8.シャルロッテ①
翌日。朝。
俺はシャルロッテの屋敷へやってきた。
バルコニーに入る。
シャルロッテの手書きのメッセージが窓の内側にまだ貼られていた。
リュートくんへ。
どうぞはいってください。
シャルロッテより。
どうしてミミズが這いずったような文字なのか分かった気がする。
七歳から一人だったというなら、文字の書き方を誰かに教わったことがないのかもしれない……。
俺は窓から屋敷へ入り、昨日と同じように廊下へ進む。
シャルロッテは昨日と同じように、ほうきとちりとりを使って廊下を掃除していた。
「あ、リュートくん、おはよう!」
たったったっ、と駆けてくる。表情は明るい。
「……ん、リュートくん、どうしたの? なんかあった?」
と、彼女は首を傾げる。
「え?」
「なんか、難しい顔してるから……」
しまった。
表情に出てしまっていたらしい。
「な、なんでもないよ」
「……そう? それならいいけど……。それより、今日も来てくれてありがとう! ……すごく嬉しい」
昨日まではこういう言葉に浮かれていた俺だけど、今は複雑な気持ちを抱いている。
シャルロッテは嬉しくて当たり前なのだ。今まで誰とも会えない環境にあったのだから……。
昨夜、俺はあの男女のいた迷彩カラーの建物へ忍び込んで、そこに保管されていた文書をいくつか読んだ。
結論。
やはり、シャルロッテは都合よく利用されている。
八年前、あの巨大モンスター『スジャーラドラ』が出現。
当時、国(スヴァインハイム王国というらしい)は、あの脅威に対抗できる戦力を『大過の日』の影響によりすぐに用意できず、壊滅的被害を恐れた結果、異能を持つシャルロッテを封印役として抜擢した。
ちなみに『大過の日』についてはよく分からなかった。災害か何かだろうか。
読み進めていくと、シャルロッテの本当の両親と国家の間で、金銭的な取引があったという記載があった。
簡単に言えば、シャルロッテはその身を売られたのだ。本当の家族に。
あれは国家作成の文書のようだから、真実が書いてあるとは限らないし、やむを得ない事情があったのかもしれないが……。
現実として、シャルロッテは本当の家族と既に縁が切れている。
残念だが、これは間違いないと思われる。
昨日調べた限りでは、母親役は数年に一度交代しているようだった。
母親役は、シャルロッテが封印を解いたり、あの屋敷を離れたりしないよう、母親を騙ってシャルロッテの心を誘導するのが目的である。
だいたい、七日に一日程度の頻度でやってきて、電話したり手紙を書いたりするらしい。それくらいが、一番ちょうどいいのだそうだ。
それを補佐する役として、数人が交代であの建物に常駐している。彼らは屋敷へ物資を運んだり、封印が解けていないことを監視する役目がある。
誰にも会えない環境にしているのは、余計な考えを持たないようにするため。
屋敷には誰も来ないし、出ていくこともできない。あの屋敷に出入口がないのは、単純に必要がないからだ。
……人を……シャルロッテを、なんだと思っているのか。
反吐が出る。
こんなことが許されるのか?
何も知らない女の子が、人生の半分以上を、たった一人で過ごしてきたんだぞ。
許されるわけがない。
「ね、ねえ……リュートくん、やっぱりなんかあったでしょ? なんか、顔が怖いよ……」
「なあ、シャルロッテ」
「は、はい……」
「…………」
俺はもう、あの化け物と戦う覚悟はできている。
「もっかい聞くけど、封印を解くつもりはないのか?」
「……ごめんね。昨日、一応お母さんに聞いてみたんだけど、やっぱり怒られちゃった」
「そう、だよな」
今のままではシャルロッテは自分の意志では封印を解かないだろう。
母親が偽物だということを教えれば、考えが変わるだろうか。
だけど――。
シャルロッテが昨日言っていたことが脳裏によぎる。
――本当はちょっと辛い時もあるよ。一人って、すごくつまらないもの。このお屋敷も飽きちゃったし。行きたい所もいっぱいあるし……。だからリュートくんが来てくれて、色んな話を聞かせてくれて、すごく嬉しかったし楽しかった――。
――もう少しだけ我慢すれば、きっとモンスターは死んじゃって、そしたらお母さんと暮らせるの。それからね、お母さんと一緒に色んなところに旅に行くんだ。それが私の夢なの――。
母親が偽物だと知った時、彼女は今のままでいれるだろうか?
絶望しないだろうか? 正気を保てるだろうか?
真実を知った時、どんなショックが彼女に訪れるのか、俺には想像がつかない。
どうする――。どうすればいい――。
「じゃあ、待っててね! すぐお掃除終わらせるから」
結局、俺は言い出せないまま、鼻歌を歌いながら掃除に向かうシャルロッテを見送ったのだった。
* * * * *
また絵を描いて、他愛もない話をして、一緒に昼を食べて……。
俺は、心ここにあらず、といった感じだった。
今はダイニングで一緒にティータイムを過ごしている。
シャルロッテは楽しそうに絵の描き方の講義をしていた。
くそ……俺は何をしてるんだ。
「あ、そうだ。リュートくん、甘いもの好きだよね?」
「う、うん」
「明日、一緒にケーキを作ろうよ。お母さんが材料を運んでくれるんだって!」
「…………」
そんな会話がされていたことを、俺は知っている。
「お母さんも食べたいって言ってくれたよ。昨日は怒られちゃったけど、でも、お母さんとお話ができたから、幸せだったなぁ――」
うっとりとした顔で彼女は続ける。
「――愛してるって言ってもらえたし。えへっ」
「…………」
こんなものが、正しい形であるわけがない。
……よし。決めたぞ。俺はもう悩まない。腹をくくった。
「シャルロッテ、聞いてくれ」
「ん?」
どくん、どくんと心臓が高鳴っている。
恐ろしい。どんな敵と戦うよりも、よっぽど……。
「ど、どうしたの?」
ビビるな――。
彼女の理想はいつか破綻する。
なら、今ここで伝えるべきだと俺は思う。
「これから、俺は君にとても残酷なことを伝える。覚悟して聞いてくれ」
「な、なに……?」
「俺、調べてきたんだ。あの化け物や、この屋敷のこと。で、分かったことがある」
「…………」
この先を言えば、もう何が起こるか分からない。
「君のお母さんは」
「やめて」
これまでにないほど強い口調で、シャルロッテは俺の言葉を止めた。
その反応は予想していなかったので、俺は言葉を失ってしまった。
沈黙が流れる。居心地の悪い、嫌な時間。
静寂を破ったのはシャルロッテだった。
「こ、このお話はおしまいっ! ねえ、リュートくんは、どんなケーキが食べたい?」
「な、なあ。シャルロッテ。聞いてくれ。今、大事な話をしてるんだ」
「私はね、スポンジが甘ーいケーキが好きなの! イチゴと、チョコレ―トと、あと生クリームでデコレーションして……ちゃんと卵と牛乳から作るんだよ? きっと美味しいよ!」
「シャルロッテ!」
「…………っ!」
彼女は辛そうに唇を噛むと、勢いよく立ち上がり、そのまま通路へ出て行ってしまった。
「ま、待て!」
シャルロッテは止まらない。そのまま階段を上っていく。
追いかけていくと、ちょうど部屋へ入っていく後姿が見えた。
ばたん! と勢いよく扉を閉まる。
木箱が置いてあった部屋だ。
俺はドアノブを引いてみた。鍵がかかっている。
シャルロッテのこの反応は。もしかして――。