿は、想像の上をいく立派な建物だった。
玄関ホールには、ガラスで作られた箱型の階段のようなオブジェが設置されていて、少しずつ水が溜まっていくのが見える。
温泉宿ならではの芸術品なのだろう。
宿泊手続きを済ませると、男女ペアのスタッフが、荷物を持ち部屋へと案内してくれた。そして通された部屋が、凄かった。
客室には露天風呂が付いていて、当然トイレも設備されていた。「道の憩いの広場」と同じ、水洗トイレだ。
「夕食は、7時からになっています。お部屋へご用意いたしますので、暫くおくつろぎくださいませ。」
「7時?」
「はい。一階の玄関ホールにございます水時計で、当館の予定は、組ませていただいております。」
そう言うと、運んでくれた鞄を置き、「どうぞ。」と言って、紅茶とクッキーをテーブルに置いてくれた。
「ありがとう。」と、言うと、どちらも優しく微笑み「失礼します。」と、案内してくれた二人は、静かに部屋を出て行った。
水時計?ガラスの階段の様なアレが、それだったのか。
後で、もう一度、見に行ってみよう。せっかくなので、紅茶を飲みながらテーブルの横のラックに、この国で発行されている記事と、号外が置かれていたので、目を通した。
号外を読むと、漆黒の民が、レイ長官と隣国、つまり僕たちの国に、現れたと書いて有る。え?アークランドに居たのでは無かったのか?
慌てて目を通すと、14日間、アークランドにて隔離生活に入ると記されていた。
そんな…。
日数が足りないどころか、隔離場所を突き止めなければならなくなった。
「ねぇ、さっきの夕食の7時って話し、後どれくらいなの?ベランダの浴槽に浸かるぐらいは余裕有るかしら?」あぁ、やはりバカ女だ。自分が楽しむ事しか考えていない。
マチルダは、誤魔化せていると思っているだろうが、恐らくこの女は、文字が読めないはずだ。自分の名前ぐらいは書けるようだが、「面倒だから、アンタが読みなさいよ。」と、言って、人に読ませているのを何度か見かけた事が有るからだ。
「それどころじゃ無いよ。この号外の記事によると、レイ長官は、隔離生活に入るみたいだ。」そう言って、バカなマチルダにも理解できるように、声に出して号外の記事を読んであげた。
全てを読み終わり、「とにかく、隔離されている場所を探さないと。」と、口にしたけど、マチルダは、何も言わなかった。
僕は、荷解きを済ませ、太腿に付けていた短剣を外し、外出用の肩からかける鞄へと入れた。
短剣を見て、何をしにアークランドへ来たのか思い出したのだろう。マチルダは、取り繕うように話しかけてきた。
「何とかなるわよ。明日になれば、噂の一つでも、聞けるでしょ。そこから、居場所を見つければ良いのよ。ねぇ、それよりもさぁ、せっかくだから、そこの露天風呂に入るわ。食事が来たら教えてね。覗いたら殺すわよ。」そう言ってマチルダは、窓の外、ベランダと言うのか?そこに設置されている、露天風呂へ入りに行った。
覗く?気持ち悪い発想だな。安っぽいスレた女に興味がある奴なんて、酒場の破落戸ぐらいだろ。
僕は、添え付けのメモ用紙に
「アメリア姉さんへ 玄関ホールにある水時計を見に行ってきます。すぐに戻るよ。ジョージ」と、書いて部屋を出た。マチルダが、文字を読めるか確認しておきたい。
初めて見る水時計を眺めていた。側に立てて有る説明書きの立て札には、水時計の水が、一定の水量で落ちる事によって「時」を知る事が出来る仕組みや、水が蒸発してしまわぬように蓋がして有る事が書かれていた。
ただの飾りでは無かったのか。
見惚れていると、とても美味しそうな香りが漂ってきた。
そうか、夕食だ。ワゴンに乗せて、食事が次々と運ばれて行く。
7時少し前だ。階段はどうするのかと思ったら、料理の乗ったワゴンのみを扉の向こうへ数台ほど入れて、そのまま扉を閉めた。紐を引くと、チリンチリンとベルが鳴り、暫くして又ベルが鳴ると、扉を開けた。驚いた事に、ワゴンは消えていた。
「どの様な仕組みか気になりますか?」客らしきメガネをかけた紳士が、声をかけて来た。
いつから見られていたのだろう?
「はい。初めてで、」
「重しによって箱型の部屋を上に上げ、下ろす時は、大きな上巻機を使って、ロープを巻き、重しを上げる仕組みです。ただし、安全の為、人は乗れませんがね。これは、秘密ですよ。」と、メモ用紙に簡単な絵を書いて教えてくれた。
「食事の用意が整いそうですね。部屋へ戻らないと。それでは、失礼。」と、言って紳士は、階段の方へ歩いて行った。「ありがとうございます。」慌ててお礼を言うと、優しい表情で「君も食事を楽しんで。」と、言ってくれた。「あ、はい。」僕は、一階の部屋へと戻った。
夕食の準備の為か、どの部屋のドアも開いたままだ。
部屋からマチルダの声がする。
「メガネをうっかり忘れて来たのよ。文字が小さくてよく見えないの。代わりに読んでくれない?」給仕に来た男性に頼んでいる。
「『アメリア姉さんへ 玄関ホールにある水時計を見に行ってきます。すぐに戻るよ。ジョージ』と、書いてあります。」と、教えてもらうと、「そう。わかったわ。」と、お礼も言わずに、紙を受け取っていた。
「お帰りなさいませ。お飲み物は、いかがなさいますか?」僕が給仕の女性に訊かれたのに
「あたしは、ワインにしてちょうだい。ボトルでね!」と、いきなり偉そうに言い放った。
「かしこまりました。」と、給仕の女性の代わりに、男性が返事をすると、ボトルをスマートに開け、ピカピカのグラスにコポコポと綺麗な音をたてて注いだ。
動きの全てが流れる様に美しい。呆気に取られるマチルダが、余りにも無様に見えた。
「僕は、リンゴの炭酸水をお願い出来ますか?」
「はい。」
静かに席に着き、食事を始めた。
「食器は、後ほど下げに参ります。どうぞ、ごゆっくりお召し上がりくださいませ。」そう言って、彼らは部屋から出て行った。
テーブルの隅に、置かれた紙に、料理のメニューが書いて有る。思った通り、マチルダは字が読めない。
この女とは、話す事も無いので、書いてあるメニューを読んでやった。見るからにガッついているので、どうせ、聞いていないだろう。書き置きをして部屋を出た事には、何一つ文句を言われる事は無かった。
マチルダがメガネをした姿を見た事が無い。
勿論、目が悪いなんて聞いた事すら無かった。
やはり、この女は字が読めないのだ。
翌日は、日程通りに、古城跡へ行った。
広々とした芝の上では、人々が読書をしたり、ボール遊びをしたり、ただ寝転がっているだけの人もいれば、少女が、母親らしき女性と、白い花で花冠を作っていたり、木剣で子供に稽古をつけてあげている親子もいる。
僕は、最初で最後になるかも知れない旅をしている。
それなのに、同じ場所に居るのに、この差がたまらなく辛かった。
昼食は、近くの軽食屋に入った。日替わりランチは、鹿肉の赤ワイン煮込みと、リーフサラダ、フワッフワのロールパンに、蜂蜜がたっぷりかかった焼きリンゴと、香り立つコーヒーだった。僕のには、ミルクと砂糖を入れてくれていたので、甘くて、でもほろ苦くて、とても飲みやすくて美味しかった。どれも初めて食べる料理で、本当に美味しかった。この国に生まれたかった。心の底から、そう思った。僕は今、どんな顔をしているのだろう。
その時、マチルダが、店員に話しかけた。
「ねぇ、ちょっと。」
「はい。」
「この店の、みかじめ料って、どこの組織に払ってるの?」
途端に、店員の態度が変わってしまった。
明らかに、不味い雰囲気だ。止めないと。
「何を言ってるんだ、姉さん。」
「あら、だって気になるじゃ無い?これほど、のどかに商売が出来てるなんて、よほと凄い組織が噛んでるに決まってるじゃ無い。」
「お客様。」奥から、店主らしき男性が数名の男と共に出て来た。
マチルダは、得意げに「ほらね。やっぱり思った通りじゃ無い。」と、小声で言った。
「確認ですが、それはどう言った意図で、お尋ねになっていますか?」淡々と、マチルダに話して来た。
「どうって、だから、少し困っているから、紹介してもらおうかと…」マチルダの言葉が、尻すぼみになっていく。店を出た方が良さそうだ。
「姉さん。悪ふざけは、その辺にしときなよ。大丈夫です。僕たちは、別に何も困ってなんかいませんから、ご馳走様でした。もう行かなくちゃ。お代はいくらですか?」
店の女将さんらしき女性が、そっと僕の隣に来て、「君は、こちらに来なさい。」と、優しく肩に手を置いて、席を立つ様に促してきた。
「でも」
「大丈夫よ。」と、年配の女性客が、頷きながら僕のそばに来て「さあ、行きましょう。」と、言うので、女性二人に付き添われ、仕方なく席を立った。
店主たちが、マチルダに話している声が聞こえる。
「俺たちは、過去にアンタの言う『みかじめ料』とやらに随分と苦しめられて来た。だから分かるんだよ。客のフリして、探りを入れる、そんなスレた人間のやり口が。」
「あのボウズは、姉さんなんて呼んでたが、姉弟じゃ無いだろ。」
「アンタは見るからに、よその国の、闇組織の愛人じゃないか。」
頭が真っ白になった。吐きそうだ。
僕の感じていた違和感は、周りの人も、とっくに感じていたんだ。
「さぁ、大丈夫だから、こっちよ。」と、女将さんと、女性客に促されて、店の外に出た。気づくと僕を囲む女性客は、三人になっていて、まるで僕を守るかのように、側に居てくれていた。
「怖かったでしよ?」
「怪我は、していない?」
「もう、大丈夫ですからね。私達が付いてるわ。」
騎士達がやって来たが、女性たちが頷くと、店の中に入って行った。
「地区長さん!こっちよ。」
宿の玄関ホールで、上巻機の図を描いて、教えてくれた、あの紳士だった。
僕は、保護されてしまった。
手枷を嵌められて、連行されて行くマチルダは、この期に及んでもなお、無駄な抵抗を続けている。
「どうして、姉弟では無いと言い切れるのよ!!勝手に決めてんじゃないわよ!」通り様に、喚き散らすマチルダとは対照的に、地区長さんと呼ばれた紳士が淡々と答えた。
「君は、弟さんを見ていない。一緒に旅行に行くほど仲が良いはずなのに、自分の事しか考えていない。好き勝手な振る舞い。横柄な態度。確信したのは、仕事は事務職と書いてあったのに、文字が読めなかった事だ。部屋の係りの者に、メモを読むように言いましたね。文字が見えないほどに目が悪いなら、メガネを『うっかり』忘れたりなんかしませんよ。」そう言って、彼は、メガネの眉間の部分をクッと上げる仕草をした。
移動の馬車で、教えてくれた。僕の組織は、幹部どころかボスまでも、全て牢に入れられたと。
宿の客だと思っていた地区長さんと呼ばれた紳士は、宿の総支配人だった。
「君の書いたメモの話しを聞いたよ。二人きりの姉弟なら、普通は、『姉さん』と、書くはずだよ。ところが、君は、わざわざ『アメリア姉さん』と書いていたね。きっと君は、無意識に助けを求めていたんだ。今まで、良く頑張ったね。」
堰を切ったように、バカみたいに泣いてしまった。
「君のご両親は、同じ組織の人達かい?」
「昨年末の冬の初めに、死にました。二人とも、流行病で。それまでは、学舎に通えていたけど、親戚に売られたから…。元締めには、一目見るなり『生意気でコッチでは、使えない』と言われて…」
「分かった。もう、話さなくて良い。君は、アークランドが保護する事になるから大丈夫だよ。とりあえず、どこも悪い所が無いか、病院で診察してもらおう。左足を庇っていただろう?痛いところや、痒いところが有るなら、先生に相談すれば良いからね。」しばらく馬車で進むと、横長のログハウスの形をした病院に到着した。
「サラ、アレクシス。男の子だったよ。男性医師で、頼めるかい?」
「分かりました。おいで。良く頑張ったね。」
「院長先生を呼んでくるわ。」
がっしりとした年配の男の先生に、左足の靴擦れを消毒してもらい、入浴後に痣の部分に塗る湿布薬と、消毒液の入った小瓶を処方してくれた。今夜は、病院の近くのログハウスに泊めてもらえる事になって、サラ先生と警護の騎士数名と、宿の総支配人と、適切な言葉が見つからないが、とても美しい長身の男性が一緒に居てくれるそうだ。
「レイ長官を殺せてないのに、僕は組織に殺されたりしませんか?」
「フォルカー、君は誰も殺さなくて良いし、誰にも殺されたりしないよ。」
数ヶ月ぶりに、ふかふかのベッドで、眠る事ができた。
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