068 仕事
「ふぅぅ~」
深いため息をついて手を休めると、エマは向かい合っていた書類から目を離す。
「ああ。書類面倒臭い。もうぅ。誰か代わりにやってよ。ほんっとにもうッ!!」
がぁっと、良く手入れされた銀髪のツインテールを振り回しながら、エマは苛立ちをぶつけるように目の前に積み上げられた書類を勢いよく弾き飛ばす。
「ああ。やらなきゃいけないのよね。やらなきゃ。
大丈夫。大丈夫。わかってる。わかってる」
事務机の上にあった物に当り散らし、座っていたイスから立ち上がって仁王立ちになって辺りを見回した後、呼吸を整えたエマは、冷静になって書類を拾い上げる。
「あいつは本当に化け物ね。良くこんな仕事一人で出来るわ」
きれいに書類を拾い上げて整理整頓して並べ直し、エマは辺りを見回しため息をつく。
大地の精霊ティーエラの力を利用して建てられた砦の一室にエマは一人でいる。
エマの私室と言うわけではなく、執務室だ。
本来なら、参謀や事務員など多くの人数が詰めて戦闘を記録したり、褒賞の目録を作ったりなど書類仕事をする場所なのだが、今はエマ一人しかいない。
別に、レヴェルを真似てやろうと思ったわけではない。
ただ純粋に、人手不足なのだ。
書類仕事は、当然、読み書き、計算が出来なくてはできない。
そうなると、農村や平民など学のない一般募兵の兵士には任せられないし、雇われている傭兵などには任せられない。
士官学校を出た者でも兵学科や参謀科を出た者は、書類仕事を軽視し他の仕事を優先するし、主計科を卒業する者はなかなか前線には来てくれない。
その上、新しく編成されたばかりのアリス軍団は、兵学校の卒業生が一人も編入されていない。
アリスが集めたメンバーに、クスハやイクスラの援軍に向った部隊のメンバーが合わさり、さらに軍団になるための頭数を無理矢理合わせた歪な軍隊だ。
来年になれば、アリスの軍団にも優先されて卒業生が送られるだろうが、現状は今いるメンバーでこなさなければならない。
だから、今は必要な人員がまるで足りていない。
部隊指揮官や兵士の補充は出来ても、能力の高い優秀な文官は早々手に入らない。
手際よく仕事をこなせる者は貴重だ。
その上、その問題を深くしているのが、アリスとレヴェルの関係だ。
レヴェルの事務能力が高い事もあるが、アリス自身も他者を超越した能力をもっているため、それが当たり前のようになっている。
そして、それが当たり前のせいで、他の者も普通に出来るとアリスが考えている節がある。
レヴェルのように情報を集めながら、補給物資を回しながら、各省、各方面と折衝しながら、部隊経営をするというのは本来一人でやる仕事ではない。
敵兵と切りあうという目に見える手柄などは分かりやすいが、縁の下の力持ちとして舞台を支える裏方の仕事というのは目に見えにくい。
さらにレヴェルのようにひょうひょうと何でもないようにやられてしまうと、誰でも出来る仕事だと思われ、他の者が迷惑する。
部隊を運営する予算を作り、人を集め、そのための物資を積み上げ、さらにそれを円滑に進行するのは簡単にはできない。
それを簡単にやって見せるレヴェルのおかげで、アリスが文官の人員確保に消極的であるように見える。
アリスの部隊で、レヴェルの他に部隊運営をやってのける人材はいない。
リーヴェは作戦の立案や情報の統括など参謀の仕事が主で、ホルストは前線指揮官、エマは作戦に沿った人員配置など兵士の統括が主である。
唯一、主計科を卒業しているカロッサは、レヴェルから次々と回して来られる輸送隊と物資の資料作りにてんてこ舞いになっており、それ以外の作業を期待できない。
アリスには、事務仕事をさせるわけにはいかない。
感覚的に魔法を使うアルフレッドは、文章作成が苦手で支離滅裂な報告書を上げてくるので、事務仕事など持ってのほかである。
オーファン達、ごく一部の武官にも文章作成が得意で出来る者もいるが、コストア軍との小競り合いのためにほとんどで払っている。
領界を侵して来るコストア軍の散発的な嫌がらせのような攻撃に備えている。
ただでさえ、昼夜問わずに攻撃を仕掛けてくるコストア軍に備えているのだ。
部下達には、なるべく負担をかけたくはない。
「エマーリア様」
「あ。ジルコニアさん。何か用かしら?」
やや釣り目の目をさらに吊り上げ、難しい顔で人員不足解消の妙案を考えていたエマの元に、長かった栗色の髪を切り、短くまとめたジ二が顔を出す。
そのジニに、さっきまでの醜態がまったくなかったように取り繕ったエマは、笑顔で応対する。
今アリス達の軍団が駐屯しているのは、ジニの本拠地であるヘンドリクス子爵領の端になる。
サウスマギアに砲撃を食らわせて来たホーバンク家との領界線上に砦を作り、コストア王国の支配下に置かれている相手と小競り合いを繰り返している。
サウスマギアを撃った責任を取らされるかと思い、内心びくびくしていたジニだったが、入って来たアリスは特にヘンドリクス家に処罰する事も無く、駐屯の許可だけを求めて来た。
元々、レヴェルを通じてヘンドリクス家は潜在的には味方である事が伝えられており、砲撃の問題も悲しいすれ違いである事は伝えられている。
そのおかげでヘンドリクス領は被災を免れ、逆に攻撃を仕掛けてきたホーバンク家の土地は、バエンとコストアの戦場となり、大きな損害をこうむっている。
「私達は、アリス様のおかげで日常生活が保障され、その上、大きな恩恵を受けさせてもらっています」
「そう思ってもらえるなら、よかったわ」
笑顔でそう述べるジニの言葉に、エマも笑顔で返す。
リーヴェの提案によって、アルフレッドにホーバンク家の領土にかかるように砦を築き、一万五千のアリスの兵士達が駐屯している。
コストア軍の侵攻を防ぐ名目で、ヘンドリクス領を含めたバエン側の支配を受け入れた領地は、約束どおりアリスの駐屯軍に護られている。
エマとしては、兵力が分散している事にある程度の危機感を持っているが、護ると言う約束がある以上、軍団の方針に従っている。
ジニ達小領主は、アニアト国内を二分する貴族同士の争いに巻き込まれ、常に味方である貴族の動向にすら危機感を持って向かい、緊張を強いられていた。
その貴族同士の戦いから解放され、バエンと言う一つの大きな力の傘の下に包まれ、他者から護られると言う安心感は絶大で、ジニ達小領主はこのままバエンの支配に治まりたいと考えるようになるほどだった。
ジニがここにいるのもその一環で、とくに貢物も人質も強要しないアリス達の懐の大きさに感じ入り、自ら人質代わりに砦に来ている。
その感謝しているジニ達をさらに喜ばせたものが、アリス達の駐屯がもたらす恩恵の中で大きく流れが変わった商業路だ。
戦闘において最も重要なのは輸送であり、レヴェルはそれを重要視している。
武器も無く、食料も無ければ兵士達は戦えない。
バエン軍ではかなり補給輸送の重要性が認められているが、他国ともなれば本国からの支給も無く攻め入った国で徴用し、奪い取る事が補給だと言う国もある。
目の前で支配を確立しているコストアがその代表国で、アリスの駐屯地を境に、その経済力は大きく差が出来ている。
レヴェルが支えるアリスの軍団は、商人達を使った輸送をしており、戦地でも金銭が動き、経済を回す事を心がけている。
そのため、輸送隊は厳重に護られ、その厳重な警備の部隊運用のために、責任者であるカロッサが涙目になるのだが、並みの部隊が攻めて来ても撃退できる程度には固められている。
その輸送隊と共にする商人達は、レヴェルとリーヴェの息のかかった者達で剛の者が多く、商人なのか傭兵なのか分からないような者達が多い。
その商人達は、戦地で物を買い、運んで来た物資を売りさばく。
その金の一部を護衛費としてレヴェル達に収め、戦地とバエンを往復する。
奪われる事も無く、多くの物資を運びながら現地で商売をしてくれるアリスの軍団は、その通り道にある領地の貴族からはもろ手を挙げて歓迎されている。
そして、何より大きいのは、アリスの部隊は統一通貨を使って商売をし、手軽に発行できて浮き沈みが激しい軍票を一切使わないことにある。
国が臨時で発行する軍票は、紙であるため、当然、軽くかさばらず、移動には持ち運びしやすく、戦時には多く大量に発行され、利用される。
しかし、軍票は 信用第一で、その国の支配があるうちはいいが、その国が撤退してしまえば、紙切れ同然の価値しかなくなる。
そのせいで戦地の国の経済が乱れ、いつまでたっても戦地の復興がままならないと言う事が、多くの歴史書にのっている。
その事を学び踏まえて、レヴェルは戦争している側も、戦地になっている側にも犠牲が少なく、経済が成り立つように考え実行している。
そのレヴェルが考えた方法は、虐げられていたアニアトの小領主達に強く受け入れられ、予想以上の歓迎を受けている。
アリス達の本陣があるジニ達の領地もその恩恵を受けていて、多くの物流が通り、戦時の好景気に沸いていて普段の地方都市からは考えられないぐらいの活気がある。
「我々はアリス様の支配を受け入れ、その支配が続く事を強く望みます。
そのため、我々はアリス様に誓約書を差し出し、その支配下に置かれたいと思います。
これがみなの誓約書です」
その好景気を少しでも長く続けるために、アリスの支配下に入り、その軍団に協力する。
その事を決めたジニの考えに多くの小領主が賛同し、支配下に入る誓約書を差し出す事を約束したのだ。
それを持ってジニは、一番身近な相手であるエマに報告に来たのだ。
「わ、わかったわ。でも、私の一存では決められないから、アリス様に報告させてもらった後で、返事を返させてもらうわね」
ジニの言葉に、一瞬呆けていたエマだったが、これはバエン内部の大問題になると気付くと、その誓約書を一応受け取るため、イスから立ち上がる。
「エマーリア様。なにとぞ、よろしくお願いいたします」
「ええ。うまく行くといいわね」
頭を下げるジニに、エマは笑顔で答える。
これは、うまくすれば人員不足を解消できるかもしれない。
頭の片隅でそんな事を考えながら、内心ほくそ笑むと、エマは頭を下げるジニを部屋から送り出し、相談相手であるリーヴェを探してエマも部屋を後にした。




