第59話 底の値段
増設区画の入札で、うちはいくらまで札に書いていいか。その上限を出すのが、今夜の仕事だ。
上限を出すには、あの角の店が1年にいくら稼ぐかを数えなきゃならない。稼ぎを数えるには、その頃の物価が要る。だから順番はこうなる——まず、物価の下がる先の底を置く。それから、底の世界での稼ぎを数える。
発着場の帳場にコウを呼んで、紙を2枚広げた。
1枚目。底の値段。
「前提から言う。これから来る下げは、事故の暴落じゃない。運営が設計した調整だ。設計には目標があり、目標には底がある」
「目標、というのは」
「新規が戻れる物価だ。運営の損得から言って、それ以外にない。削られた客を呼び戻せない調整には、意味がないからな」
新規が戻れる物価を数字にするには、二つ要る。始めたての客が週にいくら稼ぐか。最初の1週間にいくら払うか。
稼ぎのほうは、この1週間、足で集めた。
聞き方を先に決めた。同じ問いを、同じ順で。始めて何週目か。昨日1日で手に入れた金はいくらか。その金は、何をして手に入れたか。
聞く場所は3つに分けた。うちの店の朝の客から4人、発着場の日雇いの列で3人、ムギに頼んで薬草を摘む組から3人。締めて10人だ。
うちの客だけで数えなかったのは、偏るからだ。うちの棚で買い物ができている時点で、手持ちは始めたての中では細くないほうになる。一番苦しい側は、店に入る前に引き返している。
答えは、1日で180から220に固まった。7日で、1300から1500。真ん中を取って、週におよそ1400。
中身も揃っていた。10人のうち9人まで、稼ぎの7割から8割が魔物の落とす金とギルドの依頼で、物を作って売っているのは薬草の1人だけだった。どちらも額を決めているのは運営で、人の売り買いでは動かない。
「聞き取りが10人では、数として薄くないですか」
「薄い。だから、運営が決めている額のほうを別に確かめた」
昼、冒険者ギルドで初心者向けの依頼の掲示を3枚、そのまま書き写してきた。薬草10束で120。鼠の尾5本で90。荷運びの手伝いで150。
それを、一冊目の帳面と突き合わせた。去年の春、行商を始めたばかりの俺が、同じ掲示の前で同じ3枚を書き写している。
去年の字と、今日の字。3枚とも、1ゼルも違わない。
魔物の落とす金は、ユキハに聞いた。同じ狩場で同じ魔物を狩って、入る額は去年と変わらないという。掲示板の初心者スレに書かれている報酬の額も、去年のものと同じだ。
物価は1.3倍になった。運営が決めている稼ぎの額だけが、去年のまま据え置かれている。
「聞き取りの10人と、掲示の3枚。別々の調べ方が同じ1400を指しています」コウが紙に線を引いた。「検算、通します」
払いのほうは、調べ直す手間が要らない。行商を始めた頃、売り物になりそうな物の値を片端から書き写した一冊目の帳面に、去年の春の値札がそのまま並んでいる。
革の胸当て260、短剣180、靴90、矢と小物で120。宿は1泊50を7泊で350。飯が7日で200。安物で買って、締めて1200だ。
1400稼いで1200払って、200余る。だから、去年の新規は残った。
今は物価が1.3倍だから、同じ買い物が1560になる。稼ぎ1400に払い1560。最初の週から足が出る。だから10人に1人しか残らない。
「運営が欲しいのは、新規の最初の1週間が黒字で終わる世界だ。払いが1400の内側に戻ればいい。1200掛ける1.15で、1380。……底は、実装前の1.15倍だ」
「1まで戻さないんですか。実装前の値段ちょうどまで」
「戻せない。蒼海で攻略組の財布に金が入り続ける仕組みは、運営も止められない。止めれば今度は攻略組という客が消える。世に出回る金は去年より多いままだから、値札も去年ちょうどまでは戻らない。新規の最初の1週間が黒字で終わる高さまで下げれば、運営はそれで足りる。1.15は、運営の損得から逆に割り出した数字だ」
2枚目。底の世界での、あの角の稼ぎ。
秋の入札の前は、一等地の上限を出すのに3晩かけた。数字を並べ、疑い、削って、92万。あの頃は露店に毛の生えた行商で、いまは卸と口銭と貸し枠と相場表がある。同じ順番で、今の商いを当てはめ直す。
人通りは、資材置き場のままなら一等地の8割。増設の屋根がつながれば9割まで増える。値段は全部、1.15倍まで下がった世界の値に直して数えた。
店の売りで年16万2000。棚と蔵を人に貸す分で年8万1000。よその品を取り次ぐ口銭で年5万4000。締めて年29万7000。
そこから、二等地を畳んで移す分を引く。いまの店が生んでいる年9万だ。差し引きの上乗せは、年20万7000。
「元を取る年数は、何年で切ります」
「7年だ。7年で元が取れる値段までしか、書かない」
20万7000掛ける7で、144万9000。上限、145万。
買い切りの権利だから、8年目から先は全部が利になる。それでも上限は上限だ。145万より上に書けば、商いじゃなく見栄だ。
「掲示板の観測は150万から160万。上限145万だと、届かない札に見えますけど」
「あの数字は、今の物価がこのまま続く前提で書かれている。うちの札は、物価が1.15まで下がった前提で書く。開札の日、台の上でどっちの前提が正しいか。そこを賭けるのが、今度の競りだ」
紙の端に、残った読みを1行書いた。
拠点と造船の実装が、開札の前に来るか、あとか。実装の日から、皆の金は普請と維持に出ていく。
前に来れば、下げの怖さが皆の札を縮める。あとに来るなら、手元が膨れたままの競りだ。札は150万から160万まで飛んで、うちの145万では届かない。
「届かなかったら、どうします」
「負けるだけだ。下がる世界で現金を持ったまま負けるなら、損は1ゼルも出ない。間違った数字で勝つより、ずっといい」
底の紙の余白に、もうひとつ書き足した。1.15は運営の目標であって、約束じゃない。手元が狂えば1.1にも1.2にもなる。札は、そのどちらに転んでも損の出ない値段でしか書かない。
紙を2枚、綴りに縫い付けた。底が先、上限があと。
コウが帳面を閉じて、聞いた。
「明日は、何からですか」
「店を売りに行く。買い手は、もう決めてある」
値札板。塩16、串焼き2本で13、宿代72。
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【行商人の帳面 その59】
・設計された調整には目標があり、目標には底がある。底は、設計した側の損得から逆算する。
・運営の目標は、新規の最初の1週間が黒字で終わる世界。稼ぎの額が据え置きなら、下がるのは値札の側。答えは1.15倍。
・1.15倍の底の値段で数えて、あの角の上乗せは年20万7000。7年で145万。それが札の上限。
・【資産】現金83万5000、棚8万、店舗権49万。合計140万5000。受付まで3週。
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