第69話 一等地の工事
一等地の角で、工事が始まった。今日から4週かけて、あの角に店を建てる。
図面は冬から決めてある。帳場と、相場表と、蔵。売る場所と、見せる場所と、待たせる場所。二等地で言葉になった店の形を、10歩の間口で組み直す。蔵は二等地の1.5倍取る。預かりの商いは、新しい店では最初から柱の1本だ。
工事の費用は8万。職人の手間が3万5000、材が2万5000、金物と建具が2万。一番高かった頃なら、同じ工事で10万かかった。職人の日当も材の値も物価の倍率で動くから、倍率が1.3から1.17に下がった分で9万になり、拠点の建設が一段落して職人の手が余っている分で、さらに1万下がった。それで8万だ。
朝いちばんで、棟梁と図面を最後まで詰めた。
「注文は3つ。帳場から蔵の戸口まで、まっすぐ歩けること。相場表は通りから一番見える面に。棚は朝の光の入る側だ」
「なら屋根が先、棚が後だ。雨の来ない蔵から作る。荷を待たせる場所の出来が、預かりの出来になるんだろ」
図面の読みの早い棟梁だった。いい工事になる。
職人は、ガロの口利きで集めた。
「拠点の建設祭りが一段落してよ、腕のいいのが手空きになってんだ。本当なら高くつくが、相場の日当でいいって」
「助かる。今回は甘えるが、腕の分は次の仕事で乗せる。長く付き合う相手を、安く使う気はない」
初日の昼、職人たちの飯はうちの棚の燻製と串焼きで出した。日当とは別だ。ガロの班で覚えたやり方で、飯を出した日の積み込みは、いつも早く終わる。
材は、島から船で届いた。造船の実装で、島との間に定期の船便が通った。硫黄石と燻製を運んだ航路が、今度は材木を運んでくる。同じ船で、荷が1つ増えた。
金物は、テツジンの炉に注文した。蝶番、錠、帳場の金枠。
「値引きはしないぞ」
「値引きされたら困る。うちは定価の店だ。定価で買って、定価で売る」
「フン。言うようになった」
炉の火の前で、注文の紙を置いて帰った。それで通る。
昼、二等地の帳場で、カイエンからの文を受け取った。
売り買いの紙に入れた約束の一行——引き渡しは、うちの新店の工事が済んでから。目安で開札のあと6週——その目安の週が来たから、期日の確認だ。今日から工事に入った、上がりは4週、引き渡しはそのあとすぐ、と返事を書いた。あの帳場も、次の持ち主の下で働き続ける。
文の末尾に、カイエンらしい一行が足してあった。相場表の約束、違えるなよ、とある。
返事には、こう書いた。売り買いの日に決めた通り、相場表の板は置いていく。毎朝の書き方も、うちの者が3日通って教える。板は置いていけるが、毎朝書く手は連れていくからだ。
コウが新しい店の図面を覗き込んで言った。
「相場表は、前より大きくします。割り戻しの欄も、変動契約の板も、全部載せて」
「頼む。相場表だけは、けちるな」
「書き役は、どうします」
「ムギに、後輩と2人分で頼む。新しい相場表の板は広い。1人の手には余る」
「本人、真顔で、すごく喜びますよ」
夕方、ユキハが発着場に現れた。現実の弓の大会から、戻った日だ。
「どうだった」
「勝った」
「……優勝か」
「ん」
それだけだった。それで足りるのがこの人だが、今日は珍しく、一言だけ続いた。
「向こうは静かだった。値札もないし、相場も動かない。的と自分だけ。……気が楽だった」
「新しい店、射場から遠くなる?」
「歩いて3分、近くなる」
「なら、矢の納品、続けてあげる」
祝いの言葉の代わりに、取引の話が来た。この人らしい。
夜、工事の支払いを済ませて、帳面を締めた。
8万は現金から出た。口銭と実入りで積み直した現金だから、底は割っていない。出て行った8万は消えたんじゃなくて、帳場と相場表と蔵の形に変わって、あの角に残る。
権利の142万と工事の8万は、一度きりの大きい金だ。そのあとに続くのは、掃除と修繕と相場表の書き役という、小さくて終わらない金のほうだ。買う前に数えるべきは実は後のほうの金で、それはもう12週先まで数えてある。週の掃除と修繕でおよそ400、書き役の2人分で1200、合わせて週1600。うちの週の実入りなら、痩せた今でも払える。
拠点を買ったクランの半分は、権利の値段だけ見て、維持の週5000を見ていなかったと聞く。維持費を忘れた者の拠点から、空き家になっていく。売り札は、もう掲示板に出始めている。
帰り際、通りの向かいから工事中の角を眺めた。秋には資材置き場で、冬には杭と縄で、今日は柱が立っている。
槌の音は、日が落ちても少し続いた。急かしてはいない。職人が乗ってきただけだ。
柱を見ながら、去年の春の夜を思い出していた。所持金4200の行商人が、バルガの坂の上で帳面に書いた。目標、100万ゼル。アルテガの一等地に、俺の店を出す。
あれから、一年。露店で矢を売り、塩を担いで4時間半歩いた。木曜便を作り、硫黄石を当て、島の鉄を運んだ。秋の入札で124万に負け、全財産を塩に換えて笑われ、冬は膨れる値札を毎朝書き直した。下げを読んで蔵を空にし、142万の札を書いた。
100万には春に届いた。一等地の権利も手に入れた。そして今日、その土地に柱が立った。
あの夜に決めた目標は、これで終わりだ。
終わった目標の次に何をするかは——もう決めた。
コウが、開店までのスケジュールを帳場に貼った。工事4週、棚入れに数日、値札書きに1日。
最後のこの仕事だけは、誰にも渡さない俺の仕事だ。
値札板。塩13、串焼き2本で10、宿代62。
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【行商人の帳面 その69】
・資本は一度に使い、費用は続けて払う。買う前に数えるのは、続く費用のほう。週1600を12週先まで数えてある。
・下りの工事は買い手の味方。一番高かった頃なら10万の工事が8万。費用の側も同じだけ下がる。
・去年の春に書いた一行——目標100万、一等地に俺の店——は、今日で終わり。次にやることは、もう決めている。
・【資産】一等地の権利142万、造作8万、棚8万、現金4万。合わせて162万。
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