1 灰狐
灰色の髪の子どもは
夕闇の町をさまよっていた
盗んだ麦の穂を懐に隠して
蓬髪襤褸の浮浪児は、傷ついた額をぬぐった
昼間、投げられた石が当たって
ぎざぎざの傷ができ、血が固まりかけていた
今夜眠る場所を探していた子どもは
目の前にある、小さな教会を選んだ
礼拝堂から灯火がもれて見えたので
思わず、火のぬくもりに吸い寄せられたのだ
子どもは、神など信じてはいなかった
灰色髪の子どもは、魔族の血を引いていたから
父親の顔も知らず、母親を悲しませ
気づけば、自分の生まれたせいで、母親は村八分だった
子どもは生まれた村を飛び出し
野生のいきものになった
この世界の神など、なにほどの力やある
運命を司るほどの力があるというなら
今この身を滅ぼしてみせよ
子どもは、教会の裏手に回り込み
物置の羽目板の破れ目から中にもぐりこんで
藁の上にすわると、ほっと一息ついた
空腹は身を噛むほど酷かった
子どもはふるえる手で
盗んだ麦の粒を生のまま口にいれた
「そこに誰かいるのですか」
突然、物置の扉が開き
ランプを持った若い神父が声をかけた
子どもはとっさに逃げ出そうとした
でも、その神父の手の方が早かった
子どもをしっかり捕まえると
手に噛みつくのも厭わずに抱え込んだ
「大丈夫、誰も傷つけたりしませんよ」
子どもの目の中に燃える荒々しいものが
年若い神父の穏やかな声で
少しずつ力を失っていった
「ここは冷えるから、台所へいらっしゃいね」
子どもは神父に腕をとられて
暖炉で薪の燃える台所へ連れて行かれて
そこで、温かいスープときつね色のパンを与えられた
子どもはがつがつとむさぼった
神父は子どもの手足の傷を薬湯で洗い
血で固まった髪を拭いて
額の傷に眉をひそめた
「むごいことを。でも、盗みは罪です」
「人の法でも、神の法でもなく」
「君の魂を損なうゆえ罪なのですよ」
どうせ、飢えたこともない
ちゃんとした家に生まれたやつの言いそうなこと
子どもは歯をくいしばってそっぽを向いた
「家はないの?両親は?」
子どもは顔をそむけたまま
神父はふっと溜息をついた
「それなら、今日からここにいればいいです」
村を出てから、子どもは
親切を装う大人には、魂胆があると学んでいた
人を信じてはいけない
人は自分の利益のために、他人を利用するものだから
この、晴れやかな目をした神父も
この教会に祭られた神も
すべてが、作り物のまやかしにすぎぬ
無償に差し出されるものなど
信じるほうが馬鹿なのだ
「今は、私を信じられなくてもいいのです」
「とにかく、ここでおやすみ」
「ゆっくり傷を治してから、考えましょうね」
神父は穏やかに微笑んだ
子どもは「灰狐」と名乗った
もちろん、生まれた時についた名ではない
生まれた時の名は、顔も知らぬ魔族の父親がつけた
呪力のある名前だったから
それでも、不思議な力を持った微笑に
灰狐の心は少しずつほぐれていった
灰狐は食べ物と寝床との引き換えに
教会の草むしりをし
ぐらついた垣根を直し
菜園に水をやり
礼拝堂の掃除をした