10.シャルロッテ③
「よくもシャルロッテをあの屋敷に閉じ込めてくれたな。――お前は殺すぞ」
喰らえッ! 魔法『突風撃』!
強烈な突風が、スジャーラドラに直撃する。その巨体がわずかに浮いた。
「おらおらおらぁ!」
さらに突風撃で追撃する。この魔法は『雷帝』のような貫通力はないが、相手を吹っ飛ばす力に長けている。
魔法を食らったスジャーラドラがはるか彼方へ吹っ飛んでいく。
すかさず俺はやつを追った。
「【影縫い】!」
黒い槍のようなものがいくつも俺の周囲に出現。
「行けッ!」
念じると、全ての槍が同時に地面へ向かって飛んだ。
落下中のやつの体の影を縫い留めるように、槍が地面に突き刺さる。
すると。
ぴたり、と空中でスジャーラドラは動きを止めた。この魔法の効果だ。影を突き刺すことで、相手の動きを縛り止める。
「――ガァアアアア!」
動けなくなった巨大狸が四つの頭の口をガパっと大きく開けた。
俺のドラゴンブレスに似ている。何か撃つ気だ。四つの口は、それぞれ、赤、青、黄、緑に輝いている。
それぞれの属性を同時に扱えるのか――。
「――ガァ!」
狸から放たれた四つのブレスが混じりあって、巨大なエネルギーの塊になり、俺へと向かって螺旋を描きながら飛んでいる。
ならば――。
ぼん! と俺はドラゴンに変化した。
周囲の魔力が、俺に首を垂れ傅いている……。
黒い波動が、まるで閃光のように激しく迸った。
――ドラゴンブレス。
「……破ァッ!」
カッ! と俺とスジャーラドラの中央で、魔力と魔力が衝突する強い閃光が走った。
そして――。
ドォォォ――――、
――ォォ、
――――――ォォン
光に遅れて、巨大な雷鳴のような音が森へ響きわたった。
空中にいたスジャーラドラは、体の八割を失っていた。俺の『影縫い』はまだ効果が続いており、やつの肉片が空中に縛りつけられている。
俺のブレスが、敵のブレスを飲み込んだのだ。進化をしたからか、ドラゴンブレスの威力が高まっている。
俺は『影縫』の魔法を解いた。ぱらぱらとやつの破片が森へ落ちていった。
ぼん! と竜人へ戻る。
「勝った……のか?」
あまりにも呆気なさ過ぎて、何か見落としているんじゃないかと警戒を続けたが、いつまで経っても変化がない。
…………。うーん。本当に?
……。
間違いない。やつは死んだようだ。
「う、嘘だろっ?」
こんなに弱いのかよ!
こいつと戦うには結構な勇気が必要だったってのに。
くそ……ビビって損したぜ。レベルアップすらしない。SPは……4かよ!
ちっ。……まあ、勝ったからいいか。
それよりシャルロッテとさっきの話の続きをしなければ。
言わなきゃいけないことがあるのだ。
俺は彼女がいた場所へ一気に戻った。
……たしかこの辺り……いた。
…………。
……。
シャルロッテが白い箱の中にいる。尻もちをついた体勢で、口をぽかんと開けている。
俺は彼女の正面に着地した。
人間モードに変化しようかと思ったけど、あえてこの竜人モードのままでいることにする。これが、俺の真実の姿だからだ。
「シャルロッテ、あのモンスターは倒したぞ」
「え? ……え?」
と、シャルロッテは半透明の壁越しにそう返した。混乱しているようだ。
「もうあの屋敷にいる必要はないんだ」
「……う、うん。そう、なんだ?」
「うん。そうだ。外に出れるんだぞ」
「……出れ、る?」
「出れる」
「そう、なんだ……」
しばらく間を開けてから「そうなんだ」と同じ言葉をもう一度繰り返した。
それから彼女の目からぽろぽろと涙がこぼれはじめた。
「う……。勝手なことをして悪かったよ。ごめんな……」
「う、ううん。違うの……」
目元をぬぐっているけど、涙が止まらないようだ。
「シャルロッテ?」
俺はそう声をかけたが、彼女はすすり泣いていて返事ができないみたいだ。
こんな時、どうしたらいいんだろう。
くそ……俺にもっと経験があれば――。
今はただ、待つしかない。
…………。
……。
少し落ち着いたようなので、俺はそろそろ声をかけることにした。
「シャルロッテ」
「ん、ご、ごめんね。もう大丈夫だから」
「うん……あのさ」
「ん?」
と、シャルロッテが首を傾げた。
俺は一度深呼吸をして、先の言葉を口にした。
「聞いてほしいことがあるんだ」
「…………え?」
母親が偽物だと伝えたならば、あのモンスターを倒したならば、必ず言おうと思っていたことがある。
「……俺も、なんだ。シャルロッテ」
「……?」
「……俺も小さい時から、見えない檻に閉じ込められてたんだ。シャルロッテみたいに何かを守ってたわけじゃない。ただ無意味に、訳も分からず自由を奪われていた。耐えていればいつかどうにかなると思ってたけど、それも叶わなかった」
「……」
「だけど、何故だかありえないチャンスがやってきて、人間じゃなくなっちまったけど、でも、今の俺は自由になった。そしたら、白い雲も、揺れる木漏れ日も、土や葉の香りも、何もかもが綺麗に思えた。自由だと思ったら、これから好きなところに行けると思ったら、すごく胸が躍ったんだ。だから、俺と似た境遇の君にも、同じ気持ちを知って欲しいと思った。――君を連れていきたいと、そう思ってしまった」
俺は頭を下げた。
「頼むッ!! 俺と一緒に来てくれ!」
「ひゃっ」
「絶対……幸せにするから。約束する……」
どくん、どくん、どくんと心臓の鼓動が聞こえる。
緊張する…………。
「か、勝手だよ……リュートくん。私もう、何がなんだか。ずっと知らないようにしてたものを知らされて、封印も解いちゃって、リュートくんがドラゴンで、おろおろしているうちに、あっという間にモンスターがいなくなっちゃたんだもん……」
「……う。ご、ごめん……」
「私が断ったら、どうするの?」
「……お、俺が君についていく?」
「……それも嫌だって言ったら?」
「…………もう一回頼む、とか?」
「もう、何も考えてないじゃない」
シャルロッテは頬を膨らませた。
ま、まずい。怒らせてしまったみたいだ。
どうしよう。何か言わないと――。
「でも、ありがとう」
ぱきん、と音が一瞬聞こえて、彼女を覆っていた白い透明な箱が砕け散った。
「……シャルロッテ?」
「……きっと私は、こんなことでもなかったら、これからもあのお屋敷にいたと思う。お屋敷を出たいと思う以上に、本当のことを知ることの方が、私はずっと恐かったから」
シャルロッテは柔らかく微笑んだ。
「ほんとに、私を連れてってくれるの?」
「……つ、連れてく!」
「ほんとに、私を幸せにしてくれる?」
「もちろんだ!」
「ありがとう――」
彼女の頬に涙が流れた。
「――すごく嬉しい」
彼女は笑顔のまま涙を流して、そう言ったのだった。
* * * * *
俺たちは出発の準備をするため、一度屋敷へ戻ってきた。
替えの服や下着をいくつかと、調味料各種、筆や絵の具などの画材、あとは数冊の本だけ。それから――。
あの宝物と言っていた箱の中身を、シャルロッテは見つめていた。
「私が最初にお母さんのことを変だと思ったのは、十歳くらいの時なんだ」
「……そっか」
「それでね、一回だけ、嘘のお話をしてみたの」
「嘘?」
「うん。嘘の昔話。そしたら、私の作り話のはずなのに、お母さんも覚えてるって言って。――それでね、私、すごく恐くなっちゃって。私は一体、誰とお話してるんだろう、私はどうしてここにいるんだろうって」
「…………」
「なんだか心がおかしくなっちゃいそうな気がした。だから、お母さんが適当に話を合わせてくれたんだろうってことにして、それから小さい頃の話をするのは、もうやめにしたの」
シャルロッテは、一言では言い表せないような表情――慈悲深いような、怒っているような、後悔しているような、あらゆる感情が綯い交ぜになった顔で、ひとしきり箱の中身を見てから、
「ずっと不安だったけど、もう心配しなくていいんだよね」
そう言って、静かに箱を閉めた。
シャルロッテは、きっと深く傷ついただろう。彼女の傷が癒えるまで、俺はシャルロッテをずっと支えたいと思う。彼女の人生に首を突っ込んだ責任というものがあるのだ。
「よしっ。じゃあ、行くか?」
「うんっ」
シャルロッテはいつもの調子で明るくそう答えた。
「じゃ、じゃあ、いいか?」
「……う、うん」
恥ずかしいけど、空を飛んでくにはお姫様抱っこするしかない。
見た目よりもずっと軽く感じる彼女を抱きかかえて、バルコニーに出た。
「ど、どっか行きたいところとか、あ、あるか?」
「どこでもいいよ……どこかに連れていって……」
目が合った。なぜか数秒間見つめあう。
「そ、そっか。じゃ、じゃあテキトーにどっか飛んでくぞ」
「う、うん」
シャルロッテが赤面している。俺もたぶんそうだ。
「【飛行】」
恥ずかしいので、さっさと飛び立つことにした。
ある程度行ったところで、ぼん! と竜人モードに変化する。
「リュートくん」
「ん?」
「私を助けてくれてありがとう」
「……俺がしたくてしたんだ」
「ふふ、リュートくんはかっこいいね」
「……。はは、あはは!」
め、めちゃくちゃ照れる。
――ん。
妙な違和感があった。
なんだ?
何か、視られているような……。
「どうしたの?」
「あ、いや……」
どこだ。どこにいる。
ぼっ。
と、そんな音が上から聞こえた。