第一話 儚い兄様
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「はぁ……」
温かな光が程よく照らす温室。そこで俺は読んでいた本を閉じると、溜息を一つ吐いた。すると、勢い良く部屋の扉が開く。
「お兄様!? いかがなさいましたか!? ご気分が優れないのでは!? お医者様をお呼びしなくては!!」
俺の妹であるパトリシアが、焦った表情で現れた。髪の毛と同じ菫色の瞳が、不安気に揺れている。そして俺の溜息の理由を訊ねた。
俺の名前は、ノエル・グラッカルド。前世社畜の記憶がある男だ。自宅に着いた瞬間意識が飛び、この乙女ゲームの世界に転生した。
伯爵令息として恥じぬ魔力に、運動神経を兼ね備えている。ハイスペックな俺が何故、妹から過剰に心配されているかと言えば俺の計画の所為だ。
「パトリシア、落ち着いてください。私は大丈夫ですので……」
部屋を飛び出して行きそうな妹の手を掴む。俺は彼女へと困った笑みを浮かべる。パトリシアの反応は、何時も通りだが心配をし過ぎだ。
今日の俺がしたことと言えば起きて朝食を摂り、本を読んだだけである。具合が悪くなるほどの疲労感はない。通常ならば、それで疲労したとなれば軟弱者という判定をされるだろう。だが嬉しいことに、俺は罵倒されるどころか過保護な扱いを受けている。如何やら、今日も俺の儚い容姿は、最高に効果を発揮しているようだ。
「いけません! お兄様は直ぐに無理をなさるのですから! 直ぐにお休みください! それから一応、お医者様をお呼びしておきますね!」
パトリシアに心配をかけているのは、心が痛むが俺の計画の為だ。仕方がない。
ハイスペックな俺だと、人生計画の障害になるのだ。そこで役立つのが、この容姿である。母親似なところもあり儚げな顔の造形に、髪はブルーシルバーの色だ。そして瞳は宝石のアメジストの様に、光の角度により輝く。髪と瞳の色も相俟って、儚さが増幅されている。
今世の目標は平和な生活を謳歌することだ。つまり、実家のグラッカルド伯爵家の脛を齧って生きていこうというのだ。
折角、魔法と剣が存在する異世界に転生をしたというのに、志しが低いだろう。だが俺の前世は三十代半ばで終えた。今世ぐらいお茶を飲みながらゆっくり過ごしたいのだ。因みに前世の俺の夢は、縁側で青空を見ながらお茶を飲むことだった。
兎に角、のんびり過ごしたい。争わず、波風を立てず、穏やかなに日々お茶を飲みながら過ごしたい。それがこの世界に望むことだ。2歳年下のパトリシが学院で優秀な成績を納めているが、17歳の俺は学院にも通わず。だらだら過ごしている。
幸いなことに、跡取りは俺でなくともパトリシアが居るため、安心である。
「では……」
俺はパトリシアの提案に乗り、自室に戻り昼寝でもしょうと口にしようとした。
「パトリシアお嬢様、ノエル様が困っていらっしゃいますよ」
「……ジェイド」
何時の間に現れたのだろう。俺専属の従者であるジェイドが、パトリシアを止める。俺は僅かに声を低く、ジェイドの名前を呼んだ。
「ジェイド! 大変なの! お兄様のご様子が! お医者様をお呼びして!」
パトリシアはジェイドに俺の調子が悪いことを伝える。
「ノエル様、失礼します」
ジェイドが俺の前にやってくると、手を翳した。すると、淡い黄色の光が発せられる。その光は文字へと変わり、ジェイドの手のひらの上で浮いている。
「大丈夫ですよ。パトリシアお嬢様。ノエル様は発熱もなく、血圧と脈拍も正常です。ご安心してください」
手のひらの上に浮かぶ、文字をパトリシアに見せるジェイド。そこには俺の名前と、体温・血圧・脈拍数が浮かんでいる。今、ジェイドが使用した魔法により、俺の状態を調べた結果だ。対象物の状態を調べる、鑑定魔法である。正常であって当然だ。俺は健康体そのものなのである。儚い容姿と、演技で病弱に見えているだけだ。
「嗚呼、良かったです。お兄様!」
「心配をかけて、ごめんよ?」
ジェイドが使用した魔法を見ると、安堵の表情を浮かべるパトリシア。本気で俺のことを心配しているのが分かる。気休めだが一応謝罪を口にした。
「謝らないでください。お兄様が、ご無事なら私はそれで充分です」
「……ありがとう。パトリシア」
妹は首を横に振ると、優しく微笑む。そして温かい言葉を告げた。罪悪感でいっぱいになるが、何とか言葉を絞り出す。
「パトリシアお嬢様。ダンスの先生がお見えになるお時間ではありませんか?」
「あ! もうその時間ですか!? ジェイドが居るなら安心ですね。お兄様をお願いします!」
ジェイドの発言により、パトリシアは一礼すると温室を後にした。
「はぁ……『ありがとう、助かったよ』ジェイド」
「いえいえ。従者として当然のことです」
俺が嫌味を込めたお礼をジェイドに告げる。折角、昼寝をする理由が出来たというのに、それをジェイドに阻止された。するとジェイドは、余裕の笑みで答える。このジェイドは、俺が儚げな印象を利用して色々とサボっているのを知っている唯一の人間だ。
全て上手くいくと思って過ごしていたら、ある日。従者であるジェイドにばれた。初めは取り繕うとしたが、面倒になり今は素の俺で接している。
本人も両親やパトシリアに、俺の儚い容姿を利用してサボっていることを報告する素振りはない。
「それで? 私の昼寝を邪魔するだけの理由があるのだろうな?」
「勿論にございます。こちらをご覧ください」
昼寝の口実を邪魔された俺は、ジェイドを鋭く睨む。しかしジェイドは性格が悪いのか、神経が図太いのか笑みを崩さない。代わりに、黒いファイルを差し出した。
「順調のようだな」
「お褒めにあずかり光栄です」
黒いファイルを開くと、沢山の報告書が収まっている。それのどれも、俺の満足する出来のものだ。
「はぁ……。明日かぁ……」
これからのことを考えると、溜息が出る。妹の名前はパトリシア・グラッカルド。優しくて可愛い妹なのだが、この乙女ゲームの悪役令嬢である。
明日のパーティーで、パトリシアは婚約破棄と断罪をされて国外追放されるのだ。勿論、無実の罪で裁かれる。それはなんとしても阻止しなければならない。俺の平和的な生活は勿論であるが、優しくて可愛い妹が酷い扱いを受けるなど見過ごすことは出来ないのだ。
俺はこの乙女ゲームの世界に詳しくない。先輩が仕事のストレスを発散するかの様に、俺に語りかけていた情報だけだ。だが、負ける気はない。
「ノエル様にも、ご心配なことがあるのですか?」
珍しく、ジェイドが不思議そうな顔をする。この男の中で、俺はどんなイメージを持たれているのだろう。俺はただ、平和を願う男だ。
「まあ……パーティーは夜だろう? 昼寝をしても起きることが出来るか?」
パーティーに関して心配があるとしたら、夜に行われるパーティーに起きることができるかである。俺は家族や周囲からは、儚げな印象から病弱だと思われているのだ。昼寝をすることは普通である。だが、俺は昼寝をすると、次の日の朝まで目を覚まさない。
「叩き起こしますので、ご安心ください」
俺の返事を訊くと、ジェイドは拳を握り笑顔を浮かべた。




