表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/30

前6

 官舎の自室。朽ちることのない、化学物質で作られたものだけが置かれた部屋。閉まったドアに背中を預け、ずるずると床に座り込んだ。

 拳で床を叩いた。痛みのわりに、何も、響かない。何も、揺らがない。

 頭を抱え込んだ。自分の体に、一枚膜が張られているみたいに。この世界が、遠い気がした。


 ――救えなかった。届かなかった。


 言葉が届く距離にいたのに。話すことができたのに。

 彼女の気持ち一つ変えるだけ、それだけで良かったのに。

 僕の言葉は、非力だった。無意味だった。

 そうだ。僕の考える「正義」なんてものに価値はなかったんだ。ベルトマンが正しかった。そういうことなんだろう。


「メルン?」


 弱音を吐いたら。ハームは慰めてくれるんだろう。

 言ってしまいたい。弱音を吐きたい。僕が正しいんだよって言いたい。この世界が間違っているんだって叫びたい。同意してほしい。認めて欲しい。優しくされたい。

 肯定、して欲しい。


「少しだけ、落ち着く時間が欲しい」

「そう……ね」


 ダメだ。そんなの情けない。

 いや、情けなくたっていいんじゃないか。そもそも、今以上に情けなくなれるもんか。大きな目標を諦める覚悟で、一人を救おうとして。その手を本人から振り払われた。意地を張ろうとして、突きつけられた銃に震え。二回も他人に命を救われた。こうして、何も為せないまま生き延びて、自分の部屋で座り込んでうじうじとしている。

 すでに情けない。もう、惨めだろ。

 そうだ。こんな惨めなやつが、世界を変えようだの正義を掲げるだの、根本から間違っていたんだ。


「わかったんだ。きっと」

「どうしたの?」

「なんとなく、もういいやって諦める瞬間が。きっと、今この瞬間だ」


 僕が間違っていました、すいません。

 そう、ベルトマンに謝って。ただの一公務員として淡々と仕事をこなす。それでいいじゃないか。


「そうね。今が、その瞬間かもしれない。けど、それで終わりじゃメルンじゃないでしょ」

「これが、僕だよ」

「違う」


 ハームが両方の前脚を、僕の背後にどんと突いた。目の前に、奇麗な肉食獣の顔が迫る。息がかかるくらいの近距離で、言葉が放たれる。


「わたしはメルンの理想に夢を見た。だから、あなたの為に命を懸けられる。あなたの為なら、いつでも死ねる。理想と怒りに燃えるあなたを好きになった。その気持ちだけで、ここまで走ってこれた」


 ざらつく舌で頬を舐められた。


「オスと犬は命令で走る。でも、女が命令で命を張れると、本気で思ってるの? 半分機械だから、人間に従うとでも思ってるの? ネコ科の生き物が、忠誠心だけで退屈な任務をこなすと思ってるの?」


 ハームは、一体何を言っているんだろう。

 理解が追い付かない。ただ、目の前にある殺気にもよく似た空気をはらんだ言葉に、耳を傾けざるをえなかった。


「ここまで一緒に命をかけてきたのに。たったこれしきで、他の女一人救えなかったくらいで、諦めるなんて許さない。わたしが好きなメルン以外のメルンは認めない。あなたが前に進み続ける限り、わたしの全てをあげるから、進み続けなくちゃダメ」

「それは……それは、ずるい」

「ずるいに決まっているじゃない」

「僕のことも、ハーム自身のことも決めつけてる」

「そうね。けど」


 ハームの脚が壁を這い、僕の背中を前に押す。抱きしめられるように、ハームの首元に顔を押し付ける体勢にされた。


「怒りに燃えるメルンは素敵だった。なぜ、今のあなたはそんなに情けない顔をしているの? そんな姿は見たくない」

「救えなかった。僕の精一杯で説得しようとしても、言葉が届かなかった。情けないに決まってる」

「後悔してる?」

「もちろん」

「なら、変えなくちゃ」

「……は?」

「救えなかった相手がいるのに、何も変えようとしないの? 本当に後悔しているの? ベルトマンにぶつけた怒りは嘘だったの?」


 ハームが僕を抱き寄せる力が強くなった。


「――情けない今の姿に。今、あなたの胸にある痛みがそこらに落ちているこの世界に、怒りはないの?」


 耳元で囁かれた言葉が、脳髄を貫いた。

 言葉が脳を穿ち、脊髄を焼き。体の一番後ろまで走り、どろどろに溶けた灼熱になって込み上げてくる。

 持ち上げた手が、熱に冒され震えている。それを、乱暴にハームの背中に回し、抱き返した。


「……ある。あった。まだ、あった」


 掠れた声が、喉を引っ掻く。

 なんだ。このザマは。

 自ら寿命を捨てようとする人を止められず。その果てにしていることは、自室で座って弱音を吐くだけか。


「僕は、何をしていたんだ」


 諦めて。そこに、意味があるのか? ないだろうが!

 覚悟したんだろうが!

 後悔したくせに、唯々諾々と同じことを繰り返そうとした、それこそが情けない。何よりも情けない。


「ごめん、ハーム」

「いいの、メルン」


 壁にぶつかることなんて、当然だ。

 この、ニューロンドン市が、時計管理局が歪に支配したこの世界を変えるんだ。簡単じゃないことなんて、失敗することなんて、想定してしかるべきだろう!


「迷惑かけた。カッコ悪いとこ見せた。まだ、一緒にいてくれる?」

「あなたが強がり続ける限り。この命尽きるまで」

「ありがとう」


 まだ、戦える。

 僕こそ、ハームが隣を歩んでいてくれる限り、戦える。

 抱きしめている、半分が機械で出来ているはずの体が。何よりも暖かかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ