終話〜傍にいられなくても〜
俺が考えたのは、ユイに与える影響である。
目を覚ました時、彼女は自分の所為で誰かが怪我をしたと知ったら気に病むだろう。それが、知人レベルに落ち込んだ俺であってもだ。
だから、顔を合わせず、助けたやつは怪我をしなかったと話を通して欲しいと頼んだ。
納得はしていないだろうけど、さっきの「何でも」って言葉を盾に押し通して、承諾してもらった。
が、これは建て前でしかない。
俺はユイから記憶を奪った。と言っても、超能力とか魔法の話じゃない。物理的に、だ。
的確な角度と力加減で、ユイの頭をアスファルトに打ち付けた。その衝撃の所為で脳が異常を起こして昏睡状態が続いているんだと思う。
多分、あと二、三日で目を覚ますはずだ。
もし失敗していても、またやり直すだけだ。そうしないと、ユイは別の要因で死ぬ。
前回は通り魔に刺殺された。庇うこともできなかった。
その前は追突事故に巻き込まれて一家全員が……
更にその前は、老朽化した民家の外壁が崩れて……
と、ランダムに発生して、守ることができなくなった。
ただ、決まった道順を辿るわけではないってことが、逆に、俺に希望を抱かせた。
ヤクザは絶対不可避の死だ。そこに到達してしまうと、ユイは確実に助からないし、俺に未来はない。
でも、最初の段階で、俺が巻き込まれる形で事故に遭うと、未来があやふやになる。
確定していた死が、ランダムに変わるんだ。未来が分からなくなった。そのことが、正解に近付いているんだって、確信を持たせる。
で、俺が導き出した解ってのは、ユイの記憶を奪うことだ。
記憶をなくすことで、ユイの未来はより不安定になり、可能性が広がる。
家族関係、友人関係、それらを含む全てがリセットされる。そうなることで、この先起こるはずだった死を回避できるんじゃないか? そう俺は考えた。
あくまで憶測。あくまで推測。そんな空想の域を出ない、予想に過ぎないが、大きく外れてはいないんじゃないかって、そう思う。
「……君はそれでいいのかい?」
「……それはどういう……?」
建前を含めて話し終わると、おじさんが真剣な表情で問い掛けてくる。
さて、おじさんが言わんとしていることは分かる。
俺の気持ちはどうか。そんなことを考えているんだろうし、聞いているんだろう。
でも、そうじゃないんだよ、おじさん。
俺の気持ちなんてどうでもいいんだ。ユイが大切なんだよ。
彼女が幸せでないと、生きてないといけないんだ。そのためには、俺は必要ないんだ、きっと……
「俺とあいつに縁はないんです。もう言葉も交わしてない。幼馴染なんて、そんなもんでしょ? 珍しくないですよ」
やっぱり納得いかないって顔だ。でも、こっちも譲れない。たとえ無理でも、納得してもらわないと俺が困る。
そう思ったんだが……
「……分かったよ。なにか事情があるんだね? 無理に聞こうとは思わないし、力になると言ったことも嘘じゃない。君が望むなら、そうしよう。ゆっちゃんにも伝えておくよ」
ゆっちゃんとは、おばさんのことだろう。朧気だけど、そう呼んでいた記憶がある。
少しふくよかな、笑顔に愛嬌のある女性だ。娘思いのいいお母さんで、俺がユイを泣かしてしまった時は、凄く怒られた。もう、雷が落ちたって例えがぴったりくる印象だったな。
そんな彼女だ。俺の申し出に不服を唱えるのは明白。おじさんが説得してくれるというのはありがたい。
「お願いします。……ふぅ……」
これ見よがしに溜め息を吐く。深くベッドに身を横たえると、ギシシとスプリングの軋む音がうるさく鳴った。
「疲れたかい?」
おじさんが気遣わしげに俺の様子を覗き見た。
疲れたのは本当だ。三日間寝たきりで、随分体力が落ちているらしい。
ただ、大きく息を吐き、だるそうに身体をベッドに沈めたのは、おじさんの追及を逃れるための大袈裟な演技であることもまた事実だった。
それから、おじさんは「もう遅いし、お暇させてもらうよ」と告げて席を立ち、「お大事に」という一言を残して出ていった。
閉まる扉から視線を外し、暖かな光を放つ蛍光灯に向ける。
妙な気疲れで少し眠気はあるが、それが逆に覚醒を促しているようで、どうも寝付けない。
壁掛け時計に視線を向ければ、消灯五分前といった時間。
「……っ」
鈍い痛みに耐え、ベッド脇に立て掛けられた松葉杖に手を伸ばす。
折れてはいないものの、右足の筋を痛めたようで、暫くは杖の補助を得て歩くことになるらしい。
体重を左足と右腋に挟んだ杖に掛ける。
程よい場所にある取っ手を握り締めて、歩幅程度前へ出して突く。で、左足を追い付かせて身体を前に……
「ふぅ……」
動き辛い。足を折ったこともあるが、どうも杖を突いて歩くのは慣れない。
消灯までの残り時間で催した生理現象を解消するために部屋を出る。
もたもたしながら用を足し、割り当てられた病室に戻る。
と、パツンと切り替わるような音がして電気が消え、足元を照らすように、壁に備え付けられた緑色の薄明かりの蛍光灯が点く。
怪我に気を付けながらベッドに潜り込むと、先程とは異なった強い眠気に襲われ、抗うことなくそれに身を委ねることにした。
………………
…………
……
三日後、ユイが目を覚ましたらしい。
わざわざそう報告に来たおじさんは意気消沈していて、俺は思惑通りいったことに、不謹慎ながら、小さく握り拳を作った。
それが歓喜からか、幾許の後悔からかは分からなかった。




