10.暗黒を纏う竜の牙
アイリスが落ちついてから、俺は声をかけた。
「色々と聞きたいことがあるんだけど、でも、その前に聞いて欲しいことがある」
「……うん」
「俺は、別の世界の人間だったんだ」
「別の、世界?」
「そう。別の世界で死んで、こっちの世界で人間じゃない生き物として生き返った。色々あったけど、なんやかんやで、竜人ってやつになったらしい」
「竜人……?」
「そうだ。見てろ」
ぼん! と俺は竜人モードへ変化した。
「……え」
アイリスのその呟き方が、なんだか俺を恐れているように思えて、俺は思わず目を反らしたくなった。
だが、ここで逃げてはアイリスに秘密を訪ねる資格はないと思った。俺は目を反らさずにアイリスの言葉を待った。
「人間じゃ、ないの?」
「そうみたいだな」
「呪いじゃなくて?」
「呪い?」
なんのことだ?
「よく分からないけど、たぶんそういうのじゃないと思うぞ」
「そ、そんな……」
アイリスは、認めたくないって感じの顔でしばらく黙っていたが、
「――そっか、うん、そうなんだね」
やがて、納得したように頷いた。
「黙っててごめんな。俺が、恐いか?」
「う、ううん。恐くないよ。だって、リュートだもん。そりゃあ、ちょっとはびっくりしたけど。それだけ。でも、まさか竜人だなんて……」
……アイリスは嘘をつけるタイプじゃない。短い付き合いだが、それくらいは分かる。だから、俺を恐れないでいてくれているってのは本当だろう。
だけど、手放しでは喜べなかった。人間でいて欲しかった、というニュアンスがアイリスの言葉の随所に含まれていたからだ。
…………。とりあえず話を進めよう。
「それにな、もう一つ問題を抱えてる」
「え?」
「俺の宿敵が、この世界にいるんだ。やつは、俺と同じ世界からやってきた。勇者とかいうやつらしい」
「…………勇者」
「あいつは頭がおかしいやつなんだ。やつは、俺の大切にしているものを破壊する。シャルロッテも狙われた。だから……アイリスと深く関わると、君まで狙われてしまう気がして、俺はビビってたんだ。だから、あいつらがろくでもない奴らだと分かっていながら、倒してしまうのを躊躇した。アイリスを助けない選択肢はないのに」
俺はいつまで奴に怯えなければならないのか。嫌になる。
「アイリス。こんな俺でよければ、出来る限り君の力になりたい。もしよければ、どうしてあいつらの言うことなんて聞いたのか、俺に教えてくれないか」
俺は真摯にそう伝えた。
アイリスはしばし考え込むような顔をしていたが、やがてこくりと頷いて、話をはじめた。
「……あのね、私、お姉ちゃんがいるの」
「うん」
「そのお姉ちゃんがね――」
アイリスは少しだけ間を置いた。
「――呪われてるのよ」
「呪われてる……?」
さっきも出たキーワードだ。
「うん。呪いって言っても色々種類があるけど、お姉ちゃんのは、魔物化の呪い」
「どういう状態なんだ? 悪いけど、俺はこっちの世界のことはまだよく分からないんだ」
「文字通り、その――」
アイリスは俺をちらちらと見ながら、躊躇いがちに続きを口にした。
「モンスターみたいになっちゃうの」
なるほど。そういうのがあるのか。だから、アイリスはさっき俺に呪われてるのか、なんて聞いたんだな。
「……それで?」
「それでって……。これで終わりよ」
「呪いは分かったけど、どうしてアイリスはあいつらの言うことを聞いたんだ?」
「……あ、そっか、リュートは知らないのね。……あのね、魔物化の呪いって、とても忌み嫌われてるの。この世界に居場所がなくなっちゃうくらい。……だから、そんなことが周りに知られたら、お姉ちゃんがひどい目にあわされちゃうかもしれない。殺した方がいいって言ってる人たちだっているのよ。だから、言いふらされたくなくて……」
つまり、迫害されている、ということだろうか。
「そ、それにね……」
「ん?」
「私、リュートやシャルロッテには、まだ知ってほしくなかったの。どんな顔をされるか想像したら、どうしてもこわくて……。もちろん、いつかは言うつもりだったんだけど……だから、思わずカードを使っちゃって……まさかあんなことされるなんて……本当にごめん」
アイリスはそう言って頭を下げた。
「お、おい。謝るのは俺の方だ。俺だって同じような理由で竜人だと言ってなかったんだぜ。ごめんな」
そう言って俺も頭を下げた。
「な、なんでリュートが謝るのよ。迷惑かけてるのは私なのに」
「いや、俺が事前に勇気を出していれば、アイリスが嫌な思いをせずに済んだかもしれないなと思って。だから、ごめん」
「あ、謝らないでよ! 私のせいなのに!」
アイリスがちょっとだけ怒っている。少しだけ元気を取り戻したみたいだ。ちょっと安心した。
「ふふ、それじゃあ、俺たち二人とも臆病だったってことで、それでもう終わりにしようぜ。それより、ここを出ることを考えよう。シャルロッテが心配しているだろうからな」
「あ、う、うんっ! そうだね」
アイリスが立ち上がった。なんだかすっきりした顔をしている。
俺も似たような顔をしているだろう。隠していたことを伝えられて、ようやく喉につっかえていた魚の骨が取れた気分だ。
「ところで、外の連中のこと、俺に任せてくれないか?」
俺は煙でやつらが逃げ出さないように拘束している。まあこんなことしなくても、足を折っておいたから逃げられないだろうけど。
「要するに、あいつらがアイリスの姉ちゃんに関われないようにすればいいんだろう?」
「……うん。でも、どうやって?」
「例えばこういうのはどうだ?」
俺はアイリスに作戦を伝えた。
* * * * *
人間モードに変化してから部屋を出ると、三人組が煙に抱かれたまま床にうずくまっていた。呻き声をあげている。腕や足が痛むのだろう。
「おい。貴様ら」
俺が言うと、びくっと連中の体が震えた。
「黙ってこっちを向け」
三人組は苦痛に歪んだ顔を俺に向けた。
俺は魔力を腕へ集中させた。
『雷帝』を通路の先に向けて放った。凄まじい雷鳴が通路の奥まで轟いた。
もう一度、今と同じように魔力を腕へ集中させた。
ばち、ばちちと閃光が生じている。
俺はその腕を連中の方へ向けた。
「よくもアイリスを泣かせてくれたな。お前たちは殺すことにする」
「あ、あぁ……お、俺たちはまだなんも――」
「黙れと言ってるんだッ!」
俺は雷帝を通路の奥へもう一度放った。
男たちはがくがくと震えだした。
「もういい。その薄汚い口を開くな。俺は今、機嫌が悪いんだ。ちょっとしたことで殺してしまうかもしれない。分かったら黙って頷け」
「………………」
男たちは頷いた。
「ふん。今すぐ殺してやりたいところだが、汚い死体をアイリスに見せたくはないな。――よし。お前たちにチャンスをやろう」
ぼわん。
「ユニークスキル『暗黒を纏う竜の牙』」
俺は黒い煙を牙のように鋭い形にして、男たちの目の先に突き付けてやった。
「このスキルの効果を教えてやろう。俺が決めたルールに従わない場合、この爪が、お前らの肉体を内側から破壊するのだ」
煙を男たちの耳や目、口の中から煙を体内に侵入させた。
「ひっ、ひい! も、もが……」
「おい。声を出すなと言ったろうが」
そのまま胃や肺の中へゆっくりと煙を進めていく。
「内側から体を撫でられる気持ちはどうだ?」
ぐいぐいと少しだけ力を込めた。
「あ………うぅ…………」
「黙れよ。殺すぞ」
奴らはぶるりと震えあがった。
【――スキル『脅嚇Lv1』を獲得しました】
うお! びっくりした! めちゃくちゃ久しぶりに聞いた。
なんか覚えたけど……ま、いいや。今はこいつらが先だ。
「ルールを伝える前に、質問をする。正直に答えろ。貴様らは、なぜこのダンジョンに留まっていた? アイリスを待っていただけじゃないのだろう? 『レベル3』がクリアできるわけがないと言っていたじゃあないか」
男たちは顔を見合わせている。誰が喋るか押し付け合っているのだろうか。
俺はリーダー格の男を睨みつけた。すると、男は恐る恐る喋りだした。
「お、俺たちは、その……仲良くなれる女性を探していまして」
「女性?」
「……は、はい」
嘘はついていないだろうが、なんだかよく分からないな。
「もっとはっきり言え」
俺は煙を使って、そいつの足をぎりぎりと圧迫した。
「ギャアア!」
「うるせえよ。早く喋ろ。本心を言え」
「ひ、ひい! す、すみません! つまり、上の階層に女を無理やり連れ込もうとしてたんですぅ! 初心者じゃニ十階はクリアできないから、俺らの言うことに逆らえなくなると思って……」
「……。なるほどね」
このような屑は、どの世界にもいるのだな。まあアイリスを狙い撃ちしていたわけではないことはこれで分かった。
……さて。
「ではルールを伝える。――その一。今後、有形無形を問わず、他人に損害を与えてはならない」
漠然としているだろうが、これでいい。解釈の幅は広げておく必要がある。
俺は先を続ける。
「ルールその二。金輪際、俺たちと関わろうとするあらゆる行為を禁止する。どこか遠くでひっそりと暮らすことだな」
あと、もう一つ。
「ルールその三。俺たちに関するあらゆる情報を他人に伝えることを禁止する。言葉だろうが文字だろうが、とにかく情報を伝えた段階で死ぬ。それが例え寝言だろうが例外はない」
こんなものでいいと思う。あとはお仕置きをするかどうかだが――。
「アイリス、他に何か足したいルールはあるか?」
「……う、ううん。関わらないでくれるなら、それでいい……。こいつらの顔なんかもう見たくない」
アイリスがいいと言っているならいいか。……俺はまだ許せないが、逆恨みされるほどダメージを与えてもよくないからな。
よし、話を進めるか。
「……貴様ら、アイリスに感謝するんだな。以上、ルール三点だ。理解したのなら、黙って頷け」
男たちは涙と鼻水を流しながらゆっくりと頷いた。
最後に、煙で心臓を体内からぎゅっと圧迫した。
「俺のスキルの効果は貴様らが死ぬまで続く。死にたくなければルールを守ることだ」
心臓が破裂しそうなほど鼓動の速度を上げている。――命を握られている感覚を十分に味わったことだろう。
う、汚ねえっ! こいつら、漏らしてやがる!
くそ……。さっさと終わらせよう。
俺は回復の魔法を連中にかけてやることにした。
連中は不思議そうな顔で自分の体を見ている。
あの体じゃ、このダンジョンを絶対にクリアできなかっただろうからな。放っておいたら、間接的に殺してしまったのと同じである。
散々殺すと言ったし、殺してやりたいほど腹が立っているのも事実だが、殺しはしない。
俺はこれまでの人生、犀川を殺さなかった自分を誇りに思っているのだ。
こんな連中のために誇りを捨ててたまるか。
……とはいえ、やっぱむかつく。
なんで俺がこいつらを癒さなければならんのだ。
「おい。一つだけルールを追加する。お前ら、自分のう〇こを食え。合計が拳サイズ二つ分になったらノルマ達成とする。期限は今日から一年以内だ。いいな」
男たちが青ざめていったのが分かった。
俺は手をやつらに手をかざし、
「【突風撃】!」
魔法を放った。
男たちは通路をゴロゴロと転がって、凄まじい勢いで遠くに消えていった。
「ゴミ掃除、完了だ」
「リュ、リュートって、ひどいことを思いつくのね」
「性根が腐った奴がすぐ近くにいたもんでな」
いずれスキルの効果が嘘だとバレるかもしれないが、当分先のことになるはずだ。
それにあのビビりよう。危険を冒してまで俺たちに再び関わろうとする連中でもないだろう。
だが、絶対ではない。その時は――。
「アイリス。さっき言ったとおり、俺は色々と問題を抱えているけど、今回の件のことだけは絶対にどうにかする。あいつらが何かしたとしても、アイリスも、アイリスの姉さんも、俺が必ず守るから。約束する。だから、どうか安心してほしい」
「…………」
アイリスがぼーっとしている。
「アイリス?」
「あ…………うんっ。……あ、ありがとう」
アイリスは小さくそう言って、慌てたように俺から目をそらした。
どうしたんだろう。
ん……結構本気で怒ったからな。怖がらせてしまったかも。
ま、いっか。危機はもう去ったのだ。
あとはダンジョンをクリアするだけ。シャルロッテが待っている。
「よし、じゃあ行くぞ!」
アイリスは腫れぼったい目をしたまま久しぶりに笑顔を見せて、
「うんっ!」
と元気よく返事をした。