五話〜心配させてしまった〜
知らない天井だ。
そんなことをぼんやりと考える。あー、いや、知ってるな。病院だ、ここ。
ぼんやりとしていた視界が鮮明になってくる。霞み掛かったような思考もハッキリしてきた。
ループと呼んでいいのか分からないが、不可思議な現象の中で病院の世話になったことは何度もある。
ストーカーからユイを守ったりだとかで、急所に刺さらないように冷静に微調整を加える、なんてことができるようになったのは、果たしていい事なのかどうかは分からないけど。
調整できようが負傷は負傷で、致死率が高いのは変わりなく、速攻で病院へ運ばれた。
不思議なことに、医者も驚く驚異の回復力で俺は一ヶ月入院を言い渡されたが、二週間で退院した。その間にユイが危険に晒されないことも把握済みの上で、入院時期を調整することもできるようになった。
余談は置いといて、そんな関係で、俺は入退院を何度も繰り返しているから、知らない天井ではなかったって話だ。
病院に来慣れてるってのも嫌な話だが、ダンプカーに跳ねられたんだ、命があっただけでも儲けものなんだろうな。
そう調整したとはいえ、成功するかどうかは賭けだった。運に任せたとも言えるな。
これで上手くユイが生きていてくれればいいんだけど……
思考に耽っていると、カララと戸を引く音が聞こえた。
「あ、お兄ちゃん!」
妹のひなただった。
◇
ざっとその後の話をすると、俺は三日間寝たきりだったらしい。
頭を打ったのもあるが、過度な疲労からくる昏睡状態だったようだ。
怪我自体は大したことはなかった。肋骨数本、右腕と右指を二本、額と後頭部に亀裂、全身打撲、背中が擦れた時の擦過傷。……十分重症だな。ループで死にまくったからか、感覚が麻痺しているらしい。
ひなたの後に姿を見せた母が傷の具合を教えてくれた。
それからはてんやわんやで、医者の診察やら、警察の事情聴取、ダンプカー運転手の土下座、ユイの両親からの謝罪と感謝の言葉、父のまさかのゲンコツと抱擁。
言ってはなんだが、めちゃくちゃ疲れた。三日間寝たきりで、体力が落ちている。鍛え直さないと。
ユイは打ちどころが悪く、まだ目を覚ましていない。命に危険はないらしいし、植物状態って訳でもないみたいだ。
脳内神経がどうとかって専門的なことを言われても分かりませんよ、お医者さん。
そんなことに割くリソースはなかったからなぁ。どうすれば俺より早く目覚めないかくらいしか知らん。
「本当に、本当にありがとう。│隆之君」
そう言って、ベッド脇の椅子に腰掛けて頭を下げるのは、ユイの父親である華道 │充晃さんだ。
恰幅のある優しい男性だ。ユイと疎遠になる前は、よく遊んでもらったことを覚えている。
最寄り駅近くの商店街で夫婦でパン屋を営んでいて、この人の作るパンは絶品だ。
地元出版社が取材に来たりする程度には人気がある。
「感謝してもしきれない。本当にありがとう」
そう何度も繰り返し頭を下げる。少し失礼かもしれないが、苦笑が漏れる。
愛娘を助けたのだから、反応としては当然なのかもしれないが、頭を下げすぎじゃないか?
「あー、さっきも聞きましたし、もういいですよ。俺が好きでやったことですし、何度も感謝されると逆に、ね?」
分かるでしょ? そんなニュアンスを込めて言う。
上手く伝わったようで、おじさんは頭を上げると……
「そ、そうかい? 嫌われるのも嫌だからね。これで最後にしておくよ。本当に、唯華を救ってくれてありがとうございます。このご恩は一生忘れません。……なにか困ったことがあれば、なんでも言って欲しい。必ず力になるよ」
普段は優しさを体現するように垂れている目尻を、キリリと吊り上げて真剣に言ってくれる。
医者が来る前に一度夫婦で見舞いに来てくれた時は、泣きじゃくっていたのにな。ギャップに少し驚かされた。
ただ、重いなぁと思う。要求したいことはある。しかし、こう前のめりにこられると引いてしまうのは人の性なんだろうか?
「それで、どうしたんだい?」
現在時刻は九時半。そろそろ面会時間も終わり、十時には消灯になる。昼の二時くらいに一度会った時に帰る前に寄って欲しい旨を伝えてあった。
おばさんにも来て欲しかったが、明日の下拵えがあるらしく、既に帰ったらしい。
これはおじさん談だが……
娘が大変な目に遭っても、帰る場所を守らないとって気丈に振舞っているんだとか。
命に別状はないにしても、目を覚まさない娘が心配で堪らず、何かをして気を紛らわせないと落ち着かないみたいだ。
「んんっ」
ひとつ咳払いして、緊張を誤魔化す。期せずに、折れた骨に響いた痛みが、緊張を和らげてくれた。
「ユイが目を覚ましたら、俺のことは話さないでください」
「……え?」
一泊間を置いてポカンと口を開けるおじさん。
俺がおじさんの立場なら、多分同じ反応をするんだろうな。
「だから、俺のことは――「いや、聞こえていたよ!?」――……そうですか?」
「そうだよ! 僕が聞きたいのは、どうしててっことだよ!?」
「まぁ、落ち着いてください。時間が時間ですし、個人部屋って言っても、隣の部屋に人はいます。なにより、病院で騒ぐのはどうかと思いますよ」
「う、ぐっ……言うね。君の言葉が僕を慌てさせたのに」
どう前置きしたところで驚かれるのは分かっていたからな。
それでも、多少の努力はするべきだったんだろうか?
「雰囲気が随分と違うね? クールというよりは、冷めている、達観しているって言った方がピッタリくるよ」
おじさんは人の良さそうな顔をして、以外にも詐欺とかに引っかかり難い。
人の嘘を見抜く才能があるとか、そいつの人となりを把握できるんだとかで、内面では相当な観察眼で相手を見てるらしい。昔、おばさんから聞いた話でしかないが……今、それを思い出した。
「もう数年会ってないんですよ? 変わりもしますって」
「そうかい? それは……なんだか寂しいね」
そう言って眉尻を下げる。見事な八の字眉だな。
「……んんっ。で、事情を聞かせてくれるかな? どうして唯華に君のことを話してはいけないのか」
数秒後の間を置いて、仕切り直すように咳払いをしてから聞いてくる。
おじさんがここに来るまでに考えておいたもっともらしい理由を、順序建てて話すことにした。