009 地下牢
「無茶するわね」
「自分でもそう思う」
目の前に座り、立てた膝の上に自分の肘を置いて覗き込んでくるティアに、レヴェルは苦痛にうめきながら何とか返事を返す。
「こんな所に閉じ込められちゃって、これからどうするの?」
「どうにもならないだろうな」
二人の声が響く地下牢は、王都の刑場の最下層にあり、重犯罪人が閉じ込められる場所であり、二度と生きて日の目が見られない場所でもある。
サーキーン王の前に自ら出頭したレヴェルは、王女の口添えもあり、とりあえず首を刎ねられる事だけは回避できた。
それは、レヴェルがいつも通りに手に入れ、持っていた周辺諸国の情報の重要性。
国内の混乱を治め、老害を斬り捨て、若手の起用に切り替えたコストア王国が、密かに手を回し、ガストル王国と同盟を結び、北と南から同時に攻め入るつもりがあるという裏情報をサーキーンの前で披露した。
軍の参謀部も、両国間の往来までは掴んでいたものの、それが同盟締結のための動きまでかどうかはわかっていなかった。
両国間の動きは分かっても、間違った情報を上げれば、サーキーンの機嫌を損ね、参謀部の幹部の首が飛ぶ。
確証の無さと自らの保身のため上げずにいた情報を、ティアを使って確実に裏取りしたレヴェルが、サーキーンに向って言い放ったのだ。
「北と南から同時に攻められれば、この国の滅亡は必定。私が王子様に提出した案の再考をなにとぞ。
通用すると思ったの?」
「いいや。思わない」
姿を消していても、常にすぐそばにいるティアが一字一句間違わずに再生したのを、レヴェルは苦笑して返す。
この意見が最初から通るなら、レヴェルもストラスに王位を奪えなどとけしかけたりはしない。
結局何を言っても無駄だと言う事を、レヴェルが身を挺してプレタダ王国の者に伝えたに過ぎない。
これでストラス達が行動を起こしてくれればいいが、それも期待はできないだろう。
「あなたが棒打ち二百の刑に処されている時には、この国ごと滅ぼしてやろうかと思ったわ」
「俺が望んでいない事はしない契約だろ?」
「そうよ。だから、我慢したんじゃない」
「ありがとうな。ティア」
こちらを気遣わしい表情で見ているティアに、笑みを見せようとしたレヴェルだったが、背中の痛みに顔を引きつらせる。
くだらない情報とストラスを惑わせた罪で、レヴェルは硬い木の棒による棒打ちを二百回を受ける事になった。
いきなり首を刎ねられて死ぬよりはましだが、大の男二人がかりで棒で打たれたレヴェルの背中は、皮が裂け、肉が破れ、骨が飛び出していて、腫れと出血のため黒ずんでいる。
手当をされた様子も無く、岩肌がむき出しで水気を含んだコケなどが生えた食事も与えられない環境では、遠からずレヴェルの命は失われるだろう。
ただ、これでも、王女サウスマギアの助命が合っての事だ。
サウスマギアの助命がなければ、レヴェルはその場で首を刎ねられていた。
「それで、いつまでその姿でいるつもり?」
「しばらくは。痛みは生きている事を実感できるからな」
「もう。心配させて」
「死とは最も身近な隣人であり、最も顔を会わせたく無い隣人でもある。
一度、隣人の顔を見るのも悪くないかと思って」
「それで、棒で打たれたの?本当に変わった人」
冷たい岩肌に無造作に寝かされたままのレヴェルの頭を優しくなでると、ティアは微笑む。
レヴェルは変わった人間だ。
生を謳歌しようとしながら、どこか生を諦めたように達観している。
そんなレヴェルの生き様が面白いと思ったからこそ、ルシアはレヴェルを気に入り、そのあり方を見守ろうとティアを遣わせた。
実際、他の者とは違うレヴェルの考え方は面白く、そばで見ていても飽きる事は無く、楽しい。
他人をまったく寄せ付けず、一人を好むくせに、人の扱い方を心得ているレヴェルのそばにいるのは面白い。
そばで見ている事を選んだのは、英断だったとティアは考えている。
「もし、貴方の考えどおり、南北からこの国が攻められれば、貴方の命を助けるかしら?」
王族の一人が言った、レヴェルの情報の真偽を確かめてからでもいいのでは。という言葉を受けて、とりあえずは棒打ちという事でその場は治まった。
「もし、俺の意見が通ったなら、サーキーンは俺を殺すだろうさ。
情報が確かなら、サーキーンは俺に恥をかかされたと思う。
俺だけじゃない。おそらく、その情報を上げなかった参謀部、情報部の連中も一緒に処刑されるさ」
「なにそれ。ひどい話ね」
「驕れる者は久しからず。人は偉くなると変わってしまうものさ。色々な物を背負い込むせいで、な」
呆れたような表情になるティアに、レヴェルは自分が学んだ過去の人々からの助言と言うべき知識を披露する。
「上の者の立場になると、下の者の意見が聞けなくなるものだ。
それが命の危険がある場合なら、なおさらな。
信頼する者ならともかく、ぐっ」
「ほら。無理しすぎ」
傷ついた体に構わず、長話を始めようとしたレヴェルが血を吐いたのを見て、ティアは霊力を解放し、背中の傷を癒す。
「契約違反じゃないか?」
温かな光に包まれ、痛みの感覚すらなくなってしまっていた体が動くようになったのを感じて、レヴェルはティアに苦笑を見せる。
「貴方は確かにマスターだけど、私はルシア様の命に従っています。
ルシア様は貴方を見殺しにしろとは仰っていません」
見るも無残だった傷口が跡形も無くなり、急に血肉が通い始めた体を起こし、レヴェルはすました表情でこちらの文句を意にも返さないティアの言葉に、なるほどと頷く。
「助かったよ。ありがとう。ティア」
「そうそう。素直が一番よ」
起き上がったレヴェルにあわせて、空中に浮かび上がったティアは、いい子いい子という風に頭を撫でる。
かなり子供扱いした態度のティアに、諦めたような笑みを見せると、レヴェルはそのまま受け入れる。
女神の遣いであるティアからすれば、この世界の住人などすべてが子供のような者である。
それを理解しているレヴェルは、それに特に文句を付けたりしない。
相手が馬鹿にした態度なら跳ね除ける必要もあるだろうが、親愛の情を向けて来る相手に肩肘を張る性格をレヴェルはしていない。
「それで、どうするの?」
「逃げ出すしかないな。この国にはもういられない」
王様の怒りを買ったままこの国で生きていく事はできないだろうし、地下牢を勝手に抜け出した犯罪者も許される事は無いだろう。
ストラスがサーキーンを打倒したのなら残れる可能性があるが、あの様子では難しい。
どの道、このままでは、プレタダ王国は地図から無くなる。
それなら、この国にいても仕方が無い。
生まれ故郷だからと言っても、安い金で売られたレヴェルは、大した愛国心は持っていない。
それどころか、この大陸は女神ルシアが創り出した物であり、ルシアの所有物に勝手に国境線を引いて争う戦いに興味など無い。と言う考え方を持っている。
資料課など書類を扱わせてもらえる役職に付けてくれるのなら、どこの国でも構わない。
「そう言えば、バエン王国が北のグラゾフ王国を攻略したわ」
「へえ。やっぱりか。さすがだな」
バエン王国の快進撃を告げるティアの言葉に、固まっていた体を伸ばしながらレヴェルは返事を返す。
「次はいい職につけたらいいわね」
「今も悪くは無かったけどな」
大地の精霊に命じて、地下に通路を作ってくれたティアに片目を瞑って見せると、レヴェルはその中に身を躍らせた。