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前5

「ちょっと待って」


 横合いからかけられた声に、僕らの動きが止まった。いつの間に立ち上がったのか。ハームはベルトマンに飛び掛かろうとしており、バックルはそのハームを狙っている。


「うちでそういうの、やめて欲しいんだけど……」


 アンジェの声は震えていた。

 ベルトマンは彼女をちらりと一瞥すると、ハンドガンを懐に戻した。

 どっと汗が噴き出す。体から力が抜け、慌てて椅子の背もたれにしがみついた。滑り落ちていく体を必死に抑えながら、荒い呼吸を何度も繰り返す。

 生きて……る。乾ききった喉が、空気を飲み込むように動いて、痛みが走る。


「なんで、こんなことの為に必死になってるの?」


 アンジェが呟いた。


「目の前で死ぬわけでもないし。こんなあたしが、いつか生きたくなるかもしれないとか、ならないかもしれないだとか。そんなの、メルンさんに関係ないじゃん。無駄だよ。無駄な命の張り方だよ。意味わかんない……」

「無駄じゃない」

「え?」

「あなたが生きることは、無駄じゃない。どうして、もういいやって思ったのかは知らないけれど。あなたが生きて、生きてて良かったと、もし思うことがあったなら。その可能性があるなら、僕が命を懸けるのは無駄じゃない」


 アンジェは目元を手で覆いながら、小さく頭を左右に振った。


「わかんない。意味わかんない。そんなの、知らない。どうせ、無駄になるって。それこそ勿体ないって」


 そして、手元でデータ上にサインを入力し、ベルトマンに投げ返した。肩が震えている。


「そんな」

「もう決めてるんだから」

「成立だな。希望の日時は……明日、か。では、明日の一四時に迎えに来る」

「ただ……備考に書いたけど、明日来るときにメルン君がいなかったら、取り消させてもらうから」

「確かに。考慮する」


 アンジェは目元を覆ったまま、言う。


「話は終わったんだから帰って」

「そうだ。話は終わりだ。帰るぞ、メルン君」

「……はい」


 立ち上がり、アンジェに挨拶をして四人で部屋を出る。

 エレベーターの中。俯いた視線には、互いを威嚇し合うハームとバックルが映っていた。

 駐車場まで着いたときに、ベルトマンが振り返る。胸にごつりと硬いものが押し当てられた。見なくても、それが何なのかわかる。


「さっきのはなんだ?」

「自分が正しいと思うことをしました」

「それは、誰にとっての正義だ」

「僕にとって、です」

「はっきりと教えてやろう。そんなものは、要らん。捨ててしまえ。貴様の正義か、命か。捨てる方をここで選べ」


 ぎりっと歯を食いしばった。

 正義を捨ててしまえば、残るのはただのウォッチメイカーだ。ただ、命を失ってしまっては元も子もない。今、命を張ったからって、救える命は一つもない。可能性を殺すだけ。

 頭の中の冷静な部分ではわかっているんだ。ここで正義を捨てると、折れるのが正解なんだって。

 捨てろ。

 今、嘘をつくだけでいい。言葉ではなんとでも言える。あとは、腹の内で虎視眈々と狙えばいい。それでいいんだ。


「僕は……」


 歯の隙間から息が漏れる。

 立ちくらみのような、視界が遠ざかる感覚がする。

 「正義を捨てる」その一言が、出てこない。吐き出すだけだろう、言えばいいんだろう。

 なんで、口から出てこない。


「それが答えか?」


 ベルトマンの強い言葉が、首を絞めてくる。

 死を間近に感じれば感じるほど、言葉が出てこない。


「それが答えで良いんじゃねーのか?」


 返答は。僕の背後から不意に飛び出してきた。


「で、何してんだ? ベルトマンさんよ。その子は、俺の可愛い後輩君なんだよ」


 僕の肩に腕が回され、サックスの顔がすぐ隣に来た。突き出されたベルトマンの持つハンドガンと対になるように、サックスの銃口がベルトマンの胸に突きつけられる。


「サックス、貴様に関係のないことだ」

「大いにあるんだな」

「言ってみろ」

「この新人君がベルトマンさんにとって使えないってなら、うちで使いたいんだよ。ほら、俺ってばまだ組んでる新人君いないだろ? なら、将来有望なメルン君が欲しい。そっちの方が、そんな物騒なもん使うよりか、ずっと有意義じゃんか」

「拒めば?」

「暴発事故が起きるかも」


 ベルトマンは忌々しげに舌打ちをした。


「割に合わん」

「怪我すんの嫌いだよな、ほんと」


 二度目の舌打ち。

 ベルトマンは嫌々、といった様子でハンドガンをしまった。


「ただ、教育的指導はさせてもらう。こいつは、私の方で使う」

「別の新人君でももらっとけよ」

「同じ言葉をそっくり返すぞ。馬鹿に無能を当てても、ろくなことが起きない」

「とにかく、再起不能にするのは勘弁だ。要らなくなったらいつでもうちにくれよ」


 そんなことを言いながら、サックスもハンドガンをしまう。

 また、命を拾った。今度こそ、地面に膝をついてしまった。


「おっと、大丈夫か?」

「す、すいません」


 サックスに肩を借りる形で、また立ち上がる。一時的に貧血になってしまったのか、視界が黒っぽい。


「このまま車に乗せて大丈夫か?」

「はい。ご迷惑をおかけします」


 本音を言えば、このままサックスに連れて行ってもらいたい。ベルトマンと別れ、サックスと組ませて欲しかった。でも、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。


「困ったら連絡をくれ。時間が許す限り、駆け付ける」

「すいません。本当にありがとうございます」

「まあ、君の考え方は好きだからな」

「これ以上絡むな、時間の無駄だ」


 僕がフロートカーに乗り込むと、すぐにベルトマンも乗り込んだ。ドアが閉まり、サックスが十分に離れないうちに、走り出してしまった。

 帰り道の車内は、無言が支配していた。


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